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園遊会は、まさにマリアンの一人舞台となっていた。
国王陛下のお墨付きを得た「カフェ・アルケミスタ」のブースには、途切れることのない長蛇の列ができている。普段は気難しいことで有名な大臣たちまでもが、彼女の淹れるコーヒーの味を絶賛し、その手腕を褒めそやした。
「マスター! 豆の補充、お願いします!」
「カイ、獅子のクッキーがもうなくなりそうだわ! 予備を持ってきて!」
目まぐるしい忙しさ。けれど、それは心地よい疲労感だった。自分の力が、この華やかな世界の頂点に立つ人々に認められている。その事実が、マリアンに大きな自信と喜びを与えていた。
傍らで警護にあたっていたアレクシスも、人々に囲まれ、生き生きと働く彼女の姿を、どこか眩しそうに見守っていた。
すべてが、順調だった。
悪夢は、何の前触れもなく、突然始まった。
「きゃっ……!」
甲高い悲鳴を上げたのは、リリアナの取り巻きの一人である、若い伯爵令嬢だった。彼女は、マリアンのクッキーを一口食べた途端、喉を押さえてその場にふらりと倒れ込んだのだ。
「ど、どうかなさいましたか、お嬢様!」
周囲が騒然となる。
「くる……しい……。こ、このお菓子……なにか……へんな味が……」
令嬢は、か細い声でそう言うと、ぐったりと気を失ってしまった。
その一言は、熱狂していた会場の空気に、一瞬にして冷水を浴びせかけた。
ざわ……っ。
人々の囁き声が、波のように広まっていく。
「今、変な味がしたと……」
「まさか……」
そこへ、もう一人、別の貴婦人が蒼白な顔でカップを押さえた。
「わたくしも……なんだか、めまいが……」
その言葉が、引き金だった。
誰かが、恐怖に引きつった声で叫んだ。
「――毒よ!」
毒。
その一言が、園遊会の華やかな雰囲気を、パニックと疑惑の坩堝へと叩き落とした。
先ほどまでマリアンを賞賛していた貴族たちは、蜘蛛の子を散らすように彼女のブースから離れ、まるで汚物でも見るかのような目で、彼女を遠巻きに見つめている。
「ひどいわ……! なんてことを!」
「国王陛下も召し上がったのだぞ! 大逆罪だ!」
マリアンは、目の前で起こっていることが信じられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(毒……? わたくしが? そんなはず、ないわ……!)
すべての材料は、自分で確かめたものばかりだ。調理器具も、王宮の厨房で、係の者の監視のもと、念入りに洗浄した。毒など、入り込む隙はどこにもなかったはずだ。
そこへ、待ってましたとばかりに、リリアナがエドワード王太子の腕にすがりつきながら、駆け寄ってきた。その瞳は涙で潤み、顔は悲しみと絶望に彩られている。見事なまでの、悲劇のヒロインの登場だった。
「ああ……! マリアンさん! なんということを……!」
リリアナは、マリアンを指さし、震える声で言った。
「わたくし、信じておりましたのに……! あなたが、婚約破棄されたことを恨んで、王家やわたくしたち貴族に復讐しようとなさるなんて……!」
その言葉に、周囲の貴族たちは「なるほど」と頷いている。元王太子妃候補が、嫉妬と恨みから凶行に及んだ。その筋書きは、下世話な彼らにとって、非常にわかりやすく、そして面白いものだったからだ。
「マリアン!」
エドワードが、苦悩に満ちた顔で叫んだ。
「君は……! やはり、そういう女だったのか! 私を、父上を、そして国を裏切るとは!」
彼の瞳には、かつてのマリアンへの不信感が、再び色濃く宿っていた。
「違います! わたくしは、何もしておりません!」
マリアンは、必死に無実を訴えた。だが、今の彼女の言葉に、耳を貸す者など、誰一人としていなかった。
王宮の衛兵たちが、マリアンと、そして共犯者と見なされたカイを、幾重にも取り囲む。冷たい槍の穂先が、容赦なく彼女たちに向けられた。
成功の頂点から、一瞬にして、反逆者の汚名を着せられ、地の底へ。
あまりにも完璧に仕組まれた、悪意に満ちた罠。
マリアンの足元から、がらがらと世界が崩れていくような、深い絶望感。
(ああ……これまで、なのね)
彼女が、すべてを諦め、瞳を閉じようとした、その瞬間だった。
凛、と。
全ての喧騒を切り裂くように、一つの、冷たく、そして静かな声が、響き渡った。
「――そこまでだ」
マリアンがはっと顔を上げると、いつの間にか、彼女の前に、一つの大きな背中が立っていた。
騎士団の、荘厳な儀礼服。
その場にいる誰よりも冷静に、そして誰よりも強い怒りをその身に宿して、アレクシス・フォン・ヴァイスが、衛兵たちの前に、ゆっくりと立ちはだかった。
国王陛下のお墨付きを得た「カフェ・アルケミスタ」のブースには、途切れることのない長蛇の列ができている。普段は気難しいことで有名な大臣たちまでもが、彼女の淹れるコーヒーの味を絶賛し、その手腕を褒めそやした。
「マスター! 豆の補充、お願いします!」
「カイ、獅子のクッキーがもうなくなりそうだわ! 予備を持ってきて!」
目まぐるしい忙しさ。けれど、それは心地よい疲労感だった。自分の力が、この華やかな世界の頂点に立つ人々に認められている。その事実が、マリアンに大きな自信と喜びを与えていた。
傍らで警護にあたっていたアレクシスも、人々に囲まれ、生き生きと働く彼女の姿を、どこか眩しそうに見守っていた。
すべてが、順調だった。
悪夢は、何の前触れもなく、突然始まった。
「きゃっ……!」
甲高い悲鳴を上げたのは、リリアナの取り巻きの一人である、若い伯爵令嬢だった。彼女は、マリアンのクッキーを一口食べた途端、喉を押さえてその場にふらりと倒れ込んだのだ。
「ど、どうかなさいましたか、お嬢様!」
周囲が騒然となる。
「くる……しい……。こ、このお菓子……なにか……へんな味が……」
令嬢は、か細い声でそう言うと、ぐったりと気を失ってしまった。
その一言は、熱狂していた会場の空気に、一瞬にして冷水を浴びせかけた。
ざわ……っ。
人々の囁き声が、波のように広まっていく。
「今、変な味がしたと……」
「まさか……」
そこへ、もう一人、別の貴婦人が蒼白な顔でカップを押さえた。
「わたくしも……なんだか、めまいが……」
その言葉が、引き金だった。
誰かが、恐怖に引きつった声で叫んだ。
「――毒よ!」
毒。
その一言が、園遊会の華やかな雰囲気を、パニックと疑惑の坩堝へと叩き落とした。
先ほどまでマリアンを賞賛していた貴族たちは、蜘蛛の子を散らすように彼女のブースから離れ、まるで汚物でも見るかのような目で、彼女を遠巻きに見つめている。
「ひどいわ……! なんてことを!」
「国王陛下も召し上がったのだぞ! 大逆罪だ!」
マリアンは、目の前で起こっていることが信じられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(毒……? わたくしが? そんなはず、ないわ……!)
すべての材料は、自分で確かめたものばかりだ。調理器具も、王宮の厨房で、係の者の監視のもと、念入りに洗浄した。毒など、入り込む隙はどこにもなかったはずだ。
そこへ、待ってましたとばかりに、リリアナがエドワード王太子の腕にすがりつきながら、駆け寄ってきた。その瞳は涙で潤み、顔は悲しみと絶望に彩られている。見事なまでの、悲劇のヒロインの登場だった。
「ああ……! マリアンさん! なんということを……!」
リリアナは、マリアンを指さし、震える声で言った。
「わたくし、信じておりましたのに……! あなたが、婚約破棄されたことを恨んで、王家やわたくしたち貴族に復讐しようとなさるなんて……!」
その言葉に、周囲の貴族たちは「なるほど」と頷いている。元王太子妃候補が、嫉妬と恨みから凶行に及んだ。その筋書きは、下世話な彼らにとって、非常にわかりやすく、そして面白いものだったからだ。
「マリアン!」
エドワードが、苦悩に満ちた顔で叫んだ。
「君は……! やはり、そういう女だったのか! 私を、父上を、そして国を裏切るとは!」
彼の瞳には、かつてのマリアンへの不信感が、再び色濃く宿っていた。
「違います! わたくしは、何もしておりません!」
マリアンは、必死に無実を訴えた。だが、今の彼女の言葉に、耳を貸す者など、誰一人としていなかった。
王宮の衛兵たちが、マリアンと、そして共犯者と見なされたカイを、幾重にも取り囲む。冷たい槍の穂先が、容赦なく彼女たちに向けられた。
成功の頂点から、一瞬にして、反逆者の汚名を着せられ、地の底へ。
あまりにも完璧に仕組まれた、悪意に満ちた罠。
マリアンの足元から、がらがらと世界が崩れていくような、深い絶望感。
(ああ……これまで、なのね)
彼女が、すべてを諦め、瞳を閉じようとした、その瞬間だった。
凛、と。
全ての喧騒を切り裂くように、一つの、冷たく、そして静かな声が、響き渡った。
「――そこまでだ」
マリアンがはっと顔を上げると、いつの間にか、彼女の前に、一つの大きな背中が立っていた。
騎士団の、荘厳な儀礼服。
その場にいる誰よりも冷静に、そして誰よりも強い怒りをその身に宿して、アレクシス・フォン・ヴァイスが、衛兵たちの前に、ゆっくりと立ちはだかった。
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