婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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朝食後。

私はレオニード様を執務室へと案内した。

案内したと言っても、部屋の場所を知っているのは私(昨日探索済み)だけで、家の主である彼は「こんな部屋、あったのか」と驚いていたけれど。

埃を払ったばかりの重厚なマホガニーの机。

その上に、私は昨夜発見した『領地経営帳簿(ボロボロ)』と、私が徹夜で書き上げた『事業計画書(極秘)』を並べた。

「……エーミール。これは?」

レオニード様が、不安そうに私を見る。

彼はソファーに座っているが、その巨体が小さく見えるほど縮こまっていた。

まるで、先生に呼び出された悪ガキのようだ。

「レオニード様。単刀直入に申し上げます」

私は教鞭(その辺にあった指示棒)をビシッと机に叩きつけた。

「このグライフェン領は、破産寸前です!」

「……っ!?」

レオニード様が飛び上がる。

「は、破産……!? いや、確かに金はないが、そこまで……」

「いいえ、そこまでです! 見てください、この帳簿!」

私は帳簿を開き、赤いインクで書かれた数字の羅列を指差した。

「収入源は魔石の採掘のみ。しかし、その販売ルートは王都の悪徳商人に握られ、市場価格の半値以下で買い叩かれています!」

「な……半値以下……?」

「さらに! 屋敷の維持費、騎士団の装備費、これらは全て『言い値』で支払われています。見積もりを取った形跡も、価格交渉をした記録もありません!」

私は溜息をついた。

「あなたは強すぎました。魔獣退治や領民を守ることに必死で、背後の『金食い虫』たちに気づいていなかったのです」

レオニード様が顔を覆う。

「……俺は、無能だ。領民を守っているつもりで、領地を食いつぶしていたとは……」

「その通りです。経営者としては落第点ですわ」

私はバッサリと言い放った。

彼はさらに落ち込み、床のシミを見つめ始めた。

(よし、十分に追い込んだわね)

ここからが本番だ。

私はトーンを変え、優しく、しかし力強く言った。

「ですが、悲観することはありません。この領地には『ポテンシャル』があります」

「……ポテンシャル?」

「はい。希少な魔石、肥沃な土壌、そして何より……」

私はレオニード様を指差した。

「あなたという『最強の広告塔』がいます!」

「俺が……広告塔……?」

「そうです。あなたの武勇は国中に知れ渡っています。今は『恐怖』の対象ですが、見方を変えれば『圧倒的なブランド力』です。『魔公爵が認めた品質』と言えば、商品は飛ぶように売れるでしょう」

私は事業計画書を彼の前に差し出した。

「そこで、提案があります」

「提案……?」

「私と、契約を結んでください」

レオニード様が顔を上げる。

その瞳に、困惑の色が浮かんでいる。

「契約……?」

「はい。単なる婚約者という立場では、私がこの領地の経営に口を出すには限界があります。対外的にも舐められるでしょう」

私は一息つき、彼の目を真っ直ぐに見つめた。

「ですから、私を『妻』として正式に雇用してください」

「……は?」

「雇用、つまり結婚です。ただし、甘い新婚生活を夢見るものではありません。これはビジネスパートナーとしての契約です」

私は指を一本ずつ立てて条件を提示していく。

「第一に、領地の財政管理および人事権は、全て私が掌握します。文句は言わせません」

「……あ、ああ」

「第二に、あなたは領主として、私の指示通りに社交や行事に参加していただきます。笑顔の練習も必須です」

「……うっ」

「そして第三に! これが最も重要です!」

私は身を乗り出し、机をダン! と叩いた。

「あなたは、その『肉体』を維持し続けること! 毎日の鍛錬を怠らず、私の目の届く範囲でその筋肉を披露すること! 以上です!」

シーン、と部屋が静まり返った。

レオニード様は口を開けたまま、瞬きを繰り返している。

「……それだけ、か?」

「それだけ? 大変なことですよ? 特に第三の条件は、私のモチベーションに関わる重大事項です」

私は真顔で答えた。

レオニード様は、しばらく呆然としていたが、やがてフッと笑い出した。

「くく……ははは!」

「あら、何がおかしいのですか?」

「いや……お前は本当に、予想外だ」

彼は肩を震わせて笑う。

その笑顔は、今朝見たような引き攣ったものではなく、心からの楽しそうな笑い声だった。

「破産寸前の領地に来て、逃げ出すどころか、『私に任せろ』と言うなんてな」

「当然です。沈みかけた船に乗ったまま溺れる趣味はありませんから。船底を修理して、豪華客船に改造してやりますわ」

「……頼もしいな」

レオニード様は立ち上がり、私の方へ歩いてきた。

その巨体に見下ろされると、やはり威圧感がある。

でも、今はそれが心地よい。

彼は私の前に手を差し出した。

「分かった。その契約、乗ろう」

「本当ですか?」

「ああ。俺には経営の才能がない。だが、お前がいれば……この領地は変われる気がする」

彼は私の手を、そっと握った。

その手は大きく、ゴツゴツしていて、熱い。

「エーミール。俺の妻になってくれ。……そして、俺を助けてほしい」

その言葉は、ビジネスライクな契約の合意などではなかった。

不器用だけれど、誠実なプロポーズそのものだった。

「……っ」

不意打ちだ。

私は顔がカッと熱くなるのを感じた。

(いけない、ビジネスよ。これはビジネスなんだから!)

私は必死に動揺を隠し、ニヤリと笑ってみせた。

「交渉成立ですね。……後悔しても知りませんよ?」

「しないさ。……たぶん」

「たぶん?」

「筋肉を維持する自信はあるが、笑顔の練習だけは……手加減してくれ」

「駄目です。スパルタでいきます」

私たちは互いに笑い合った。

その時。

コンコン、とドアがノックされた。

「し、失礼いたします……」

入ってきたのは執事のギルバートだ。

手には一通の手紙を持っている。

「旦那様、奥様……王都より、早馬が到着しました」

「王都?」

レオニード様の表情が険しくなる。

「差出人は?」

「……ロベルト殿下です」

その名を聞いた瞬間、私の脳内で「カチン」という音がした。

あのバカ王子、まだ何か言ってくるつもりか。

ギルバートが震える手で手紙を差し出す。

「内容は……『来月の夜会にて、婚約破棄の正式な手続きと、エーミールの処遇についての最終決定を行う。必ず出頭せよ』とのことです」

「最終決定だと?」

レオニード様の声が低くなり、室内の温度が下がった気がした。

「エーミールは既に俺の婚約者としてここに来ている。今更、何を……」

「おそらく、嫌がらせでしょうね」

私は冷静に分析した。

「私が辺境で泣いて暮らしていると思い込み、その惨めな姿を貴族たちの前で晒し者にしたいのでしょう。『ざまぁみろ』と笑うために」

なんて暇な男だ。

そして、なんて浅はかなのか。

レオニード様が拳を握りしめる。

「……行かなくていい。あんな男の戯言に付き合う必要はない」

「いいえ、行きます」

私は即答した。

「エーミール?」

「これはチャンスですわ、レオニード様」

私は口元を扇子で隠し、悪役令嬢らしい笑みを浮かべた。

「私が、ただ泣いて過ごしていると思っている皆様に、現実を見せて差し上げましょう」

「現実?」

「ええ。私が手に入れた『最高の物件(あなた)』をお披露目するのです」

私はレオニード様の胸板をツンと突いた。

「王都の貴族たちは、あなたのことを『呪われた魔公爵』だと思っています。ボサボサの髪、薄汚れた服、挙動不審な態度……」

「……否定はできん」

「ですが、今のあなたは違います(素材が良いので磨けば光ります)。来月までに、あなたを完璧な紳士に仕立て上げますわ」

私は目を輝かせた。

「そして、あのバカ王子と浮気女の目の前で、見せつけてやるのです。私たちがどれほど幸せで、勝ち組であるかを!」

これは復讐ではない。

圧倒的な格付けチェックだ。

「……なるほど。お前は本当に、戦うのが好きだな」

レオニード様が呆れたように、でも楽しそうに笑う。

「俺は、お前の剣となり盾となろう。……契約通りにな」

「ふふ、頼りにしていますわ、旦那様」

こうして。

私たち「共犯者」による、王都への逆襲(という名の自慢大会)の準備が始まった。

まずは、レオニード様の散髪と、オーダーメイドのスーツ作りからだ。

忙しくなるぞ!
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