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16. 自覚する気持ち

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 夜、エルカンさんに指示された場所に向かう。足取りが重くて仕方がなかった。まだ困惑している。
 まさかエルカンさんと神気の交換をすることになるなんて!彼のことは大好きだけど、ロウシェさんとしているのと同じことをするなんて全く想像できない。
 どこかどんよりとした気持ちのまま、待ち合わせ場所にとうとう着いてしまう。

「ドニ、こっちや」

 綿雲のベッドに腰かけたエルカンさんが僕の姿を見て、手を上げた。こんばんは、と挨拶をすると手招きされた。近づくと手を引かれて、ベッドの上に座らされた。
 前髪をかき分けられて、額に口づけられる。柔らかな感触に、おおげさなくらいに体がびくついた。ええ子やな、って今まで数えきれないくらい額にキスされてるのに。

「緊張しとる?」

 苦笑いを浮かべるエルカンさん。困らせてしまって、謝りたいけど声が出ない。何と答えればいいのか分からなくて視線をきょろきょろさせていると、ベッドの上に押し倒された。

「怖がらんでええよ。痛いことも乱暴なこともせえへん。気持ちええことしかせえへんから、ただ寝転がっとき」

 月明かりを浴びるエルカンさんが僕を見下ろす。表情も声の調子も柔らかくて、頭を撫でる手も優しい。彼が言葉通りに痛いことや乱暴なこともしないって分かってる。
 なのに、僕の体はガチガチに固まっていた。舌が喉に張りついて、声を出すことが出来ない。何故だかロウシェさんの姿が頭に浮かんで離れなかった。

「……っ」

 服を首元まで大きくめくられて脇腹を撫でる。と同時に眷属は首元に顔を埋めてきた。反射的に肩を竦めてしまう。だが彼は気にする様子もなく、首や鎖骨に唇を押しつけてくる。
 瞬間、悪寒が走って鳥肌が立った。嫌悪感が襲ってくる。恐怖が全身を支配する。
 いや、嫌だ。ロウシェさんじゃない!ロウシェさん以外に触られるの、嫌だ…っ!

「ゃ、…ぃやです…っ!や、やっぱりやめます…っ!」

 気づけば目の前の体に両手を突いて、押し返していた。エルカンさんの体はわずかに退がったものの、僕の手をあっという間に掴んでベッドの上に押さえつけた。

「ドニ、大丈夫や。怖いことなーんもあらへん」

 月明かりを背に受けるエルカンさんの顔は逆光になって、表情が見えなかった。必死で抵抗するも、上からのしかかられて、力の差も圧倒的だった。
 乱暴なことしないって言ったのに!エルカンさんの嘘つき!
 周囲は静かで、まれに梟の鳴き声が聞こえるだけだった。誰も助けに来ないのだと悟って、奈落の底に突き落とされるかのようだった。
 どうして言われるがまま、のこのこ来てしまったんだろう…!ロウシェさんがいいって本当は分かってたはずなのに!
 少し前の自分の判断を心の底から呪った。
 嫌だ、嫌だ!助けてロウシェさんっ!

「おい、エルカン。言われた通り来たぞ。話って一体─── 」

 聞き慣れた声に、エルカンさんが体を起こした。手首を掴まれていた手が離れる。
 まさか、そんな。
 振り返るエルカンさんの隙間から、ロウシェさんの姿が見えた。見間違いや幻覚じゃなく、本当に、本物だ。心の中で助けを求めた本物の眷属が目の前にいる。暗がりの中でも、驚いた様子で目を見開いているのが分かった。
 安堵を感じると同時に、強烈な絶望感に目の前が真っ暗になる。
 見られた。見られてしまった。こんなところを、一番見られたくない人に。
 目元が燃えるように熱くなったかと思えば、視界が歪んで涙があふれて止まらなくなった。

「エルカン、てめぇッ!」

 大気も震わすような怒号が聞こえた。思わず体を縮こませる。

「痛ったぁ…」
「まさか自分の担当の見習いに手ぇつける卑劣な野郎だったとはなッ!見損なったぜ!眷属の風上にも置けねえ!」

 反射的に閉じていた目を開けると、ロウシェさんの背中に庇われていた。彼の凄まじい怒りを感じる。少し離れた場所ではエルカンさんが倒れていて、口元を押さえながら上体を起こしていた。
 何が起こったのか分からなかったが、状況から見るとロウシェさんがエルカンさんを殴ったようだった。
 だめ、ロウシェさん、だめ。殴らないで…!
 動けない体を叱咤して、手を伸ばしてロウシェさんの服を掴む。眉間にシワを寄せて振り返る彼に、殴らないでと頭を左右に振る。

「ドニ、大丈夫だ」

 ロウシェさんの優しい声に、涙が次から次へと止まらない。
 この元凶を作ったのは僕だ。確かに怖かったけど、エルカンさんは僕を哀れに思って手を差し伸べてくれただけ。彼だけを責めないで。
 そう言いたいのに、口から漏れるのは嗚咽だけで、言葉を成さなかった。

「ドニ」

 僕の名前を呼ぶエルカンさんの声を聞いて、心配そうにこっちの様子を窺っていたロウシェさんの視線が鋭くなった。

「怖がらせてしもて、ほんまごめん。誓って、泣かせるつもりはなかってん。でも、これで自分の気持ちに気づけたんちゃう?」
「てめぇ、どの面下げて…っ!」
「うっさいわボケ。誰が担当の見習いに手ぇ出すかっちゅうねん。そこまで落ちぶれてへんわ。そもそも俺はネコや。どう転んだって無理やっちゅーの」
「は……?」

 ロウシェさんが噛みつくが、顔をしかめたエルカンさんの応酬に言葉を失った。それは僕も同じだ。でも言ってる意味の半分も理解できない。
 僕と神気交換する気は最初からなかったってこと?それに猫って…?エルカンさんは眷属じゃないの?本当は猫なの?

「ドニ、怖いかもしれんけど、自分の正直な気持ちに従って、勇気出して飛びこんでみぃ。絶対に大丈夫や。エルカンさんが保証したる。明日は休んでええから、ちゃんと話しぃや。向き合わんと絶対に後悔すんで」

 ほな、また明後日元気に会おな。そう言ってエルカンさんは手を振って飛び去ってしまった。

「…何なんだアイツ。意味わかんねえ」

 ロウシェさんは苛ついたように、頭を乱雑に掻きながら舌打ちをした。その傍で、僕は声を殺して泣いていた。一度は引っ込んでいた涙が再び堰を切ったようにあふれだした。胸が苦しくて、両手でぎゅっと押さえる。
 エルカンさんの最後の言葉は、間違いなく僕への激励だった。ようやく、自分の気持ちに気づいた。エルカンさんが気づかせてくれた。
 僕、ロウシェさんのことが好きなんだ。体に触れられるのも、神気の交換をするのも、ロウシェさんがいい。気持ち良くない。彼だから、気持ちいい。ロウシェさんじゃなきゃ、駄目なんだ。

「…ドニ、平気か?どこか、痛いのか?」

 心配そうな声。腕が伸ばされるも、僕のことを気遣ってか体に触れる直前でぴたりと止まった。酷いことをされたと勘違いして、気遣ってくれてるんだ。
 その優しさにまた胸がきゅうと苦しくなる。僕は泣きじゃくりながら、ロウシェさんの胸元に寄りかかった。

「体に触るぞ。いいか?」

 こくりと頷くと、ぎゅっと抱きしめられた。心地の良い体温に包まれて、少しだけ呼吸が楽になる。

「…とりあえず、場所移すぞ。俺のとこまで飛ぶから、掴まってろ」

 言われた通り首に両腕を回してしがみつくと、体がふわりと浮き上がった。ロウシェさんの匂い、すごく安心する…。
 彼の綿雲に着くと、優しく下ろされた。昂っていた感情も、夜風を浴びて少しずつ治まっていた。目尻にたまった涙を、ロウシェさんの指がそっと拭ってくれる。

「体、大丈夫か?乱暴にされて、どこか怪我してたり…」

 慌てて頭を振って否定する。乱暴なことなんて、何一つされなかった。すると抱き寄せられて、さっきよりも強い抱擁を受けた。耳元でロウシェさんが安堵の息を長く吐く音が聞こえた。彼の一挙一動に、心臓がどきどきする。

「…あの、ロウシェさん…どうしてあそこに…?」
「エルカンに呼び出されたんだよ。話があるから来てくれって。言われた通り来てやったら、ドニを押し倒してるのが見えて……あ゛ーくそッ!思い出すだけでも腹が立つ!意味わかんねーこと言うし……もう数発殴ってやりゃ良かった」
「だ、だめです…っ。エルカンさんは悪くないんです!…僕が、悪くて……」
「ドニ、いくら自分の教育係だからって、あんな最低ヤローのことなんか庇うな。嫌がるドニを力づくで押さえつけて、無理矢理犯そうとしたんだぞ」
「ほ、本当に違うんですっ!…僕が相談したから…、僕のせいで…」

 不愉快だと言わんばかりに、怒りで顔を歪ませるロウシェさんに縋りつく。ロウシェさんとエルカンさんは同じ時期に眷属へと昇格した仲間だ。他の神に仕えてる眷属も含めて、とても気心の知れた間柄だって聞いている。僕のせいで誤解を招いて、仲違いをさせたくない!

「…ドニの相談って?」

 聞かれて、思わず俯いて口を噤んでしまう。相談の内容を話せば、僕がロウシェさんを好きだってことも言わなきゃいけなくなる。ついさっき自覚したばかりの恋心。それを本人に伝える心の準備なんて、できてるはずがない。
 もし僕の片思いだったら?せっかく仲良くなれたのに、恋心を打ち明けて今の関係が壊れてしまったら?そう思うと体が竦んでしまう。

「…俺には言えない内容なのか?」

 頬を指でそっと撫でられる。寂しそうな声だった。
 そこでエルカンさんにかけられた言葉を思い出した。怖がらずに、勇気を持って飛びこんでみろって。頭の中の霧が晴れるような感覚だった。
 そうだここでだんまりを決めて誤魔化したって、事態は何一つ好転しない。僕たちの状況が余計にこんがらがるだけ。絶対に大丈夫ってエルカンさんは言っていた。信頼する眷属からの言葉だ。信じて、打ち明けてみよう。
 そう決意して、顔を上げた。
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