雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの

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第3章 氷と火の夜

Ep11:ヴァルの過去

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吹雪は五日目の朝に、ようやくその勢力を弱め始めた。
洞窟の外から聞こえてくる風の音は、もはや獣の咆哮ではなく、静かな挽歌のように聞こえた。

夢の一件以来、アシェルは以前にも増してヴァルのそばを離れなくなった。
眠る時も、自然と彼の隣に身を寄せるように……。
ヴァルはそれを咎めもせず、追い払うこともしなかった。ただ、黙ってその存在を受け入れている。その静かな受容が、アシェルの心をゆっくりと解きほぐしていった。

その夜も、二人は炉の火を挟んで座っていた。
もう吹雪はほとんど止んでいたが、外はまだ凍てつくような寒さだった。

「ヴァルは、どうしてここに一人でいるんですか?」

不意に、アシェルはずっと心の内にあった疑問を口にした。それは、彼の過去に踏み込む、危険な質問かもしれなかった。ヴァルが眉をひそめ、口を閉ざしてしまうことも覚悟の上だった。

しかし、ヴァルの反応は予想とは違った。彼はしばらくの間、揺らめく炎をじっと見つめていたが、やがて、ぽつり、ぽつりと語り始めた。その声はひどく乾いていて、まるで遠い昔の物語を語る詩人のようだった。

「……俺にも、家族がいた。そして、仲間もいた」

アシェルは息をのんだ。ヴァルが自らの過去について語るのは、これが初めてだった。

「この森は、もともと俺たち一族の住処だった。人間たちがこの地に住み着く、ずっと昔からな。
俺たちは森の守り手として、森と共に生きてきた。奪いすぎず、与えられた恵みだけで慎ましく暮らす……。それが、俺たちの掟だった」

彼の黄金の瞳が、炎の光を反射して、悲しげに揺らめいた。

「だが、人間が来た。初めは、ほんの数人だった。
彼らは冬の寒さと飢えに苦しんでいて、俺たちは彼らを憐れんだ。食料を分け与え、森で生きる術を教えた。彼らも初めは感謝し、俺たちを『森の神』と呼び、敬っていた」

ヴァルの声に、かすかな嘲りが混じる。

「だが、人の欲望には際限がない。一人、また一人と数を増やし、やがて村を作った。彼らは森を切り拓き、家を建て、畑を作った。森の恵みだけでは飽き足らず、必要以上に獣を狩り、木を切り倒した。俺たちは何度も警告した。奪いすぎるな、と。森の怒りを買えば、お前たちも滅びるぞ、と」

「……」

「だが、彼らは聞かなかった。それどころか、俺たちを疎み始めた。自分たちの欲望の邪魔になる、この森の真の主を」

そして、運命の夜が来たのだと、ヴァルは言った。

「百年前の、赤い月の夜だった。人間たちは、松明を手に、大挙して森へ押し寄せてきた。祭りの日だと、俺たちを騙して……」

ヴァルの身体から、黒い靄のような殺気が立ち上るのが見えた。アシェルは身を固くしたが、動くことはできなかった。彼の話の続きを聞かなければならない、と本能が告げていた。

「奴らは、森に火を放った。一夜にして、森の半分が業火に包まれた。逃げ惑う仲間たちを、人間たちは笑いながら狩っていった。矢を放ち、槍で突き、まるで遊戯のように。抵抗しようとした者もいた。だが、多勢に無勢だった」

彼の声は、もう感情を失っていた。ただ、事実だけを淡々と述べている。だが、その無感情さこそが、彼の心の傷の深さを物語っていた。あまりにも深すぎる傷は、もはや痛みさえ感じさせないのだ。

「俺は、まだ若かった。
獣の姿に変わることも、ろくにできなかった。母が、俺を洞窟の奥に隠し、たった一人で人間の前に立ちはだかった。……俺が最後に見たのは、母が炎の中に崩れ落ちていく姿だった」

「……っ」

アシェルは言葉を失った。自分の夢に出てきた、あの優しい母親の面影。それが、ヴァルが失った母親の姿と重なる。

「生き残ったのは、俺だけだった。火が鎮まった後、俺は何日も、仲間の亡骸を探して焼け跡をさまよった。灰と炭になった森には、もう何の音もなかった。鳥の声も、獣の声も、仲間たちの笑い声も。何もかもが、消えていた」

ヴァルはそこで言葉を切り、震える手で自らの顔を覆った。その指の隙間から、嗚咽ともつかない、獣のような呻き声が漏れた。それは、百年という永い時をかけても癒えることのない、魂の叫びだった。

「人は、奪う生き物だ」

しばらくして、ヴァルは顔を上げ、虚ろな瞳でアシェルを見た。その瞳は、底なしの闇をたたえていた。

「命も、土地も、未来も、平気で奪う。自分たちが生きるためなら、どんな嘘でもつき、どんな裏切りでもする。それが、人間だ」

その言葉は、鋭い刃のようにアシェルの胸に突き刺さった。自分も、その「人間」の一人なのだ。

「お前も、いずれそうなる。今は純粋な顔をしていても、いつか俺を裏切り、何かを奪っていく。だから、俺は誰も信じない。もう二度と、何も奪わせはしない」

ヴァルの心の闇。
それは、百年前のあの夜から、ずっと彼を苛み続けてきた、人間に対する絶望と不信だった。彼の孤独は、ただ一人でいるという物理的な孤独ではない。誰にも心を許せず、ただ一人で世界と対峙し続けるという、もっと根源的な孤独なのだ。

アシェルは、何と声をかければいいのか分からなかった。どんな慰めの言葉も、彼の百年の孤独の前では、あまりにも軽く、空々しく響いてしまうだろう。

「俺は……」

アシェルは、ただ、震える声で言った。

「俺は、ヴァルを裏切らない。何も、奪わない」

「……口では、何とでも言える」

ヴァルは冷たく吐き捨てた。その時だった。彼の身体が、再び黒い靄に包まれ始めたのは。
感情の昂りが、彼の獣性を呼び覚ましているのだ。黄金の瞳が赤く染まり、爪が鋭く伸び、口元からは鋭利な牙が覗く。

獣の本能が、目の前の「人間」を敵だと認識し始めている。
アシェルは、恐怖で身がすくむのを感じた。しかし、彼は逃げなかった。

ここで逃げれば、ヴァルの言葉を、彼が抱く人間への絶望を、肯定してしまうことになる。
それだけは、絶対にしたくなかった。


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