婚約破棄された令息の華麗なる逆転劇 ~偽りの番に捨てられたΩは、氷血公爵に愛される~

なの

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第四章:仮初めの居場所

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アレクシスと名乗った男の言葉に、エリアスの全身が強張った。見られている。

この男には、自分が魔法を使ったことが分かっている。その事実が、彼を再び恐怖の底へと引きずり込んだ。冷たい汗が背中を流れ、心臓の鼓動が耳の奥で響く。

「……何を、おっしゃっているのか、分かりません」

震える声でそう答えるエリアスに、アレクシスは一歩近づいた。彼のαとしての強大な存在感が、狭い路地裏の空気を凍らせているかのようだった。

「ほう。ならば聞くが、お前は一体何者だ?
そのみすぼらしい見た目に反して、お前から発せられるのは極めて純粋で希少な魔力の気配だ。先ほどの少年の傷が癒えたのも偶然ではないだろう?」

アレクシスの銀灰色の瞳は、一切の感情を映さず、ただ静かにエリアスを射抜いている。
まるで、すべてを見透かしているかのような、鋭い洞察力。

――逃げられない。嘘も誤魔化しも、この男の前では通用しない。観念したエリアスは、固く唇を結んだまま、うつむいた。
沈黙は肯定と受け取ったのだろう。アレクシスは追及するでもなく、意外な提案を口にした。

「行くあてがないのだろう。俺の屋敷に来い」

「……え?」

思わず顔を上げたエリアスに、彼は淡々と続ける。
その声には、有無を言わさぬαの威圧感があった。

「お前のその力を、俺は高く評価している。悪いようにはしない。住む場所と食事を提供しよう。その代わり、俺のためにその力を使え」

それは、あまりにも一方的で、拒否権のない命令だった。しかし、今のエリアスにそれを断る力はない。

日々の食事にも事欠き、いつ路頭に迷ってもおかしくない状況だ。
この男の申し出は、危険な香りがする一方で、抗いがたい蜘蛛の糸のようにも思えた。

それに、彼の瞳の奥に、ジークフリートやオリヴァーのような、いやらしい欲望や嘲りの色は見えなかった。ただ、純粋な好奇心と、何かを見定めようとするかのような静かな光があるだけだ。冷たいが清廉でもある。

この人は、僕を利用しようとしているのかもしれない。
でも……少なくとも、嘘はついていないような気がする。

「……分かり、ました。
お世話になります」

エリアスが小さな声で答えると、アレクシスは満足そうにわずかに口角を上げた。
それは、獲物を手に入れた狩人の微笑みにも見えたが、同時に、どこか安堵したような表情でもあった。

彼に連れていかれた先は、リーゼンブルクの街の外れに建つ、壮麗ながらもどこか人の温もりが感じられない、広大な屋敷だった。
白い大理石の柱が立ち並び、美しい装飾が施されているにも関わらず、どこか寂しげな雰囲気を漂わせている。

ここが「氷血公爵」の仮の住まいだと知ったのは、屋敷に仕える執事に紹介されてからだ。

「公爵」。その言葉にエリアスは身を震わせた。故郷で父に捨てられた記憶が蘇る。しかし、もう後戻りはできない。

アレクシスは、エリアスの素性を深くは尋ねなかった。
彼が「エリア」という偽名を使い、過去を語りたがらないのを察すると、それ以上は何も聞かなかった。
その配慮に、エリアスは複雑な気持ちを抱いた。優しさなのか、それとも単に興味がないだけなのか。

ただ一つ、彼がエリアスに与えた仕事は、「この屋敷の庭を、お前の好きにしていい」というものだった。

公爵家の庭園は、広大ではあったものの、手入れが行き届いているとは言い難い状態だった。
かつては美しかったであろう花壇は雑草に覆われ、噴水は水を失い、木々の枝は伸び放題になっている。
まるで、この屋敷の主の心を映しているかのようだった。

エリアスは、その日から庭師として働き始めた。
最初は、屋敷の使用人たちから訝しげな視線を向けられた。どこから来たのかも分からない、汚れた身なりの青年。
公爵様がなぜこんな者を……という困惑の表情を隠そうともしない者もいた。

しかし、エリアスは黙々と仕事に打ち込んだ。
早朝から夕暮れまで、土にまみれながら庭と向き合った。手のひらに豆ができ、爪の間に土が入り込んでも、彼は止まらなかった。

彼が土に触れ、祈りを込めて「恵みの魔法」を注ぐと、庭は日に日に息を吹き返していった。
枯れかけていた薔薇は再び瑞々しい蕾をつけ、固かった土は柔らかくなり、忘れられていた色とりどりの宿根草が芽を吹いた。
噴水の周りには、青いデルフィニウムと白いカラーが美しく咲き誇る。

それは、エリアスにとって唯一、心安らげる時間だった。土と植物に触れている間だけは、辛い過去を忘れられた。魔法を使うたびに、自分の存在価値を少しだけ取り戻せるような気がした。

植物たちが彼の魔力に応えて美しく花開く様子は、彼の傷ついた心に、小さな希望の光を灯してくれた。

アレクシスは、そんな彼の様子を書斎の窓から静かに観察していた。
彼はエリアスに直接声をかけることは滅多になかったが、その視線は常に彼を追っていた。
時折、彼が魔法を使う瞬間の、穏やかで慈愛に満ちた表情を見つめては、何かを考え込むような表情を浮かべていた。

使用人たちも、次第にエリアスの仕事ぶりを認めるようになった。
庭園の変化は誰の目にも明らかで、彼への視線も疑念から敬意へと変わっていった。

ある日の午後、エリアスが薔薇のアーチの下で額の汗を拭っていると、不意に影が差した。
見上げると、アレクシスがそこに立っていた。逆光で表情は見えないが、その佇まいには、いつもの冷たさとは違う、何か柔らかなものが感じられた。

「……公爵様」

「見違えたな。まるで魔法のようだ」

彼の言葉に、エリアスはびくりと肩を揺らす。
しかし、その声に棘はない。むしろ、わずかな感嘆の色さえ含まれていた。

「お前の力は、やはり本物らしい」

「……お約束ですので」

エリアスが素っ気なく答えると、アレクシスはふと、満開の白い薔薇に手を伸ばした。
その花は、エリアスが特に心を込めて育てたもので、月の光のような清らかな輝きを放っていた。

「この屋敷の庭が、これほどまでに彩られたのは何年ぶりだろうか」

彼の横顔に、ほんの一瞬、哀しげな表情がよぎったのをエリアスは見逃さなかった。
いつも冷たく、完璧に見えるこのαも、何かを抱えているのかもしれない。そう思った瞬間、彼の中でアレクシスに対する警戒心が、ほんの少しだけ和らいだ。

「まだ、始めたばかりです。春になれば、もっとたくさんの花が咲きます」

気づけば、自然とそんな言葉が口をついていた。
それは、久しぶりに誰かと交わした会話だった。
アレクシスは少し驚いたようにエリアスに視線を戻すと、やがてその唇に、出会った時以来となる微かな笑みを浮かべた。

「……楽しみにしている」

その言葉は、エリアスの荒んだ心に、小さな温かい光を灯した。

ここは、偽りの名前と立場で得た、仮初めの居場所。

それでも、自分を必要としてくれる人がいる。
自分の力が、誰かの心を動かしている。
もしかしたら、この人は……。

そのささやかな事実が、エリアスにとって絶望の淵から這い上がるための、最初の小さな一歩となったのだった。

夕日が庭園を金色に染める中、二人は静かに花々を見つめていた。それは、互いの心の距離が、ほんの少しだけ縮まった瞬間でもあった。


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