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59 幸福
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それから日を置かず、王の第一子はネルティスと名付けられ、全住人への布告が出された。
「ネルティスって呼ぶと、嬉しそうに笑うんだ。ツヴェーテがつけた名前、気に入ってるみたい」
「そうか」
「でね、ネルティスまた大きくなったみたいで、今日は揺り籠の縁で支えて掴まり立ちしてたんだ!」
「地獄の子供は人間の約三倍の速度で成長するからな。不思議ではない」
興奮気味に話すヴィカと違って、ツヴェーテの返答は素っ気ない。いつも通りのように見えるが、声の節々に棘が混じっている気がして、王后は王の頰を両手で包み込んだ。
「ツヴェーテ…怒ってる?おれ、また何か悪いことしちゃった?」
眉を垂らす伴侶の言葉に、王は驚いた様子で目を見開いた。だがすぐに脱力し、大きな溜め息を吐いた。
その反応に不安げに瞳を揺らすヴィカの唇を、ツヴェーテは優しく啄む。
「…いや、お前の喜ぶ顔が見れるのは嬉しいが、夜伽の最中に俺以外の男の名前が出てくるのは面白くない」
拗ねたように唇を尖らせる王に、今度はヴィカが目を丸くする番だった。
二人は自室の寝台の上で、生まれたままの姿で体を寄せ合っていた。ヴィカは首筋や胸元に愛撫を受けているにも関わらず、官能に身を捩らせるどころか、ツヴェーテの唇が触れていると知らぬかのように、頬を染めて子供の話をしていたのだ。王が機嫌を損ねるのも当然と言えるかもしれない。
「お、男って…」
「ネルティスは男に違いないだろう」
「そうだけど、…ネルティスはおれたちの子供なのに…」
「子を授かったとは言え、俺は常にお前にとっての一番でいたい。生涯、ずっとだ」
ヴィカはきょとん、と目を瞬かせた。狭量すぎて呆れられたかとツヴェーテは思ったのだが、その予想に反して少年は柔らかな笑みを浮かべた。
「そんなの…ツヴェーテが一番に決まってる。ツヴェーテはおれの命を救ってくれて、身に余るほどの愛情をくれて、家族まで与えてくれた。ツヴェーテが一番じゃないなんて、そんなことありえないよ」
「…二番は誰だ」
「え?…うーん、たくさんいすぎて決められない…」
「決められない?」
「うん。ネルティスもウェイスもルプスもグスイさんもウルラさんも、みんな大事だから、順番なんかつけられない。でも、ツヴェーテだけは特別」
「俺は特別か…」
「うん」
にこにこ笑う伴侶からの口付けに、溜飲が下がる。自然と口角が吊り上がり、顔がにやける。
地獄を束ねる王と言えど、愛しい伴侶の一言でかくも簡単に一喜一憂する様は、そこらのただの男と変わりない。
「ツヴェーテは?おれ、ツヴェーテの一番?」
「当然だ。お前に取って代わる存在などいない」
「へへ、やったあ」
目を細めて笑うヴィカに、ツヴェーテの胸の中で彼への愛おしさが増す。磁石のように吸い寄せられ、王は伴侶の唇に口付けた。
***********
「…ぇ…ぅぇ…」
誰かに呼ばれている気がして、ヴィカは重たい瞼を開いた。隙間から見える、眩しい程の明るい光を手で遮る。まだ意識は睡魔に囚われていて、彼はもう一度目を閉じ、まどろみに身を任せようとした。
「いつまで寝ているつもりですか、母上!」
肩を揺さぶられ、ヴィカは覚醒せざるを得なかった。目を慣らそうとしきりに瞬きをして、視界に入った人物を目にして、頬がふにゃりと緩む。
銀色の髪に、琥珀色の瞳。ツヴェーテだ。
「ツヴェーテ…」
「父上と私を見間違えるとは、…まだ寝惚けていらっしゃいますね」
ツヴェーテの口から出た言葉に、ヴィカの眠気は一気に吹き飛んだ。良く見れば、青年の髪はツヴェーテよりもずっと短く、角の形状も長さも全く違う。体格も王より細身で、醸し出す雰囲気も別人のように異なっている。
「え、え…だ、だれ…っ」
上半身を起こしたヴィカは、寝台の上で後ずさり、本能的に青年と距離を取った。きょろきょろと視線を辺りに彷徨わせるが、間違いなく自分達の寝室だった。だが室内には、自分と青年の姿しかない。
青年は怯える少年に、呆れたように溜め息を吐いた。
「まさか…息子の顔をお忘れですか?私です、ネルティスです」
「えっ?」
己の息子を名乗る青年に、ヴィカは戸惑うばかりだった。
ネルティスはこの間生まれたばかりなのだ。確かに目の色は似ているし、成長速度は人間の三倍だと聞いているが、こんなにもすぐに大きくなるはずがない。
「嘘。だって、ネルテイスはまだ赤ん坊で…昨日ようやくつかまり立ちできたところなのに…」
「母上…」
己の体を丸めてびくびく怯えるヴィカに、青年は困ったように眉尻を下げた。その顔は心配げでもある。手を伸ばすも、今のヴィカに何を言っても無駄だと悟ったのか、もう一度溜め息を吐くと退室してしまった。
扉が閉まった瞬間、王后は寝台から飛び降り、ルプスを探した。呼びかけても声は聞こえず、姿も見えない。不安に駆られていると、再び扉が開いた。
「ツヴェーテ!」
先程の青年を後ろに伴って入室した王に、王后は駆け寄って抱きついた。青年から引き離そうと、腰に両腕を巻きつけてぐいぐい引っ張る。
じゃれつくヴィカに、ツヴェーテはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「ヴィカ、何だ?」
「あの、あの人が、自分のことネルティスって…!」
ツヴェーテは青年を一瞥すると、そうだろう?と眉をひそめた。伴侶の反応に、少年はますます混乱に陥ってしまう。まさか本当に彼が、あのネルティスなのだろうか。青年に視線を移せば、彼が寂しげに微笑む。その姿にちくりと胸が痛んだ。
「母さんがネル兄のことわからなくなったって本当!?」
元気な声と足音がしたかと思えば、入口から色とりどりの髪をした男女が雪崩のように飛び込んできた。ツヴェーテにひしと抱きつくヴィカに走り寄る。
「母様、まさか俺達のことまで忘れてねえよな!?」
燃えるような赤い髪を長く伸ばした青年が発言する。他に、栗色の髪の少年に、桃色の長い巻き毛の女性、金髪の長い髪の女性が悲痛な面持ちで、祈るようにヴィカを見つめている。皆一様に、大小の違いはあれど頭から二本の角を生やしている。
そんな彼らを目の前にして、分からないと答えるのが心苦しい。ヴィカはどうすればいいのか分からず、ツヴェーテを見上げた。
「どうした、ヴィカ。餓鬼共のことだけ記憶から抜け落ちたか」
ツヴェーテが優しく頬を撫でる。四名からの強烈な視線を反対側の頬に痛いほど感じる。どう答えるべきか迷ってしまい、言葉が出てこない。
少年の沈黙を肯定と受け取ったらしい四名は、絶望した様子で床に膝をついた。この世の終わりと言わんばかりに崩れ落ちる彼らに、焦ったヴィカはしゃがみこんで目線を合わせ、一人一人の頭を撫でた。
「あの、えと、ごめんね…。みんなも、おれの子供…でいいのかな…?」
「ええ、そうよ。お母様、私は第二子の 」
「母様、俺は三番目の 」
「私は 。こっちの馬鹿と双子なの」
「母さん、おれ、おれはね、 だよ!」
順番に自己紹介をしてくれているはずなのに、何故だか名前が聞き取れない。霞がかっているかのように、名前の部分だけ聞こえなくなるのだ。それなのに、不思議と彼らの名前に馴染みがあるように感じた。勝手に口が動いて、子供達の名前を紡ぐ。だけれども音は聞こえない。
名前を呼ばれた彼らは、一転まばゆい笑顔を見せた。本当に嬉しそうな顔に、ヴィカもまた心が温かくなるのを感じた。
意識が浮上して、ヴィカはふと目を覚ました。辺り一面が薄明かりに包まれている。夜明けが近いと知って、完全に目が冴えてしまう。
ヴィカは己を抱きしめて眠るツヴェーテに体をすり寄せた。ぴったりと隙間が無くなるまでくっついて、自分も王の背に腕を回す。
無防備に眠る様すら彫像のように美しい顔を眺めながら、ヴィカは目を覚ます前に見た夢を思い出していた。
夢の中の自分はネルティスを含め、五人もの子供を産んでいた。間違いなく夢だったのだが、妙な現実味を帯びていた。まるで今の自分があの場にいたかのようだった。
ツヴェーテは、地獄の出生率は極めて低いと言っていた。夢の内容を話せば、どんな反応をするのだろう。奇妙でおかしな夢を一緒に笑ってくれるだろうか。
震える銀色の睫毛に、ツヴェーテの目覚めが近いと知ったヴィカはぼんやりとそんなことを思った。
「おはよう、ツヴェーテ」
開いた瞼の隙間から覗く琥珀色の瞳に、ヴィカは伴侶の頰を撫でながら、にっこりと笑んだ。
「ネルティスって呼ぶと、嬉しそうに笑うんだ。ツヴェーテがつけた名前、気に入ってるみたい」
「そうか」
「でね、ネルティスまた大きくなったみたいで、今日は揺り籠の縁で支えて掴まり立ちしてたんだ!」
「地獄の子供は人間の約三倍の速度で成長するからな。不思議ではない」
興奮気味に話すヴィカと違って、ツヴェーテの返答は素っ気ない。いつも通りのように見えるが、声の節々に棘が混じっている気がして、王后は王の頰を両手で包み込んだ。
「ツヴェーテ…怒ってる?おれ、また何か悪いことしちゃった?」
眉を垂らす伴侶の言葉に、王は驚いた様子で目を見開いた。だがすぐに脱力し、大きな溜め息を吐いた。
その反応に不安げに瞳を揺らすヴィカの唇を、ツヴェーテは優しく啄む。
「…いや、お前の喜ぶ顔が見れるのは嬉しいが、夜伽の最中に俺以外の男の名前が出てくるのは面白くない」
拗ねたように唇を尖らせる王に、今度はヴィカが目を丸くする番だった。
二人は自室の寝台の上で、生まれたままの姿で体を寄せ合っていた。ヴィカは首筋や胸元に愛撫を受けているにも関わらず、官能に身を捩らせるどころか、ツヴェーテの唇が触れていると知らぬかのように、頬を染めて子供の話をしていたのだ。王が機嫌を損ねるのも当然と言えるかもしれない。
「お、男って…」
「ネルティスは男に違いないだろう」
「そうだけど、…ネルティスはおれたちの子供なのに…」
「子を授かったとは言え、俺は常にお前にとっての一番でいたい。生涯、ずっとだ」
ヴィカはきょとん、と目を瞬かせた。狭量すぎて呆れられたかとツヴェーテは思ったのだが、その予想に反して少年は柔らかな笑みを浮かべた。
「そんなの…ツヴェーテが一番に決まってる。ツヴェーテはおれの命を救ってくれて、身に余るほどの愛情をくれて、家族まで与えてくれた。ツヴェーテが一番じゃないなんて、そんなことありえないよ」
「…二番は誰だ」
「え?…うーん、たくさんいすぎて決められない…」
「決められない?」
「うん。ネルティスもウェイスもルプスもグスイさんもウルラさんも、みんな大事だから、順番なんかつけられない。でも、ツヴェーテだけは特別」
「俺は特別か…」
「うん」
にこにこ笑う伴侶からの口付けに、溜飲が下がる。自然と口角が吊り上がり、顔がにやける。
地獄を束ねる王と言えど、愛しい伴侶の一言でかくも簡単に一喜一憂する様は、そこらのただの男と変わりない。
「ツヴェーテは?おれ、ツヴェーテの一番?」
「当然だ。お前に取って代わる存在などいない」
「へへ、やったあ」
目を細めて笑うヴィカに、ツヴェーテの胸の中で彼への愛おしさが増す。磁石のように吸い寄せられ、王は伴侶の唇に口付けた。
***********
「…ぇ…ぅぇ…」
誰かに呼ばれている気がして、ヴィカは重たい瞼を開いた。隙間から見える、眩しい程の明るい光を手で遮る。まだ意識は睡魔に囚われていて、彼はもう一度目を閉じ、まどろみに身を任せようとした。
「いつまで寝ているつもりですか、母上!」
肩を揺さぶられ、ヴィカは覚醒せざるを得なかった。目を慣らそうとしきりに瞬きをして、視界に入った人物を目にして、頬がふにゃりと緩む。
銀色の髪に、琥珀色の瞳。ツヴェーテだ。
「ツヴェーテ…」
「父上と私を見間違えるとは、…まだ寝惚けていらっしゃいますね」
ツヴェーテの口から出た言葉に、ヴィカの眠気は一気に吹き飛んだ。良く見れば、青年の髪はツヴェーテよりもずっと短く、角の形状も長さも全く違う。体格も王より細身で、醸し出す雰囲気も別人のように異なっている。
「え、え…だ、だれ…っ」
上半身を起こしたヴィカは、寝台の上で後ずさり、本能的に青年と距離を取った。きょろきょろと視線を辺りに彷徨わせるが、間違いなく自分達の寝室だった。だが室内には、自分と青年の姿しかない。
青年は怯える少年に、呆れたように溜め息を吐いた。
「まさか…息子の顔をお忘れですか?私です、ネルティスです」
「えっ?」
己の息子を名乗る青年に、ヴィカは戸惑うばかりだった。
ネルティスはこの間生まれたばかりなのだ。確かに目の色は似ているし、成長速度は人間の三倍だと聞いているが、こんなにもすぐに大きくなるはずがない。
「嘘。だって、ネルテイスはまだ赤ん坊で…昨日ようやくつかまり立ちできたところなのに…」
「母上…」
己の体を丸めてびくびく怯えるヴィカに、青年は困ったように眉尻を下げた。その顔は心配げでもある。手を伸ばすも、今のヴィカに何を言っても無駄だと悟ったのか、もう一度溜め息を吐くと退室してしまった。
扉が閉まった瞬間、王后は寝台から飛び降り、ルプスを探した。呼びかけても声は聞こえず、姿も見えない。不安に駆られていると、再び扉が開いた。
「ツヴェーテ!」
先程の青年を後ろに伴って入室した王に、王后は駆け寄って抱きついた。青年から引き離そうと、腰に両腕を巻きつけてぐいぐい引っ張る。
じゃれつくヴィカに、ツヴェーテはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「ヴィカ、何だ?」
「あの、あの人が、自分のことネルティスって…!」
ツヴェーテは青年を一瞥すると、そうだろう?と眉をひそめた。伴侶の反応に、少年はますます混乱に陥ってしまう。まさか本当に彼が、あのネルティスなのだろうか。青年に視線を移せば、彼が寂しげに微笑む。その姿にちくりと胸が痛んだ。
「母さんがネル兄のことわからなくなったって本当!?」
元気な声と足音がしたかと思えば、入口から色とりどりの髪をした男女が雪崩のように飛び込んできた。ツヴェーテにひしと抱きつくヴィカに走り寄る。
「母様、まさか俺達のことまで忘れてねえよな!?」
燃えるような赤い髪を長く伸ばした青年が発言する。他に、栗色の髪の少年に、桃色の長い巻き毛の女性、金髪の長い髪の女性が悲痛な面持ちで、祈るようにヴィカを見つめている。皆一様に、大小の違いはあれど頭から二本の角を生やしている。
そんな彼らを目の前にして、分からないと答えるのが心苦しい。ヴィカはどうすればいいのか分からず、ツヴェーテを見上げた。
「どうした、ヴィカ。餓鬼共のことだけ記憶から抜け落ちたか」
ツヴェーテが優しく頬を撫でる。四名からの強烈な視線を反対側の頬に痛いほど感じる。どう答えるべきか迷ってしまい、言葉が出てこない。
少年の沈黙を肯定と受け取ったらしい四名は、絶望した様子で床に膝をついた。この世の終わりと言わんばかりに崩れ落ちる彼らに、焦ったヴィカはしゃがみこんで目線を合わせ、一人一人の頭を撫でた。
「あの、えと、ごめんね…。みんなも、おれの子供…でいいのかな…?」
「ええ、そうよ。お母様、私は第二子の 」
「母様、俺は三番目の 」
「私は 。こっちの馬鹿と双子なの」
「母さん、おれ、おれはね、 だよ!」
順番に自己紹介をしてくれているはずなのに、何故だか名前が聞き取れない。霞がかっているかのように、名前の部分だけ聞こえなくなるのだ。それなのに、不思議と彼らの名前に馴染みがあるように感じた。勝手に口が動いて、子供達の名前を紡ぐ。だけれども音は聞こえない。
名前を呼ばれた彼らは、一転まばゆい笑顔を見せた。本当に嬉しそうな顔に、ヴィカもまた心が温かくなるのを感じた。
意識が浮上して、ヴィカはふと目を覚ました。辺り一面が薄明かりに包まれている。夜明けが近いと知って、完全に目が冴えてしまう。
ヴィカは己を抱きしめて眠るツヴェーテに体をすり寄せた。ぴったりと隙間が無くなるまでくっついて、自分も王の背に腕を回す。
無防備に眠る様すら彫像のように美しい顔を眺めながら、ヴィカは目を覚ます前に見た夢を思い出していた。
夢の中の自分はネルティスを含め、五人もの子供を産んでいた。間違いなく夢だったのだが、妙な現実味を帯びていた。まるで今の自分があの場にいたかのようだった。
ツヴェーテは、地獄の出生率は極めて低いと言っていた。夢の内容を話せば、どんな反応をするのだろう。奇妙でおかしな夢を一緒に笑ってくれるだろうか。
震える銀色の睫毛に、ツヴェーテの目覚めが近いと知ったヴィカはぼんやりとそんなことを思った。
「おはよう、ツヴェーテ」
開いた瞼の隙間から覗く琥珀色の瞳に、ヴィカは伴侶の頰を撫でながら、にっこりと笑んだ。
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