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「……おかしいですわ」
魔王城の医務室。
私はベッドに座り、深刻な顔で城の専属医師(ゴブリン族の老賢者)に訴えていた。
「先生。私の体調が、劇的に悪化しているようですの」
「ふむ。具体的にはどのような症状ですかな、ルミナス様」
老医師が眼鏡の位置を直しながら尋ねる。
「まず、動悸が激しいのです。特に、キース様と目が合った時や、ふとした瞬間に彼が笑った時など、心拍数が通常時の二倍近くまで跳ね上がります」
「ほう」
「次に、体温調節機能の異常。彼が私の名前を呼ぶだけで、顔が熱くなり、耳まで赤くなるのです。これは何かの熱病……あるいは、未知の毒物に侵されているのではありませんこと?」
私は真剣だった。
これまでどんな修羅場でも、アラン王子のバカな行動に対してすら、冷静さを保ってきたこの私が。
最近、キースの前に立つと、まるで初心な乙女のように(屈辱的だ!)動揺してしまうのだ。
「さらに深刻なのが、思考回路のバグです」
私は胸を押さえた。
「損得勘定が狂うのです。『キース様のためなら、少し損をしてもいい』とか、『彼の喜ぶ顔が見られるなら、タダ働きも悪くない』とか……。明らかに、私の『悪役令嬢としてのアイデンティティ』が崩壊しかけています!」
これは由々しき事態だ。
金と計算だけが信条だった私が、感情で動くようになるなんて。
「先生、正直に仰って。……余命はあとどれくらいですの?」
老医師は私の脈を測り、瞳孔を確認し、そして深く頷いた。
「……手遅れですな」
「なっ……!?」
目の前が真っ暗になった。
手遅れ?
私が? まだ隣国の市場を独占しきっていないのに?
「落ち着いてくだされ。命に別状はありません」
医師はカルテにサラサラと何かを書き込み、私に見せた。
『病名:恋の病』
「……は?」
「処方箋:素直になること。以上」
パタン、とカルテが閉じられた。
「……ヤブ医者ァァァァァッ!!」
私は思わず叫んで立ち上がった。
「恋!? この私が!? ありえませんわ! そんな生産性のない、非合理的な感情! 私が一番嫌悪しているものですわよ!?」
「嫌悪していると言いつつ、お顔が真っ赤ですが」
「これは怒りです! 憤怒の赤です!」
「やれやれ……。どんなに頭の良い方でも、自分のこととなるとサッパリですな」
医師は呆れて肩をすくめた。
「いいですか、ルミナス様。その動悸も、熱も、思考の乱れも……すべて『相手を独占したい』という本能の表れ。貴女様らしく言えば、『キース様という物件を、感情レベルで買収したくてたまらない』状態なのです」
「……買収?」
その単語には、少し反応してしまった。
「そうか……。私はキース様を、契約上だけでなく、魂レベルで所有したいと……?」
「その通りです。それを世間では『愛』と呼びます」
「……認めたくありませんわ」
私は腕を組み、そっぽを向いた。
「愛だの恋だの、アラン殿下がお花畑で歌っていたようなフワフワしたものは私に似合いません。……これは、あれですわ。一時的なホルモンバランスの乱れです!」
「はいはい。……おや、噂をすれば」
医師が入り口の方を見た。
「ルミナス? ここにいたのか」
扉が開き、キースが入ってきた。
黒のマントを翻し、心配そうな顔でこちらに歩み寄ってくる。
その姿を見た瞬間。
ドクンッ!!
私の心臓が、早鐘を打った。
(うっ……! ま、また発作が……!)
「顔色が悪いぞ。どこか具合でも悪いのか?」
キースが私の額に手を当てる。
その手が、冷たくて気持ちいい。
……じゃなくて!
「……熱があるな」
キースの顔が近づく。
赤い瞳が、私を覗き込む。
長い睫毛。整った鼻筋。そして、私を「相棒」と呼ぶ、その唇。
(綺麗……)
あろうことか、私はそんなことを思ってしまった。
魔王公爵の顔面偏差値の高さに、今更ながら気づいてしまったのだ。
「ルミナス?」
「……離れてくださいまし!」
私はバッと彼の手を振り払った。
「え?」
キースが傷ついたような顔をする。
「あ、いえ……その……」
やってしまった。
動揺のあまり、拒絶してしまった。
「う、伝染るといけませんから! これは、その……致死率100%の『乙女ウイルス』ですの!」
「乙女ウイルス……?」
キースがきょとんとする。
背後で医師が「ブッ」と吹き出す音が聞こえた。
「と、とにかく! 今は私に近づかないでください! 冷静な判断ができませんの!」
私は顔を覆って、医務室を飛び出した。
「おい、ルミナス! 待て!」
キースの声が背中に刺さるが、振り返れない。
廊下を走りながら、私は自分の胸に手を当てた。
バクバクとうるさい心臓。
火照る頬。
そして、彼の手を振り払ってしまったことへの、チクリとした後悔。
(……認めるしかないの?)
廊下の角で立ち止まり、私は壁に背を預けてへたり込んだ。
これは病気じゃない。
毒でもない。
私は、ルミナス・ヴァン・ローゼンは。
あの強欲で、傲慢で、でも誰より私を認めてくれる魔王公爵に……。
「……落ちてしまった、ということですの?」
口に出すと、それはストンと腑に落ちた。
悔しいけれど、完敗だ。
あんなに「愛より金」と豪語していたのに、気がつけば彼のことばかり考えている。
「……計算外ですわ」
私は自分の膝に顔を埋めた。
「でも……悪くありませんわね」
ふと、笑みがこぼれた。
恋もまた、一種の「賭け」だ。
自分の心をチップにして、相手の心を奪うギャンブル。
ならば、最強の悪役令嬢として、この勝負からも逃げるわけにはいかない。
「覚悟なさい、キース・ドラグーン」
私は顔を上げ、燃えるような決意を目に宿した。
「私のこの『バグ』ごと、貴方を愛して差し上げますわ。……その代わり、貴方の全てを私が頂きますけれどね!」
私は立ち上がり、スカートの埃を払った。
まずはキースに謝罪し、そして……この「乙女ウイルス」を彼にも感染させてやるのだ。
私は踵を返し、キースの元へと戻り始めた。
足取りは、来る時よりもずっと軽かった。
魔王城の医務室。
私はベッドに座り、深刻な顔で城の専属医師(ゴブリン族の老賢者)に訴えていた。
「先生。私の体調が、劇的に悪化しているようですの」
「ふむ。具体的にはどのような症状ですかな、ルミナス様」
老医師が眼鏡の位置を直しながら尋ねる。
「まず、動悸が激しいのです。特に、キース様と目が合った時や、ふとした瞬間に彼が笑った時など、心拍数が通常時の二倍近くまで跳ね上がります」
「ほう」
「次に、体温調節機能の異常。彼が私の名前を呼ぶだけで、顔が熱くなり、耳まで赤くなるのです。これは何かの熱病……あるいは、未知の毒物に侵されているのではありませんこと?」
私は真剣だった。
これまでどんな修羅場でも、アラン王子のバカな行動に対してすら、冷静さを保ってきたこの私が。
最近、キースの前に立つと、まるで初心な乙女のように(屈辱的だ!)動揺してしまうのだ。
「さらに深刻なのが、思考回路のバグです」
私は胸を押さえた。
「損得勘定が狂うのです。『キース様のためなら、少し損をしてもいい』とか、『彼の喜ぶ顔が見られるなら、タダ働きも悪くない』とか……。明らかに、私の『悪役令嬢としてのアイデンティティ』が崩壊しかけています!」
これは由々しき事態だ。
金と計算だけが信条だった私が、感情で動くようになるなんて。
「先生、正直に仰って。……余命はあとどれくらいですの?」
老医師は私の脈を測り、瞳孔を確認し、そして深く頷いた。
「……手遅れですな」
「なっ……!?」
目の前が真っ暗になった。
手遅れ?
私が? まだ隣国の市場を独占しきっていないのに?
「落ち着いてくだされ。命に別状はありません」
医師はカルテにサラサラと何かを書き込み、私に見せた。
『病名:恋の病』
「……は?」
「処方箋:素直になること。以上」
パタン、とカルテが閉じられた。
「……ヤブ医者ァァァァァッ!!」
私は思わず叫んで立ち上がった。
「恋!? この私が!? ありえませんわ! そんな生産性のない、非合理的な感情! 私が一番嫌悪しているものですわよ!?」
「嫌悪していると言いつつ、お顔が真っ赤ですが」
「これは怒りです! 憤怒の赤です!」
「やれやれ……。どんなに頭の良い方でも、自分のこととなるとサッパリですな」
医師は呆れて肩をすくめた。
「いいですか、ルミナス様。その動悸も、熱も、思考の乱れも……すべて『相手を独占したい』という本能の表れ。貴女様らしく言えば、『キース様という物件を、感情レベルで買収したくてたまらない』状態なのです」
「……買収?」
その単語には、少し反応してしまった。
「そうか……。私はキース様を、契約上だけでなく、魂レベルで所有したいと……?」
「その通りです。それを世間では『愛』と呼びます」
「……認めたくありませんわ」
私は腕を組み、そっぽを向いた。
「愛だの恋だの、アラン殿下がお花畑で歌っていたようなフワフワしたものは私に似合いません。……これは、あれですわ。一時的なホルモンバランスの乱れです!」
「はいはい。……おや、噂をすれば」
医師が入り口の方を見た。
「ルミナス? ここにいたのか」
扉が開き、キースが入ってきた。
黒のマントを翻し、心配そうな顔でこちらに歩み寄ってくる。
その姿を見た瞬間。
ドクンッ!!
私の心臓が、早鐘を打った。
(うっ……! ま、また発作が……!)
「顔色が悪いぞ。どこか具合でも悪いのか?」
キースが私の額に手を当てる。
その手が、冷たくて気持ちいい。
……じゃなくて!
「……熱があるな」
キースの顔が近づく。
赤い瞳が、私を覗き込む。
長い睫毛。整った鼻筋。そして、私を「相棒」と呼ぶ、その唇。
(綺麗……)
あろうことか、私はそんなことを思ってしまった。
魔王公爵の顔面偏差値の高さに、今更ながら気づいてしまったのだ。
「ルミナス?」
「……離れてくださいまし!」
私はバッと彼の手を振り払った。
「え?」
キースが傷ついたような顔をする。
「あ、いえ……その……」
やってしまった。
動揺のあまり、拒絶してしまった。
「う、伝染るといけませんから! これは、その……致死率100%の『乙女ウイルス』ですの!」
「乙女ウイルス……?」
キースがきょとんとする。
背後で医師が「ブッ」と吹き出す音が聞こえた。
「と、とにかく! 今は私に近づかないでください! 冷静な判断ができませんの!」
私は顔を覆って、医務室を飛び出した。
「おい、ルミナス! 待て!」
キースの声が背中に刺さるが、振り返れない。
廊下を走りながら、私は自分の胸に手を当てた。
バクバクとうるさい心臓。
火照る頬。
そして、彼の手を振り払ってしまったことへの、チクリとした後悔。
(……認めるしかないの?)
廊下の角で立ち止まり、私は壁に背を預けてへたり込んだ。
これは病気じゃない。
毒でもない。
私は、ルミナス・ヴァン・ローゼンは。
あの強欲で、傲慢で、でも誰より私を認めてくれる魔王公爵に……。
「……落ちてしまった、ということですの?」
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悔しいけれど、完敗だ。
あんなに「愛より金」と豪語していたのに、気がつけば彼のことばかり考えている。
「……計算外ですわ」
私は自分の膝に顔を埋めた。
「でも……悪くありませんわね」
ふと、笑みがこぼれた。
恋もまた、一種の「賭け」だ。
自分の心をチップにして、相手の心を奪うギャンブル。
ならば、最強の悪役令嬢として、この勝負からも逃げるわけにはいかない。
「覚悟なさい、キース・ドラグーン」
私は顔を上げ、燃えるような決意を目に宿した。
「私のこの『バグ』ごと、貴方を愛して差し上げますわ。……その代わり、貴方の全てを私が頂きますけれどね!」
私は立ち上がり、スカートの埃を払った。
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2024年10月追記
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