くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

XCX

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44. 王子の罪悪感

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「アサド、俺ロティになった方がいい?」

 部屋に入るなり、ローディルは慣れた様子で服に手をかけた。アサドと同衾する時はいつも獣の姿になるからだ。彼が匂いを嗅いだり腹に顔を埋めたりと好きにさせている間に寝落ちしてしまうのはいつものことだ。
 その必要はない、とアサドは苦笑いを浮かべて頭を振った。手を引かれてベッドの上へと座る。隣に同じく腰を落ち着けたアサドに両手を握られる。

「近頃、殿下の態度がおかしいことは気づいていますね?」
「うん…。オルヴァル、俺のこと嫌いになった?俺、気に障ること何かしたのかな?でも、耳飾りは喜んでくれてた気がするのに…」

 心の中でなんとなく思っていた心情を言葉に出すと、予想以上に悲しくなる。俯いて握られた手をじっと見つめる。するとアサドの手が離れて、頬を包みこまれて顔を上げさせられた。血の気が引いて冷たくなった皮膚の下に、柔らかい温もりが伝わってくる。

「いいえ、殿下はローディルのことが大好きですよ。嫌いになるなど決してあり得ません」
「じゃあなんで…?」
「大好きだからこそ、嫌われたくないと臆病になっているのです」
「意味わかんねー…。俺、オルヴァルのこと嫌いになったりしない」

 アサドは自分には嘘を吐かない十分承知している。彼が言っていることは真実なのだろうが、意味が全く分からなかった。

「本当は、私の口から伝えるのは禁じられているのですが…。殿下は貴方の養父に対して責任を感じているのです」

 男の口から出た予想外の人物に、ローディルは小さく息を呑んだ。やっぱりオルヴァルは老父と何かしらの関わりがあったのだ。
 オルヴァルの記憶の中で老父の姿を確認した、あの日以降どんなに主人の唇に触れたり舐めたりしようとも、続きは一切見れていない。なかば諦めていたのだが、思わぬところから話題が出て困惑してしまう。

「責任って?アサド、教えて」

 体が勝手に動き、目の前の男の腕に縋っていた。アサドは躊躇しているようで、口を閉じたり開いたりを繰り返している。
 先程の発言から察するに、オルヴァルから口止めされているのは明らかだった。だがローディルとしてもこの機会を逃すわけにはいかなかった。オルヴァルと距離を置かれているのも嫌なのだ。
 青年の必死の懇願に、アサドは根負けした様子で息を吐いた。

「まずは、貴女の養父であるヨーム老の身元が分かりました。ギョルム・ギュンドアン。響きが似ているので、貴方がヨームと聞き間違えていたとしてもおかしくはありません。彼はメルバの首都パルティカにある上級学術院の権威者の一人でした」
「上級学術院…」

 記憶の中で耳にした名前と全く一緒だった。やはり自分の見間違いではなく、老父だったのだ。

「ええ、上級と言う名だけあって、国内でも屈指の才知に長けた者しか在籍を許されない研究機関です。ギュンドアン殿はその中でも生き字引と異名がつく程に秀でた学者でした。年齢の為一線を退いてはいたのですが、その豊富な経験と知識を買われ、ダガット王──殿下とイズイーク様の父上──より王の相談役として任命されたのです。殿下がまだ幼いころの話です」
(あ…俺が見た光景、まさにその時のことだったのかも。突然出てきたじいちゃんに混乱したけど、王様とそんなふうな会話してた気がする…)
「聡明で経験豊富な相談役と、分け隔てなく人の話に耳を傾けるおおらかな王。二人の波長は良く、治政にも反映されていたと聞いています。しかし、とあることをきっかけに関係に亀裂が生じ、王はギュンドアン殿を首都から追放したのです」
「…あることって?」

 ローディルは眉根を寄せて聞き返した。どうして追放されなければならなかったのか、そこにどうオルヴァルが関わっているのかもまだ見えてこない。

「実は、殿下とイズイーク様は生母が異なる異母兄弟なのですが、イズイーク様の生母ミティス様と王の従者であったシシリハ殿と言う方が自害されたのです」
「えっ」

 二人の姿が青年の脳裏に浮かび上がる。オルヴァルの母ネアリアを虐めていた陰険な銀髪の女性と、ミティスを宥めた淡い赤銅色の髪の中性的な顔立ちの男。

「…シシリハ殿の傍には遺書が残されており、どうやら二人は不義の仲であったようなのです」
「ふぎのなか、って…?」
「不倫です。ミティス様は王の妻であるにも関わらず、シシリハ殿とも恋人関係にあったと」
「ええ…」

 もはやローディルの理解の範疇を超えてしまい、どう反応していいか分からずにいた。気の抜けた声しか出て来ない。
 アサドは軽く咳払いをすると、話を続けた。

「シシリハ殿の遺書によれば、王への背信行為に良心が耐え切れなくなり命で以って贖罪をすると綴られていたようです。ミティス様の亡骸はシシリハ殿の上に覆いかぶさっており、シシリハ殿の死を最初に発見し後を追ったのではないかと推測されています。王はシシリハ殿と無二の親友とも言えるほどに仲が良く、彼の死により精神的に打ちのめされていました。食事さえも咽喉を通らない程に心身が衰弱している状態でした。己のあずかり知らぬところで不倫など些末なことでしかなく、生きていて欲しかったと」
「……それがじいちゃんの追放にどうつながるんだ…?」
「後程判明したのは、ギュンドアン殿は二人の関係を以前から知っていたようなのです。それを知り、王は激昂しました」

 アサドの話は続く。
 ダガット王の怒りの矛先はギョルムへと向き、全て彼の責任で起こったことだと決めつけ責めた。何故知った時点で報告しなかったのか、自分が二人の仲を認めていればシシリハは命を絶つ必要はなかった。しまいには、ギョルムが二人を殺したも同然だと糾弾し、全ての責任を押しつけた。
 ギョルムは身の潔白を示そうと説明を試みた。二人の不倫を知ってはいたが、関係を終わらせるとシシリハから聞いていたこと。王には自分の口から説明をするから、黙っていて欲しいと懇願されたこと。
 しかし王は彼の言い分を一顧だにせず、ただただ彼の行為を非難し、遂には相談役の首都追放を命じた。勿論周囲の人間は皆、命令を取り消すように説得をした。

「まだ少年だった殿下も父君に懇願しました。時折ギュンドアン殿より直々に勉強を見ていただいて慕っていたのです。しかし王は我が子の制止を振り払い、嘆願を聞き入れず、あまつさえ殿下を罵りました。アビエナの分際で儂に生意気な口を利くな、と」
「ひでえ…自分の子供なのに…。自分がアビエナと結婚したんじゃん…」

 ローディルの脳裏にある晩のオルヴァルの様子が浮かんだ。アビエナは被差別部族だと誤って口走りそうになった時、気にするなと寂しそうに笑っていた顔が忘れられない。好きでアビエナではないのに、血を分けた実の父親から差別発言を受けるなんて、どれほど傷ついたのだろう。
 青年の言葉に、アサドも頷いて同意する。

「あの時の殿下の様子は今でも忘れられません。気丈に振舞っておられましたが、どれ程傷ついたことか…。普段の王は、かような差別発言は一切なさらない御方でした。顔つきも豹変して、まるで悪霊が憑りついているのではないかと思う程に、気が触れてしまっていたのです」

 当時の王の怒りようはまさに苛烈を極め、逆らう者全てを処刑する勢いだったと言う。ギョルムは憔悴し、とうとう王命に応じることを決めた。オルヴァルやイズイーク、他の臣下からの制止も聞かず、行先も告げずに姿を消したそうだ。

「当然、皆がギュンドアン殿の行方を捜しました。王の命令は国外ではなく、あくまで首都からの追放でしたから。ここラルツレルナやピリメニなどにいるのではないかと考えられていました。学者の働き口があるのは、比較的大きな街に限られていたからです。…まさか、シオネ村にいたとは思いもしませんでしたが、何の手がかりも得られなかったのも納得がいきました。もうとっくに国外へ渡ったとものと考えられ、捜索も打ち切りになったのです」

 沈黙が室内を包む。己の手を握るアサドの手は冷たく、微かに震えていた。

「ギュンドアン殿の遺書に命を絶とうとしていたとありましたが、これが原因で間違いないでしょう。原因を作ったのはダガット王であり、殿下ではありません。ですが王子としてギュンドアン殿をお助けできなかったことに今でも責任を感じており、己を責めているのです」
「だから、俺と一緒に寝てくれないのか…?」

 口から出た言葉は、自分でも驚くくらいに声が小さく、震えていた。アサドの手をぎゅっと握ると、優しく手の甲を指で撫でられる。

「…ええ、きっと。ヨーム老がギュンドアン殿と判明したのは最近のことです。老父を大事に思っている貴方が真実を知れば、父王を止められなかった自分を憎むはずだと思っておられるのです。先程言ったように、殿下をローディルのことをとても大切に思っておられます。だからこそ、嫌われるのを恐れている。それで距離を置こうとしているのでしょう」

 遺書に書かれていた、死に場所を探していた理由は分かった。王の老父への仕打ちは腹立たしく、許しがたい。大事な人を失う悲しみは、痛い程に分かる。だけどそれを老父のせいにするのはお門違いだ。
 ローディルの中でくすぶる怒りは王だけではなく、オルヴァルにも向いていた。勢いよく立ち上がり、アサドを見下ろす。

「俺、オルヴァルのとこに行ってくる!文句言わないと気がすまない!」
「も、文句…!?」

 肩を怒らせ、ずんずんと大股で廊下へと出ていくローディル。彼の言動にアサドは呆気に取られていたのだが、慌てて後を追いかけた。
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