悪役令嬢の婚約破棄は先回り。断罪の時間も惜しいですわ。

夏乃みのり

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「……却下よ。一秒の検討にすら値しないわ」

レーンは村役場(元はただの納屋だったが、彼女が三日で改築した)のデスクで、分厚い陳情書を突き返した。

「待ってくれ! 内容すら読んでいないじゃないか!」

アリスティードが悲鳴を上げる。彼が手にしているのは、国王から託された「王都帰還要請・特例優遇措置案」だ。

「読む必要がないわ。
一、王都までの移動に片道三日。往復で六日の損失。
二、帰還後の祝賀会、貴族たちへの挨拶回りに最低二週間。
三、殿下との関係修復を演出するための『無駄な茶会』。
これらを合計すると、私の人生の貴重な約五百時間がドブに捨てられる計算になるわ。
その時間があれば、この村の冬の暖房効率をさらに十五パーセント向上させられる」

「国全体の利益を考えてくれ! 
君がいないせいで、王宮の予算編成は止まり、地方への通達は遅れ、行政は麻痺しているんだ!」

レーンは冷たい目でアリスティードを見上げた。

「それは私の責任ではなく、あなたたちの無能が露呈しただけよ。
欠陥のあるシステムを修理するために、正常に稼働している私というエンジンを移植する……。
そんな非効率なリソース配分、経営学の基礎からやり直すべきね」

「経営学なんて知らないが、とにかく君が必要なんだ! 
父上だって『レーン嬢がいないと、私の腰痛が再発する上に、好物のパイのカロリー計算をしてくれる者がいない』と泣いている!」

「陛下には、腰痛防止のストレッチメニューを三十日分、イラスト付きで送ったはずよ。
それをやらずに私を呼び戻そうとするのは、単なる『怠慢』だわ」

レーンは再びペンを執り、猛烈な速さで村の農作物の出荷予定表を書き換えていく。

「見てなさい、殿下。
この村には、無駄な派閥争いも、中身のない社交辞令も、私の言葉を疑う愚か者もいない。
私が『こう動け』と言えば、村人たちは一秒後に実行する。
この『論理の純粋さ』が保たれた環境を捨てて、ドロドロとした感情の掃き溜めに帰るメリットが、どこにあるのかしら?」

「……。
……あぁ、確かに。この村は、君が作った『理想郷』だもんな」

アリスティードは力なく肩を落とした。
村の広場では、村人たちがレーンの指導した「最も疲れない歩行フォーム」でテキパキと荷物を運び、
子供たちは「効率的な計算盤」を使って、遊びながら数学を学んでいる。

「レーン様! 収穫物の品質チェック、予定より三十分早く完了いたしましたわ!」

そこへ、シャロンが泥だらけの顔に満面の笑みを浮かべて駆け込んできた。

「あら、シャロン。その三十分で、村の共同炊事場の火加減を最適化してきなさい。
一分あたりの薪の消費量を五グラム減らすのが目標よ」

「承知いたしましたわ! あぁ、レーン様の指示に従うだけで、私の人生がどんどん『スリム化』されていく……快感ですわ!」

シャロンは踊るように去っていった。

「……レーン。シャロンまであんなに生き生きしているのを見ると、本当に連れ帰るのが罪に思えてくるよ」

「理解したなら、その紙(要請案)は焚き付けにでも使いなさい。
……それより殿下。あなた、昨夜の排水溝の清掃で、私の計算より十リットルも多く水を使ったわね」

「えっ、なんでそれを!?」

「排水音の周波数から逆算したわ。
無駄な洗浄は資源の浪費よ。今夜はその分、あなたの入浴時間を五分短縮します」

「厳しい! 厳しすぎるよ、レーン……。
だが、その厳しさが……今の私には、王宮のどんな甘い言葉よりも心地いいんだ」

「……。
……変な病気に罹ったのなら、三秒以内に隔離するわよ」

レーンは嫌そうな顔をしたが、その耳の端がほんの少しだけ赤くなっているのを、アンは見逃さなかった。

「お嬢様、なんだかんだ言って、殿下の『非効率な努力』を見るのは嫌いじゃないんでしょう?」

「アン。不規則な変数(殿下)を観察して、それを矯正していく過程には、一定の知的興奮がある……それだけよ」

「はいはい、そういうことにしておきます。
殿下、あきらめないでくださいね。お嬢様の『鉄壁の拒絶』にも、最近は〇・〇二パーセントほどの『隙』が見え始めていますから」

「〇・〇二パーセントか……。道は遠いが、やるしかないな!」

王太子は再びスコップを手に、村のさらなる効率化へと駆り出されていった。

レーン・ド・ヴァレリー。
彼女は今、王妃の椅子よりも、一村の「最高経営責任者」としての椅子を、心から愛していたのである。
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