婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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翌朝。

私の生家であるベルンシュタイン伯爵家の屋敷前には、一台の馬車が停まっていた。

王家の紋章が入った豪華な馬車――ではない。

塗装が少し剥げかけ、車輪からはギシギシと音がしそうな、年季の入った馬車だ。

「エーミール……本当に、これで行くのか?」

見送りに立ったお父様が、ハンカチで目頭を押さえながら震える声で言った。

「酷すぎる……。いくらなんでも、元婚約者を送る馬車がこれとは……。ロベルト殿下は、どこまでお前を貶めれば気が済むのだ」

お母様も、私の手を握りしめて涙ぐんでいる。

「あんな北の果ての、魔物が出ると噂される土地へ……。しかも相手は『氷の魔公爵』などと呼ばれる恐ろしい方なのでしょう? ああ、エーミール、可哀想に……」

両親の嘆きはもっともだ。

通常、貴族の娘が嫁ぐ際に用意される馬車ではない。

これは明らかに、ロベルト殿下による嫌がらせである。

「護衛も最低限、荷物もこれだけ……。途中で野垂れ死ねと言わんばかりだ」

お父様が拳を震わせる。

けれど、私は満面の笑みで答えた。

「お父様、お母様。ご心配なく」

「しかし……!」

「馬車がボロくても、タイヤは回ります。護衛が少なくても、私は自分の身くらい守れます。それに何より……」

私は声を潜め、両親に耳打ちした。

「この馬車、底に二重底がありましてよ。私が昨日、こっそりと魔石のへそくりを隠しておきましたの」

「えっ」

「それに、荷物が少ないのは好都合ですわ。向こうに行けば、辺境伯家の資産で全部新調すればいいのですから。流行遅れのドレスを持っていくより、現地調達の方が効率的でしょう?」

「え、ええ……?」

両親がポカンとしている。

私は胸を張った。

「これは『左遷』ではありません。『栄転』です。お父様もご存知でしょう? グライフェン領は、希少な魔石の産地。その資産規模は王家にも匹敵すると」

「た、確かに商売上の噂ではそう聞くが……しかし、当主のレオニード殿は……」

お父様が声を曇らせる。

「『血に飢えた獣』『視線だけで人を殺す』『夜な夜な生肉を食らう』……そんな噂ばかりだぞ」

「ふふふ」

私は扇子を開き、口元を隠して笑った。

噂?

それがどうしたというのか。

私はドレスの胸元から、一枚の古ぼけた写真を取り出した。

これは以前、お父様の商会が辺境伯領と取引をした際、記念に撮影された魔法写真だ。

そこに写っているのは、遠目に映るレオニード様。

画質は荒い。

表情もよく見えない。

だが、私には見える。

「お父様、ここをご覧ください」

「ん? ただの腕だが……」

「いいえ! ただの腕ではありません! このシャツの上からでも分かる、上腕二頭筋の盛り上がり! そして、剣を握る前腕の血管! これは、ただの筋トレでは作れません。実戦と、日々の鍛錬のみが作り出せる芸術作品です!」

「……は?」

「そして、この胸板! 厚みが違います、厚みが! この胸に飛び込んだら、きっと岩壁に衝突したような衝撃を受けるに違いありませんわ。ああ、なんて素敵……!」

私はうっとりと写真を頬に擦り寄せた。

両親がドン引きしている気配を感じるが、気にしない。

私は昔から、ひょろりとした優男よりも、圧倒的な『物理的強者』に惹かれるタチなのだ。

ロベルト殿下のような、見かけだけの王子様など論外である。

「と、とにかく……お前が前向きなら、それでいいのだが……」

「はい! 任せてくださいませ。半年後には、辺境伯領を大陸一の『筋肉と魔石の楽園』にしてみせますわ!」

「お、おう……そうか……」

気圧された両親と抱擁を交わし、私はボロ馬車に乗り込んだ。

御者は、殿下がよこした無愛想な男だ。

「乗ったか? じゃあ出すぞ。舌を噛んでも知らねぇからな」

乱暴な言葉と共に、馬車が動き出す。

ガタン、ゴトンと酷い揺れだ。

けれど、私の心は軽やかだった。

(さようなら、王都。さようなら、無能な元婚約者!)

窓の外を流れる景色を眺めながら、私はこれからの計画を練ることにした。

――と、その時。

「おい、待て!」

城門の手前で、馬車が急停止した。

誰かが行く手を阻んだようだ。

窓から顔を出すと、そこには白馬に跨ったロベルト殿下と、その後ろにしがみつくリリィ嬢の姿があった。

わざわざ見送りに来たのだろうか?

暇な人たちだ。

私は努めて神妙な顔を作り、馬車の窓を開けた。

「……殿下。何か御用でしょうか」

「ふん、最後にその惨めな姿を見ておいてやろうと思ってな!」

殿下は鼻で笑い、ボロ馬車を指差した。

「どうだ? それがお前にお似合いの場所だ。王太子の婚約者という立場を失い、ド田舎へ売られる気分は!」

リリィ嬢も、私の顔を見てクスクスと笑う。

「エーミール様、道中お気をつけて。魔獣に食べられないようにしてくださいね? キャッ、怖い!」

「大丈夫だよリリィ。こいつなら、魔獣の方が腹を壊すさ」

二人は顔を見合わせて大笑いしている。

典型的な悪役ムーブをありがとう。

おかげで、未練など微塵も残らない。

私は静かに言った。

「殿下、リリィ様。わざわざのお見送り、痛み入ります」

「あ?」

「どうぞ、お二人は末長くお幸せに。私のことは忘れて、愛の楽園でお過ごしくださいませ」

(そして、せいぜい借金地獄に苦しむといいわ。私が管理していた帳簿、全部金庫に入れて鍵をかけてきたから)

鍵の番号?

もちろん、忘れた。

「ふん、強がりを。まあいい、二度と俺の前に現れるなよ!」

「はい、お約束いたします」

(むしろ頼まれても願い下げです)

「行くぞ!」

殿下が合図をすると、御者が再び馬車を走らせた。

遠ざかる王都。

遠ざかる元婚約者たち。

私は窓を閉め、ふぅと息を吐いた。

そして、座席のクッション(煎餅のように薄い)を整え、改めてレオニード様の写真を取り出す。

「さて……」

王都からグライフェン領までは、馬車で一週間の道のりだ。

その間、私はこの写真を眺めながら、彼への『攻略プラン』を練り上げる必要がある。

噂通りなら、彼は無口で、人を寄せ付けない性格らしい。

つまり、コミュニケーション能力に難がある可能性が高い。

だが、それは欠点ではない。

『伸び代』だ。

無口な男が、ふとした瞬間にデレる。

その破壊力を、ロベルト殿下のような「喋る騒音」は理解していないのだ。

「待っていてくださいね、レオニード様」

私は写真の彼(の腕)に語りかける。

「あなたのその筋肉……じゃなかった、閉ざされた心を、私がこじ開けてみせますわ!」

馬車は北へ。

私の野望と欲望を乗せて、ガタガタと頼りない音を立てながら進んでいく。

その道中で、まさか盗賊に襲われるなんていうベタな展開が待っているとは、この時の私はまだ知らなかった。

もちろん。

私にとっては、それすらも「彼」の強さを確認するためのイベントに過ぎないのだが。
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