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「レオニード様、背筋が曲がっておりますわ! もっと胸を張ってください!」
「……う、うむ」
「表情が硬いです! 『私は領民を愛している』という慈愛の心で! 口角をあと二ミリ上げて!」
「……こ、こうか?」
「……うーん、まあ、『獲物を狙う鷹』から『満腹のライオン』くらいにはなりましたわね」
今日は、領地の視察の日である。
私の「大改造計画」は、屋敷の中から外へと広がりつつあった。
屋敷の掃除と、私の実家とのコネクションを使った物資の調達は完了した。
次は、この領地の経済基盤である「城下町」と「鉱山」のテコ入れだ。
私たちは馬車(修理済みでピカピカ)に揺られ、山麓にある街へと向かっていた。
レオニード様は、新品のオーダーメイドスーツに身を包んでいる。
黒を基調としたシックなデザインだが、彼の規格外の肉体美を強調するように、肩周りと太腿のサイズ感には徹底的にこだわらせていただいた。
一見すると、雑誌から抜け出てきたような超絶イケメン公爵だ。
喋らなければ。
そして、笑わなければ。
「……エーミール。本当に、俺が行っていいのか?」
レオニード様が膝の上で拳を握りしめ、弱気な発言をする。
「街の者たちは、俺を怖がっている。俺が行けば、店は閉まり、子供は泣き叫び、楽しい市場が通夜のようになるぞ」
「あら、それは以前までの話でしょう?」
私は彼の腕に手を添えた。
「今のあなたには、私がついています。私が『通訳』をすれば、あなたの魅力は必ず伝わりますわ」
「……通訳?」
「ええ。心の通訳です」
不安そうな彼の手をギュッと握る。
(大丈夫、もし領民が逃げ出したら、私がその筋肉の素晴らしさを街頭演説して引き止めてみせますから)
◇
城下町に到着した。
馬車から降りた瞬間、周囲の空気がピリッと張り詰めるのが分かった。
「……領主様だ」
「『氷の魔公爵』様がいらっしゃったぞ……」
「目を合わせるな、石にされるぞ……」
道行く人々が、蜘蛛の子を散らすように道の端へ避けていく。
まさにモーゼの十戒。
レオニード様が歩く先々で、道が開いていく。
「……ほらな」
レオニード様が悲しげに肩を落とす。
「皆、俺を避けている」
「いいえ、これは『敬意の表れ』です」
私は強引にポジティブ変換した。
「あまりにも尊いオーラに、目が潰れないよう距離を取っているのです。さあ、堂々と歩いてください」
私は彼の腕に自分の腕を絡め、ピッタリと寄り添った。
「いいですか、笑顔です。軽く手を振ってみましょう」
「て、手を……?」
レオニード様は、ぎこちなく右手を上げた。
その瞬間。
「ひぃっ!? 殴られる!?」
近くにいた商人が、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
レオニード様の手が止まる。
その顔が、ショックで再び「般若」のように歪む。
(ああ、悪循環!)
私はすかさず声を張り上げた。
「皆様! 領主レオニード様が、『今日は良い天気だな、皆も精が出るな』と仰っていますわ!」
「え……?」
商人が恐る恐る顔を上げる。
「そ、そうなんですか……? 処刑の合図じゃなくて……?」
「処刑なんて物騒な! 見てください、この逞しい腕を! これは皆様を守るための腕です!」
私はレオニード様の上腕をポンポンと叩いた。
「さあ、旦那様。あちらの果物屋が美味しそうですわ。少し見ていきましょう」
私は半ば強引に、彼を屋台の方へ引っ張っていった。
店主の老婆が、ガタガタと震えながら直立不動で待っている。
「い、い、いらっしゃいませぇ……! 命だけはぁ……!」
「おばあさん、新鮮なリンゴね」
私はニッコリと笑いかけた。
「これを二つ頂けるかしら。……レオニード様、お支払いを」
「あ、ああ」
レオニード様が懐から銀貨を取り出し、老婆に渡そうとする。
しかし、緊張のあまり力が入りすぎたのか、銀貨を指で摘んだ瞬間、パキンッという乾いた音がした。
銀貨が、ひしゃげていた。
「ひぃぃっ!? お金を握り潰したぁ!?」
老婆が白目を剥きそうになる。
「あらあら、旦那様ったら」
私はすかさずフォローに入った。
「『このリンゴには、銀貨以上の価値がある』と仰りたいのですね? チップとして、多めにお支払いしますわ」
私は自分の財布から新しい銀貨を三枚出し、老婆の手に握らせた。
「え、ええっ? こ、こんなに?」
「旦那様は、不器用ですが気前の良い方なんです。ね?」
私が同意を求めると、レオニード様はコクコクと首を縦に振った(動きが速すぎて残像が見えた)。
老婆は呆気にとられていたが、やがて恐る恐るレオニード様の顔を見た。
「……あ、ありがとうございます……領主様……」
レオニード様は、どうしていいか分からず、とりあえず先ほど練習した「口角二ミリ上げ」を実践した。
結果、引き攣った薄ら笑いになったが、老婆には好意的に受け取られたようだ。
「へぇ……近くで見ると、男前だねぇ」
「……!」
レオニード様の耳が赤くなる。
(よし、第一関門突破!)
私たちはリンゴを齧りながら、さらに街の奥へと進んだ。
◇
「……エーミール、お前はすごいな」
レオニード様が、ボソリと呟く。
「俺が何もしなくても、お前が喋るだけで、空気が変わる」
「何もしなくていいのです。ただ、そこに立っていてくだされば」
あなたの存在そのものが、最強のコンテンツなのだから。
私たちは街外れの広場に差し掛かった。
そこには、ボロボロの露店がいくつか並んでいる。
鉱山から掘り出された「クズ石」を売っている場所だ。
「……ここは、鉱夫たちが売り物にならない魔石の欠片を売っている市場だ」
レオニード様が説明してくれる。
「魔力が少なすぎて、王都の商人には売れないゴミばかりだが……」
私はある露店の前で足を止めた。
そこには、透き通った水色の石が無造作に山積みにされていた。
「これは?」
「ああ、『氷屑石(ひょうせつせき)』だ。触ると少し冷たいだけで、魔力容量が低すぎて使い道がない。夏場に枕元に置くくらいしか……」
私はその石を一つ手に取った。
ひんやりと冷たい。
だが、私の目には「ゴミ」ではなく「ダイヤモンド」に見えた。
「レオニード様。この石、在庫はどれくらいありますか?」
「え? ああ……鉱山の廃棄場に行けば、山のように捨ててあるが」
「捨ててある!?」
私は思わず叫んだ。
「もったいない! なんてことを!」
「ええ……?」
「いいですか、王都の貴族たちは、夏場の暑さに苦しんでいます。氷魔法を使える魔導師を雇うのは高額ですし、氷室の氷はすぐに溶けてしまう」
私は石を光にかざした。
「この石、魔力を少し流せば『冷却効果』が持続しますよね?」
「まあ、そうだが……微々たるものだぞ?」
「その『微々たるもの』がいいのです! 冷えすぎず、結露もしにくい。これを加工して、ネックレスやブレスレットにすれば……」
私の脳内で、計算機が高速回転を始めた。
『ひんやり涼感ジュエリー』。
『化粧崩れを防ぐ、魔法のペンダント』。
キャッチコピーが次々と浮かんでくる。
「それに、この透明感! カットを工夫すれば、宝石としても十分通用します!」
私は露店の主人(居眠りをしていたおじいさん)に声をかけた。
「ここにある石、全部買います!」
「へ……? ぜ、全部?」
「ええ。あと、鉱山に捨ててある分も、私が買い取ります。レオニード様、運搬をお願いできますか?」
「俺が? ……まあ、構わないが」
レオニード様は不思議そうな顔をしていたが、私の熱意に押されて頷いた。
その時だった。
「危ないっ!!」
誰かの叫び声が聞こえた。
振り向くと、坂の上から、荷物を満載した荷車が暴走してくるのが見えた。
留め具が外れたのだろうか、猛スピードでこちらへ突っ込んでくる。
その先には、逃げ遅れた子供が一人。
「――ッ!」
私が声を上げるより早く、突風が吹いた。
レオニード様だ。
彼は瞬時に駆け出し、子供の前に立ちはだかった。
そして、迫り来る数百キロの荷車を、正面から『片手』で受け止めたのだ。
ドォォォン!!
鈍い音が響き、荷車が停止する。
車輪が地面を削り、土煙が舞い上がる。
「……ふん」
レオニード様は、顔色一つ変えずに荷車を押し返した。
「大丈夫か」
彼が背後の子供に声をかける。
子供は腰を抜かして、ポカンと口を開けていた。
周囲の住民たちも、静まり返っている。
あまりの出来事に、言葉を失っているのだ。
数秒の沈黙の後。
「……す、すげぇ……」
誰かが呟いた。
「あの荷車、石が満載だぞ……?」
「それを、片手で……!」
「領主様、かっけぇ……!」
ざわめきが、歓声へと変わっていく。
「ありがとうございます! 領主様!」
「坊主を助けてくれてありがとう!」
人々が、恐る恐る、しかし確実に尊敬の眼差しで集まってくる。
レオニード様は、いきなり囲まれてパニック寸前だ。
「あ、いや、俺は……当然のことを……」
助けを求めるように、彼が私を見る。
私は群衆をかき分け、彼の隣に立った。
そして、高らかに宣言した。
「皆様! ご覧になりましたか! これがグライフェン辺境伯の力です!」
私は彼の盛り上がった上腕二頭筋を撫で回した(役得である)。
「この力は、皆様を脅かすものではありません! 皆様の生活を守り、この街を豊かにするための『守護の力』なのです!」
「おおぉぉぉ……!」
群衆が沸き立つ。
「領主様万歳! 筋肉万歳!」
いつの間にか、謎の筋肉コールが起き始めていた。
レオニード様は顔を真っ赤にして俯いているが、その表情はどこか嬉しそうだ。
「……エーミール。これもお前の『通訳』のおかげか?」
「いいえ。これはあなたの実力です」
私は彼に微笑みかけた。
「さあ、この熱気が冷めないうちに、ビジネスの話を進めますよ。『氷屑石』の加工工場を作り、街の雇用を増やします。あなたは『筋肉の英雄』として、そのポスターモデルになっていただきますからね」
「……ポスター……?」
「ええ。上半身裸で、石を首から下げて笑うのです。絶対に売れます」
「そ、それは勘弁してくれ……」
「駄目です。契約条項第三項『筋肉の披露』です」
悲鳴を上げるレオニード様と、熱狂する領民たち。
この日、グライフェン領に新しい風が吹いた。
恐怖の対象だった『魔公爵』が、頼れる『筋肉領主』へとジョブチェンジした瞬間である。
そして私は、ポケットに入れた『氷屑石』を握りしめ、来るべき王都での決戦に向けて、凶悪な笑みを浮かべていた。
資金源は確保した。
民心も掌握しつつある。
あとは……ロベルト殿下、首を洗って待っていなさい。
私たちの『幸せ自慢』は、あなたの想像を遥かに超える規模になりますわよ。
「……う、うむ」
「表情が硬いです! 『私は領民を愛している』という慈愛の心で! 口角をあと二ミリ上げて!」
「……こ、こうか?」
「……うーん、まあ、『獲物を狙う鷹』から『満腹のライオン』くらいにはなりましたわね」
今日は、領地の視察の日である。
私の「大改造計画」は、屋敷の中から外へと広がりつつあった。
屋敷の掃除と、私の実家とのコネクションを使った物資の調達は完了した。
次は、この領地の経済基盤である「城下町」と「鉱山」のテコ入れだ。
私たちは馬車(修理済みでピカピカ)に揺られ、山麓にある街へと向かっていた。
レオニード様は、新品のオーダーメイドスーツに身を包んでいる。
黒を基調としたシックなデザインだが、彼の規格外の肉体美を強調するように、肩周りと太腿のサイズ感には徹底的にこだわらせていただいた。
一見すると、雑誌から抜け出てきたような超絶イケメン公爵だ。
喋らなければ。
そして、笑わなければ。
「……エーミール。本当に、俺が行っていいのか?」
レオニード様が膝の上で拳を握りしめ、弱気な発言をする。
「街の者たちは、俺を怖がっている。俺が行けば、店は閉まり、子供は泣き叫び、楽しい市場が通夜のようになるぞ」
「あら、それは以前までの話でしょう?」
私は彼の腕に手を添えた。
「今のあなたには、私がついています。私が『通訳』をすれば、あなたの魅力は必ず伝わりますわ」
「……通訳?」
「ええ。心の通訳です」
不安そうな彼の手をギュッと握る。
(大丈夫、もし領民が逃げ出したら、私がその筋肉の素晴らしさを街頭演説して引き止めてみせますから)
◇
城下町に到着した。
馬車から降りた瞬間、周囲の空気がピリッと張り詰めるのが分かった。
「……領主様だ」
「『氷の魔公爵』様がいらっしゃったぞ……」
「目を合わせるな、石にされるぞ……」
道行く人々が、蜘蛛の子を散らすように道の端へ避けていく。
まさにモーゼの十戒。
レオニード様が歩く先々で、道が開いていく。
「……ほらな」
レオニード様が悲しげに肩を落とす。
「皆、俺を避けている」
「いいえ、これは『敬意の表れ』です」
私は強引にポジティブ変換した。
「あまりにも尊いオーラに、目が潰れないよう距離を取っているのです。さあ、堂々と歩いてください」
私は彼の腕に自分の腕を絡め、ピッタリと寄り添った。
「いいですか、笑顔です。軽く手を振ってみましょう」
「て、手を……?」
レオニード様は、ぎこちなく右手を上げた。
その瞬間。
「ひぃっ!? 殴られる!?」
近くにいた商人が、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
レオニード様の手が止まる。
その顔が、ショックで再び「般若」のように歪む。
(ああ、悪循環!)
私はすかさず声を張り上げた。
「皆様! 領主レオニード様が、『今日は良い天気だな、皆も精が出るな』と仰っていますわ!」
「え……?」
商人が恐る恐る顔を上げる。
「そ、そうなんですか……? 処刑の合図じゃなくて……?」
「処刑なんて物騒な! 見てください、この逞しい腕を! これは皆様を守るための腕です!」
私はレオニード様の上腕をポンポンと叩いた。
「さあ、旦那様。あちらの果物屋が美味しそうですわ。少し見ていきましょう」
私は半ば強引に、彼を屋台の方へ引っ張っていった。
店主の老婆が、ガタガタと震えながら直立不動で待っている。
「い、い、いらっしゃいませぇ……! 命だけはぁ……!」
「おばあさん、新鮮なリンゴね」
私はニッコリと笑いかけた。
「これを二つ頂けるかしら。……レオニード様、お支払いを」
「あ、ああ」
レオニード様が懐から銀貨を取り出し、老婆に渡そうとする。
しかし、緊張のあまり力が入りすぎたのか、銀貨を指で摘んだ瞬間、パキンッという乾いた音がした。
銀貨が、ひしゃげていた。
「ひぃぃっ!? お金を握り潰したぁ!?」
老婆が白目を剥きそうになる。
「あらあら、旦那様ったら」
私はすかさずフォローに入った。
「『このリンゴには、銀貨以上の価値がある』と仰りたいのですね? チップとして、多めにお支払いしますわ」
私は自分の財布から新しい銀貨を三枚出し、老婆の手に握らせた。
「え、ええっ? こ、こんなに?」
「旦那様は、不器用ですが気前の良い方なんです。ね?」
私が同意を求めると、レオニード様はコクコクと首を縦に振った(動きが速すぎて残像が見えた)。
老婆は呆気にとられていたが、やがて恐る恐るレオニード様の顔を見た。
「……あ、ありがとうございます……領主様……」
レオニード様は、どうしていいか分からず、とりあえず先ほど練習した「口角二ミリ上げ」を実践した。
結果、引き攣った薄ら笑いになったが、老婆には好意的に受け取られたようだ。
「へぇ……近くで見ると、男前だねぇ」
「……!」
レオニード様の耳が赤くなる。
(よし、第一関門突破!)
私たちはリンゴを齧りながら、さらに街の奥へと進んだ。
◇
「……エーミール、お前はすごいな」
レオニード様が、ボソリと呟く。
「俺が何もしなくても、お前が喋るだけで、空気が変わる」
「何もしなくていいのです。ただ、そこに立っていてくだされば」
あなたの存在そのものが、最強のコンテンツなのだから。
私たちは街外れの広場に差し掛かった。
そこには、ボロボロの露店がいくつか並んでいる。
鉱山から掘り出された「クズ石」を売っている場所だ。
「……ここは、鉱夫たちが売り物にならない魔石の欠片を売っている市場だ」
レオニード様が説明してくれる。
「魔力が少なすぎて、王都の商人には売れないゴミばかりだが……」
私はある露店の前で足を止めた。
そこには、透き通った水色の石が無造作に山積みにされていた。
「これは?」
「ああ、『氷屑石(ひょうせつせき)』だ。触ると少し冷たいだけで、魔力容量が低すぎて使い道がない。夏場に枕元に置くくらいしか……」
私はその石を一つ手に取った。
ひんやりと冷たい。
だが、私の目には「ゴミ」ではなく「ダイヤモンド」に見えた。
「レオニード様。この石、在庫はどれくらいありますか?」
「え? ああ……鉱山の廃棄場に行けば、山のように捨ててあるが」
「捨ててある!?」
私は思わず叫んだ。
「もったいない! なんてことを!」
「ええ……?」
「いいですか、王都の貴族たちは、夏場の暑さに苦しんでいます。氷魔法を使える魔導師を雇うのは高額ですし、氷室の氷はすぐに溶けてしまう」
私は石を光にかざした。
「この石、魔力を少し流せば『冷却効果』が持続しますよね?」
「まあ、そうだが……微々たるものだぞ?」
「その『微々たるもの』がいいのです! 冷えすぎず、結露もしにくい。これを加工して、ネックレスやブレスレットにすれば……」
私の脳内で、計算機が高速回転を始めた。
『ひんやり涼感ジュエリー』。
『化粧崩れを防ぐ、魔法のペンダント』。
キャッチコピーが次々と浮かんでくる。
「それに、この透明感! カットを工夫すれば、宝石としても十分通用します!」
私は露店の主人(居眠りをしていたおじいさん)に声をかけた。
「ここにある石、全部買います!」
「へ……? ぜ、全部?」
「ええ。あと、鉱山に捨ててある分も、私が買い取ります。レオニード様、運搬をお願いできますか?」
「俺が? ……まあ、構わないが」
レオニード様は不思議そうな顔をしていたが、私の熱意に押されて頷いた。
その時だった。
「危ないっ!!」
誰かの叫び声が聞こえた。
振り向くと、坂の上から、荷物を満載した荷車が暴走してくるのが見えた。
留め具が外れたのだろうか、猛スピードでこちらへ突っ込んでくる。
その先には、逃げ遅れた子供が一人。
「――ッ!」
私が声を上げるより早く、突風が吹いた。
レオニード様だ。
彼は瞬時に駆け出し、子供の前に立ちはだかった。
そして、迫り来る数百キロの荷車を、正面から『片手』で受け止めたのだ。
ドォォォン!!
鈍い音が響き、荷車が停止する。
車輪が地面を削り、土煙が舞い上がる。
「……ふん」
レオニード様は、顔色一つ変えずに荷車を押し返した。
「大丈夫か」
彼が背後の子供に声をかける。
子供は腰を抜かして、ポカンと口を開けていた。
周囲の住民たちも、静まり返っている。
あまりの出来事に、言葉を失っているのだ。
数秒の沈黙の後。
「……す、すげぇ……」
誰かが呟いた。
「あの荷車、石が満載だぞ……?」
「それを、片手で……!」
「領主様、かっけぇ……!」
ざわめきが、歓声へと変わっていく。
「ありがとうございます! 領主様!」
「坊主を助けてくれてありがとう!」
人々が、恐る恐る、しかし確実に尊敬の眼差しで集まってくる。
レオニード様は、いきなり囲まれてパニック寸前だ。
「あ、いや、俺は……当然のことを……」
助けを求めるように、彼が私を見る。
私は群衆をかき分け、彼の隣に立った。
そして、高らかに宣言した。
「皆様! ご覧になりましたか! これがグライフェン辺境伯の力です!」
私は彼の盛り上がった上腕二頭筋を撫で回した(役得である)。
「この力は、皆様を脅かすものではありません! 皆様の生活を守り、この街を豊かにするための『守護の力』なのです!」
「おおぉぉぉ……!」
群衆が沸き立つ。
「領主様万歳! 筋肉万歳!」
いつの間にか、謎の筋肉コールが起き始めていた。
レオニード様は顔を真っ赤にして俯いているが、その表情はどこか嬉しそうだ。
「……エーミール。これもお前の『通訳』のおかげか?」
「いいえ。これはあなたの実力です」
私は彼に微笑みかけた。
「さあ、この熱気が冷めないうちに、ビジネスの話を進めますよ。『氷屑石』の加工工場を作り、街の雇用を増やします。あなたは『筋肉の英雄』として、そのポスターモデルになっていただきますからね」
「……ポスター……?」
「ええ。上半身裸で、石を首から下げて笑うのです。絶対に売れます」
「そ、それは勘弁してくれ……」
「駄目です。契約条項第三項『筋肉の披露』です」
悲鳴を上げるレオニード様と、熱狂する領民たち。
この日、グライフェン領に新しい風が吹いた。
恐怖の対象だった『魔公爵』が、頼れる『筋肉領主』へとジョブチェンジした瞬間である。
そして私は、ポケットに入れた『氷屑石』を握りしめ、来るべき王都での決戦に向けて、凶悪な笑みを浮かべていた。
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