【完結】明日も、生きることにします

楽歩

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36.それぞれの者たち  side列席者の貴族 

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side列席者の貴族 



重厚な石張りの床が、地の底から這い上がるような力に微かに震えた。

この場所に相応しい静謐な気配が満ちていた聖堂の空気が、僅かにざわめいたのを、私は確かに感じた。

その静寂を断ち切ったのは、

――凛として、揺るぎない威厳を帯びた、大聖女の一声。



「光耀の癒聖、リディアナ・モンフォール。神より娘として認められし者。前へ」

名が告げられた瞬間、空気が一変した。

雷鳴が厚い雲を裂くかのような宣言。あまりにも直截で、否応なく耳に焼きつく。


「……モンフォール公爵家の令嬢……!」

私の隣にいた侯爵夫人が、半ば無意識に呟いた声が聞こえた。

誰もが驚きに目を見開き、互いに顔を見合わせ、囁きが飛び交う。緊張と疑念、そして嫉妬の入り混じったざわめき――

だが、すぐにそれを断ち切ったのは、教皇猊下の低く静かな声だった。


「皆が不思議に思っているようなのでここに告げる。光耀の癒聖はこれまで、魔道具で髪の色を隠していた。よって、別人ではなく、皆が知っている光耀の癒聖と同一人物だ」


床下から響き渡るようなその声に、私は自然と息を呑んだ。沈着でありながら、異様なほどの圧を帯びていた。真実の告白。

空間全体が震えたかのような錯覚を覚えた。

一瞬の沈黙ののち、堂内が沸騰する。


「そんな……あの方が……!」
「なんということだ」
「魔道具? なぜ、そんなことを」

囁きが波のように押し寄せ、思考を攫っていく。

差し込む陽光が大理石の壁に落ち、その中で「モンフォール」の姓を持つ聖女が、凜と立ち上っていた。


驚愕、混乱、畏怖、そして……己が立場への不安。我々来賓が座する聖堂の後ろは、すでに静寂とは程遠い空気に包まれていた。


「高貴なる血筋に宿る癒しの力……もしもっと早く知っていれば、我が領の疫病も未然に防げたかもしれぬ……平民だと侮っていた私のミスだ……」

誰かが低く呟いた言葉に、周囲の貴族たちは互いに顔を見合わせる。

ざわめきは瞬く間に広がり、沈黙の中で積もっていた不安と動揺を引きずり出していった。


「そういえば、神殿の上層部を一新したと聞いた……これはただの人事ではあるまい。まるで粛清のようだ」

「娘を冷遇された公爵家が動いたのでは? 聞けば、神官長が投獄されたというではないか」

「その噂、真実味があるぞ。神官長の姿は数日前からまったく見えない」

「つまり……これは粛清という名の裁きか」

「それにしても……彼女は平民の出と聞いていたのに。モンフォールとは・・・・・・あの由緒正しき公爵家……!」


断片的に交わされる言葉の一つひとつが、確信と疑念のあわいを漂いながら、私の耳に届く。
誰もが己の政情に無関係ではいられないと知っていた。

しかし、そんなざわめきの渦中にあって、大聖女だけは、嵐の目のように静かだった。揺るがぬ視線の先をまっすぐに見据え、わずかに唇を弓なりに持ち上げる。その柔らかな微笑みには、何もかもを赦す慈愛と、誰の声にも揺るがされぬ威厳が宿っていた。


「よく頑張りましたね、光耀の癒聖」

その慈愛に満ちた声が、聖堂の奥まで柔らかく響き渡った。まるで心に直接語りかけられたような錯覚に、我々は言葉を失う。

光耀の聖女は、胸元で両手を合わせ、深く頭を垂れながら、わずかに震える声で応じる。


「大聖女様のおかげです。神意を証しできたのは、すべて――」

彼女たちの手が触れ合った瞬間、大聖女の指先から溢れた光が、温かなオーロラのように聖堂を包み込んだ。

その香りは甘く、蜜のように濃密で、それでいてどこまでも優しかった。冷たく緊張していた空気が、春の陽気に抱かれるように解けていく。

それは祝福などという浅いものではなかった。

あの場にいた我々すべての胸の奥へと静かに、深く、染み渡っていく「証」だった。


「神は、あなたの成長を深く喜んでおられますよ」

大聖女の声が、再び響く。

彼女が差し出したその手は、白く、細く、春の日差しのようにあたたかい気配を放っていた。迷いながらも、光耀の聖女は確かな意思をもってその手を取る。

光がふわりと広がり、二人を中心に円を描いていく。

その光の中では、風さえも動きを止め、聖域にはただ神聖な沈黙と、光の脈動だけが残された。

我々は見ていた。


光の中に――選ばれた未来が宿った瞬間を。
そしてーー傍らにしゃがみ込んでいる選ばれなかった光の外の聖女たちの絶望を。



そして、儀は静かに幕を下ろした。

「それでは、これにて儀式を終了いたします。聖女たちとは後ほどお話ができるよう、ご家族の皆様は別室でお待ちください」

威厳に満ちた声が聖堂に響き渡り、我々来賓も、それに促されるように席を立った。

誰からともなく、礼を交わしながら出口へと歩き出す。絹の裾が床を擦る音だけが、しばし厳粛な空気の中に小さく響いていた。

やがて、聖女たちの家族もまた、次々に席を立つ。

だがその背には、明るさも誇りもなかった。静けさの中で浮かび上がるのは、失望、焦燥、そして言葉にすれば崩れてしまいそうな、複雑な感情。彼らはまるで、己が娘たちにもう用はないとでも言いたげに、無言で出口へと向かっていった。

――別室で聖女たちを待つ様子は、ない。

ただ一つ、その流れに逆らうように、動かぬ姿があった。

あの光耀の聖女の家族――モンフォール公爵家の面々だ。喜びと誇らしさに満ちたその表情からは、これから別室に赴き、娘をねぎらうつもりであることが明らかだった。彼らにとってこの日が、どれほど意味のあるものであったかは、誰の目にも明らかだった。

……いや、ほかにも残っている者がいる。


会場の片隅、他の視線に紛れるようにして、なお動かぬ二つの影があった。

ひとりの貴婦人と、ひとりの騎士。

彼らの瞳には、静かでありながら、揺るぎない決意の光が宿っていたが、その意味を私は、はかることは、できなかった。


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