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昨夜の「特製パイ二種盛り」は、間違いなく私の人生における食の歴史に深く刻まれる傑作だった。
サクサクのパイ生地が弾けるたびに、悩みも動悸もすべて胃袋の彼方へ消え去った。
……はずなのだが。
翌朝、王宮の長い廊下を歩いていると、妙に周囲がざわついていることに気づいた。
「おい、見ろよ。あの方が例の……」
「街で暴漢十人を素手でなぎ倒したという、『爆食の護衛令嬢』か?」
「いや、噂では素手で牛を解体して、その場でローストビーフにしたとか……」
……待ってほしい。
噂に尾ひれがつきすぎて、もはや私は人間をやめていることになっていないだろうか。
私は、手に持っていた(予備の)スコーンを一度袋にしまった。
ここで何かを食べようものなら、「歩きながら鉄板を食いちぎった」などと言われかねない。
「あら、ごきげんよう、ナジャ・ローレル様。朝から随分と殺気立っていらっしゃること」
背後から、皮肉たっぷりの声がした。
振り返ると、そこには扇子で口元を隠した三人の令嬢が立っていた。
昨日のルルさんの取り巻きとはまた違う、いかにも「伝統ある高位貴族です」というオーラを纏った方々だ。
「……ごきげんよう。殺気など出しているつもりはありませんが。……あ、お腹が空きすぎて、少し目つきが鋭くなっていたかもしれません」
「ふん、相変わらず卑しいお言葉ですわね。あなたが昨日、殿下と街で『乱闘騒ぎ』を起こしたという噂、既に社交界中に広まっていますわよ」
中央に立つ、巻き髪が立派な令嬢――ローズ伯爵令嬢が、蔑むような視線を私に投げた。
「殿下をお守りもせず、自分だけ野蛮に暴れ回るなんて。おかげでアリステア様の御名に傷がつきましたわ。恥を知りなさい、この『揚げパン女』!」
「……あの、一つ訂正させてください。私は自分だけ暴れたわけではありません。殿下もノリノリで投げ飛ばしていらっしゃいました」
「殿下がそんな野蛮なことをなさるはずがありませんわ! あなたが無理やり巻き込んだのでしょう!?」
無理やり、と言われればそうかもしれない。
でも、あの時の殿下は、高級レストランのフルコースを前にした私くらい、いい笑顔をしていたのだ。
「いい、ナジャ様。あなたのような『食い意地の張った下級貴族』が、王宮に居座り続けることは許されません。神殿からも、あなたの素行を疑問視する声が上がっているのですよ」
「神殿……。あ、地下倉庫に干し肉があるという神殿ですね?」
「……何の話をしていますの!? とにかく! 明日の公式晩餐会で、あなたがどれほど王太子妃にふさわしくないか、白日の下に晒して差し上げますわ!」
ローズ様は、勝ち誇ったように扇子をパチンと閉じた。
晩餐会。
その言葉に、私の耳がぴくりと反応した。
「公式晩餐会……。それって、もしかして、フルコースが出るのですか?」
「ええ、そうですわ! 各国の要人が集まる、最高級の晩餐会ですわよ。あなたのようなマナーの欠片もない女が、恥をかかずに乗り切れるかしら?」
「最高級の、フルコース……」
私の脳内に、まだ見ぬ豪華な料理たちが、パレードのように行進し始めた。
キャビア、トリュフ、フォアグラ……。
そして、まだ見ぬ王宮秘伝のデザート。
「ローズ様。私、決意しました」
「な、なによ。ようやく身を引く決心がついたのかしら?」
「いいえ。その晩餐会、絶対に出席します! そして、最高のマナーで、すべての料理を完食してみせます!」
「……完食するのが目標なんですの!?」
私の鼻息の荒さに、令嬢たちは一歩後ずさった。
噂の「猛獣」っぷりを、少しだけ実感させてしまったかもしれない。
彼女たちが逃げるように去っていった後、私は独り言を呟いた。
「マナー……マナーか。……あ、ユーフェミア様に相談しよう。あの人なら、きっと『効率的なフルコースの食べ方』とか知っていそうだし」
私は、残していたスコーンを力強く一口で頬張った。
噂なんてどうでもいい。
公式晩餐会という名の「食べ放題(形式は違うけれど)」に向けて、私の戦いは新たな局面を迎えようとしていた。
一方その頃、アリステア様は執務室で、神殿からの抗議文を読みながら、楽しそうにペンを回していた。
「……公式晩餐会か。ナジャを狙う刺客たちが、彼女の食欲に圧倒される様が目に浮かぶようだな。……よし、メインディッシュはさらに一皿増やしておけと厨房に伝えろ」
王子の期待(?)もまた、斜め上の方向へと加速していた。
サクサクのパイ生地が弾けるたびに、悩みも動悸もすべて胃袋の彼方へ消え去った。
……はずなのだが。
翌朝、王宮の長い廊下を歩いていると、妙に周囲がざわついていることに気づいた。
「おい、見ろよ。あの方が例の……」
「街で暴漢十人を素手でなぎ倒したという、『爆食の護衛令嬢』か?」
「いや、噂では素手で牛を解体して、その場でローストビーフにしたとか……」
……待ってほしい。
噂に尾ひれがつきすぎて、もはや私は人間をやめていることになっていないだろうか。
私は、手に持っていた(予備の)スコーンを一度袋にしまった。
ここで何かを食べようものなら、「歩きながら鉄板を食いちぎった」などと言われかねない。
「あら、ごきげんよう、ナジャ・ローレル様。朝から随分と殺気立っていらっしゃること」
背後から、皮肉たっぷりの声がした。
振り返ると、そこには扇子で口元を隠した三人の令嬢が立っていた。
昨日のルルさんの取り巻きとはまた違う、いかにも「伝統ある高位貴族です」というオーラを纏った方々だ。
「……ごきげんよう。殺気など出しているつもりはありませんが。……あ、お腹が空きすぎて、少し目つきが鋭くなっていたかもしれません」
「ふん、相変わらず卑しいお言葉ですわね。あなたが昨日、殿下と街で『乱闘騒ぎ』を起こしたという噂、既に社交界中に広まっていますわよ」
中央に立つ、巻き髪が立派な令嬢――ローズ伯爵令嬢が、蔑むような視線を私に投げた。
「殿下をお守りもせず、自分だけ野蛮に暴れ回るなんて。おかげでアリステア様の御名に傷がつきましたわ。恥を知りなさい、この『揚げパン女』!」
「……あの、一つ訂正させてください。私は自分だけ暴れたわけではありません。殿下もノリノリで投げ飛ばしていらっしゃいました」
「殿下がそんな野蛮なことをなさるはずがありませんわ! あなたが無理やり巻き込んだのでしょう!?」
無理やり、と言われればそうかもしれない。
でも、あの時の殿下は、高級レストランのフルコースを前にした私くらい、いい笑顔をしていたのだ。
「いい、ナジャ様。あなたのような『食い意地の張った下級貴族』が、王宮に居座り続けることは許されません。神殿からも、あなたの素行を疑問視する声が上がっているのですよ」
「神殿……。あ、地下倉庫に干し肉があるという神殿ですね?」
「……何の話をしていますの!? とにかく! 明日の公式晩餐会で、あなたがどれほど王太子妃にふさわしくないか、白日の下に晒して差し上げますわ!」
ローズ様は、勝ち誇ったように扇子をパチンと閉じた。
晩餐会。
その言葉に、私の耳がぴくりと反応した。
「公式晩餐会……。それって、もしかして、フルコースが出るのですか?」
「ええ、そうですわ! 各国の要人が集まる、最高級の晩餐会ですわよ。あなたのようなマナーの欠片もない女が、恥をかかずに乗り切れるかしら?」
「最高級の、フルコース……」
私の脳内に、まだ見ぬ豪華な料理たちが、パレードのように行進し始めた。
キャビア、トリュフ、フォアグラ……。
そして、まだ見ぬ王宮秘伝のデザート。
「ローズ様。私、決意しました」
「な、なによ。ようやく身を引く決心がついたのかしら?」
「いいえ。その晩餐会、絶対に出席します! そして、最高のマナーで、すべての料理を完食してみせます!」
「……完食するのが目標なんですの!?」
私の鼻息の荒さに、令嬢たちは一歩後ずさった。
噂の「猛獣」っぷりを、少しだけ実感させてしまったかもしれない。
彼女たちが逃げるように去っていった後、私は独り言を呟いた。
「マナー……マナーか。……あ、ユーフェミア様に相談しよう。あの人なら、きっと『効率的なフルコースの食べ方』とか知っていそうだし」
私は、残していたスコーンを力強く一口で頬張った。
噂なんてどうでもいい。
公式晩餐会という名の「食べ放題(形式は違うけれど)」に向けて、私の戦いは新たな局面を迎えようとしていた。
一方その頃、アリステア様は執務室で、神殿からの抗議文を読みながら、楽しそうにペンを回していた。
「……公式晩餐会か。ナジャを狙う刺客たちが、彼女の食欲に圧倒される様が目に浮かぶようだな。……よし、メインディッシュはさらに一皿増やしておけと厨房に伝えろ」
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