婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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王都を出て三日が過ぎた頃。

私の予感(というか期待)通り、イベントが発生した。

場所は人里離れた森の中。

時刻は夕暮れ時。

ガタンッ! と大きな音を立てて、馬車が停止したのだ。

「ひ、ひぃぃっ! と、盗賊だぁぁ!」

御者の情けない悲鳴が聞こえる。

続いて、ドタドタと複数の足音が近づいてくる気配。

「おい、中のモンを出せ!」

「金目の物を置いていけば命だけは助けてやる!」

典型的なセリフだ。

教科書通りの三流盗賊である。

私は座席で静かに紅茶(水筒に入れてきた)を飲み干し、ふぅと息を吐いた。

「……予定より少し早いけれど、まあいいわ」

私はスカートの埃を払い、ゆっくりと立ち上がった。

通常のご令嬢なら、ここで震えて泣き叫ぶところだろう。

だが、私はエーミール。

転んでもただでは起きない女である。

このボロ馬車には、金目の物などほとんど積んでいない。

あるのは私の着替えと、非常食の干し肉、そしてロベルト殿下への怨念(プライスレス)だけだ。

「おい! 返事がないぞ! 死んでんのか!?」

バンッ! と扉が乱暴に開けられる。

そこに立っていたのは、薄汚れた服を着た強面の男たちだった。

全部で五人。

全員、手には錆びた剣や斧を持っている。

「へへっ、なんだ。若い女が一人かよ」

「こりゃあ、金より良い拾い物かもしれねぇな」

男たちが下卑た笑いを浮かべる。

私は扇子で口元を覆い、冷ややかな視線を送った。

「あら、ごきげんよう。……少々臭いますわよ? お風呂には入っていらして?」

「あぁ!? なんだこいつ、ナメてんのか!」

リーダー格の男が怒鳴り、馬車の中に手を伸ばしてきた。

「引きずり出せ! 痛い目に遭わせてやる!」

私は瞬時に計算する。

護衛の騎士はいない(殿下がつけなかった)。

御者は既に逃走済み(足音が遠ざかっていった)。

私の武器は、護身用の短剣一本と、隠し持った胡椒爆弾(自作)。

勝率は五分五分といったところか。

ドレスが汚れるのは嫌だが、背に腹は代えられない。

私が懐の胡椒爆弾に手を伸ばした、その時だった。

ヒュンッ――!

風を切る音がしたかと思うと、ドスッ! という重い音が響いた。

「あ……?」

リーダー格の男が、呆けた声を出す。

彼の足元、わずか数センチの地面に、太い矢が深々と突き刺さっていたのだ。

「誰だ!?」

盗賊たちが一斉に振り返る。

森の奥、夕闇が濃くなる木々の間から、一頭の黒馬が姿を現した。

その背に乗っているのは、漆黒のマントを纏った大柄な男。

夕日を背負い、その表情は影になっていて見えない。

だが、彼が放つ圧倒的な威圧感だけで、周囲の空気がビリビリと震えているのが分かった。

「……私の領地で、何をしている」

地響きのような低音。

聞いた瞬間、背筋がゾクリとした。

恐怖ではない。

あまりにも良い声すぎて、鼓膜が喜んでいるのだ。

「あ、あいつは……!?」

「黒いマント……巨大な剣……まさか!」

「『氷の魔公爵』だぁぁぁ!?」

盗賊たちが悲鳴を上げる。

そう、現れたのは間違いなく彼だった。

私の婚約者(予定)、レオニード・フォン・グライフェン辺境伯!

「逃げろ! 殺されるぞ!」

「待て! 相手は一人だ! 囲んでやっちまえ!」

パニックになった盗賊たちが、無謀にもレオニード様に襲いかかる。

私は窓枠に身を乗り出し、その光景を食い入るように見つめた。

これは特等席だ。

私の理想の筋肉が、実戦でどのように動くのかを確認する千載一遇のチャンス!

「うおおおお!」

一人の盗賊が斧を振り上げる。

レオニード様は馬から降りることなく、背負っていた大剣を片手で引き抜いた。

その剣、どう見ても鉄の塊である。

普通なら両手でやっと持ち上がる重量のはずだ。

それを、彼はまるで小枝のように軽々と扱った。

ブォンッ!

大剣が薙ぎ払われる。

金属がぶつかる甲高い音と共に、盗賊の斧が空高く弾き飛ばされた。

「ひっ!?」

「邪魔だ」

一言。

それだけで、レオニード様は剣の腹で盗賊を弾き飛ばした。

斬ってはいない。

峰打ちですらない。

ただの「デコピン」のような軽さで、大の男が数メートル吹っ飛んで木に激突した。

「す、素晴らしい……!」

私は思わず声を漏らした。

あの大剣を片手で制御する握力!

馬上でバランスを崩さない体幹!

そして、マントの下で躍動する広背筋の動き!

(100点……いいえ、1000点ですわ!)

残りの盗賊たちも、次々と襲いかかるが相手にならない。

レオニード様は最小限の動きで攻撃をかわし、的確に急所(の近く)を打撃して無力化していく。

圧倒的な武力。

暴力的なまでの強さ。

けれど、その動きには無駄がなく、洗練された美しさがあった。

わずか数分で、五人の盗賊は全員地面に転がっていた。

「……ふぅ」

レオニード様が短く息を吐き、大剣を背中に戻す。

そして、ゆっくりと馬を降り、こちらへ歩いてきた。

カツ、カツ、カツ。

ブーツの音が近づいてくる。

逆光で顔が見えるようになると、私は息を呑んだ。

写真で見た通りの黒髪。

鋭い切れ長の瞳は、氷のように冷たい光を宿している。

口元は堅く引き結ばれ、眉間には深い皺が刻まれている。

一般的に見れば、泣く子も黙る凶悪な顔面だ。

「……おい」

彼は馬車の前で立ち止まり、低い声で私を呼んだ。

血の付いていない手袋越しに、馬車の扉を掴む。

「無事か」

その言葉は短く、冷たい。

まるで「生きてるならさっさと答えろ」と脅されているように聞こえるかもしれない。

だが、私には分かった。

彼の視線が、わずかに泳いでいることを。

そして、剣を握っていない方の手が、少しだけ迷うように握ったり開いたりしていることを。

(……もしや、緊張していらっしゃる?)

女性にどう声をかけていいか分からず、精一杯絞り出した言葉が「無事か」だったのではないか。

そう考えると、この凶悪な顔面が急に愛おしく見えてくるから不思議だ。

私は深呼吸をして、最高の笑顔を作った。

そして、馬車から優雅に降り立つ。

「はい、おかげさまで無事でございます。助けていただき、感謝いたしますわ」

私がカーテシーをすると、レオニード様はビクリと肩を揺らした。

そして、私をまじまじと見る。

「……怖くないのか」

「はい?」

「俺の顔だ。……化け物を見たような顔をする奴が多い」

彼は自嘲気味に呟き、少し顔を背けた。

その仕草が、捨てられた大型犬のようで、私の母性本能(と筋肉への執着)を激しく刺激する。

私は一歩、彼に近づいた。

「化け物? 誰がそんなことを?」

「……世間の評判だ」

「世間の方々は、眼科に行かれた方がよろしいですわね」

私はきっぱりと言った。

レオニード様が驚いてこちらを見る。

私はその瞳を真っ直ぐに見つめ返し、熱っぽく語った。

「あなたのその強靭な肉体は、ご自身の努力の結晶です。民を守るために鍛え上げられたその腕を、化け物などと呼ぶ失礼な輩の言葉など、気にする必要はありません」

「……え」

「それに、先ほどの剣捌き! あの大剣を片手で振るう際の、上腕三頭筋の収縮は見事でした! 背中から腰にかけての筋肉の連動も芸術的! まさに『歩く彫刻』ですわ!」

「……は?」

レオニード様がポカンとしている。

無理もない。

初対面の令嬢に、いきなり筋肉を褒めちぎられたのだから。

しかし、私は止まらない。

「申し遅れました。私、本日よりあなたの元へ嫁ぐことになりました、エーミール・フォン・ベルンシュタインと申します」

私は再び優雅にお辞儀をした。

「ロベルト殿下に捨てられ、慰謝料代わりにここに送られてきましたが……今、確信いたしました」

顔を上げ、ニッコリと微笑む。

「殿下には感謝しなければなりませんね。こんな素敵な旦那様に出会わせてくれたのですから」

「……だ、旦那……様……?」

レオニード様の顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。

氷の魔公爵が、茹でダコのように赤くなっている。

(あら、可愛い)

どうやら私の『攻略』は、予想以上に順調な滑り出しを見せたようだ。

「さあ、参りましょうか、レオニード様。私の新しい家に」

私は自然な動作で、彼に手を差し出した。

エスコートを求めたのだ。

レオニード様は戸惑い、オロオロと視線を彷徨わせた後、恐る恐る私の手を取った。

その手は大きく、ゴツゴツしていて、とても温かかった。

「……ああ。……行くぞ」

彼はボソリと言い、私を馬に乗せようと……せずに、なぜか私をひょいとお姫様抱っこした。

「きゃっ!?」

「馬車は車輪が壊れている。……俺の馬に乗れ」

「は、はい……(近い! 胸板が顔に近い!)」

硬い胸板に顔が埋まる。

微かに香る土と鉄の匂い。

私は心の中でガッツポーズをした。

王都の皆様、ごきげんよう。

私は今、世界一幸せな『人質』かもしれません。
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