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公式晩餐会での「毒入り茶一蹴事件」から一夜明け、王宮の空気は一変していた。
昨夜までは「ただの食いしん坊な男爵令嬢」という評価だった私が、今や「神殿の陰謀を舌先一つで暴いた、胆力と味覚の持ち主」として、妙なカリスマ性を帯び始めていたのだ。
離宮の中庭、陽光が降り注ぐガゼボで、私はいつものように優雅な(自称)おやつタイムを楽しんでいた。
今日のお供は、王宮のパティシエが意地を見せて作ったという「三層仕立てのベリームース」だ。
「……はぁ、美味しい。この層の重なり、まるでアリステア様と私の、複雑に絡み合った契約関係のようですね」
適当なことを言いながらスプーンを口に運んでいると、不意に視界が遮られた。
「失礼。君が噂のナジャ・ローレル嬢かな?」
顔を上げると、そこには見知らぬ青年が立っていた。
アリステア様とはまた違う、少しチャラそうな……もとい、社交慣れしていそうな笑顔を浮かべた美男子だ。
胸元には近衛騎士団の紋章が輝いている。
「……左様ですが。どちら様でしょうか。あ、このムースは私の分しかないので、一口も差し上げられませんよ」
「ははっ、手厳しいね! 僕は近衛第三騎士団の副団長、フェリクスだ。昨夜の君の活躍を聞いてね。毒を飲んでも眉一つ動かさない令嬢なんて、騎士団としてもスカウトしたいくらいだよ」
フェリクスと名乗った男は、断りもせずに私の向かいの席に座り、私の顔をじっと覗き込んできた。
「近くで見ると、瞳が澄んでいて綺麗だ。……どうだい、あんな堅物の王子の婚約者候補なんて疲れるだろう? 僕なら、君をもっと美味しい店に連れて行ってあげられるよ。君のその逞しい……いや、魅力的な胃袋を満たすためなら、給料を全部注ぎ込んでもいい」
「……美味しい店、ですか」
その言葉に、私のスプーンがぴたりと止まった。
給料を全部注ぎ込む? それはつまり、国家予算並みの食べ放題ツアーが約束されるということだろうか。
「それは、魅力的ですね。ちなみに、特製ローストビーフのおかわりは何回まで許可されますか?」
「君が望むなら無限に、と言いたいところだけど――」
「――そこまでにしてもらおうか」
背後から、凍りつくような冷気が漂ってきた。
振り返るまでもない。
この、周囲の空気を一瞬で氷点下にする男は、ただ一人だ。
「ど、殿下! お疲れ様です。……視察ですか?」
アリステア様が、軍靴の音を響かせて歩み寄ってくる。
その表情は、先日の暴漢たちをなぎ倒した時よりもずっと険しい。
「フェリクス。近衛騎士団の副団長が、勤務中に私の婚約者候補を口説いているとは、いい度胸だな。……それとも、今すぐ辺境の防衛戦に転属届を出したいのか?」
「や、やだなぁ殿下! 冗談ですよ。少し、噂の令嬢と親交を深めようと思っただけで……」
「親交なら私を通せ。それから、ナジャに触れていいのは、彼女が手に持っている食べ物と、私だけだ」
「…………はい?」
私は、ムースを口に含んだまま固まった。
今、殿下はなんて言った? 私に触れていいのは、食べ物と……殿下?
「殿下、それは……つまり、私も殿下の一部、的な扱いですか? お皿とか、カトラリーとかと同じカテゴリーですか?」
「……ナジャ。君は黙ってムースを食べていろ」
アリステア様は、フェリクスの首根っこを掴んで強引に立たせると、そのまま護衛の騎士たちに目配せをした。
「この男を詰所まで運べ。三日間、反省文を書かせろ。内容は『王子の所有物に手を出すことの愚かさについて』だ」
「うわぁっ、殿下、本気すぎますよー! 助けて、ナジャ様ー!」
フェリクスさんが連行されていく。
嵐が去った後のガゼボに、アリステア様がどさりと腰を下ろした。
「……全く。少し目を離せば、すぐにこれだ。君は自分がどれほど無防備か自覚しているのか?」
「無防備? 私、さっきからずっと、このムースに毒が入っていないか全神経を集中させていましたよ。……あ、殿下も食べますか?」
私が差し出したスプーンを、アリステア様は奪い取るようにして自分の口へ入れた。
「……甘すぎる」
「えぇー! 美味しいですよ! ……って、それ、私の使いかけ……」
「構わん。……いいか、ナジャ。よく聞け。君は私が選んだ『婚約者候補』だ。それはつまり、この国の誰よりも先に、私が君を独占する権利を持っているということだ」
アリステア様の手が、机の上にある私の手をがっしりと覆った。
その力は意外と強く、そして、どこか震えているようにも感じられた。
「……宝石にも、権力にも興味のない君が、唯一欲しがるのが『食』だというのなら、この国のすべての美味を私が管理する。君が他人の差し出す菓子に尻尾を振らないよう、私がすべてを用意してやる」
「……殿下、それって、私の食事制限をするってことですか?」
「違う! そういう意味ではない! ……つまり、その……。君の胃袋を掴むのは、私だけでいいと言っているんだ!」
アリステア様の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
私は、その言葉の意味を、私なりの「食の理論」で解釈してみた。
つまり……。
殿下は、私という名の「高級レストラン」の、永久独占予約権を主張しているわけだ。
他の客(フェリクスさんなど)に席を譲りたくない、というわけですね。
「……なるほど。殿下、要するに『貸し切り』ですね?」
「……言い方は不本意だが、そうだ」
「分かりました。殿下がそこまで仰るなら、私は殿下の専属テイスター……いえ、専属の『美味しい顔をする置物』として、徹底的に殿下の用意した食事だけを愛でることにしましょう」
私は、残りのムースを綺麗に掬い取って、殿下の目の前で最高に幸せそうな顔で食べてみせた。
「――ん! 殿下、このムース、殿下からの『独占欲』というスパイスが効いていて、さっきより美味しく感じます!」
「…………君というやつは」
アリステア様は、額を押さえて深く、深いため息をついた。
でも。
彼が私の手を繋いだまま、離そうとしない。
その熱が、ムースの冷たさとは対照的に、私の胸の中にじんわりと広がっていく。
「ナジャ。……今夜の夕食は、二人きりで摂るぞ。誰の邪魔も入れさせん」
「はい! メニューは何ですか?」
「……君の好物だ。全部、私の目の前で平らげてみせろ」
王子の独占欲は、どうやら「餌付け」という極めて合理的な(?)方向で、私を逃さない決意を固めたようだった。
私は、これからの贅沢な監禁生活……ではなく、美食生活を想像して、鼻歌を歌いながら空のムースカップを眺めた。
……しかし、そんな私たちの蜜月を、不服そうに見つめる「両親」という名の新たな刺客が、間もなく王宮に到着することを知る由もなかった。
昨夜までは「ただの食いしん坊な男爵令嬢」という評価だった私が、今や「神殿の陰謀を舌先一つで暴いた、胆力と味覚の持ち主」として、妙なカリスマ性を帯び始めていたのだ。
離宮の中庭、陽光が降り注ぐガゼボで、私はいつものように優雅な(自称)おやつタイムを楽しんでいた。
今日のお供は、王宮のパティシエが意地を見せて作ったという「三層仕立てのベリームース」だ。
「……はぁ、美味しい。この層の重なり、まるでアリステア様と私の、複雑に絡み合った契約関係のようですね」
適当なことを言いながらスプーンを口に運んでいると、不意に視界が遮られた。
「失礼。君が噂のナジャ・ローレル嬢かな?」
顔を上げると、そこには見知らぬ青年が立っていた。
アリステア様とはまた違う、少しチャラそうな……もとい、社交慣れしていそうな笑顔を浮かべた美男子だ。
胸元には近衛騎士団の紋章が輝いている。
「……左様ですが。どちら様でしょうか。あ、このムースは私の分しかないので、一口も差し上げられませんよ」
「ははっ、手厳しいね! 僕は近衛第三騎士団の副団長、フェリクスだ。昨夜の君の活躍を聞いてね。毒を飲んでも眉一つ動かさない令嬢なんて、騎士団としてもスカウトしたいくらいだよ」
フェリクスと名乗った男は、断りもせずに私の向かいの席に座り、私の顔をじっと覗き込んできた。
「近くで見ると、瞳が澄んでいて綺麗だ。……どうだい、あんな堅物の王子の婚約者候補なんて疲れるだろう? 僕なら、君をもっと美味しい店に連れて行ってあげられるよ。君のその逞しい……いや、魅力的な胃袋を満たすためなら、給料を全部注ぎ込んでもいい」
「……美味しい店、ですか」
その言葉に、私のスプーンがぴたりと止まった。
給料を全部注ぎ込む? それはつまり、国家予算並みの食べ放題ツアーが約束されるということだろうか。
「それは、魅力的ですね。ちなみに、特製ローストビーフのおかわりは何回まで許可されますか?」
「君が望むなら無限に、と言いたいところだけど――」
「――そこまでにしてもらおうか」
背後から、凍りつくような冷気が漂ってきた。
振り返るまでもない。
この、周囲の空気を一瞬で氷点下にする男は、ただ一人だ。
「ど、殿下! お疲れ様です。……視察ですか?」
アリステア様が、軍靴の音を響かせて歩み寄ってくる。
その表情は、先日の暴漢たちをなぎ倒した時よりもずっと険しい。
「フェリクス。近衛騎士団の副団長が、勤務中に私の婚約者候補を口説いているとは、いい度胸だな。……それとも、今すぐ辺境の防衛戦に転属届を出したいのか?」
「や、やだなぁ殿下! 冗談ですよ。少し、噂の令嬢と親交を深めようと思っただけで……」
「親交なら私を通せ。それから、ナジャに触れていいのは、彼女が手に持っている食べ物と、私だけだ」
「…………はい?」
私は、ムースを口に含んだまま固まった。
今、殿下はなんて言った? 私に触れていいのは、食べ物と……殿下?
「殿下、それは……つまり、私も殿下の一部、的な扱いですか? お皿とか、カトラリーとかと同じカテゴリーですか?」
「……ナジャ。君は黙ってムースを食べていろ」
アリステア様は、フェリクスの首根っこを掴んで強引に立たせると、そのまま護衛の騎士たちに目配せをした。
「この男を詰所まで運べ。三日間、反省文を書かせろ。内容は『王子の所有物に手を出すことの愚かさについて』だ」
「うわぁっ、殿下、本気すぎますよー! 助けて、ナジャ様ー!」
フェリクスさんが連行されていく。
嵐が去った後のガゼボに、アリステア様がどさりと腰を下ろした。
「……全く。少し目を離せば、すぐにこれだ。君は自分がどれほど無防備か自覚しているのか?」
「無防備? 私、さっきからずっと、このムースに毒が入っていないか全神経を集中させていましたよ。……あ、殿下も食べますか?」
私が差し出したスプーンを、アリステア様は奪い取るようにして自分の口へ入れた。
「……甘すぎる」
「えぇー! 美味しいですよ! ……って、それ、私の使いかけ……」
「構わん。……いいか、ナジャ。よく聞け。君は私が選んだ『婚約者候補』だ。それはつまり、この国の誰よりも先に、私が君を独占する権利を持っているということだ」
アリステア様の手が、机の上にある私の手をがっしりと覆った。
その力は意外と強く、そして、どこか震えているようにも感じられた。
「……宝石にも、権力にも興味のない君が、唯一欲しがるのが『食』だというのなら、この国のすべての美味を私が管理する。君が他人の差し出す菓子に尻尾を振らないよう、私がすべてを用意してやる」
「……殿下、それって、私の食事制限をするってことですか?」
「違う! そういう意味ではない! ……つまり、その……。君の胃袋を掴むのは、私だけでいいと言っているんだ!」
アリステア様の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
私は、その言葉の意味を、私なりの「食の理論」で解釈してみた。
つまり……。
殿下は、私という名の「高級レストラン」の、永久独占予約権を主張しているわけだ。
他の客(フェリクスさんなど)に席を譲りたくない、というわけですね。
「……なるほど。殿下、要するに『貸し切り』ですね?」
「……言い方は不本意だが、そうだ」
「分かりました。殿下がそこまで仰るなら、私は殿下の専属テイスター……いえ、専属の『美味しい顔をする置物』として、徹底的に殿下の用意した食事だけを愛でることにしましょう」
私は、残りのムースを綺麗に掬い取って、殿下の目の前で最高に幸せそうな顔で食べてみせた。
「――ん! 殿下、このムース、殿下からの『独占欲』というスパイスが効いていて、さっきより美味しく感じます!」
「…………君というやつは」
アリステア様は、額を押さえて深く、深いため息をついた。
でも。
彼が私の手を繋いだまま、離そうとしない。
その熱が、ムースの冷たさとは対照的に、私の胸の中にじんわりと広がっていく。
「ナジャ。……今夜の夕食は、二人きりで摂るぞ。誰の邪魔も入れさせん」
「はい! メニューは何ですか?」
「……君の好物だ。全部、私の目の前で平らげてみせろ」
王子の独占欲は、どうやら「餌付け」という極めて合理的な(?)方向で、私を逃さない決意を固めたようだった。
私は、これからの贅沢な監禁生活……ではなく、美食生活を想像して、鼻歌を歌いながら空のムースカップを眺めた。
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