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TCS

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 繁華街に向かう道中、俺には違和感だらけだった。

 綺麗すぎる街並み、通勤時間だと言うのにおっとりした人々、イラッとする事がひとつもなかった。
 ポイ捨てや違法駐車場、運転の荒いヤツ、肩がぶつかっても謝りもしないヤツ、道の真ん中で話し込むヤツ····。
 兎にも角にもあっちの世界には、小さいイライラの種があちこちにあった。だが、この世界にはそんなのがひとつも無い。
 まぁ、あちこちを飛び回っているドローンみたいなのは気になって仕方ないんだが。


 繁華街をブラついていると、美味そうな小籠包の売店があった。

「ここの小籠包美味しいって評判なんだよ。食べてみたかったんだ。小籠包2つください」

 秤君に言われるがまま食べたが、うん、すごく美味しい。熱々の小籠包をはふはふしながら食べている時だった。
 店の前に車を停めて買い物をしている人が居た。駐停車禁止の場所のようだ。
 車の周りには数人立ち止まっていて、腕時計のようなものから画面のようなものが出ていて、それを操作しているように見える。

 5分も経たずに戻ってきた運転手は、通報されていることに気づき慌てているようだ。

「待ってください! 違うんです。一瞬だけなんです。ホントに一瞬だけなんです! 通報しないで。お願いします。通報されたら貯まっちゃうの! だからお願い──」


「あれが昨日話したTCSだよ。腕に着けた操作デバイスで通報するんだ」

「へぇ~。あれで見ず知らずの人に迷惑だって伝えられるわけだ。すごいシステムだな」

「勿論だけど、僕も常に携帯してるよ。ほら。これのおかげで皆が正しく生きてるんだ」

 正しく····ねぇ。

「まぁ、確かにあれじゃ悪さはできんわな」

「あの様子だと、規定のポイント間近なんだろうね」

「こんな世界でもマジでやらかすヤツは居るんだ。懲りずにポイント貯め続けるんだな····」

「うん、そうだね。何かのっぴきならない理由があったかもしれないのにね。なんでもかんでも即通報っていうのも気が引けるよ。まぁあれは見るからに常習犯だけどね」

 のっぴき……
 秤君はまるで“いいね”を押すように通報している人達を、物悲しそうな顔で見つめていた。

「····秤君?」

「あぁ、ごめんね。なんでもないよ。行こうか。この先においしいラーメン屋があるんだ。そろそろお昼だしご馳走するから、ねっ」

 秤君は俺の腕を掴んで足早にその場を離れた。彼にも何か、思い出したくない過去があるんだろうか。


 たらふく食べて満足な俺は、店を出るなり伸びをして秤君に礼を言った。
 
「ラーメン美味かったよ。ご馳走様でした」

「口に合って良かった。ちょっと歩こうか。食後の運動に、ね」

「そうだな。近くに公園とかあるのか?」

「うん。歩いて5分くらいの駅の向こう側に森林公園があるんだ」

「いい距離だな。行こうぜ」

 俺達は森林公園を目指しながら、俺達の話をした。


「ねぇ、要さんは、弟さんを亡くしてから自暴自棄にはならなかったの?」

「ん~、自暴自棄····とはちょい違うかな。弟の、駿の遺体を見て、あーホントに殺されたんだ。死んじゃったんだ。って実感したんだよ。そっから徐々に復讐に燃えてったって感じかな。仇討ちなんて企んだ時点で、ある意味自暴自棄になってたのかも知れないけどな」

「そうか····。僕は、復讐する勇気もなかったな」

 俯いて、思い詰めたような表情を見せる秤君。爽やか青年の笑顔が、面影もなく消えていた。

「え?」

「僕の父は殺されたんだ。僕が16歳の時だったよ。父も祖父ほどじゃないけど有名な弁護士で、休む暇もないくらい忙しそうにしてたんだ。そんな中でも家族と過ごす時間を作ってくれたりして、僕には自慢の父さんだった」

「良い親父さんだったんだな」

「····でもある日、父が仕事を終えて裁判所から出てきたところに車が猛スピードで突っ込んできて轢かれたんだ。即死だったらしい。担当した事件の犯人の家族に逆恨みされてね」

 どこの世界も、そういう所は変わらないんだな。所詮、感情を持った人間がいると、どこかでそういう事が起きるんだ。
 関係のない人間が、真っ当に生きてる人間が、被害を被るんだよな。こんなに世界ですら理不尽が過ぎる。

「母は気落ちして、生活がままならなくなって、だから僕は祖父に引き取られたんだ。父と祖父に憧れてたのもあって、そのまま弁護士を目指すことになったんだ」

「そうだったんだ····。辛いな」

「そうだね。でも、失礼な言い方かもしれないけど、要さんに比べたら幾分かマシじゃないかって思うよ。こっちの世界ここでは法で裁かれるし。自分には何もできないって逃げてただけなんだけどね。この世界の仕組みに甘えてたんだ」

 ようやく顔を上げると太陽のに目を細め、俺の方を向いて笑った。

「要さんは強いよ。自分の手で決着をつけようとした。たとえそれが正しくない方法でだって、僕は凄いと思う」

「そんな立派なもんじゃない。俺は弱かったんだ。感情の赴くままに行動して、駿を亡くしたばかりで大変な母さんを1人置き去りにして、さらに追い詰めたんだ。ただの親不孝もんだよ」

「なんかアレだね。聞けば聞くほど、どんな世界でも完璧じゃないし、なんでもかんでも上手くいくわけじゃないって思うね」

 俺たちは、いつの間にか公園に着いていた。秤君はまた、優しい表情に戻っている。
 空気の良い並木道、話を続けながら木漏れ日の中をゆっくりと歩いた。

「そうだなー。もう世の中を恨んだりすんの馬鹿みたいに思えてくるよ」

「だね。要さんと出会えて本当に良かった。なんだか少し、心が軽くなった気がするよ」

「そりゃ良かった。····まぁ、俺もだよ」

「僕ね、段々父さんの声や仕草も思い出せなくなってきててね。不安だったんだ。いつか父さんの事何も思い出せなくなるんじゃないかって。急な別れで、心の準備なんてできてなくて、父さんともっと過ごしたかったなって····」

 秤君は涙ぐんで言葉を詰まらせた。

 駿と最後に話したのは何だったかな。
 駿が殺されたあの日から考えていたけど、結局今まで思い出せていない。取り留めのない話だった事は覚えている。
 じいちゃんの米寿の誕生日会の話だったか、大学の話だったのか、母さんのポテサラ食いたいなって話だったっけか····。どれだったのか、はっきり思い出せない。

 記憶なんて曖昧この上ない物だな。
 また帰ってきてたらどうでもいいような話をして、すぐに忘れるんだから。俺だって、駿の声とか話し方も、時間が経ったら忘れちゃうんだろうな。

 ずっと覚えといてやりたいのに。俺にとって駿はその程度の存在だったのかって聞かれたら、絶対違うって即答できる。
 でもたぶん、忘れていくんだ。会おうと思えばいつでも会えると思ってたから。近いうちに会えなくなるってわかってたら、もっとちゃんと憶えておこうって必死になって脳に焼き付けてたと思う。
 一緒に居れるのは当たり前じゃないって、映画とかでよく見てたのに。まさか身近で起きるなんて思わないだろ。なんやかんやでじいちゃんになって、俺が先に死ぬんだろうって思ってたよ。
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