婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
「……エーミール」

その日の午後。

私が執務室で『氷屑石(ひょうせつせき)』の商品化計画――ブランド名は『フローズン・ティア(氷の涙)』に決定した――を練っていた時のことだ。

レオニード様が、珍しく自分から部屋を訪ねてきた。

しかも、なんだか挙動不審である。

ドアの隙間から顔を半分だけ覗かせ、モジモジとしている。

「あら、レオニード様。どうなさいました? 岩の除去作業は終わりましたの?」

「あ、ああ。山一つ分、終わらせた」

「山一つ!?(作業効率がおかしい)」

私は心の中でツッコミを入れつつ、笑顔で彼を招き入れた。

「どうぞお入りください。ちょうどお茶にしようと思っていたところです」

「いや、茶はいい。……その、少し……渡したいものがあって」

「渡したいもの?」

私はペンを置いた。

レオニード様が部屋に入ってくる。

その手は背中に回されており、何かを隠し持っているようだ。

(おや……?)

私の脳内で、乙女回路が作動した。

渡したいもの。

背中に隠している。

そして、この照れたような表情。

これは、もしや……?

(プレゼント!?)

ついに来たか。

私の献身的なサポートと、筋肉への情熱的な賛美が、彼の心を動かしたのだ。

通常、貴族の男性が婚約者に贈るものといえば、相場は決まっている。

花束か、宝石か、あるいは甘いお菓子か。

「街へ行った時、お前が熱心に見ていたから……」

レオニード様がボソリと言う。

(街で見ていたもの? はて、宝石店なんてあったかしら?)

記憶を辿るが、昨日の視察で私が熱心に見ていたのは、売れないクズ石の山と、暴走した荷車くらいだ。

しかし、彼なりに考えて選んでくれたのなら、何でも嬉しい。

たとえセンスが少しズレていたとしても、全力で喜んであげるのが「出来た妻」というものだ。

私は立ち上がり、期待に胸を膨らませて彼に近づいた。

「まあ、嬉しいですわ! 私のために選んでくださったのですか? さあ、見せてくださいませ!」

「……引かないで、くれるか?」

「引くなんて滅相もない! あなたがくださる物なら、道端の石ころでも宝物にしますわ!」

「……そうか。なら……」

レオニード様は意を決して、背中のものを私の目の前に突き出した。

ドサッ!!

重厚な音と共に、執務机の上に置かれたのは、麻袋だった。

ずっしりと重く、そして……どこか土の香りと、野性的な獣の匂いがする。

「…………」

私は瞬きをした。

花束ではない。

宝石箱でもない。

これは……。

「……レオニード様。これは?」

「『地竜(アースドラゴン)の糞』だ」

「はい?」

「乾燥させて粉末にしてある。……最高級の肥料だ」

時が止まった。

室内の空気が凝固した。

婚約者に、糞を贈る男。

普通なら、この時点で平手打ちが飛び、婚約破棄パート2が始まるところだ。

だが。

私はエーミール。

転んでもタダでは起きない女。

そして、現在この領地の「農業改革」を目論んでいる経営者である。

私の鼻がピクピクと動いた。

「……地竜、とおっしゃいました?」

「あ、ああ。昨日、裏山で寝ていたから、ちょっと退いてもらったんだが……その時に落としていった物を回収した。……嫌だったか?」

レオニード様が不安そうに上目遣い(巨体だが)で見てくる。

私は麻袋の口を素早く開けた。

中には、黄金色に輝く粉末が入っている。

間違いない。

魔力を豊富に含んだ、幻の肥料『ドラゴンダスト』だ!

王都の園芸マニアたちの間では、「ひと掴みで金貨十枚」と言われる超レアアイテム!

これさえあれば、やせ細った土地も一晩で豊穣の大地に変わり、枯れ木に花が咲き、トマトはメロンのような甘さになるという!

「キャーーーーーーッ!!」

私は悲鳴を上げた。

「エ、エーミール!?」

レオニード様がビクリとする。

私は袋を抱きしめ、頬ずりをした(匂いは気にしない!)。

「す、素晴らしいですわ!! なんて素敵なプレゼント!!」

「え? い、いいのか? 糞だぞ?」

「ただの糞ではありません! これは『土の宝石』です! これがあれば、屋敷の農園計画が三年分……いいえ、五年分は短縮できます!」

私は興奮のあまり、レオニード様の手を取ってブンブンと振った。

「ありがとうございます! 嬉しい! 愛しています!(肥料を)」

「……あ、愛……」

レオニード様は顔を真っ赤にして、口元を手で覆った。

「そ、そうか……。喜んでくれるなら、よかった」

「最高です! ……ちなみに、まさかこれだけではありませんよね?」

「え?」

私はニヤリと笑った。

この流れ。

彼のことだ、まだ何か隠しているに違いない。

「……実は、もう一つある」

彼は観念したように、足元から長い棒状のものを取り出した。

それは、一本の鍬(くわ)だった。

ただし、普通の鍬ではない。

刃の部分が、青白く光り輝いている。

「……お前が畑仕事をする時、普通の鍬だとすぐに刃こぼれするだろうと思ってな。……俺が昔使っていた剣を、鍛冶屋に打ち直させた」

「剣を……?」

「素材は『ミスリル銀』だ。軽くて丈夫で、土の抵抗をゼロにする」

ミスリル銀。

伝説の金属。

ドラゴンすら切り裂く聖剣の素材。

それを、彼は『鍬』にしたと言うのか。

「……贅沢すぎる」

私は震える手で鍬を受け取った。

軽い。

羽のように軽い。

試しに、床の絨毯の上で軽く振ってみる。

ヒュンッ!

空気を切る音が鋭い。

これなら、岩盤だろうが鉄板だろうが、豆腐のように耕せるだろう。

「……これを、私に?」

「ああ。お前は……その、綺麗なドレスよりも、こういう道具を持っている時の方が、生き生きしているから」

レオニード様が、照れくさそうに頭を掻く。

「俺には、流行りの宝石や服は分からない。……だから、お前が一番使いそうで、俺が用意できる一番良い物を贈ろうと思ったんだ」

ズキュン。

私の胸の奥で、何かが撃ち抜かれた音がした。

(……何よそれ)

反則だ。

ロベルト殿下は、いつも高価な宝石やドレスを贈ってきた。

「これが流行りだ」「俺の隣を歩くのに相応しい」と。

私が何を欲しているか、何が好きかなんて、一度も考えたことはなかっただろう。

でも、この不器用な魔公爵は違う。

私が昨日、固い土に悪戦苦闘していたのを見ていたのだ。

私が農業に力を入れたいと思っていることを、理解してくれているのだ。

その結果が「ウンコと鍬」だとしても。

その「過程」にある思いやりが、どんなダイヤモンドよりも輝いて見えた。

「……レオニード様」

私は鍬を大事に抱え、彼を見上げた。

「……好きです」

「へ?」

「あ、いいえ! この鍬! この鍬のデザインがとても好きですわ!」

私は慌てて誤魔化した。

危ない、本音が漏れるところだった。

「早速、試し斬り……じゃなくて、試し掘りに行きましょう! 庭へ! 今すぐに!」

「え、今からか? もう夕方だぞ」

「関係ありません! このミスリル鍬とドラゴンダストの威力、試さずには眠れませんわ!」

私はレオニード様の手を引き、執務室を飛び出した。



夕暮れの庭。

そこには、奇妙な光景が広がっていた。

ドレス姿の令嬢が、聖剣のような輝きを放つ鍬を振り回し、猛烈な勢いで地面を耕していく。

「すごい! サクサク掘れますわ! ストレス解消に最高!」

ザック! ザック!

「お、おい、あまり深く掘りすぎると、地下水脈に当たるぞ……」

その横で、上半身裸(また脱いだ)の公爵様が、黄金の粉末(肥料)を丁寧に撒いている。

「あら、ギルバート! 見てちょうだい、この畝(うね)の美しさを!」

「は、はい……お見事でございます……(何を見せられているのだろう)」

老執事が遠い目をしているが、気にしない。

一通り耕し終えた後、私たちは並んで夕日を眺めた。

汗をかいた肌に、風が心地よい。

「……いい畑になったな」

レオニード様が満足そうに言う。

「はい。ここには、最高に甘いカボチャを植えましょう。あなたのように、外見はゴツいけれど、中身は甘くて栄養満点なカボチャを」

「……俺はカボチャか」

「褒め言葉ですわ」

私は彼を見上げ、イタズラっぽく笑った。

「ありがとう、レオニード様。最高のプレゼントでした」

「……そうか。なら、また何か探しておく」

「ええ、楽しみにしています。次は『水やりの手間が省ける自動散水スライム』あたりをお願いしますね」

「注文が細かいな……」

彼が苦笑し、自然と私の肩に手を回した。

その距離感が、昨日よりも少しだけ近づいている気がした。

ミスリルの鍬と、ドラゴンの肥料。

それは私たち夫婦にとって、最初の、そして忘れられない愛の証(?)となったのだった。

そして、この数日後。

この畑で育った野菜が、異常な速度で巨大化し、また一つ「グライフェン領の怪奇現象」として噂になるのだが……それはまた別の話である。

さあ、外堀は埋まった。

農業基盤も整った。

次はいよいよ、あのお邪魔虫(リリィ嬢)が、罠にかかりに来る頃合いかしら?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。 いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。 ただし、後のことはどうなっても知りませんよ? * 他サイトでも投稿 * ショートショートです。あっさり終わります

婚約なんてするんじゃなかったが口癖の貴方なんて要りませんわ

神々廻
恋愛
「天使様...?」 初対面の時の婚約者様からは『天使様』などと言われた事もあった 「なんでお前はそんなに可愛げが無いんだろうな。昔のお前は可愛かったのに。そんなに細いから肉付きが悪く、頬も薄い。まぁ、お前が太ったらそれこそ醜すぎるがな。あーあ、婚約なんて結ぶんじゃなかった」 そうですか、なら婚約破棄しましょう。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ。

緑谷めい
恋愛
「むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ」  そう、むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。    私は、カトリーヌ・ナルセー。17歳。  ナルセー公爵家の長女であり、第2王子ハロルド殿下の婚約者である。父のナルセー公爵は、この国の宰相だ。  その父は、今、私の目の前で、顔面蒼白になっている。 「カトリーヌ、もう一度言ってくれ。私の聞き間違いかもしれぬから」  お父様、お気の毒ですけれど、お聞き間違いではございませんわ。では、もう一度言いますわよ。 「今日、王宮で、ハロルド様に往復ビンタを浴びせ、更に足で蹴りつけましたの」  

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

処理中です...