婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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「エーミール・フォン・ベルンシュタイン! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」

王宮の大広間に、よく通る声が響き渡った。

豪奢なシャンデリアが揺れるほどの声量だ。

着飾った貴族たちが談笑していた華やかな空気は、一瞬にして凍りついた。

視線の中心にいるのは、我が国の第一王子、ロベルト殿下。

金髪碧眼、絵に描いたような王子様ルックスだが、その中身が残念極まりないことを、私は誰よりもよく知っている。

彼が片腕に抱いているのは、男爵令嬢のリリィ嬢。

小動物のような愛らしさを武器に、ここ数ヶ月で殿下を骨抜きにした強者だ。

今は怯えたように震えているが、私と目が合った瞬間、口元が微かに歪んだのを私は見逃さなかった。

周囲の貴族たちが扇子で口元を隠し、ひそひそと噂話を始める。

「まあ、ついに……」

「エーミール様、どうなさるのかしら」

「あんなに殿下を愛しておられたのに」

愛?

誰が?

私が?

私は内心で首を傾げそうになるのを、長年培った鉄の理性を総動員して堪えた。

そして、優雅に扇子を閉じ、ゆっくりとカーテシーを行う。

「……謹んで、承りますわ」

「なっ……!?」

殿下の勝ち誇った表情が、間の抜けたものに変わる。

彼は私が泣き崩れるか、あるいは怒り狂ってリリィ嬢に掴みかかるとでも思っていたのだろう。

残念ながら、私の感情メーターは現在『無』である。

いや、正確には『歓喜』へと針が触れ始めていた。

「え、承る……? そ、それだけか?」

「はい。殿下のご意思とあらば、私ごときが異を唱えることなどできません。婚約破棄、喜んでお受けいたします」

私は顔を上げ、満面の(営業用)笑みを浮かべた。

殿下はたじろぎ、リリィ嬢を抱く腕に力を込める。

「き、貴様! 強がりを言うな! どうせ心の中では泣いているのだろう! 俺が真実の愛を見つけたことが、そんなに悔しいか!」

「真実の愛……でございますか」

「そうだ! リリィとの出会いこそが運命! 貴様のような冷徹で、可愛げのない女とは違うのだ!」

殿下は声を張り上げる。

「貴様はいつもそうだ! 俺が少し公務をサボったくらいで目くじらを立て、予算の使い道に口を出し、あまつさえ俺のファッションにまで文句を言う!」

それは文句ではなく、助言だ。

公務をサボって街へ遊びに行こうとしたのを止め、国家予算で自分の銅像を作ろうとしたのを阻止し、全身金色のスーツで夜会に出ようとしたのを全力で止めた。

あれがなければ、今頃この国の財政と王家の威信は地に落ちていただろう。

だが、今の私にとってはどうでもいいことだ。

「私の配慮が至らず、殿下にご不快な思いをさせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」

私はさらりと謝罪した。

これ以上、この茶番劇を長引かせるわけにはいかない。

私には、この後重要な『業務』が残っているのだから。

「ふん、やっと自分の非を認めたか。だが、それだけでは済まさんぞ」

殿下はリリィ嬢を前に押し出した。

「貴様はリリィをいじめていただろう! 階段から突き落とそうとしたり、教科書を破いたり、彼女の靴に画鋲を入れたりしたな!」

「……殿下。私たちはもう学院を卒業して三年になります。教科書も上履きもございません」

「うっ……! た、例え話だ! とにかく、貴様が陰湿な嫌がらせをしていたことは、リリィの証言で明らかなのだ!」

リリィ嬢が潤んだ瞳で私を見る。

「エーミール様……ごめんなさい。私が、ロベルト様とお慕いし合ってしまったばかりに……でも、酷いことばかりなさるのは、もうやめてください……っ」

見事な演技力だ。

劇団に入れば看板女優になれるだろう。

周囲の貴族たちも、「やはり悪役令嬢だ」「恐ろしい」と囁き合っている。

冤罪を晴らすのは簡単だ。

私には完璧なアリバイがあるし、リリィ嬢が自分で画鋲を靴に入れている現場を目撃した使用人の証言書も懐に入っている。

だが、私はそれを出すのをやめた。

ここで無実を証明してしまえば、「婚約破棄は無効」となり、またあのバカ王子の尻拭いをする日々に逆戻りしてしまう。

それだけは、死んでも御免だ。

私はすっと表情を曇らせ、悲劇のヒロインぶって見せた。

「……申し訳ございません。嫉妬のあまり、我を見失っておりました」

「認めたな! この悪女め!」

殿下は勝ち誇ったように叫ぶ。

「よって、貴様には罰を与える! 国外追放も考えたが、父上の温情もある。国内で、一生罪を償うがよい!」

「どのような罰でしょうか」

私は殊勝な態度で尋ねる。

内心では(頼むから修道院送りにしてくれ、そこなら静かに読書ができる)と願っていた。

殿下はニヤリと口角を上げ、残酷な判決を下すように告げた。

「貴様を、辺境伯レオニード・フォン・グライフェンに嫁がせる!」

会場が、しんと静まり返った。

先ほどの婚約破棄宣言の時よりも、深い沈黙だ。

レオニード・フォン・グライフェン。

北の果て、極寒の地を治める辺境伯。

「氷の魔公爵」「呪われた男」「血も涙もない怪物」と噂される人物だ。

社交界には一度も顔を出さず、領地に入った者は二度と帰ってこないとも言われている。

「どうだ、恐ろしいだろう! あの呪われた男の生贄になるのだ! 貴様のような悪女にはお似合いの末路だ!」

殿下が高笑いする。

リリィ嬢も「まぁ、可哀想に……」と言いつつ、笑いを堪えているのが分かる。

周囲からは同情の視線が突き刺さる。

だが。

私は扇子の裏で、口元が緩むのを必死に抑えていた。

(レオニード様……ですって!?)

私の心臓は早鐘を打っていた。

恐怖ではない。

興奮でだ。

レオニード辺境伯。

彼は確かに社交界には出てこないが、我が家の商会とは取引がある。

極寒の地で鍛え上げられた屈強な騎士団を率い、魔獣から国を守る英雄。

そして何より。

以前、父の書斎でたまたま見た彼の肖像画。

黒髪に切れ長の瞳、そして服の上からでも分かる分厚い胸板と、丸太のような腕。

私の理想である「無口で強くて筋肉質な男性」そのものだったのだ。

しかも、グライフェン家は魔石の採掘権を持つ超大金持ちである。

(バカ王子との不毛な婚約生活から解放され、理想の筋肉と莫大な資産の元へ嫁げる……?)

これは罰ではない。

ご褒美だ。

特大のボーナスだ。

私は震える声(笑いを堪えている)で言った。

「そ、そのような……恐ろしい辺境伯様の下へ……?」

「はっはっは! 今更泣いても遅い! 明日には馬車が出るぞ! 二度とこの王都の土を踏めると思うな!」

「つ、謹んで……お受けいたしますわ」

私は深々と頭を下げた。

顔を上げたら、ニヤけ顔を見られてしまうからだ。

「ふん、最後まで可愛げのない女だ。もういい、下がれ! 俺たちはこれから、婚約破棄の成立を祝うダンスを踊るのだ!」

殿下はリリィ嬢の手を取り、楽団に合図を送る。

優雅なワルツが流れ始めた。

私は誰にも見送られることなく、一人静かに広間を後にする。

扉を閉めた瞬間、私はガッツポーズをした。

「よっしゃあああああ!」

侍女が驚いて飛び上がったが、気にしてはいられない。

「帰るわよ! すぐに荷造りをしなきゃ! あ、その前に弁護士を呼んでちょうだい!」

「え? 弁護士……ですか? お嬢様、悲しくはないのですか?」

侍女がおずおずと尋ねてくる。

私はドレスのポケットから、一通の封筒を取り出した。

以前からこっそりと書き溜めていた、『慰謝料請求書』の束だ。

「悲しい? まさか! 私の人生、これからが本番よ!」

精神的苦痛への慰謝料。

これまでの王家への貸付金の返済請求。

私が公務を代行した際の人件費。

そして、婚約破棄に伴う手切れ金。

ざっと計算しても、城が一つ買える額になる。

「殿下、高い勉強代になりましたわね。……払えるものなら、払ってみなさい」

私は月に向かって不敵に微笑んだ。

待ってらっしゃい、私の理想の筋肉(レオニード様)。

今、あなたの元へ参りますわ!
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