どうして身代わりとして、私が新たな婚約者候補に?

夏乃みのり

文字の大きさ
19 / 28

19

しおりを挟む
 王宮の応接室。
 そこは、普段なら一国の運命を左右する外交官や、重鎮たちが集う厳格な場所だ。
 しかし今、その空間を支配しているのは、別の意味での緊迫感……というか、「異質さ」だった。

「……ナジャ。紹介してくれ。そちらに座って、出されたマドレーヌを五個同時に頬張ろうとしているのは、誰だ?」

 アリステア様が、片手で額を押さえながら問いかけてきた。
 私は、自分の席の隣で「もぐもぐ」と幸せそうに口を動かす二人組を指差した。

「殿下、ご紹介します。我が父、ローレル男爵と、母のマーガレットです。……父様、母様。口の中のものを飲み込んでから挨拶してください」

「ああ、ナジャ! こんなにバターたっぷりのマドレーヌ、私たちが一生かけて稼ぐパン代よりも高いんじゃないかしら!」

「本当だ、マーガレット。この香り、まるで天国の麦畑に立っているようだ。……あ、殿下。ご挨拶が遅れました。ローレル男爵です。娘が何か、高価な食材を勝手に飲み込んだりしていませんか?」

 父様は、慌ててマドレーヌを飲み込み、椅子から立ち上がってぎこちない礼をした。
 
 私の両親は、絵に描いたような「善良で貧乏で食いしん坊な田舎貴族」である。
 アリステア様が私を婚約者候補にしたと聞いて、心配のあまり(あるいは王宮の食事が気になって)、飛んできたのだ。

「……ふむ。ナジャのあの独特の感性は、どうやら遺伝だったようだな」

 アリステア様は、呆れを通り越して感心したように二人を見つめた。

「殿下! うちのナジャがご迷惑をかけていないか心配で……。この子は昔から、お祝いのケーキのイチゴだけを素早く抜き取る特技があったものですから」

「母様、その話は今しなくていいわよ!」

「いいえ、男爵。ナジャ嬢には感謝している。彼女の『食に対する誠実さ』が、私の歪んだ王宮生活に新鮮な風を吹き込んでくれた」

 殿下が真面目な顔で言うと、父様はなぜか深刻な顔で頷いた。

「なるほど……。つまり、ナジャの『毒味を兼ねた完食』が役に立っているということですね。ですが殿下、この子は高級なものばかり食べさせると、実家の質素な麦粥を食べられなくなってしまいます。どうか、あまり甘やかさないでやってください」

「父様、私の心配の方向がおかしいわよ。そこは普通『王太子妃としての品格』とかを心配するところじゃないの?」

「品格? ナジャ、お前はもう『揚げパンを優雅に食べる方法』という、我が家最高の作法を身につけているじゃないか。それ以上の何が必要なんだ?」

 父様の言葉に、アリステア様が耐えきれず「くっ……」と吹き出した。

「ははは! 素晴らしい。ナジャ、君の両親も最高だ。……よし、決めた。ローレル男爵夫妻。君たちも、しばらく王宮に滞在していきなさい。ナジャの妃教育の見学……という名目でな」

「えっ、いいのですか!? 王宮の夜食も食べ放題ですか!?」

 母様の目が、私の獲物を見つけた時の瞳と同じようにキラキラと輝いた。

「ああ。最高級のシェフが、君たちのために特別なメニューを用意させよう。……ただし、ナジャの教育の邪魔にならない範囲でな」

「やりました、お父様! これで私たちの貯金を食費に回さなくて済みますわ!」

「ああ、お母様! これこそが真の『王家の慈悲』というものだ!」

 手を取り合って喜ぶ両親。
 私は、なんだか自分がとても恥ずかしい生き物のように思えてきて、そっと顔を伏せた。

「……殿下。本当にいいんですか? 私の実家、放っておくと王宮の備蓄を半分くらい食い尽くしますよ?」

「構わん。これほどまでに計算しやすく、裏表のない貴族は珍しい。……それに、君がどんな環境で育ったかを知ることで、君への『攻略法』が見えてきた気がする」

 アリステア様は、私の耳元で楽しげに囁いた。

「……餌を増やすだけですよ、私の攻略法なんて」

「それが一番確実で、一番平和だと思わないか?」

 殿下の笑みには、昨日までの冷徹さはなく、どこか「家族」を慈しむような温かさが混じっていた。

 しかし、喜びも束の間。
 母様が、マドレーヌの最後の一つを口に放り込みながら、重大な一言を放った。

「そうそう、ナジャ。実家を出る前にね、神殿の方からお手紙が届いていたのよ。『ナジャ様の真の姿を鑑定しに行く』って」

「鑑定……?」

「ええ。昨日の晩餐会の騒ぎで、あなたが聖女ルル様を陥れたという噂を、神殿の上層部が信じ込んでいるみたい。近々、最高位の神官が王宮に来るんですって」

 私の心臓が、冷たい水に浸かったように冷えた。
 ……また神殿か。

「……殿下。私、また不味いお茶を飲まされますか?」

「いや。今度は茶葉ではないだろう。……だが、案ずるな。君の背後には、私が、そして――」

 殿下は、幸せそうに紅茶をおかわりする私の両親を指差した。

「――あの、恐ろしいほどのポジティブ食欲軍団がついている。神殿の堅苦しい連中も、君たちの前では食欲に屈するしかないだろう」

 こうして、ローレル一家という名の「最強の食欲部隊」が王宮に集結した。
 神殿の来襲を前に、私たちはとりあえず、お昼ご飯のローストチキンの献立について真剣に会議を始めるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

処理中です...