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誘拐未遂事件から数日が過ぎ、バルテルミ元辺境伯の処分も正式に決定した。アークライトの王都は、建国祭の最後の盛り上がりを見せ活気に満ちている。
しかし、私の周りだけはどこかぎこちない甘くもどかしい沈黙が続いていた。
あの事件以来、ゼノンさんは私付きの護衛をさらに厳重にし公務の合間を縫っては、常に私の側にいてくれるようになった。物理的な距離は、これまでになく近い。それなのにいざ二人きりになるとお互いに何を話していいかわからず、視線が合うたびにどちらからともなく逸らしてしまう。
あの温室での、彼の必死な抱擁。私のために流してくれた彼の安堵のため息。それらを思い出すたびに、私の心臓は今にも張り裂けそうなくらい大きく高鳴るのだった。
建国祭、最後の夜。
色とりどりの花火が、王都の夜空をきらびやかに彩っていた。貴賓館の窓からその光景を眺めていた私の部屋の扉がコンコンと控えめにノックされた。
「アルカさん。俺だ」
入ってきたのは、騎士団の礼装を脱ぎ少しラフな私服に着替えたゼノンさんだった。その手には一枚のショールが握られている。
「もし、迷惑でなければ……少し付き合ってほしい場所があるんだ」
彼の、いつになく真剣なそしてどこか緊張を隠せないような表情に私は黙って頷いた。
ゼノンさんが私を連れてきてくれたのは、王城の最上階にあるというガラス張りの美しい空中庭園だった。
「……星見の庭園、と呼ばれている」
そこは、まさに幻想的な空間だった。天井や壁一面に張られたガラスの向こうには満天の星空と打ち上げられる花火の光。そして、庭園の中に咲き誇る花々はそれ自体が魔法の光を帯びてまるで地上に降り注いだ、もう一つの天の川のように、優しく静かに輝いていた。
私たちは、庭園の中心にある噴水の縁に並んで腰を下ろした。
しばらく、どちらも何も言えずただ夜空を彩る花火を見上げていた。やがて、一番大きな花火が夜空に咲いて消えたのを合図にするようにゼノンさんが重い口を開いた。
「俺は、ずっと、『氷刃』と呼ばれてきた」
その声は、夜の静寂に吸い込まれるように響いた。
「騎士として、この国を守るため多くの人間の命を奪ってきた。時には、非情な決断も下さなければならなかった。そうして生きるうちに俺の心はいつの間にか、その異名通り分厚い氷に閉ざされてしまっていたんだ」
彼は、自分の過去を静かにそして淡々と語り始めた。
「俺の人生は、国への義務と騎士団長としての責任だけでできていた。そこに温かいものなど何一つなかった。……君に出会うまでは」
「……!」
「初めて君の店でスコーンを食べた時、驚いた。ただ美味しいだけじゃない。食べた人間の心を芯から温めるような不思議な力が宿っていた。君の作る菓子は俺の凍てついた心を、少しずつ少しずつ溶かしていったんだ」
彼の言葉は、私の心の奥深くにじんわりと染み渡っていく。
「君の強さを、聡明さをそして誰かを幸せにしたいと願うその優しさに触れるたびに、俺は忘れていた感情を思い出した。そして君があの温室で危険な目に遭った時……俺は生まれて初めて本当の恐怖を知った」
彼は、そこで一度言葉を切り私の目をまっすぐに見つめた。その黒い瞳は、どうしようもないほどの切実な想いで揺れていた。
「地位も、名誉もこの命さえもすべてを投げ出しても君を守りたい。心の底からそう思った」
次の瞬間、彼は私の目の前でゆっくりと片膝をついた。そして私の手をその両手で優しくしかし力強く包み込んだ。
「アルカ・フォン・クラインさん」
「俺は、あなたを愛している」
「どうか、俺の妻になってほしい。俺の人生の、唯一の光となってこれからの道を共に歩んではくれないだろうか」
騎士団長としての威厳でも、建前でもない。一人の男としての不器用でどこまでも真摯な魂からの告白。
私の瞳からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。それは悲しみの涙ではない。どうしようもないほどの幸福と愛しさに満ちた温かい涙だった。
「……顔を上げてくださいな、ゼノンさん」
私は震える声でそう言った。
「わたくしも……わたくしも、あなたのことが好きです」
私は、彼に全てを話した。窮屈なだけの婚約から逃れるため悪役令嬢を演じていた愚かな自分の過去。自由を手に入れ、自分の夢だけを追いかけていたこと。そして、彼と出会って初めて誰かと共に生きる幸せを本気で考えるようになったこと。
私の告白を、ゼノンさんはただ黙って優しく聞いてくれた。そして、私の話が終わると愛おしいものを見るような目でこう言った。
「……知っていたさ。君が、誰よりも優しくて誰よりも強い女性だということを」
言葉はもういらなかった。
ゼノンさんは、ゆっくりと立ち上がると私の涙をその指で優しく拭いそっとその腕の中に抱き寄せた。
星々の煌めきと、光る花々に祝福されながら二人の影は静かに一つに重なった。
しかし、私の周りだけはどこかぎこちない甘くもどかしい沈黙が続いていた。
あの事件以来、ゼノンさんは私付きの護衛をさらに厳重にし公務の合間を縫っては、常に私の側にいてくれるようになった。物理的な距離は、これまでになく近い。それなのにいざ二人きりになるとお互いに何を話していいかわからず、視線が合うたびにどちらからともなく逸らしてしまう。
あの温室での、彼の必死な抱擁。私のために流してくれた彼の安堵のため息。それらを思い出すたびに、私の心臓は今にも張り裂けそうなくらい大きく高鳴るのだった。
建国祭、最後の夜。
色とりどりの花火が、王都の夜空をきらびやかに彩っていた。貴賓館の窓からその光景を眺めていた私の部屋の扉がコンコンと控えめにノックされた。
「アルカさん。俺だ」
入ってきたのは、騎士団の礼装を脱ぎ少しラフな私服に着替えたゼノンさんだった。その手には一枚のショールが握られている。
「もし、迷惑でなければ……少し付き合ってほしい場所があるんだ」
彼の、いつになく真剣なそしてどこか緊張を隠せないような表情に私は黙って頷いた。
ゼノンさんが私を連れてきてくれたのは、王城の最上階にあるというガラス張りの美しい空中庭園だった。
「……星見の庭園、と呼ばれている」
そこは、まさに幻想的な空間だった。天井や壁一面に張られたガラスの向こうには満天の星空と打ち上げられる花火の光。そして、庭園の中に咲き誇る花々はそれ自体が魔法の光を帯びてまるで地上に降り注いだ、もう一つの天の川のように、優しく静かに輝いていた。
私たちは、庭園の中心にある噴水の縁に並んで腰を下ろした。
しばらく、どちらも何も言えずただ夜空を彩る花火を見上げていた。やがて、一番大きな花火が夜空に咲いて消えたのを合図にするようにゼノンさんが重い口を開いた。
「俺は、ずっと、『氷刃』と呼ばれてきた」
その声は、夜の静寂に吸い込まれるように響いた。
「騎士として、この国を守るため多くの人間の命を奪ってきた。時には、非情な決断も下さなければならなかった。そうして生きるうちに俺の心はいつの間にか、その異名通り分厚い氷に閉ざされてしまっていたんだ」
彼は、自分の過去を静かにそして淡々と語り始めた。
「俺の人生は、国への義務と騎士団長としての責任だけでできていた。そこに温かいものなど何一つなかった。……君に出会うまでは」
「……!」
「初めて君の店でスコーンを食べた時、驚いた。ただ美味しいだけじゃない。食べた人間の心を芯から温めるような不思議な力が宿っていた。君の作る菓子は俺の凍てついた心を、少しずつ少しずつ溶かしていったんだ」
彼の言葉は、私の心の奥深くにじんわりと染み渡っていく。
「君の強さを、聡明さをそして誰かを幸せにしたいと願うその優しさに触れるたびに、俺は忘れていた感情を思い出した。そして君があの温室で危険な目に遭った時……俺は生まれて初めて本当の恐怖を知った」
彼は、そこで一度言葉を切り私の目をまっすぐに見つめた。その黒い瞳は、どうしようもないほどの切実な想いで揺れていた。
「地位も、名誉もこの命さえもすべてを投げ出しても君を守りたい。心の底からそう思った」
次の瞬間、彼は私の目の前でゆっくりと片膝をついた。そして私の手をその両手で優しくしかし力強く包み込んだ。
「アルカ・フォン・クラインさん」
「俺は、あなたを愛している」
「どうか、俺の妻になってほしい。俺の人生の、唯一の光となってこれからの道を共に歩んではくれないだろうか」
騎士団長としての威厳でも、建前でもない。一人の男としての不器用でどこまでも真摯な魂からの告白。
私の瞳からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。それは悲しみの涙ではない。どうしようもないほどの幸福と愛しさに満ちた温かい涙だった。
「……顔を上げてくださいな、ゼノンさん」
私は震える声でそう言った。
「わたくしも……わたくしも、あなたのことが好きです」
私は、彼に全てを話した。窮屈なだけの婚約から逃れるため悪役令嬢を演じていた愚かな自分の過去。自由を手に入れ、自分の夢だけを追いかけていたこと。そして、彼と出会って初めて誰かと共に生きる幸せを本気で考えるようになったこと。
私の告白を、ゼノンさんはただ黙って優しく聞いてくれた。そして、私の話が終わると愛おしいものを見るような目でこう言った。
「……知っていたさ。君が、誰よりも優しくて誰よりも強い女性だということを」
言葉はもういらなかった。
ゼノンさんは、ゆっくりと立ち上がると私の涙をその指で優しく拭いそっとその腕の中に抱き寄せた。
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