婚約破棄は蜜の味! ~追放された悪役令嬢〜

夏乃みのり

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数日後、私たちは王都に到着した。
久しぶりに吸う王都の空気は、北の領地に比べてどこか埃っぽくてせわしない匂いがした。

「リーリア様、ご安心ください。私が、貴女様の半径三メートル以内にはいかなる不審な輩も近づけさせません」

王都の公爵邸へ向かう馬車の中、私の護衛騎士様は、鎧でも着ているかのようにガチガチに緊張していた。
そのあまりの硬直ぶりに、私は思わずくすりと笑ってしまう。

「ふふ、頼もしいですこと。では、わたくしの心の平穏は、団長にお任せいたしますわね」

「はっ! お任せください!」

この真面目すぎる騎士との道中は、思ったよりも退屈しなかった。
彼の朴念仁ぶりをからかうのが、最近の私のささやかな楽しみになっている。

そして、運命の建国記念式典、その初日の夜会。
煌びやかなシャンデリアが輝く、王宮の大広間。
私がアシュトン団長を伴ってその場に足を踏み入れた瞬間、あれほど賑やかだった会場が、水を打ったように静まり返った。

全ての視線が、値踏みするように、あるいは好奇に満ちた眼差しで、私に突き刺さる。
(まあ、皆様、お行儀が悪いですこと)
私は少しも臆することなく、背筋を伸ばし、完璧な淑女の笑みを浮かべてみせた。
隣で、アシュトン団長が全身から「触れる者は斬る」という凄まじい気迫を放っているのが、頼もしい。

会場の奥、玉座の前には、国王陛下と王妃殿下、そして、ジークフリード殿下と、その隣で寄り添うように立つエミリアさんの姿があった。
目が合ったジークフリード殿下が、気まずそうに視線を逸らす。
エミリアさんは私を睨みつけ、扇で強く顔を扇いでいた。

(さて、面倒なご挨拶は、さっさと済ませてしまいましょう)

国王陛下と王妃殿下への挨拶を恙無く終え、私たちは当たり障りのない会話を交わす。
その時だった。
一人の恰幅の良い紳士が、私たちの方へ近づいてきた。
隣国、ガルニア帝国の特命大使、ゲルハルト公爵だ。
彼は、気難しく、そして非常に愛国心の強い人物として知られている。

「これは、ジークフリード殿下。そして、こちらが新しいご婚約者のエミリア嬢ですかな」

「ええ、大使。私の愛する女性です」

ジークフリード殿下の紹介を受け、エミリアさんはこれ以上ないほど甘い笑顔で、カーテシーをした。

「エミリア・ローゼンと申しますわ、ゲルハルト大使。お噂はかねがね」

ここまでは良かった。
しかし、彼女は舞い上がってしまったのだろう。
余計な一言を付け加えてしまったのだ。

「大使の故郷、ガルニア帝国は、『黒狼の国』と呼ばれるほど、勇壮な黒狼を大切にされているとか。素敵ですわね! わたくし、黒くてふわふわしたものが大好きなんです! あの毛皮を纏えば、さぞ暖かいのでしょうね!」

その瞬間、場の空気が、急速に凍りついていくのが分かった。
アシュトン団長が、隣で息を呑む気配がする。

無理もない。
ガルニア帝国において、「黒狼」は神聖な生き物。国の象徴であり、民の魂そのものとされている。
それを「毛皮」などと表現するのは、相手の国の国旗を暖炉の薪にしたい、と言うのと同義の、最大の侮辱だった。

ゲルハルト大使の温和だった表情が、みるみるうちに能面のように無表情になる。

「……ほう。我が帝国の魂を……毛皮、と申されましたかな」

「え、ええ! だって、素敵ですもの!」

何も気づかないエミリアさんは、無邪気に微笑んでいる。
ジークフリード殿下の顔からは、さっと血の気が引いていた。
まずい。これは、ただの失言では済まない。国際問題に発展しかねない。

(……はぁ。面倒くさいこと、この上ないですわ)

私は、心の中で本日何度目かのため息をつくと、すっと一歩前に出た。

「ゲルハルト大使、大変ご無沙汰しております。クライネルト公爵家が長女、リーリアにございます」

私が完璧な礼と共にそう言うと、大使は少しだけ驚いた顔で私を見た。

「おお、これはリーリア嬢。息災であったか」

「はい、大使のおかげをもちまして。それより、先ほどのエミリア様のお言葉ですが、少し誤解があるようですわ」

私はエミリアさんの前に立つと、優雅に微笑んだ。

「エミリア様は、大使の故郷で『幸運の象徴』とされている、白い霊鳥『アルビナ』について、大変深い興味をお持ちなのです。その純白の羽は、決して狩ることなく、自然に抜け落ちたものだけを集めて、王家の婚礼の儀に使われるとか。その神聖な文化の素晴らしさを、わたくし、妃教育の折に学び、深く感銘を受けました」

私は、エミリアさんが言った「黒」を「白」に、「毛皮」を「羽」に、「黒狼」を「霊鳥アルビナ」に、瞬時にすり替えた。
そして、侮辱の言葉を相手国への敬意と賞賛の言葉へと、完璧に変換してみせたのだ。

ゲルハルト大使の険しい表情が、ゆっくりと和らいでいく。

「……ほう。白い霊鳥、アルビナのことをご存知であったか。さすがは、クライネルト公爵令嬢。妃教育でよく学ばれておられる」

「もったいないお言葉ですわ」

危機は、去った。
周囲で固まっていた貴族たちから、ほっとしたような小さなため息が漏れる。

ジークフリード殿下は、安堵の表情を浮かべると同時に、何とも言えない、屈辱と後悔が入り混じった顔で私を見ていた。
自分の手で切り捨てた女に、国を救われたのだ。その心境は複雑だろう。

当のエミリアさんはといえば、助けられたことにも気づかず(あるいは、認めたくなくて)、ただ唇を噛み締め、悔しそうに私を睨みつけているだけだった。

「はぁ……疲れましたわ」

一仕事終えた私は、そっとその場を離れ、アシュトン団長と共に、テラスへと向かった。

「……リーリア様。お見事でございました」

隣で、アシュトン団長が、心からの尊敬を込めた声で呟いた。

「別に、あの方を助けたわけではありませんわ。ただ、クライネルト家の、いえ、この国の恥になるのを、未然に防いだだけのこと。全く、面倒なことでしたわ」

そう言って夜風にあたる私の横顔を、アシュトン団長が熱の籠もった瞳で見つめていることに、私はまだ気づいていなかった。
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