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公式晩餐会での「毒入り茶事件」から数日。王宮内は、嵐の前の静けさと、焼きたてのパイの香りに包まれていた。
私は今、離宮の応接間で、これまでにない「最大の敵」と対峙していた。
それは、神殿から派遣された最高位の神官、大司教その人である。
「……ナジャ・ローレル嬢。あなたが、我が神殿が誇る聖女ルルを陥れ、あまつさえ神聖な薬草を『不味い』と断じた不届き者ですか」
目の前に座る大司教様は、真っ白な法衣に身を包み、いかにも「私は清廉潔白です」という顔をして私を睨みつけている。
その隣では、私の父様と母様が、神殿からのお土産だという『聖なる干し肉』を勝手に開封して、もぐもぐと咀嚼していた。
「大司教様。陥れただなんて人聞きの悪い。私はただ、自分の舌に正直に生きてきただけです。……あ、父様、その干し肉、少し塩気が強くないですか?」
「おっと、ナジャ、鋭いな。確かにこれは、もう少し熟成させた方が旨味が凝縮されるタイプだぞ」
「あら、私はこの野性味あふれる感じ、好きだわ。噛めば噛むほど、神の慈悲……じゃなくて、牛の生命力が伝わってくるわね」
大司教様は、目の前で繰り広げられる「ローレル家・干し肉批評会」に、額の血管をピクピクと震わせた。
「ええい、黙りなさい! 今日はあなたの『適格性』を鑑定しに来たのです! この『真実の鏡』に手を触れなさい。もしあなたに邪な心があれば、鏡は黒く濁り、清らかな心があれば、光り輝くはずです!」
大司教様が取り出したのは、古めかしい手鏡のようなものだった。
……また、そういうオカルトチックな道具ですか。
「……分かりました。触ればいいんですね。あ、触る前に手を拭いてもいいですか? さっきスコーンを食べた時のバターが、少しついている気がするので」
「早くしなさい!」
私は渋々、その鏡にそっと指を触れた。
邪な心。
……今の私の頭の中にあるのは、今夜の舞踏会で出るという『子鴨のオレンジソース添え』のことだけだ。
これを邪心と言うのなら、私は真っ黒に濁る自信がある。
――その時だった。
キィィィィン、という高い音と共に、鏡が猛烈な光を放ち始めた。
その色は、清らかな白……というよりは、こんがりと揚がった『黄金色の揚げパン』のような、暖かみのあるオレンジ色だった。
「……なっ!? これほどまでの輝き……。邪心がないどころか、欲望という概念が一周回って『悟り』の域に達しているというのか!?」
「大司教様、眩しいです。……あ、でもこの色、なんだかお腹が空いてくる輝きですね」
大司教様は、ガタガタと震えながら鏡を取り落とした。
どうやら、私の「食欲一点突破」の精神構造は、神殿の鑑定道具すらバグらせてしまったらしい。
「ば、馬鹿な……。聖女ルルの時は、もっと弱々しい光だったというのに……。この女、食欲だけで神の領域に触れているというのか……」
「大司教様、あまり考えすぎない方がいいですよ。それより、その干し肉、もう一袋ありませんか?」
父様の追撃に、大司教様は「おのれぇ……!」と叫びながら、逃げるように部屋を飛び出していった。
鑑定終了。
結果、私は「理由は分からないが、とにかく清らか(?)である」と認定された。
そこへ、入れ替わるようにアリステア様が入ってきた。
彼は去っていく大司教の背中を見送り、満足そうに鼻を鳴らした。
「……ふん。神殿の連中も、君の『胃袋の深淵』には勝てなかったようだな」
「殿下、お疲れ様です。……それより、今夜の舞踏会、本当に出席しないといけないんですか? 私、もう今の鑑定だけでお腹がいっぱい……じゃなくて、胸がいっぱいです」
「そうはいかん。今夜は隣国の要人も招いた、今期最大の舞踏会だ。君を正式な『婚約者候補』として披露する重要な場だからな」
アリステア様は、私の肩を優しく掴み、その瞳を真っ直ぐに私に向けた。
昨日、ユーフェミア様に「好きだと自覚しなさい」と言われてから、こういう距離感にめっぽう弱くなってしまった。
心臓が、まるで揚げ物をする時の油のようにパチパチと跳ねる。
「……ナジャ。今夜のドレスは、さらに一段と気合を入れてある。君のその『黄金の心』にふさわしいやつをな」
「殿下……。あ、あの、あまり締め付けないやつでお願いします。子鴨のオレンジソースが入らなくなりますから」
「……善処しよう。だが、今夜は食事だけではなく、私とのダンスも忘れるなよ。君を他の男に貸し出すつもりはないからな」
殿下の独占欲が、言葉の端々から漏れ出している。
私は、顔が赤くなるのを隠すように、残っていた干し肉を一口で頬張った。
しかし。
華やかな舞踏会の裏側で、幽閉されていたはずのルルが、怪しい影と接触していることを、私たちはまだ知らなかった。
「……ふふふ、ナジャ・ローレル。今夜、あなたのその『食欲』を、絶望に変えてあげるわ」
王宮の地下牢の片隅で、ルルの不気味な声が響いた。
いよいよ、物語は最大の山場、嵐の舞踏会へと突入する。
私は無事に子鴨を食べることができるのか。
そして、アリステア様とのダンスを踊りきることができるのか。
戦いの鐘が、静かに鳴り響こうとしていた。
私は今、離宮の応接間で、これまでにない「最大の敵」と対峙していた。
それは、神殿から派遣された最高位の神官、大司教その人である。
「……ナジャ・ローレル嬢。あなたが、我が神殿が誇る聖女ルルを陥れ、あまつさえ神聖な薬草を『不味い』と断じた不届き者ですか」
目の前に座る大司教様は、真っ白な法衣に身を包み、いかにも「私は清廉潔白です」という顔をして私を睨みつけている。
その隣では、私の父様と母様が、神殿からのお土産だという『聖なる干し肉』を勝手に開封して、もぐもぐと咀嚼していた。
「大司教様。陥れただなんて人聞きの悪い。私はただ、自分の舌に正直に生きてきただけです。……あ、父様、その干し肉、少し塩気が強くないですか?」
「おっと、ナジャ、鋭いな。確かにこれは、もう少し熟成させた方が旨味が凝縮されるタイプだぞ」
「あら、私はこの野性味あふれる感じ、好きだわ。噛めば噛むほど、神の慈悲……じゃなくて、牛の生命力が伝わってくるわね」
大司教様は、目の前で繰り広げられる「ローレル家・干し肉批評会」に、額の血管をピクピクと震わせた。
「ええい、黙りなさい! 今日はあなたの『適格性』を鑑定しに来たのです! この『真実の鏡』に手を触れなさい。もしあなたに邪な心があれば、鏡は黒く濁り、清らかな心があれば、光り輝くはずです!」
大司教様が取り出したのは、古めかしい手鏡のようなものだった。
……また、そういうオカルトチックな道具ですか。
「……分かりました。触ればいいんですね。あ、触る前に手を拭いてもいいですか? さっきスコーンを食べた時のバターが、少しついている気がするので」
「早くしなさい!」
私は渋々、その鏡にそっと指を触れた。
邪な心。
……今の私の頭の中にあるのは、今夜の舞踏会で出るという『子鴨のオレンジソース添え』のことだけだ。
これを邪心と言うのなら、私は真っ黒に濁る自信がある。
――その時だった。
キィィィィン、という高い音と共に、鏡が猛烈な光を放ち始めた。
その色は、清らかな白……というよりは、こんがりと揚がった『黄金色の揚げパン』のような、暖かみのあるオレンジ色だった。
「……なっ!? これほどまでの輝き……。邪心がないどころか、欲望という概念が一周回って『悟り』の域に達しているというのか!?」
「大司教様、眩しいです。……あ、でもこの色、なんだかお腹が空いてくる輝きですね」
大司教様は、ガタガタと震えながら鏡を取り落とした。
どうやら、私の「食欲一点突破」の精神構造は、神殿の鑑定道具すらバグらせてしまったらしい。
「ば、馬鹿な……。聖女ルルの時は、もっと弱々しい光だったというのに……。この女、食欲だけで神の領域に触れているというのか……」
「大司教様、あまり考えすぎない方がいいですよ。それより、その干し肉、もう一袋ありませんか?」
父様の追撃に、大司教様は「おのれぇ……!」と叫びながら、逃げるように部屋を飛び出していった。
鑑定終了。
結果、私は「理由は分からないが、とにかく清らか(?)である」と認定された。
そこへ、入れ替わるようにアリステア様が入ってきた。
彼は去っていく大司教の背中を見送り、満足そうに鼻を鳴らした。
「……ふん。神殿の連中も、君の『胃袋の深淵』には勝てなかったようだな」
「殿下、お疲れ様です。……それより、今夜の舞踏会、本当に出席しないといけないんですか? 私、もう今の鑑定だけでお腹がいっぱい……じゃなくて、胸がいっぱいです」
「そうはいかん。今夜は隣国の要人も招いた、今期最大の舞踏会だ。君を正式な『婚約者候補』として披露する重要な場だからな」
アリステア様は、私の肩を優しく掴み、その瞳を真っ直ぐに私に向けた。
昨日、ユーフェミア様に「好きだと自覚しなさい」と言われてから、こういう距離感にめっぽう弱くなってしまった。
心臓が、まるで揚げ物をする時の油のようにパチパチと跳ねる。
「……ナジャ。今夜のドレスは、さらに一段と気合を入れてある。君のその『黄金の心』にふさわしいやつをな」
「殿下……。あ、あの、あまり締め付けないやつでお願いします。子鴨のオレンジソースが入らなくなりますから」
「……善処しよう。だが、今夜は食事だけではなく、私とのダンスも忘れるなよ。君を他の男に貸し出すつもりはないからな」
殿下の独占欲が、言葉の端々から漏れ出している。
私は、顔が赤くなるのを隠すように、残っていた干し肉を一口で頬張った。
しかし。
華やかな舞踏会の裏側で、幽閉されていたはずのルルが、怪しい影と接触していることを、私たちはまだ知らなかった。
「……ふふふ、ナジャ・ローレル。今夜、あなたのその『食欲』を、絶望に変えてあげるわ」
王宮の地下牢の片隅で、ルルの不気味な声が響いた。
いよいよ、物語は最大の山場、嵐の舞踏会へと突入する。
私は無事に子鴨を食べることができるのか。
そして、アリステア様とのダンスを踊りきることができるのか。
戦いの鐘が、静かに鳴り響こうとしていた。
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