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王宮の北側に広がる、手入れの行き届いた広大な空き地。
そこは、近衛騎士団が日々汗を流す訓練場の、まさに「目と鼻の先」だった。
「……本気か? アステリア公嬢。ここは元々、有事の際の資材置き場として確保されていた場所だ。お世辞にも、公爵令嬢が住むような優雅な立地ではないぞ」
案内役のキース様が、心底不思議そうに私を振り返った。
彼の背後では、若手騎士たちが上半身裸で巨大な木槌を振り下ろし、丸太を叩き割るという素晴らしい訓練に励んでいる。
「キース様。優雅さなどという実体のない付加価値は、私にとって不要です。重要なのは『利便性』と『景観』、そして『供給源への近さ』。この一点に尽きますわ」
「供給源……? 何の供給源だ」
「……栄養ですわ。魂の」
私は扇で口元を隠し、じっと騎士たちの動きを観察した。
振り下ろされる木槌。連動して収縮する大胸筋。そして、浮き上がる腹斜筋のライン。
素晴らしい。ここはただの空き地ではない。神々が集うオリンポス山も同然だ。
「ここなら、二階のバルコニーから俯瞰で第一訓練場が見渡せますわね。三階の書斎からは第二訓練場を。……よし、設計変更です。東側の壁はすべて全面ガラス張りにいたしましょう」
「待て。それでは騎士団のプライバシーが丸見えではないか。訓練の様子を外部に漏らすのは軍事機密に触れる恐れがある」
「あら、ご心配なく。私は機密保持の魔法契約書(マジック・コントラクト)を百枚単位で常備しております。それに、私はただ『見る』だけ。見ることは、空気中の酸素を吸うのと同じ。罪には問われませんわ」
私は懐から、今度は設計図を取り出した。
驚くべきことに、昨夜の婚約破棄から今朝までの数時間で、私は既に建築業者への手配と図面の素案を済ませていた。
「パチ、パチパチ……。建材は耐震性に優れた黒御影石。防音魔法を施した壁。そして、何より重要なのが地下室へのプロテイン貯蔵庫ですわね」
「ぷろてい……? 何だそれは」
「騎士の皆様の筋肉を、より効率的に、より美しく育てるための魔法の粉末ですわ。後ほど、試供品を騎士団に寄贈させていただきます。その代わり、訓練の時間を一時間早めていただきたい。私の出勤前の『鑑賞時間』を確保するために」
「断る。公権力を私的に利用しようとするな」
キース様が呆れたようにため息をついた。
しかし、その拍子に彼の首筋の血管がピクリと動く。
私は逃さなかった。その「怒り」によって生じる筋肉の緊張すらも、私にとっては至高の芸術だ。
「キース様。そんなに怖い顔をしないでください。私はこれでも、殿下という不良債権を清算して、人生の再起動(リブート)を図っている最中なのです。少しは同情していただけませんか?」
「……昨日から見ているが、君は同情されるようなタマではないだろう。あのセドリック殿下を算盤一つで黙らせる令嬢など、この国には君しかいない」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……さあ、キース様。土地の境界線を確認しましょう。ここからあそこまで、すべて私の『聖域』にさせていただきます」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、草むらをズカズカと歩き出した。
令嬢らしからぬ行動に、キース様が慌てて後を追ってくる。
「おい、足元が悪い。転んだらどうする」
「大丈夫です。私の足腰は、毎日の計算業務と騎士団観察で鍛えられていますから」
「観察と言うな、せめて視察と言え」
ふとした拍子に、足元の小石に靴が引っかかった。
「おっと」と声を出した瞬間、背後から力強い腕が私の肩を支えた。
「……危ないと言っただろう」
至近距離から聞こえる、低い声。
そして、鼻腔をくすぐる、鉄と汗と、わずかなサンダルウッドの香り。
私の目の前には、キース様の太い腕があった。
鍛え上げられた前腕部。浮き出る青筋。
私は無意識に、その腕を「鑑定」するように指で触れた。
「……素晴らしい。硬すぎず、柔らかすぎず。皮膚の弾力も満点です。キース様、あなた、かなり良い食事をされていますね? あるいは、筋繊維の密度が常人とは根本的に違うのかしら」
「な……っ!? 君、何を触って……!」
キース様が弾かれたように手を離し、数歩後ずさった。
その顔は、耳の裏まで真っ赤に染まっている。
「失礼いたしました。職業病ですわ」
「どんな職業だ! 君は公爵令嬢だろう!」
「今は『自由な個人事業主』を目指しているところです。……さて、キース様。明日から、ここに工事が入ります。騒がしくなりますが、騎士団の皆様には『新しいスポンサーが来た』とお伝えください」
「スポンサー……?」
「ええ。私がお金に糸目をつけずに建設するのは、ただの家ではありません。騎士団の福利厚生を全面的にバックアップする『アステリア・マッスル・ヴィラ』。……これこそが、私の新事業の第一歩なのです」
キース様は、もはや反論する気力も失ったのか、天を仰いで深く嘆いた。
その様子すらも、上腕三頭筋が美しく強調されていて、私は内心で算盤をパチリと弾いた。
(価値:プライスレス。やはり、この土地の取得は大正解でしたわ)
空は青く、筋肉は輝いている。
私の輝かしい独身生活(と趣味の実益化)は、まだ始まったばかりだ。
そこは、近衛騎士団が日々汗を流す訓練場の、まさに「目と鼻の先」だった。
「……本気か? アステリア公嬢。ここは元々、有事の際の資材置き場として確保されていた場所だ。お世辞にも、公爵令嬢が住むような優雅な立地ではないぞ」
案内役のキース様が、心底不思議そうに私を振り返った。
彼の背後では、若手騎士たちが上半身裸で巨大な木槌を振り下ろし、丸太を叩き割るという素晴らしい訓練に励んでいる。
「キース様。優雅さなどという実体のない付加価値は、私にとって不要です。重要なのは『利便性』と『景観』、そして『供給源への近さ』。この一点に尽きますわ」
「供給源……? 何の供給源だ」
「……栄養ですわ。魂の」
私は扇で口元を隠し、じっと騎士たちの動きを観察した。
振り下ろされる木槌。連動して収縮する大胸筋。そして、浮き上がる腹斜筋のライン。
素晴らしい。ここはただの空き地ではない。神々が集うオリンポス山も同然だ。
「ここなら、二階のバルコニーから俯瞰で第一訓練場が見渡せますわね。三階の書斎からは第二訓練場を。……よし、設計変更です。東側の壁はすべて全面ガラス張りにいたしましょう」
「待て。それでは騎士団のプライバシーが丸見えではないか。訓練の様子を外部に漏らすのは軍事機密に触れる恐れがある」
「あら、ご心配なく。私は機密保持の魔法契約書(マジック・コントラクト)を百枚単位で常備しております。それに、私はただ『見る』だけ。見ることは、空気中の酸素を吸うのと同じ。罪には問われませんわ」
私は懐から、今度は設計図を取り出した。
驚くべきことに、昨夜の婚約破棄から今朝までの数時間で、私は既に建築業者への手配と図面の素案を済ませていた。
「パチ、パチパチ……。建材は耐震性に優れた黒御影石。防音魔法を施した壁。そして、何より重要なのが地下室へのプロテイン貯蔵庫ですわね」
「ぷろてい……? 何だそれは」
「騎士の皆様の筋肉を、より効率的に、より美しく育てるための魔法の粉末ですわ。後ほど、試供品を騎士団に寄贈させていただきます。その代わり、訓練の時間を一時間早めていただきたい。私の出勤前の『鑑賞時間』を確保するために」
「断る。公権力を私的に利用しようとするな」
キース様が呆れたようにため息をついた。
しかし、その拍子に彼の首筋の血管がピクリと動く。
私は逃さなかった。その「怒り」によって生じる筋肉の緊張すらも、私にとっては至高の芸術だ。
「キース様。そんなに怖い顔をしないでください。私はこれでも、殿下という不良債権を清算して、人生の再起動(リブート)を図っている最中なのです。少しは同情していただけませんか?」
「……昨日から見ているが、君は同情されるようなタマではないだろう。あのセドリック殿下を算盤一つで黙らせる令嬢など、この国には君しかいない」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……さあ、キース様。土地の境界線を確認しましょう。ここからあそこまで、すべて私の『聖域』にさせていただきます」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、草むらをズカズカと歩き出した。
令嬢らしからぬ行動に、キース様が慌てて後を追ってくる。
「おい、足元が悪い。転んだらどうする」
「大丈夫です。私の足腰は、毎日の計算業務と騎士団観察で鍛えられていますから」
「観察と言うな、せめて視察と言え」
ふとした拍子に、足元の小石に靴が引っかかった。
「おっと」と声を出した瞬間、背後から力強い腕が私の肩を支えた。
「……危ないと言っただろう」
至近距離から聞こえる、低い声。
そして、鼻腔をくすぐる、鉄と汗と、わずかなサンダルウッドの香り。
私の目の前には、キース様の太い腕があった。
鍛え上げられた前腕部。浮き出る青筋。
私は無意識に、その腕を「鑑定」するように指で触れた。
「……素晴らしい。硬すぎず、柔らかすぎず。皮膚の弾力も満点です。キース様、あなた、かなり良い食事をされていますね? あるいは、筋繊維の密度が常人とは根本的に違うのかしら」
「な……っ!? 君、何を触って……!」
キース様が弾かれたように手を離し、数歩後ずさった。
その顔は、耳の裏まで真っ赤に染まっている。
「失礼いたしました。職業病ですわ」
「どんな職業だ! 君は公爵令嬢だろう!」
「今は『自由な個人事業主』を目指しているところです。……さて、キース様。明日から、ここに工事が入ります。騒がしくなりますが、騎士団の皆様には『新しいスポンサーが来た』とお伝えください」
「スポンサー……?」
「ええ。私がお金に糸目をつけずに建設するのは、ただの家ではありません。騎士団の福利厚生を全面的にバックアップする『アステリア・マッスル・ヴィラ』。……これこそが、私の新事業の第一歩なのです」
キース様は、もはや反論する気力も失ったのか、天を仰いで深く嘆いた。
その様子すらも、上腕三頭筋が美しく強調されていて、私は内心で算盤をパチリと弾いた。
(価値:プライスレス。やはり、この土地の取得は大正解でしたわ)
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