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「……痛い痛い痛い! コルセットの紐、あと三センチ緩めて! 内臓が破裂する!」
私の悲鳴が、客間の更衣室に響き渡る。
今日はアイザック公爵の誕生パーティー当日。
私は朝から、五人の侍女に取り囲まれ、「磨き上げ」という名の拷問を受けていた。
「我慢してください、クリム様! これは『戦装束』ですよ!」
侍女長が鬼の形相で紐を締め上げる。
「閣下のパートナーとして、他の貴族令嬢に舐められるわけにはいきません! さあ、息を吐いて! お腹を凹ませて!」
「これ以上凹みません! 私の胃袋はブラックホールじゃありませんよ!?」
「いいえ、今日だけはブラックホールになっていただきます! さあ、仕上げのパウダーを!」
バフッ!
顔面に粉を叩きつけられ、私は咳き込んだ。
一週間前の「レジナルド殿下・投獄事件」から、城内は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
地下牢の元王子からは「ハンバーグが食べたい」だの「枕が硬い」だのという文句(騒音)が聞こえてくるし、セバスチャンは国王陛下を迎える準備で白目を剥いている。
そんな中でのパーティー開催だ。
私の神経は、バイオリンの弦のように張り詰めていた。
「……終わりましたわ、クリム様」
一時間後。
鏡の前に立たされた私は、自分の姿を見て瞬きをした。
そこにいたのは、いつもの地味な補佐官服を着た私ではなく……。
深いワインレッドのドレスを纏った、見知らぬ美女だった。
背中は大胆に開き、スカートはドレープを描いて優雅に広がる。
髪は複雑に編み込まれ、ダイヤモンドの髪飾りが煌めいていた。
「……誰ですか、これ。悪の女幹部ですか?」
「絶世の美女とお呼びください! ああ、素晴らしい……これなら閣下もイチコロです!」
侍女たちがキャーキャーと騒ぐ。
私はため息をつき、重たいドレスの裾を持ち上げた。
「イチコロにするつもりはありません。私の任務は、パーティーの進行管理と、酔っ払ったボスの回収、そして……あの地下の囚人たちが脱走しないか監視することです」
「夢がないですねぇ。さあ、行ってらっしゃいませ!」
背中を押され、私は廊下へと放り出された。
カツ、カツ、カツ。
慣れないハイヒールで、慎重に大階段へと向かう。
階段の上には、すでに主役が待っていた。
アイザック公爵。
彼は今日、いつものラフな格好ではなく、純白の礼服に青いサッシュを身に着けていた。
金髪はオールバックに整えられ、その立ち姿はまさに「物語の王子様」そのものだ。
(地下にいる本物の王子より、よほど王子らしいわね……)
私が階段を登っていくと、彼がこちらに気づき、振り返った。
そして、動きを止めた。
「……」
彼が何も言わないので、私は不安になって自分の顔を触った。
「……なんですか、ボス。そんなに凝視して。鼻毛でも出ていますか?」
「……いや」
公爵は、ようやく瞬きをした。
そして、どこか熱っぽい瞳で、私のつま先から頭のてっぺんまでをゆっくりと見つめた。
「……綺麗だ」
「は?」
「言葉を失うというのは、こういうことか。……クリム、君は本当に、私が知る限り世界で一番美しい」
直球すぎる賛辞。
しかも、いつもの軽口のトーンではない。
本気で感嘆している声だ。
ドクン。
心臓が跳ねた。
コルセットのせいではない。
顔に熱が集まるのを感じる。
「……世辞は結構です。どうせ『ドレスが』美しいんでしょう」
私は顔を背けて誤魔化した。
「中身はいつもの可愛げのない毒舌女ですよ。騙されないでください」
「中身も含めて言っているんだがな」
公爵は苦笑しながら、私の手を取った。
そして、その甲にそっと口づけを落とした。
「……っ!?」
「エスコートさせてくれ、私の毒舌姫(プリンセス)。君が隣にいてくれないと、私は緊張してスピーチで『ポエム』を詠んでしまいそうだ」
「そ、それは阻止しなければなりませんね……!」
私は動揺を隠すように、彼の手を強く握り返した。
その手は温かく、私の震えを包み込んでくれるようだった。
◇
大広間の扉が開くと、そこは別世界だった。
煌めくシャンデリア、生演奏のオーケストラ、そして色とりどりのドレスを着た貴族たち。
数百人の視線が、一斉に私たちに向けられる。
「アイザック公爵閣下のご入場です!」
割れんばかりの拍手。
公爵は余裕の笑みで手を振りながら、私を伴って会場の中央へと進む。
「……ボス。視線が痛いです。私が『あの噂の悪女か』と値踏みされています」
私は唇を動かさずに囁いた。
「胸を張れ。君は悪女ではない。私の最高のパートナーだ」
「パートナーというより、猛獣使いですけどね」
私たちはメインテーブルに着いた。
そこからは、地獄の挨拶タイムだ。
「おめでとうございます、閣下! いやあ、今夜も麗しい!」
「こちらの女性が噂の……ほう、なんと美しい!」
次々と寄ってくる貴族たち。
私は淑女の仮面(営業用スマイル)を貼り付け、完璧に対応した。
「ありがとうございます。閣下も大変喜んでおられますわ」
「ええ、領地のワインは最高ですね。後ほど発注させていただきます」
その手際の良さに、公爵が感心したように耳打ちしてくる。
「すごいな。私の代わりに全部喋ってくれている」
「貴方が喋ると『つまらない』とか『帰りたい』とか本音が漏れそうなので、私がフィルタリングしているんです。感謝してください」
「ああ、感謝している。……だが、あの男はどうする?」
公爵が目配せした先には、一人の脂ぎった中年男性がいた。
彼はニヤニヤしながら、私の体を舐めるように見ている。
「やあやあ、公爵様。そちらが王国の『傷物令嬢』ですか? 噂より上玉ですな。どうです、私が安く引き取りましょうか?」
空気が凍った。
アイザック公爵の笑顔が消え、瞳が絶対零度になる。
「……今、なんと?」
「いやあ、公爵様も遊び相手には飽きるでしょう? 使い古しなら、私が……」
公爵がワイングラスを握りしめ、パリーンと音がしそうになった時。
私はスッと前に出た。
「ごきげんよう、男爵様。随分と素晴らしい『審美眼』をお持ちですね」
「お、おう?」
「私の価値を『安く』見積もるとは。貴方の商売が上手くいっていない理由が分かりましたわ。物の価値を見抜けない節穴……いえ、曇った眼をお持ちのようですもの」
「な、なんだと!?」
「それに『使い古し』? 訂正していただきたいですわ。私は誰の手垢もついていない新品同様、むしろ研磨されて輝きを増したダイヤモンドです。貴方のような、油汚れのついた手で触れていい代物ではありません」
私は扇子で口元を隠し、冷ややかに見下ろした。
「触りたければ、まずはその腹の贅肉を削ぎ落とし、マナー教室に三十年通ってから出直してきてくださいませ。……もっとも、その頃には貴方の寿命が尽きているでしょうけれど」
男爵は顔を真っ赤にして、パクパクと口を開閉させた後、逃げるように去っていった。
周囲の貴族たちが「おお……」「あの方、強い……」とざわめく。
公爵は、こらえきれないように吹き出した。
「くく……ははは! 『寿命が尽きている』か! 最高だ!」
「笑い事じゃありません。あのような害虫をパーティーに招いた選定基準を見直す必要があります」
「頼もしいな。……さて、そろそろ音楽が変わるぞ」
公爵の言葉通り、オーケストラの曲調が、優雅なワルツへと変わった。
会場の照明が少し落ち、ロマンチックな雰囲気になる。
公爵が、改めて私に向き直った。
「クリム・ベルベット嬢」
彼は優雅に一礼し、右手を差し出した。
「私と、一曲踊っていただけますか?」
周囲の注目が集まる。
ここで断れば公爵の顔に泥を塗ることになる。
それに……。
(……悔しいけど、かっこいいのよね)
私は小さくため息をつき、その手に自分の手を重ねた。
「……足を踏んでも、文句を言わないでくださいね?」
「望むところだ。君になら踏まれても本望だよ」
「ドM発言はやめてください」
私たちはホールの中央へと進み出た。
公爵の手が私の腰に添えられる。
その手は熱く、ドレス越しでも体温が伝わってくるようだった。
音楽に合わせて、ステップを踏む。
ターン、タタ、ターン。
意外なことに、公爵のリードは完璧だった。
私がバランスを崩しそうになっても、絶妙な力加減で支えてくれる。
まるで、私の思考を読んでいるかのように。
「……上手ですね」
「君こそ。羽根のように軽い」
公爵の顔が近づく。
至近距離で見つめ合う。
青い瞳に、私が映っている。
「クリム。……今日の君は、本当に素敵だ」
甘い声。
吐息がかかる距離。
「……ボス。近いです。ソーシャルディスタンスを」
「嫌だ。もっと近くにいたい」
公爵はさらに私を引き寄せた。
胸と胸が触れ合う。
私の心臓の音が、彼に聞こえてしまいそうだ。
「……君は、まだ元の国に戻りたいと思うか?」
回転しながら、彼が問う。
「……戻りませんよ」
私は答えた。
「あんな泥団子王子がいる国なんて、願い下げです。それに……」
「それに?」
「……今の職場、結構気に入っていますから」
素直になれない精一杯の言葉。
それでも、公爵には伝わったようだ。
彼は破顔し、世界で一番幸せそうな顔をした。
「そうか。……なら、私は全力を尽くして君を繋ぎ止めよう。給料アップでも、焼き芋でも、なんでも用意する」
「……焼き芋で釣れると思わないでください。……スイートポテトなら考えますけど」
「交渉成立だ」
最後のターンが決まり、音楽が終わる。
私たちはポーズを決めたまま、見つめ合った。
会場から割れんばかりの拍手が起こる。
けれど、今の私には、目の前の男の笑顔と、自分の心臓の音しか聞こえなかった。
(……ああ、まずいわ)
私は自覚してしまった。
この居心地の良さ。
この胸の高鳴り。
私はもう、完全に「陥落」しかけている。
その時だった。
『……アイザック。随分と楽しそうだな』
会場の入口から、重低音の声が響いた。
音楽も、拍手も、一瞬で消え失せた。
空気が、ビリビリと震えるほどの威圧感。
私と公爵が振り返ると、そこには一人の初老の男性が立っていた。
アイザック公爵によく似た面立ちだが、その瞳はもっと鋭く、そして歴戦の覇気を纏っている。
その後ろには、武装した近衛騎士団。
そして、なぜか縄で縛られ、猿ぐつわをされたレジナルド殿下とモモが転がされていた。
「……父上?」
レジナルド殿下の父。
つまり、隣国の国王陛下だ。
国王は、氷のような目で私を見据えた。
『その女が、我が愚息をたぶらかし、あまつさえ牢にぶち込んだという傾国の悪女か?』
会場中が静まり返る。
これは、パーティーの余興ではない。
外交問題(リアル・トラブル)の勃発だ。
私は公爵の腕の中で、冷や汗をかきながらも、ニヤリと笑った。
(……ドレスアップしておいて正解だったわ。これは、ダンスどころか「戦争」になりそうね)
私の悲鳴が、客間の更衣室に響き渡る。
今日はアイザック公爵の誕生パーティー当日。
私は朝から、五人の侍女に取り囲まれ、「磨き上げ」という名の拷問を受けていた。
「我慢してください、クリム様! これは『戦装束』ですよ!」
侍女長が鬼の形相で紐を締め上げる。
「閣下のパートナーとして、他の貴族令嬢に舐められるわけにはいきません! さあ、息を吐いて! お腹を凹ませて!」
「これ以上凹みません! 私の胃袋はブラックホールじゃありませんよ!?」
「いいえ、今日だけはブラックホールになっていただきます! さあ、仕上げのパウダーを!」
バフッ!
顔面に粉を叩きつけられ、私は咳き込んだ。
一週間前の「レジナルド殿下・投獄事件」から、城内は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
地下牢の元王子からは「ハンバーグが食べたい」だの「枕が硬い」だのという文句(騒音)が聞こえてくるし、セバスチャンは国王陛下を迎える準備で白目を剥いている。
そんな中でのパーティー開催だ。
私の神経は、バイオリンの弦のように張り詰めていた。
「……終わりましたわ、クリム様」
一時間後。
鏡の前に立たされた私は、自分の姿を見て瞬きをした。
そこにいたのは、いつもの地味な補佐官服を着た私ではなく……。
深いワインレッドのドレスを纏った、見知らぬ美女だった。
背中は大胆に開き、スカートはドレープを描いて優雅に広がる。
髪は複雑に編み込まれ、ダイヤモンドの髪飾りが煌めいていた。
「……誰ですか、これ。悪の女幹部ですか?」
「絶世の美女とお呼びください! ああ、素晴らしい……これなら閣下もイチコロです!」
侍女たちがキャーキャーと騒ぐ。
私はため息をつき、重たいドレスの裾を持ち上げた。
「イチコロにするつもりはありません。私の任務は、パーティーの進行管理と、酔っ払ったボスの回収、そして……あの地下の囚人たちが脱走しないか監視することです」
「夢がないですねぇ。さあ、行ってらっしゃいませ!」
背中を押され、私は廊下へと放り出された。
カツ、カツ、カツ。
慣れないハイヒールで、慎重に大階段へと向かう。
階段の上には、すでに主役が待っていた。
アイザック公爵。
彼は今日、いつものラフな格好ではなく、純白の礼服に青いサッシュを身に着けていた。
金髪はオールバックに整えられ、その立ち姿はまさに「物語の王子様」そのものだ。
(地下にいる本物の王子より、よほど王子らしいわね……)
私が階段を登っていくと、彼がこちらに気づき、振り返った。
そして、動きを止めた。
「……」
彼が何も言わないので、私は不安になって自分の顔を触った。
「……なんですか、ボス。そんなに凝視して。鼻毛でも出ていますか?」
「……いや」
公爵は、ようやく瞬きをした。
そして、どこか熱っぽい瞳で、私のつま先から頭のてっぺんまでをゆっくりと見つめた。
「……綺麗だ」
「は?」
「言葉を失うというのは、こういうことか。……クリム、君は本当に、私が知る限り世界で一番美しい」
直球すぎる賛辞。
しかも、いつもの軽口のトーンではない。
本気で感嘆している声だ。
ドクン。
心臓が跳ねた。
コルセットのせいではない。
顔に熱が集まるのを感じる。
「……世辞は結構です。どうせ『ドレスが』美しいんでしょう」
私は顔を背けて誤魔化した。
「中身はいつもの可愛げのない毒舌女ですよ。騙されないでください」
「中身も含めて言っているんだがな」
公爵は苦笑しながら、私の手を取った。
そして、その甲にそっと口づけを落とした。
「……っ!?」
「エスコートさせてくれ、私の毒舌姫(プリンセス)。君が隣にいてくれないと、私は緊張してスピーチで『ポエム』を詠んでしまいそうだ」
「そ、それは阻止しなければなりませんね……!」
私は動揺を隠すように、彼の手を強く握り返した。
その手は温かく、私の震えを包み込んでくれるようだった。
◇
大広間の扉が開くと、そこは別世界だった。
煌めくシャンデリア、生演奏のオーケストラ、そして色とりどりのドレスを着た貴族たち。
数百人の視線が、一斉に私たちに向けられる。
「アイザック公爵閣下のご入場です!」
割れんばかりの拍手。
公爵は余裕の笑みで手を振りながら、私を伴って会場の中央へと進む。
「……ボス。視線が痛いです。私が『あの噂の悪女か』と値踏みされています」
私は唇を動かさずに囁いた。
「胸を張れ。君は悪女ではない。私の最高のパートナーだ」
「パートナーというより、猛獣使いですけどね」
私たちはメインテーブルに着いた。
そこからは、地獄の挨拶タイムだ。
「おめでとうございます、閣下! いやあ、今夜も麗しい!」
「こちらの女性が噂の……ほう、なんと美しい!」
次々と寄ってくる貴族たち。
私は淑女の仮面(営業用スマイル)を貼り付け、完璧に対応した。
「ありがとうございます。閣下も大変喜んでおられますわ」
「ええ、領地のワインは最高ですね。後ほど発注させていただきます」
その手際の良さに、公爵が感心したように耳打ちしてくる。
「すごいな。私の代わりに全部喋ってくれている」
「貴方が喋ると『つまらない』とか『帰りたい』とか本音が漏れそうなので、私がフィルタリングしているんです。感謝してください」
「ああ、感謝している。……だが、あの男はどうする?」
公爵が目配せした先には、一人の脂ぎった中年男性がいた。
彼はニヤニヤしながら、私の体を舐めるように見ている。
「やあやあ、公爵様。そちらが王国の『傷物令嬢』ですか? 噂より上玉ですな。どうです、私が安く引き取りましょうか?」
空気が凍った。
アイザック公爵の笑顔が消え、瞳が絶対零度になる。
「……今、なんと?」
「いやあ、公爵様も遊び相手には飽きるでしょう? 使い古しなら、私が……」
公爵がワイングラスを握りしめ、パリーンと音がしそうになった時。
私はスッと前に出た。
「ごきげんよう、男爵様。随分と素晴らしい『審美眼』をお持ちですね」
「お、おう?」
「私の価値を『安く』見積もるとは。貴方の商売が上手くいっていない理由が分かりましたわ。物の価値を見抜けない節穴……いえ、曇った眼をお持ちのようですもの」
「な、なんだと!?」
「それに『使い古し』? 訂正していただきたいですわ。私は誰の手垢もついていない新品同様、むしろ研磨されて輝きを増したダイヤモンドです。貴方のような、油汚れのついた手で触れていい代物ではありません」
私は扇子で口元を隠し、冷ややかに見下ろした。
「触りたければ、まずはその腹の贅肉を削ぎ落とし、マナー教室に三十年通ってから出直してきてくださいませ。……もっとも、その頃には貴方の寿命が尽きているでしょうけれど」
男爵は顔を真っ赤にして、パクパクと口を開閉させた後、逃げるように去っていった。
周囲の貴族たちが「おお……」「あの方、強い……」とざわめく。
公爵は、こらえきれないように吹き出した。
「くく……ははは! 『寿命が尽きている』か! 最高だ!」
「笑い事じゃありません。あのような害虫をパーティーに招いた選定基準を見直す必要があります」
「頼もしいな。……さて、そろそろ音楽が変わるぞ」
公爵の言葉通り、オーケストラの曲調が、優雅なワルツへと変わった。
会場の照明が少し落ち、ロマンチックな雰囲気になる。
公爵が、改めて私に向き直った。
「クリム・ベルベット嬢」
彼は優雅に一礼し、右手を差し出した。
「私と、一曲踊っていただけますか?」
周囲の注目が集まる。
ここで断れば公爵の顔に泥を塗ることになる。
それに……。
(……悔しいけど、かっこいいのよね)
私は小さくため息をつき、その手に自分の手を重ねた。
「……足を踏んでも、文句を言わないでくださいね?」
「望むところだ。君になら踏まれても本望だよ」
「ドM発言はやめてください」
私たちはホールの中央へと進み出た。
公爵の手が私の腰に添えられる。
その手は熱く、ドレス越しでも体温が伝わってくるようだった。
音楽に合わせて、ステップを踏む。
ターン、タタ、ターン。
意外なことに、公爵のリードは完璧だった。
私がバランスを崩しそうになっても、絶妙な力加減で支えてくれる。
まるで、私の思考を読んでいるかのように。
「……上手ですね」
「君こそ。羽根のように軽い」
公爵の顔が近づく。
至近距離で見つめ合う。
青い瞳に、私が映っている。
「クリム。……今日の君は、本当に素敵だ」
甘い声。
吐息がかかる距離。
「……ボス。近いです。ソーシャルディスタンスを」
「嫌だ。もっと近くにいたい」
公爵はさらに私を引き寄せた。
胸と胸が触れ合う。
私の心臓の音が、彼に聞こえてしまいそうだ。
「……君は、まだ元の国に戻りたいと思うか?」
回転しながら、彼が問う。
「……戻りませんよ」
私は答えた。
「あんな泥団子王子がいる国なんて、願い下げです。それに……」
「それに?」
「……今の職場、結構気に入っていますから」
素直になれない精一杯の言葉。
それでも、公爵には伝わったようだ。
彼は破顔し、世界で一番幸せそうな顔をした。
「そうか。……なら、私は全力を尽くして君を繋ぎ止めよう。給料アップでも、焼き芋でも、なんでも用意する」
「……焼き芋で釣れると思わないでください。……スイートポテトなら考えますけど」
「交渉成立だ」
最後のターンが決まり、音楽が終わる。
私たちはポーズを決めたまま、見つめ合った。
会場から割れんばかりの拍手が起こる。
けれど、今の私には、目の前の男の笑顔と、自分の心臓の音しか聞こえなかった。
(……ああ、まずいわ)
私は自覚してしまった。
この居心地の良さ。
この胸の高鳴り。
私はもう、完全に「陥落」しかけている。
その時だった。
『……アイザック。随分と楽しそうだな』
会場の入口から、重低音の声が響いた。
音楽も、拍手も、一瞬で消え失せた。
空気が、ビリビリと震えるほどの威圧感。
私と公爵が振り返ると、そこには一人の初老の男性が立っていた。
アイザック公爵によく似た面立ちだが、その瞳はもっと鋭く、そして歴戦の覇気を纏っている。
その後ろには、武装した近衛騎士団。
そして、なぜか縄で縛られ、猿ぐつわをされたレジナルド殿下とモモが転がされていた。
「……父上?」
レジナルド殿下の父。
つまり、隣国の国王陛下だ。
国王は、氷のような目で私を見据えた。
『その女が、我が愚息をたぶらかし、あまつさえ牢にぶち込んだという傾国の悪女か?』
会場中が静まり返る。
これは、パーティーの余興ではない。
外交問題(リアル・トラブル)の勃発だ。
私は公爵の腕の中で、冷や汗をかきながらも、ニヤリと笑った。
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