婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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「……エーミール」

その日の午後。

私が執務室で『氷屑石(ひょうせつせき)』の商品化計画――ブランド名は『フローズン・ティア(氷の涙)』に決定した――を練っていた時のことだ。

レオニード様が、珍しく自分から部屋を訪ねてきた。

しかも、なんだか挙動不審である。

ドアの隙間から顔を半分だけ覗かせ、モジモジとしている。

「あら、レオニード様。どうなさいました? 岩の除去作業は終わりましたの?」

「あ、ああ。山一つ分、終わらせた」

「山一つ!?(作業効率がおかしい)」

私は心の中でツッコミを入れつつ、笑顔で彼を招き入れた。

「どうぞお入りください。ちょうどお茶にしようと思っていたところです」

「いや、茶はいい。……その、少し……渡したいものがあって」

「渡したいもの?」

私はペンを置いた。

レオニード様が部屋に入ってくる。

その手は背中に回されており、何かを隠し持っているようだ。

(おや……?)

私の脳内で、乙女回路が作動した。

渡したいもの。

背中に隠している。

そして、この照れたような表情。

これは、もしや……?

(プレゼント!?)

ついに来たか。

私の献身的なサポートと、筋肉への情熱的な賛美が、彼の心を動かしたのだ。

通常、貴族の男性が婚約者に贈るものといえば、相場は決まっている。

花束か、宝石か、あるいは甘いお菓子か。

「街へ行った時、お前が熱心に見ていたから……」

レオニード様がボソリと言う。

(街で見ていたもの? はて、宝石店なんてあったかしら?)

記憶を辿るが、昨日の視察で私が熱心に見ていたのは、売れないクズ石の山と、暴走した荷車くらいだ。

しかし、彼なりに考えて選んでくれたのなら、何でも嬉しい。

たとえセンスが少しズレていたとしても、全力で喜んであげるのが「出来た妻」というものだ。

私は立ち上がり、期待に胸を膨らませて彼に近づいた。

「まあ、嬉しいですわ! 私のために選んでくださったのですか? さあ、見せてくださいませ!」

「……引かないで、くれるか?」

「引くなんて滅相もない! あなたがくださる物なら、道端の石ころでも宝物にしますわ!」

「……そうか。なら……」

レオニード様は意を決して、背中のものを私の目の前に突き出した。

ドサッ!!

重厚な音と共に、執務机の上に置かれたのは、麻袋だった。

ずっしりと重く、そして……どこか土の香りと、野性的な獣の匂いがする。

「…………」

私は瞬きをした。

花束ではない。

宝石箱でもない。

これは……。

「……レオニード様。これは?」

「『地竜(アースドラゴン)の糞』だ」

「はい?」

「乾燥させて粉末にしてある。……最高級の肥料だ」

時が止まった。

室内の空気が凝固した。

婚約者に、糞を贈る男。

普通なら、この時点で平手打ちが飛び、婚約破棄パート2が始まるところだ。

だが。

私はエーミール。

転んでもタダでは起きない女。

そして、現在この領地の「農業改革」を目論んでいる経営者である。

私の鼻がピクピクと動いた。

「……地竜、とおっしゃいました?」

「あ、ああ。昨日、裏山で寝ていたから、ちょっと退いてもらったんだが……その時に落としていった物を回収した。……嫌だったか?」

レオニード様が不安そうに上目遣い(巨体だが)で見てくる。

私は麻袋の口を素早く開けた。

中には、黄金色に輝く粉末が入っている。

間違いない。

魔力を豊富に含んだ、幻の肥料『ドラゴンダスト』だ!

王都の園芸マニアたちの間では、「ひと掴みで金貨十枚」と言われる超レアアイテム!

これさえあれば、やせ細った土地も一晩で豊穣の大地に変わり、枯れ木に花が咲き、トマトはメロンのような甘さになるという!

「キャーーーーーーッ!!」

私は悲鳴を上げた。

「エ、エーミール!?」

レオニード様がビクリとする。

私は袋を抱きしめ、頬ずりをした(匂いは気にしない!)。

「す、素晴らしいですわ!! なんて素敵なプレゼント!!」

「え? い、いいのか? 糞だぞ?」

「ただの糞ではありません! これは『土の宝石』です! これがあれば、屋敷の農園計画が三年分……いいえ、五年分は短縮できます!」

私は興奮のあまり、レオニード様の手を取ってブンブンと振った。

「ありがとうございます! 嬉しい! 愛しています!(肥料を)」

「……あ、愛……」

レオニード様は顔を真っ赤にして、口元を手で覆った。

「そ、そうか……。喜んでくれるなら、よかった」

「最高です! ……ちなみに、まさかこれだけではありませんよね?」

「え?」

私はニヤリと笑った。

この流れ。

彼のことだ、まだ何か隠しているに違いない。

「……実は、もう一つある」

彼は観念したように、足元から長い棒状のものを取り出した。

それは、一本の鍬(くわ)だった。

ただし、普通の鍬ではない。

刃の部分が、青白く光り輝いている。

「……お前が畑仕事をする時、普通の鍬だとすぐに刃こぼれするだろうと思ってな。……俺が昔使っていた剣を、鍛冶屋に打ち直させた」

「剣を……?」

「素材は『ミスリル銀』だ。軽くて丈夫で、土の抵抗をゼロにする」

ミスリル銀。

伝説の金属。

ドラゴンすら切り裂く聖剣の素材。

それを、彼は『鍬』にしたと言うのか。

「……贅沢すぎる」

私は震える手で鍬を受け取った。

軽い。

羽のように軽い。

試しに、床の絨毯の上で軽く振ってみる。

ヒュンッ!

空気を切る音が鋭い。

これなら、岩盤だろうが鉄板だろうが、豆腐のように耕せるだろう。

「……これを、私に?」

「ああ。お前は……その、綺麗なドレスよりも、こういう道具を持っている時の方が、生き生きしているから」

レオニード様が、照れくさそうに頭を掻く。

「俺には、流行りの宝石や服は分からない。……だから、お前が一番使いそうで、俺が用意できる一番良い物を贈ろうと思ったんだ」

ズキュン。

私の胸の奥で、何かが撃ち抜かれた音がした。

(……何よそれ)

反則だ。

ロベルト殿下は、いつも高価な宝石やドレスを贈ってきた。

「これが流行りだ」「俺の隣を歩くのに相応しい」と。

私が何を欲しているか、何が好きかなんて、一度も考えたことはなかっただろう。

でも、この不器用な魔公爵は違う。

私が昨日、固い土に悪戦苦闘していたのを見ていたのだ。

私が農業に力を入れたいと思っていることを、理解してくれているのだ。

その結果が「ウンコと鍬」だとしても。

その「過程」にある思いやりが、どんなダイヤモンドよりも輝いて見えた。

「……レオニード様」

私は鍬を大事に抱え、彼を見上げた。

「……好きです」

「へ?」

「あ、いいえ! この鍬! この鍬のデザインがとても好きですわ!」

私は慌てて誤魔化した。

危ない、本音が漏れるところだった。

「早速、試し斬り……じゃなくて、試し掘りに行きましょう! 庭へ! 今すぐに!」

「え、今からか? もう夕方だぞ」

「関係ありません! このミスリル鍬とドラゴンダストの威力、試さずには眠れませんわ!」

私はレオニード様の手を引き、執務室を飛び出した。



夕暮れの庭。

そこには、奇妙な光景が広がっていた。

ドレス姿の令嬢が、聖剣のような輝きを放つ鍬を振り回し、猛烈な勢いで地面を耕していく。

「すごい! サクサク掘れますわ! ストレス解消に最高!」

ザック! ザック!

「お、おい、あまり深く掘りすぎると、地下水脈に当たるぞ……」

その横で、上半身裸(また脱いだ)の公爵様が、黄金の粉末(肥料)を丁寧に撒いている。

「あら、ギルバート! 見てちょうだい、この畝(うね)の美しさを!」

「は、はい……お見事でございます……(何を見せられているのだろう)」

老執事が遠い目をしているが、気にしない。

一通り耕し終えた後、私たちは並んで夕日を眺めた。

汗をかいた肌に、風が心地よい。

「……いい畑になったな」

レオニード様が満足そうに言う。

「はい。ここには、最高に甘いカボチャを植えましょう。あなたのように、外見はゴツいけれど、中身は甘くて栄養満点なカボチャを」

「……俺はカボチャか」

「褒め言葉ですわ」

私は彼を見上げ、イタズラっぽく笑った。

「ありがとう、レオニード様。最高のプレゼントでした」

「……そうか。なら、また何か探しておく」

「ええ、楽しみにしています。次は『水やりの手間が省ける自動散水スライム』あたりをお願いしますね」

「注文が細かいな……」

彼が苦笑し、自然と私の肩に手を回した。

その距離感が、昨日よりも少しだけ近づいている気がした。

ミスリルの鍬と、ドラゴンの肥料。

それは私たち夫婦にとって、最初の、そして忘れられない愛の証(?)となったのだった。

そして、この数日後。

この畑で育った野菜が、異常な速度で巨大化し、また一つ「グライフェン領の怪奇現象」として噂になるのだが……それはまた別の話である。

さあ、外堀は埋まった。

農業基盤も整った。

次はいよいよ、あのお邪魔虫(リリィ嬢)が、罠にかかりに来る頃合いかしら?
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