3 / 28
3
しおりを挟む
王宮の北側に広がる、手入れの行き届いた広大な空き地。
そこは、近衛騎士団が日々汗を流す訓練場の、まさに「目と鼻の先」だった。
「……本気か? アステリア公嬢。ここは元々、有事の際の資材置き場として確保されていた場所だ。お世辞にも、公爵令嬢が住むような優雅な立地ではないぞ」
案内役のキース様が、心底不思議そうに私を振り返った。
彼の背後では、若手騎士たちが上半身裸で巨大な木槌を振り下ろし、丸太を叩き割るという素晴らしい訓練に励んでいる。
「キース様。優雅さなどという実体のない付加価値は、私にとって不要です。重要なのは『利便性』と『景観』、そして『供給源への近さ』。この一点に尽きますわ」
「供給源……? 何の供給源だ」
「……栄養ですわ。魂の」
私は扇で口元を隠し、じっと騎士たちの動きを観察した。
振り下ろされる木槌。連動して収縮する大胸筋。そして、浮き上がる腹斜筋のライン。
素晴らしい。ここはただの空き地ではない。神々が集うオリンポス山も同然だ。
「ここなら、二階のバルコニーから俯瞰で第一訓練場が見渡せますわね。三階の書斎からは第二訓練場を。……よし、設計変更です。東側の壁はすべて全面ガラス張りにいたしましょう」
「待て。それでは騎士団のプライバシーが丸見えではないか。訓練の様子を外部に漏らすのは軍事機密に触れる恐れがある」
「あら、ご心配なく。私は機密保持の魔法契約書(マジック・コントラクト)を百枚単位で常備しております。それに、私はただ『見る』だけ。見ることは、空気中の酸素を吸うのと同じ。罪には問われませんわ」
私は懐から、今度は設計図を取り出した。
驚くべきことに、昨夜の婚約破棄から今朝までの数時間で、私は既に建築業者への手配と図面の素案を済ませていた。
「パチ、パチパチ……。建材は耐震性に優れた黒御影石。防音魔法を施した壁。そして、何より重要なのが地下室へのプロテイン貯蔵庫ですわね」
「ぷろてい……? 何だそれは」
「騎士の皆様の筋肉を、より効率的に、より美しく育てるための魔法の粉末ですわ。後ほど、試供品を騎士団に寄贈させていただきます。その代わり、訓練の時間を一時間早めていただきたい。私の出勤前の『鑑賞時間』を確保するために」
「断る。公権力を私的に利用しようとするな」
キース様が呆れたようにため息をついた。
しかし、その拍子に彼の首筋の血管がピクリと動く。
私は逃さなかった。その「怒り」によって生じる筋肉の緊張すらも、私にとっては至高の芸術だ。
「キース様。そんなに怖い顔をしないでください。私はこれでも、殿下という不良債権を清算して、人生の再起動(リブート)を図っている最中なのです。少しは同情していただけませんか?」
「……昨日から見ているが、君は同情されるようなタマではないだろう。あのセドリック殿下を算盤一つで黙らせる令嬢など、この国には君しかいない」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……さあ、キース様。土地の境界線を確認しましょう。ここからあそこまで、すべて私の『聖域』にさせていただきます」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、草むらをズカズカと歩き出した。
令嬢らしからぬ行動に、キース様が慌てて後を追ってくる。
「おい、足元が悪い。転んだらどうする」
「大丈夫です。私の足腰は、毎日の計算業務と騎士団観察で鍛えられていますから」
「観察と言うな、せめて視察と言え」
ふとした拍子に、足元の小石に靴が引っかかった。
「おっと」と声を出した瞬間、背後から力強い腕が私の肩を支えた。
「……危ないと言っただろう」
至近距離から聞こえる、低い声。
そして、鼻腔をくすぐる、鉄と汗と、わずかなサンダルウッドの香り。
私の目の前には、キース様の太い腕があった。
鍛え上げられた前腕部。浮き出る青筋。
私は無意識に、その腕を「鑑定」するように指で触れた。
「……素晴らしい。硬すぎず、柔らかすぎず。皮膚の弾力も満点です。キース様、あなた、かなり良い食事をされていますね? あるいは、筋繊維の密度が常人とは根本的に違うのかしら」
「な……っ!? 君、何を触って……!」
キース様が弾かれたように手を離し、数歩後ずさった。
その顔は、耳の裏まで真っ赤に染まっている。
「失礼いたしました。職業病ですわ」
「どんな職業だ! 君は公爵令嬢だろう!」
「今は『自由な個人事業主』を目指しているところです。……さて、キース様。明日から、ここに工事が入ります。騒がしくなりますが、騎士団の皆様には『新しいスポンサーが来た』とお伝えください」
「スポンサー……?」
「ええ。私がお金に糸目をつけずに建設するのは、ただの家ではありません。騎士団の福利厚生を全面的にバックアップする『アステリア・マッスル・ヴィラ』。……これこそが、私の新事業の第一歩なのです」
キース様は、もはや反論する気力も失ったのか、天を仰いで深く嘆いた。
その様子すらも、上腕三頭筋が美しく強調されていて、私は内心で算盤をパチリと弾いた。
(価値:プライスレス。やはり、この土地の取得は大正解でしたわ)
空は青く、筋肉は輝いている。
私の輝かしい独身生活(と趣味の実益化)は、まだ始まったばかりだ。
そこは、近衛騎士団が日々汗を流す訓練場の、まさに「目と鼻の先」だった。
「……本気か? アステリア公嬢。ここは元々、有事の際の資材置き場として確保されていた場所だ。お世辞にも、公爵令嬢が住むような優雅な立地ではないぞ」
案内役のキース様が、心底不思議そうに私を振り返った。
彼の背後では、若手騎士たちが上半身裸で巨大な木槌を振り下ろし、丸太を叩き割るという素晴らしい訓練に励んでいる。
「キース様。優雅さなどという実体のない付加価値は、私にとって不要です。重要なのは『利便性』と『景観』、そして『供給源への近さ』。この一点に尽きますわ」
「供給源……? 何の供給源だ」
「……栄養ですわ。魂の」
私は扇で口元を隠し、じっと騎士たちの動きを観察した。
振り下ろされる木槌。連動して収縮する大胸筋。そして、浮き上がる腹斜筋のライン。
素晴らしい。ここはただの空き地ではない。神々が集うオリンポス山も同然だ。
「ここなら、二階のバルコニーから俯瞰で第一訓練場が見渡せますわね。三階の書斎からは第二訓練場を。……よし、設計変更です。東側の壁はすべて全面ガラス張りにいたしましょう」
「待て。それでは騎士団のプライバシーが丸見えではないか。訓練の様子を外部に漏らすのは軍事機密に触れる恐れがある」
「あら、ご心配なく。私は機密保持の魔法契約書(マジック・コントラクト)を百枚単位で常備しております。それに、私はただ『見る』だけ。見ることは、空気中の酸素を吸うのと同じ。罪には問われませんわ」
私は懐から、今度は設計図を取り出した。
驚くべきことに、昨夜の婚約破棄から今朝までの数時間で、私は既に建築業者への手配と図面の素案を済ませていた。
「パチ、パチパチ……。建材は耐震性に優れた黒御影石。防音魔法を施した壁。そして、何より重要なのが地下室へのプロテイン貯蔵庫ですわね」
「ぷろてい……? 何だそれは」
「騎士の皆様の筋肉を、より効率的に、より美しく育てるための魔法の粉末ですわ。後ほど、試供品を騎士団に寄贈させていただきます。その代わり、訓練の時間を一時間早めていただきたい。私の出勤前の『鑑賞時間』を確保するために」
「断る。公権力を私的に利用しようとするな」
キース様が呆れたようにため息をついた。
しかし、その拍子に彼の首筋の血管がピクリと動く。
私は逃さなかった。その「怒り」によって生じる筋肉の緊張すらも、私にとっては至高の芸術だ。
「キース様。そんなに怖い顔をしないでください。私はこれでも、殿下という不良債権を清算して、人生の再起動(リブート)を図っている最中なのです。少しは同情していただけませんか?」
「……昨日から見ているが、君は同情されるようなタマではないだろう。あのセドリック殿下を算盤一つで黙らせる令嬢など、この国には君しかいない」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……さあ、キース様。土地の境界線を確認しましょう。ここからあそこまで、すべて私の『聖域』にさせていただきます」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、草むらをズカズカと歩き出した。
令嬢らしからぬ行動に、キース様が慌てて後を追ってくる。
「おい、足元が悪い。転んだらどうする」
「大丈夫です。私の足腰は、毎日の計算業務と騎士団観察で鍛えられていますから」
「観察と言うな、せめて視察と言え」
ふとした拍子に、足元の小石に靴が引っかかった。
「おっと」と声を出した瞬間、背後から力強い腕が私の肩を支えた。
「……危ないと言っただろう」
至近距離から聞こえる、低い声。
そして、鼻腔をくすぐる、鉄と汗と、わずかなサンダルウッドの香り。
私の目の前には、キース様の太い腕があった。
鍛え上げられた前腕部。浮き出る青筋。
私は無意識に、その腕を「鑑定」するように指で触れた。
「……素晴らしい。硬すぎず、柔らかすぎず。皮膚の弾力も満点です。キース様、あなた、かなり良い食事をされていますね? あるいは、筋繊維の密度が常人とは根本的に違うのかしら」
「な……っ!? 君、何を触って……!」
キース様が弾かれたように手を離し、数歩後ずさった。
その顔は、耳の裏まで真っ赤に染まっている。
「失礼いたしました。職業病ですわ」
「どんな職業だ! 君は公爵令嬢だろう!」
「今は『自由な個人事業主』を目指しているところです。……さて、キース様。明日から、ここに工事が入ります。騒がしくなりますが、騎士団の皆様には『新しいスポンサーが来た』とお伝えください」
「スポンサー……?」
「ええ。私がお金に糸目をつけずに建設するのは、ただの家ではありません。騎士団の福利厚生を全面的にバックアップする『アステリア・マッスル・ヴィラ』。……これこそが、私の新事業の第一歩なのです」
キース様は、もはや反論する気力も失ったのか、天を仰いで深く嘆いた。
その様子すらも、上腕三頭筋が美しく強調されていて、私は内心で算盤をパチリと弾いた。
(価値:プライスレス。やはり、この土地の取得は大正解でしたわ)
空は青く、筋肉は輝いている。
私の輝かしい独身生活(と趣味の実益化)は、まだ始まったばかりだ。
1
あなたにおすすめの小説
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
[完結]気付いたらザマァしてました(お姉ちゃんと遊んでた日常報告してただけなのに)
みちこ
恋愛
お姉ちゃんの婚約者と知らないお姉さんに、大好きなお姉ちゃんとの日常を報告してただけなのにザマァしてたらしいです
顔文字があるけどウザかったらすみません
王太子妃に興味はないのに
藤田菜
ファンタジー
眉目秀麗で芸術的才能もある第一王子に比べ、内気で冴えない第二王子に嫁いだアイリス。周囲にはその立場を憐れまれ、第一王子妃には冷たく当たられる。しかし誰に何と言われようとも、アイリスには関係ない。アイリスのすべきことはただ一つ、第二王子を支えることだけ。
その結果誰もが羨む王太子妃という立場になろうとも、彼女は何も変わらない。王太子妃に興味はないのだ。アイリスが興味があるものは、ただ一つだけ。
婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話
ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。
リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。
婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。
どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。
死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて……
※正常な人があまりいない話です。
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる