悪役令嬢の婚約破棄は先回り。断罪の時間も惜しいですわ。

夏乃みのり

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「……何かしら、その体位は。新しい柔軟体操の提案?」

村役場の玄関先。レーンは、目の前の地面に額を擦り付けているアリスティードを見下ろし、冷淡に言い放った。

「違う! これは土下座だ! 我が国に伝わる最大級の謝罪と懇願の作法だ!」

「作法? 私の目には、重力に逆らわず頭部を最も低い位置に固定することで、頸椎に無駄な負荷をかけている非合理的なポーズにしか見えないわ。
さあ、速やかに起立しなさい。その姿勢を維持するためのエネルギーがもったいないわ」

「嫌だ! 君が『はい』と言ってくれるまで、私はここを動かない!」

アリスティードの声は、土の匂いが混じりながらも必死だった。

「殿下、みっともないですわよ。
土下座の角度が甘いですわ。もっと腰を低く、膝への圧力を均等に分散させなければ、レーン様の心には一ミリも響きませんわ!」

横でシャロンが、メモ帳を片手に熱心にアドバイスを送っている。

「シャロン、あなたも煽るのをやめなさい。……殿下、いい加減にして。
村人たちが『王太子が地面の蟻の数を数えている』と不審がっているわ。
私の管理する村の風紀が乱れる。これは立派な『業務妨害』よ」

レーンが冷たく言い捨てて踵を返そうとしたその時、アリスティードが叫んだ。

「レーン! 私は……私は、君を『便利な道具』として連れ戻したいんじゃないんだ!」

レーンの足が、わずかに止まった。

「……ほう。では、何のために?
国を回すため。父王の腰痛を治すため。それらは全て、私というリソースの『利便性』に付随する理由のはずよ」

「……違うんだ。私が、君のいない王宮で一番絶望したのは、山積みの書類を見た時じゃない。
朝起きて、君の『殿下、また三秒遅刻です』という小言が聞こえないと気づいた瞬間なんだ!」

アリスティードは顔を上げ、泥のついた額のまま、真っ直ぐにレーンを見つめた。

「君に罵倒されないと、私は自分が正しい道を歩いているのかさえ分からなくなる。
君に『効率が悪い』と言われないと、何のために頑張っているのか見失ってしまう。
私は……君に導かれたいんじゃない。君という『光』の側で、君を支えられる男になりたいんだ!」

「光? 私は計算機よ。発光機能なんて備えていないわ」

「私にとっては光なんだ! 
頼む、レーン。君がこの村にいたいなら、王都をこの村と同じくらい『効率的』な場所に作り変える権利を、君に全権委任する!
君が嫌う無駄なパーティーも、中身のない社交も、私が盾になって全て排除してみせる!」

レーンは沈黙した。
彼女の脳内では、アリスティードの言葉が高速で解析されていた。

(王都の『効率化』の全権委任……。
それはつまり、国全体の無駄を私の手で根絶できるということかしら。
膨大な予算、人員、そしてシステムの再構築。……あぁ、なんて魅力的な知的挑戦(パズル)なのかしら)

「レーン様、見てください。殿下の瞳の輝き……。
これは嘘をついている時の瞳ではありませんわ。
脳内のドーパミンが異常分泌され、あなたへの執着が論理を超越した『バグ』を起こしている証拠ですわ!」

「シャロン、黙っていなさい。
……殿下。あなたの今の発言、口約束では受理できないわ。
私が王都に戻る条件として、以下の項目を盛り込んだ『国家構造改革契約書』の作成を要求するわ」

「け、契約書……?」

「一、私の業務に口を出す『無駄な会議』の全廃。
二、全貴族の資産および業務内容の透明化と、非効率な役職の解雇権の付与。
三、そして……私のプライベートな時間を、あなたの『無駄な甘え』に一分たりとも割かせないこと」

アリスティードは、最後の条件に少しだけ顔を歪めたが、すぐに力強く頷いた。

「分かった! 契約しよう! 
……でも、レーン。三つ目の条件だけは、少しだけ、本当に少しだけ交渉の余地はないか?」

「交渉? 具体的には?」

「一日に五分だけ……いや、一分でいい。
二人で、何も生産的なことを考えずに、お茶を飲む時間をくれないか。
それは私にとって、次の二十三時間五十九分を爆速で働くための、不可欠な『メンテナンス時間』なんだ」

レーンは眉をひそめ、懐から時計を取り出した。

「メンテナンス……。
確かに、エンジンの冷却時間は必要ね。
……いいわ。一日の〇・〇六パーセントの時間を、あなたの『冷却』に充てることを許可するわ」

「やった……! やったぞ!」

アリスティードは飛び上がり、泥だらけの手でガッツポーズをした。

「……汚いわね。すぐに着替えてきなさい。
王都へ戻る準備を始めるわ。
ただし、まずはこの村の引き継ぎ資料を完璧に仕上げるのが先よ。
アン、シャロン、徹夜よ! 三日分の作業を六時間で終わらせるわよ!」

「はい、レーン様! 喜んで不眠不休の効率化に励みますわ!」

こうして、王太子の泥まみれの土下座は、一国のシステムを根本から塗り替える「最強の契約」へと結実した。

レーン・ド・ヴァレリーが王都に帰る。
それは、非効率に甘んじていた貴族たちにとって、地獄の門が開くことを意味していたのだが……。

今の彼女の瞳には、新しく作り直される「完璧な王国」の設計図だけが、鮮やかに映し出されていた。
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