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「……おはようございます、ボ……いえ、あなた」
翌朝。
私はいつものように執務室に入ったが、その第一声は、蚊の羽音よりも小さかった。
「おはよう、クリム」
対するアイザック公爵は、朝日のように眩しい満面の笑みで待ち構えていた。
しかも、いつもは散らかっている書類が綺麗に片付いており、テーブルには豪華な花瓶に生けられた真紅の薔薇が飾られている。
「……なんですか、この浮かれた空間は。執務室が花畑になっていますよ」
「君を迎えるのに、殺風景な部屋では失礼だからね。どうだ? 私の愛の表現は」
「花粉症になりそうです」
私は照れ隠しにツッコミを入れつつ、席に着いた。
昨夜のバルコニーでの出来事が、鮮明に蘇る。
『妻になってほしい』『愛している』。
思い出すだけで、顔から火が出そうだ。
(……平常心よ、クリム。仕事は仕事。公私混同はしないのがポリシーでしょ)
私は深呼吸をして、万年筆を手に取った。
しかし、視線を感じる。
顔を上げると、公爵が頬杖をついて、じーっと私を見つめている。
「……仕事してください」
「君を見ているのが私の今の最重要任務だ」
「給料泥棒ですね」
「君が私の財布を握っているのだから、私が働かなくても君が困ることはないだろう?」
「……屁理屈が上手くなりましたね」
私が溜息をつくと、公爵は嬉しそうに立ち上がり、私の隣に来て、椅子ごと私を抱き寄せた。
「ひゃっ!?」
「クリム。まずは……報告といこうか」
「報告?」
「ああ。私たちの『新しい関係』を、城のみんなに知らせないと」
公爵はニヤリと笑い、卓上の呼び鈴を鳴らした。
チリンチリン。
その音が合図だったかのように、執務室の扉がバーン! と開かれた。
「お呼びでございますか! 閣下! 奥様!!」
セバスチャンを筆頭に、メイド、執事、料理長、庭師、衛兵隊長……総勢五十名ほどの使用人が、雪崩のように押し寄せてきた。
全員、手にはクラッカーや花束、そして「祝・ご婚約」と書かれた横断幕を持っている。
「……あの。これ、待ち構えていましたよね?」
私がジト目で見ると、セバスチャンがハンカチで涙を拭いながら答えた。
「もちろんですとも! 昨夜、バルコニーでのあの一部始終……私共、中庭の植え込みから全員で見守っておりましたから!」
「全員で!?」
「ええ! 閣下が膝をついた瞬間、料理長は感動のあまり玉ねぎを握りつぶし、メイド長は興奮して窓ガラスを拭き破りました!」
「器物破損です!」
「さあ皆様! 盛大なる祝福を!」
パーン! パーン! パパパーン!
クラッカーが一斉に鳴り響き、紙吹雪が舞う。
執務室が一瞬でパーティー会場と化した。
「おめでとうございます!!」
「やっとですね、閣下!」
「クリム様、いえ奥様! これからも閣下を尻に敷いてください!」
口々にお祝いの言葉が飛んでくる。
アイザック公爵は、私の肩を抱きながら、王者のように手を振っている。
「ありがとう、みんな! これからは夫婦共々、よろしく頼む!」
「……もう、どうにでもなれ」
私は諦めて、頭に乗った紙吹雪を払いながら、小さく笑った。
騒がしくて、お節介で、でも温かい人たち。
これが、私の新しい家族になるのだ。
◇
騒ぎがひと段落した後。
執務室には、私とアイザック公爵、そしてセバスチャンの三人が残った。
「さて……」
公爵が表情を引き締めた。
「城内の報告は済んだ。次は……対外的な報告だな」
「そうですね。皇帝陛下には書状で済むとして……問題は」
私は窓の外、遥か南の空を見た。
「私の実家……ベルベット侯爵家への挨拶です」
空気が重くなった。
アイザック公爵が、気まずそうに視線を逸らす。
「……なあ、クリム。手紙じゃ駄目かな?」
「駄目です。ケジメです」
「しかしだな……。私は君を連れ出す時、君の父親を脅迫しているんだぞ? 『闇賭博の証拠をばら撒くぞ』と言って」
「事実陳列罪ですね」
「しかも、その後ろで君は壺を投げようとしていた。……そんな修羅場の後に、『娘さんをください』と笑顔で訪問できるメンタルを、私は持ち合わせていない」
公爵は頭を抱えた。
あの「氷の公爵」が、完全にビビっている。
「大丈夫ですよ、あなた。父は権力に弱いですから、公爵様が行けばペコペコしますって」
「それが嫌なんだ。私は……君の家族とも、できれば良好な関係を築きたい」
公爵は真剣な目で私を見た。
「君を産み、育ててくれた人たちだ。脅して従わせるのではなく、ちゃんと認めてもらいたいんだ」
「……」
この人は、どこまでお人好しなのだろう。
あんな「娘を売ろうとした親」に対して、そこまで気を使うなんて。
「……分かりました。では、作戦を立てましょう」
私は机に地図を広げた。
「名付けて『オペレーション・親父転がし』です」
「……ネーミングセンスが相変わらずだな」
「まず、父の弱点は三つ。『権力』『金』そして『世間体』です」
「全部ろくでもないな」
「真正面から『愛しています』と言っても通じません。ですので、こう言います」
私は指揮棒(ペン)を振った。
「『お父様。ガレリアとの太いパイプがあれば、侯爵家の借金など一瞬で消えますよ? さらに、アイザック公爵の義父となれば、王国内での地位も爆上がりです』……と」
「……生々しいな」
「これが一番効くのです。そして、手土産には最高級のブランデーと、母には限定品の宝石を持って行きます。これで外堀は埋まります」
「物で釣るのか……」
「釣れる魚には適切な餌を。これ釣りの基本です」
公爵は複雑そうな顔をしていたが、やがて覚悟を決めたように頷いた。
「分かった。君の策に従おう。……だが、最後の決め台詞だけは、私の言葉で言わせてくれ」
「はいはい。ご自由にどうぞ」
こうして、私たちは数日後、ベルベット侯爵家へと向かうことになった。
それは、かつて私が「勘当」を言い渡され、飛び出した家。
(……お父様、お母様。覚悟していてくださいね)
私は心の中で、不敵に笑った。
あの時とは違う。
今の私には、最強のパートナー(と大量の手土産)がついているのだから。
「セバスチャン! 馬車の用意を! 一番高そうで、威圧感のあるやつで!」
「はっ! 黄金の馬車をご用意します!」
「あなた、服を着替えて! その『覇王』みたいなマントじゃなくて、もっと『好青年』に見える爽やかなやつに!」
「えっ、これ気に入ってるのに……」
「却下! 第一印象が勝負です!」
私たちの「里帰り」は、もはや「凱旋パレード」か「殴り込み」の様相を呈し始めていた。
翌朝。
私はいつものように執務室に入ったが、その第一声は、蚊の羽音よりも小さかった。
「おはよう、クリム」
対するアイザック公爵は、朝日のように眩しい満面の笑みで待ち構えていた。
しかも、いつもは散らかっている書類が綺麗に片付いており、テーブルには豪華な花瓶に生けられた真紅の薔薇が飾られている。
「……なんですか、この浮かれた空間は。執務室が花畑になっていますよ」
「君を迎えるのに、殺風景な部屋では失礼だからね。どうだ? 私の愛の表現は」
「花粉症になりそうです」
私は照れ隠しにツッコミを入れつつ、席に着いた。
昨夜のバルコニーでの出来事が、鮮明に蘇る。
『妻になってほしい』『愛している』。
思い出すだけで、顔から火が出そうだ。
(……平常心よ、クリム。仕事は仕事。公私混同はしないのがポリシーでしょ)
私は深呼吸をして、万年筆を手に取った。
しかし、視線を感じる。
顔を上げると、公爵が頬杖をついて、じーっと私を見つめている。
「……仕事してください」
「君を見ているのが私の今の最重要任務だ」
「給料泥棒ですね」
「君が私の財布を握っているのだから、私が働かなくても君が困ることはないだろう?」
「……屁理屈が上手くなりましたね」
私が溜息をつくと、公爵は嬉しそうに立ち上がり、私の隣に来て、椅子ごと私を抱き寄せた。
「ひゃっ!?」
「クリム。まずは……報告といこうか」
「報告?」
「ああ。私たちの『新しい関係』を、城のみんなに知らせないと」
公爵はニヤリと笑い、卓上の呼び鈴を鳴らした。
チリンチリン。
その音が合図だったかのように、執務室の扉がバーン! と開かれた。
「お呼びでございますか! 閣下! 奥様!!」
セバスチャンを筆頭に、メイド、執事、料理長、庭師、衛兵隊長……総勢五十名ほどの使用人が、雪崩のように押し寄せてきた。
全員、手にはクラッカーや花束、そして「祝・ご婚約」と書かれた横断幕を持っている。
「……あの。これ、待ち構えていましたよね?」
私がジト目で見ると、セバスチャンがハンカチで涙を拭いながら答えた。
「もちろんですとも! 昨夜、バルコニーでのあの一部始終……私共、中庭の植え込みから全員で見守っておりましたから!」
「全員で!?」
「ええ! 閣下が膝をついた瞬間、料理長は感動のあまり玉ねぎを握りつぶし、メイド長は興奮して窓ガラスを拭き破りました!」
「器物破損です!」
「さあ皆様! 盛大なる祝福を!」
パーン! パーン! パパパーン!
クラッカーが一斉に鳴り響き、紙吹雪が舞う。
執務室が一瞬でパーティー会場と化した。
「おめでとうございます!!」
「やっとですね、閣下!」
「クリム様、いえ奥様! これからも閣下を尻に敷いてください!」
口々にお祝いの言葉が飛んでくる。
アイザック公爵は、私の肩を抱きながら、王者のように手を振っている。
「ありがとう、みんな! これからは夫婦共々、よろしく頼む!」
「……もう、どうにでもなれ」
私は諦めて、頭に乗った紙吹雪を払いながら、小さく笑った。
騒がしくて、お節介で、でも温かい人たち。
これが、私の新しい家族になるのだ。
◇
騒ぎがひと段落した後。
執務室には、私とアイザック公爵、そしてセバスチャンの三人が残った。
「さて……」
公爵が表情を引き締めた。
「城内の報告は済んだ。次は……対外的な報告だな」
「そうですね。皇帝陛下には書状で済むとして……問題は」
私は窓の外、遥か南の空を見た。
「私の実家……ベルベット侯爵家への挨拶です」
空気が重くなった。
アイザック公爵が、気まずそうに視線を逸らす。
「……なあ、クリム。手紙じゃ駄目かな?」
「駄目です。ケジメです」
「しかしだな……。私は君を連れ出す時、君の父親を脅迫しているんだぞ? 『闇賭博の証拠をばら撒くぞ』と言って」
「事実陳列罪ですね」
「しかも、その後ろで君は壺を投げようとしていた。……そんな修羅場の後に、『娘さんをください』と笑顔で訪問できるメンタルを、私は持ち合わせていない」
公爵は頭を抱えた。
あの「氷の公爵」が、完全にビビっている。
「大丈夫ですよ、あなた。父は権力に弱いですから、公爵様が行けばペコペコしますって」
「それが嫌なんだ。私は……君の家族とも、できれば良好な関係を築きたい」
公爵は真剣な目で私を見た。
「君を産み、育ててくれた人たちだ。脅して従わせるのではなく、ちゃんと認めてもらいたいんだ」
「……」
この人は、どこまでお人好しなのだろう。
あんな「娘を売ろうとした親」に対して、そこまで気を使うなんて。
「……分かりました。では、作戦を立てましょう」
私は机に地図を広げた。
「名付けて『オペレーション・親父転がし』です」
「……ネーミングセンスが相変わらずだな」
「まず、父の弱点は三つ。『権力』『金』そして『世間体』です」
「全部ろくでもないな」
「真正面から『愛しています』と言っても通じません。ですので、こう言います」
私は指揮棒(ペン)を振った。
「『お父様。ガレリアとの太いパイプがあれば、侯爵家の借金など一瞬で消えますよ? さらに、アイザック公爵の義父となれば、王国内での地位も爆上がりです』……と」
「……生々しいな」
「これが一番効くのです。そして、手土産には最高級のブランデーと、母には限定品の宝石を持って行きます。これで外堀は埋まります」
「物で釣るのか……」
「釣れる魚には適切な餌を。これ釣りの基本です」
公爵は複雑そうな顔をしていたが、やがて覚悟を決めたように頷いた。
「分かった。君の策に従おう。……だが、最後の決め台詞だけは、私の言葉で言わせてくれ」
「はいはい。ご自由にどうぞ」
こうして、私たちは数日後、ベルベット侯爵家へと向かうことになった。
それは、かつて私が「勘当」を言い渡され、飛び出した家。
(……お父様、お母様。覚悟していてくださいね)
私は心の中で、不敵に笑った。
あの時とは違う。
今の私には、最強のパートナー(と大量の手土産)がついているのだから。
「セバスチャン! 馬車の用意を! 一番高そうで、威圧感のあるやつで!」
「はっ! 黄金の馬車をご用意します!」
「あなた、服を着替えて! その『覇王』みたいなマントじゃなくて、もっと『好青年』に見える爽やかなやつに!」
「えっ、これ気に入ってるのに……」
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