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翌朝。
小鳥のさえずりがチュンチュンと聞こえる爽やかな朝……には程遠い、地獄のような朝だった。
「……あたまが、割れる……」
執務室のソファには、昨夜の「物語の王子様」の面影など微塵もない、一人の屍(しかばね)が転がっていた。
アイザック公爵である。
彼はクッションを抱きしめ、土気色の顔で呻いている。
「……クリム。私の頭の中に小人が住み着いて、工事を始めたようだ。ガンガンとハンマーで叩いている……」
「それは二日酔いです、ボス。昨晩あれだけ『祝い酒だ!』と浴びるように飲めば、小人どころか巨人が盆踊りをしてもおかしくありません」
私は冷淡に言い放ち、彼に「特製ドリンク」を突きつけた。
「はい、どうぞ。セバスチャン直伝の『迎え酒』ならぬ『迎え地獄ドリンク』です。生卵と酢とタバスコと、正体不明の健康ハーブが入っています」
「……色が、毒々しい紫なんだが」
「良薬口に苦しと言います。さあ、一気に!」
公爵は涙目でグラスを煽り、そして「ぐふっ!」とむせて、そのまま白目を剥いて気絶した。
よし、これで少しは大人しくなるだろう。
私はため息をつき、自分の席に着いた。
さて、仕事を始めようか……と思った、その時だ。
「失礼いたします、公爵妃(こうしゃくひ)殿下!」
元気よく入ってきたのは、あの「ポエム禁止令」で私の信者となった文官たちだ。
「……誰が妃殿下ですか。訂正しなさい。私は筆頭補佐官です」
「いえいえ、ご謙遜を! 昨夜のパーティーでのあのご活躍! 隣国の国王陛下を一喝し、レジナルド殿下を撃退した武勇伝! 城下町ではすでに『ガレリアのジャンヌ・ダルク』『氷の公爵を溶かした聖女』と伝説になっていますよ!」
「聖女じゃありません。どちらかと言えば、氷を砕いたピッケルです」
私が訂正しても、文官たちはニコニコと耳を貸さない。
「それに、見てください! 今朝だけで、これだけの『お祝いの品』が届いております!」
彼らが運び込んできたのは、山のようなプレゼントの箱だった。
執務室の半分が埋まる量だ。
「……なんですか、これ」
「国内外の貴族からです。『アイザック公爵とクリム・ベルベット嬢の婚約を祝して』と」
「婚約していません」
「えっ? でも閣下は昨夜、『彼女は私のものだ』と宣言されたとか……?」
「あれは『優秀な部下は渡さない』という意味です。所有権の主張であって、婚姻の意思表示ではありません」
私が必死に弁解していると、ソファの死体がむくりと起き上がった。
「……うう……クリム……」
公爵がよろよろと近づいてくる。
その目は虚ろで、まだ半分夢の中にいるようだ。
「……水……」
「はいはい、水ですね」
私が水差しを取ろうとした瞬間、公爵が私の腰に抱きついた。
背後から、ガバッと。
「ひゃっ!?」
「……充電……」
公爵は私の背中に顔を擦り付け、猫のように甘えた声を出した。
「……クリムがいないと、死ぬ……」
「ちょ、ボス!? 離れてください! 部下が見ています! 誤解されます!!」
「誤解じゃない……。君は、私の……大事な……」
公爵はそこまで言うと、再び「スピー……」と寝息を立てて、私の背中で立ち寝を始めた。
全体重がかかってくる。重い。
文官たちが、顔を見合わせてニマーッと笑った。
「……『大事な』、頂きましたー!!」
「いやー、熱いですねぇ! 朝からご馳走様です!」
「これはもう、婚約発表の準備を進めておいた方がよろしいですね!」
「ち、違います!! これは単なるアルコールの副作用です!! 正常な判断能力を失っているだけです!!」
私が叫んでも、彼らは「はいはい、お幸せに」という顔で生温かく見守るだけだ。
「……もう嫌、この職場」
私は公爵(大型犬)を引き剥がすのを諦め、背負ったまま書類仕事を始めた。
これが、「ガレリアの氷の女神」と呼ばれる私の、情けない実態である。
◇
午後。
ようやく復活したアイザック公爵は、ケロッとした顔で書類にサインをしていた。
「やあ、すまなかったねクリム。午前中の記憶が飛んでいるんだが、何か変なことはしなかったか?」
「……セクハラと、事実上の婚約宣言をなさいました」
「ほう? それは朗報だ」
「どこがですか! おかげで城中の使用人が、私を見ると『奥様』と呼ぶようになりました! どう責任を取るんですか!」
私が抗議すると、公爵はペンを回しながらニヤリと笑った。
「責任? 取ればいいのだろう? つまり、本当に結婚すれば……」
「その話は、貴方の血中アルコール濃度がゼロになり、かつ私の年収が今の十倍になったら聞きます」
私がバッサリ切り捨てると、公爵は「厳しいなぁ」と肩をすくめた。
「まあいい。それよりクリム、新しい仕事だ」
公爵は一枚の招待状を差し出した。
「来週、帝都で『大舞踏会』が開かれる。皇帝陛下主催だ」
「……嫌な予感がします。パスできませんか?」
「無理だ。我が家は筆頭公爵家だからな。それに……皇帝陛下が『あの噂の毒舌令嬢を見てみたい』と仰っているらしい」
「……見世物小屋の珍獣じゃないんですよ」
「諦めろ。君の名声は、もう大陸中に轟いている。『隣国のバカ王子を論破し、氷の公爵を手玉に取る最強の女』としてな」
公爵は楽しそうに言った。
「というわけで、クリム。今度は帝都へ出張だ。……準備をしてくれ」
「準備とは?」
「もちろん、『皇帝陛下を退屈させないための漫才のネタ作り』と……『私を他の令嬢から守るための魔除けのドレス』の準備だ」
私は天を仰いだ。
お忍び視察、国王襲来、そして次は皇帝謁見。
難易度がインフレを起こしている。
「……承知いたしました、ボス。特別手当、期待していますからね」
「ああ。君の望むままに」
公爵は優しく微笑んだ。
「さあ、行こうかクリム。次の戦場が我々を待っている」
こうして、私の「悪役令嬢(補佐官)」としての毎日は、休まることなく続いていくのだった。
小鳥のさえずりがチュンチュンと聞こえる爽やかな朝……には程遠い、地獄のような朝だった。
「……あたまが、割れる……」
執務室のソファには、昨夜の「物語の王子様」の面影など微塵もない、一人の屍(しかばね)が転がっていた。
アイザック公爵である。
彼はクッションを抱きしめ、土気色の顔で呻いている。
「……クリム。私の頭の中に小人が住み着いて、工事を始めたようだ。ガンガンとハンマーで叩いている……」
「それは二日酔いです、ボス。昨晩あれだけ『祝い酒だ!』と浴びるように飲めば、小人どころか巨人が盆踊りをしてもおかしくありません」
私は冷淡に言い放ち、彼に「特製ドリンク」を突きつけた。
「はい、どうぞ。セバスチャン直伝の『迎え酒』ならぬ『迎え地獄ドリンク』です。生卵と酢とタバスコと、正体不明の健康ハーブが入っています」
「……色が、毒々しい紫なんだが」
「良薬口に苦しと言います。さあ、一気に!」
公爵は涙目でグラスを煽り、そして「ぐふっ!」とむせて、そのまま白目を剥いて気絶した。
よし、これで少しは大人しくなるだろう。
私はため息をつき、自分の席に着いた。
さて、仕事を始めようか……と思った、その時だ。
「失礼いたします、公爵妃(こうしゃくひ)殿下!」
元気よく入ってきたのは、あの「ポエム禁止令」で私の信者となった文官たちだ。
「……誰が妃殿下ですか。訂正しなさい。私は筆頭補佐官です」
「いえいえ、ご謙遜を! 昨夜のパーティーでのあのご活躍! 隣国の国王陛下を一喝し、レジナルド殿下を撃退した武勇伝! 城下町ではすでに『ガレリアのジャンヌ・ダルク』『氷の公爵を溶かした聖女』と伝説になっていますよ!」
「聖女じゃありません。どちらかと言えば、氷を砕いたピッケルです」
私が訂正しても、文官たちはニコニコと耳を貸さない。
「それに、見てください! 今朝だけで、これだけの『お祝いの品』が届いております!」
彼らが運び込んできたのは、山のようなプレゼントの箱だった。
執務室の半分が埋まる量だ。
「……なんですか、これ」
「国内外の貴族からです。『アイザック公爵とクリム・ベルベット嬢の婚約を祝して』と」
「婚約していません」
「えっ? でも閣下は昨夜、『彼女は私のものだ』と宣言されたとか……?」
「あれは『優秀な部下は渡さない』という意味です。所有権の主張であって、婚姻の意思表示ではありません」
私が必死に弁解していると、ソファの死体がむくりと起き上がった。
「……うう……クリム……」
公爵がよろよろと近づいてくる。
その目は虚ろで、まだ半分夢の中にいるようだ。
「……水……」
「はいはい、水ですね」
私が水差しを取ろうとした瞬間、公爵が私の腰に抱きついた。
背後から、ガバッと。
「ひゃっ!?」
「……充電……」
公爵は私の背中に顔を擦り付け、猫のように甘えた声を出した。
「……クリムがいないと、死ぬ……」
「ちょ、ボス!? 離れてください! 部下が見ています! 誤解されます!!」
「誤解じゃない……。君は、私の……大事な……」
公爵はそこまで言うと、再び「スピー……」と寝息を立てて、私の背中で立ち寝を始めた。
全体重がかかってくる。重い。
文官たちが、顔を見合わせてニマーッと笑った。
「……『大事な』、頂きましたー!!」
「いやー、熱いですねぇ! 朝からご馳走様です!」
「これはもう、婚約発表の準備を進めておいた方がよろしいですね!」
「ち、違います!! これは単なるアルコールの副作用です!! 正常な判断能力を失っているだけです!!」
私が叫んでも、彼らは「はいはい、お幸せに」という顔で生温かく見守るだけだ。
「……もう嫌、この職場」
私は公爵(大型犬)を引き剥がすのを諦め、背負ったまま書類仕事を始めた。
これが、「ガレリアの氷の女神」と呼ばれる私の、情けない実態である。
◇
午後。
ようやく復活したアイザック公爵は、ケロッとした顔で書類にサインをしていた。
「やあ、すまなかったねクリム。午前中の記憶が飛んでいるんだが、何か変なことはしなかったか?」
「……セクハラと、事実上の婚約宣言をなさいました」
「ほう? それは朗報だ」
「どこがですか! おかげで城中の使用人が、私を見ると『奥様』と呼ぶようになりました! どう責任を取るんですか!」
私が抗議すると、公爵はペンを回しながらニヤリと笑った。
「責任? 取ればいいのだろう? つまり、本当に結婚すれば……」
「その話は、貴方の血中アルコール濃度がゼロになり、かつ私の年収が今の十倍になったら聞きます」
私がバッサリ切り捨てると、公爵は「厳しいなぁ」と肩をすくめた。
「まあいい。それよりクリム、新しい仕事だ」
公爵は一枚の招待状を差し出した。
「来週、帝都で『大舞踏会』が開かれる。皇帝陛下主催だ」
「……嫌な予感がします。パスできませんか?」
「無理だ。我が家は筆頭公爵家だからな。それに……皇帝陛下が『あの噂の毒舌令嬢を見てみたい』と仰っているらしい」
「……見世物小屋の珍獣じゃないんですよ」
「諦めろ。君の名声は、もう大陸中に轟いている。『隣国のバカ王子を論破し、氷の公爵を手玉に取る最強の女』としてな」
公爵は楽しそうに言った。
「というわけで、クリム。今度は帝都へ出張だ。……準備をしてくれ」
「準備とは?」
「もちろん、『皇帝陛下を退屈させないための漫才のネタ作り』と……『私を他の令嬢から守るための魔除けのドレス』の準備だ」
私は天を仰いだ。
お忍び視察、国王襲来、そして次は皇帝謁見。
難易度がインフレを起こしている。
「……承知いたしました、ボス。特別手当、期待していますからね」
「ああ。君の望むままに」
公爵は優しく微笑んだ。
「さあ、行こうかクリム。次の戦場が我々を待っている」
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