婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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「エーミール・フォン・ベルンシュタイン! 貴様との婚約を、ここで改めて正式に破棄する!」

ロベルト殿下の声が、大広間の高い天井に反響した。

彼は檀上で胸を張り、まるで世界の中心で愛を叫ぶ英雄のようなポーズをとっている。

隣にはリリィ嬢が寄り添い、うっとりとした表情で彼を見上げている。

会場の貴族たちは息を呑み、次の展開(私の号泣か、発狂)を固唾を飲んで見守っていた。

しかし。

「はい、承知いたしました」

私は即答した。

間髪入れず、バッグから一枚の書類を取り出し、檀上の殿下に向かって掲げた。

「では、こちらの『婚約破棄合意書』にサインをお願いします。すでに私の署名は済ませてありますので」

「は……?」

殿下のポーズが崩れた。

彼はキョトンとして、私と手元の書類を交互に見ている。

「ご、合意書……?」

「はい。口頭だけでは『言った言わない』のトラブルになりますから。公的な手続きは書面で行うのが常識ですわ」

私は懐から携帯用のインクとペンを取り出した。

「さあ、こちらへ。日付も記入済みです」

「ちょ、ちょっと待て!」

殿下が慌てて声を上げる。

「貴様、何を言っている!? 話が早すぎるだろう! もっとこう……『嫌です殿下! 見捨てないで!』とか、あるだろう!」

「ありません。時間の無駄です」

私は懐中時計(これもレオニード様が鉱山で拾った金塊で作らせたもの)をチラリと見た。

「私たち、この後は『勝利の美酒』を飲む予定がありますので。茶番は手短にお願いします」

「茶、茶番だと!?」

殿下の顔が真っ赤になる。

「貴様、まだ自分の立場が分かっていないようだな! ただの婚約破棄ではない! これは『断罪』なのだぞ!」

「断罪?」

「そうだ! 貴様がリリィに対して行った数々の悪行! それをここで暴き、社会的制裁を加えるのだ!」

殿下は合図を送った。

すると、側近のキザ男爵(昨日レストランで尻餅をついた彼だ)が、恭しく一枚の羊皮紙を持ってきた。

「読み上げよ!」

「はっ!」

男爵が震える声で読み上げる。

「罪状その一! リリィ嬢の教科書を隠した罪!」

「罪状その二! リリィ嬢のダンスシューズにナメクジを入れた罪!」

「罪状その三! 『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』と暴言を吐いた罪!」

会場がざわつく。

「なんて陰湿な……」

「やはり悪役令嬢だわ」

私は扇子で口元を隠し、溜息をついた。

(レベルが低い……低すぎるわ)

私は一歩前に出た。

「異議あり」

「なっ、なんだ!?」

「その罪状、全て事実無根です」

私は冷静に反論を開始した。

「まず、教科書について。リリィ嬢はそもそも授業に出ていません。隠す以前の問題です」

「うっ……」

「次にナメクジ。私は虫も軟体動物も触れません。生理的に無理です。証人は私の悲鳴を聞いたことがある侍女全員です」

「ぐぬぬ……」

「そして最後のお菓子発言。それは私のセリフではありません。歴史の教科書に載っている、二百年前の王妃のセリフです。勉強不足もいいところですわ」

私はピシャリと言い放った。

「以上、全ての告発を却下します。他に証拠は?」

「な、な……!?」

殿下と男爵が狼狽える。

完璧な論破に、言葉が出ないようだ。

リリィ嬢が焦って殿下の袖を引く。

「ロ、ロベルト様! 嘘ですわ! 私、本当にいじめられたんです! 信じてくださいまし!」

「そ、そうだ! リリィの涙が証拠だ! 貴様のような冷酷な女には、人の痛みなど分からんのだろう!」

殿下は論理を放棄し、感情論に走った。

「ええ、分かりませんね」

私は冷たく言い放った。

「自作自演で泣く女の痛みなど、理解したくもありません」

「き、貴様ぁぁぁ!!」

殿下が激昂し、檀上から駆け下りてきた。

右手を振り上げ、私に掴みかかろうとする。

「その性根、俺が叩き直してやる!」

暴力による制裁。

王族として、いや人として最低の行為だ。

会場の誰もが悲鳴を上げようとした、その瞬間。

ドンッ!!

重い音が響いた。

私の前に、黒い壁が現れたのだ。

「……私の妻に、触れるな」

地を這うような低音。

レオニード様だ。

彼は片手で殿下の腕をガシリと受け止めていた。

微動だにしない。

殿下が全力で振り下ろした拳を、まるで落ちてきた葉っぱを掴むように軽々と止めている。

「れ、レオニード……!?」

殿下の顔が引き攣る。

「は、離せ! 無礼者! 俺は王太子だぞ!」

「……王太子なら、女性に暴力を振るうのが許されるのか?」

レオニード様の瞳が、冷たく光る。

アメジストの瞳孔が、爬虫類のように細まっている(ように見える)。

「俺の領地では、女に手を上げる男は、魔獣の餌にすると決まっている」

「ひぃっ!?」

「……お前も、餌になりたいか?」

ギリギリ……と、殿下の腕を掴む手に力が込められる。

「い、痛い! 痛い痛い! 折れる! 腕が折れるぅぅ!」

殿下が情けない悲鳴を上げ、膝をつく。

会場中がドン引きしている。

一国の王子が、悲鳴を上げて命乞いをする姿。

百年の恋も冷めるどころか、氷河期に突入するレベルの醜態だ。

私はレオニード様の背中に声をかけた。

「旦那様、それくらいで。ゴミに触ると手が汚れますわ」

「……そうだな」

レオニード様は、ゴミを捨てるように殿下の腕を離した。

殿下は尻餅をつき、涙目で腕をさすっている。

「お、覚えてろよ……! 父上に言いつけてやる!」

小学生か。

私は呆れて溜息をつき、倒れている殿下の前に書類を投げ捨てた。

「言いつける前に、サインをどうぞ。あ、ペンはお貸ししますわ」

「ぐ、ぐぬぅ……!」

殿下は震える手でペンを取り、殴り書きのようにサインをした。

『ロベルト』

「はい、確かに。これで婚約破棄は正式に成立いたしました」

私は書類を回収し、大切にファイルにしまった。

「ありがとうございます、殿下。これで私は晴れて自由の身。……そして、レオニード様の正式な妻となれます」

私はレオニード様の腕に抱きついた。

「さあ、皆様! ご覧ください!」

私は会場に向かって声を張り上げた。

「元婚約者は、私を『悪役令嬢』と呼び捨てました。ですが、捨てる神あれば拾う神あり!」

私はレオニード様の胸板に顔を寄せた。

「私を拾ってくださったのは、この頼もしく、美しく、そして心優しいグライフェン公爵様です!」

「……心優しい……?」

「あの腕力を見ましたか? あれは『守る力』です! 暴力ではありません、愛の防波堤です!」

私が力説すると、会場の令嬢たちが「はぅ……素敵……」とため息を漏らした。

そう、筋肉は正義。

イケメンは正義。

そして、それを守る騎士(ナイト)属性が加われば、無敵なのだ。

ロベルト殿下は、完全に蚊帳の外だった。

リリィ嬢も、レオニード様の圧倒的な存在感の前では、ただの背景モブにしか見えない。

「……エーミール」

レオニード様が、耳元で囁く。

「……これでいいのか? 断罪とやらは」

「ええ。第一段階はクリアです」

私はニヤリと笑った。

「ですが、まだ終わりではありません。……これからが、本当の『精算』の時間です」

私はクラウス弁護士に目配せをした。

会場の隅で待機していた彼が、分厚いファイルを掲げて頷く。

さあ、ロベルト殿下。

愛の茶番は終わりました。

ここからは、現実的で、冷徹で、逃げ場のない『慰謝料請求』のコーナーです。

震えて眠る準備はよろしくて?
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