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二人の誤解
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*遼介*
まさか、まさか、嘘だろう?
どうして松田先生がいるんだ?
また、よりを戻したとでもいうのか?
彩矢ちゃんからLINEの返信がこないのは、そういうことなのか……。
今までにもひどい仕打ちはされてきたけれど、今度ばかりはすぐには信じられなかった。
離婚までしたというのに、まだ未練があるのか。
松田先生が肩車をしていた雪花ちゃんを降ろして、レジャーシートに座っている彩矢ちゃんの隣に腰をおろした。
後ろからでは二人の表情までうかがい知ることはできないが、険悪な仲だとしたら隣にだって座ったりはしないだろう。
どこから見ても仲のよい普通の親子に見える。とても一ヶ月前に離婚したばかりの夫婦とは思えなかった。
義理の両親とも普通に会話を楽しんでいるように見える松田先生に、激しい嫉妬の感情がわき起こった。
そして、バニラアイスなんかをこじつけに、俺を見捨てようとしている彩矢ちゃんには、それ以上の憎しみを感じた。
悠李の走る姿を楽しむような心境にはとてもなれない。どこにいるのかを探す気力さえもうどこにも残ってはいなかった。
ひどいショックでめまいを起こしそうな気分になりながら、賑やかな音楽が鳴り響くグラウンドを後にした。
ひとり寂しくアパートへ帰り、ベッドへ倒れこむ。
こんなことなら沙織と別れたりするのではなかった。
また彩矢ちゃんに振りまわされ、どん底に突き落とされるなんて夢にも思わなかった。
俺が沙織とうまく別れられなかったのがいけなかったのか?
だけど、そんな一週間や十日で見放すような、そんな気持ちしか俺には持っていなかったのか。
早すぎるだろ。いくらなんでも早すぎだろう!
……沙織だって、
なんだよ、あいつ。
女なんて、みんな同じだな。
遼ちゃんがいないと生きていけないみたいなことを言ってたくせに、さっさと橋本に鞍がえして……。
心変わりしてしまった女を、未練がましく呪ってばかりいる自分が情けなく、やりきれない。
だけど、この苦しみからどうやって立ち直れって言うんだ。
彩矢ちゃん、彩矢ちゃん、ひどすぎるだろ。
……あんまりだ。
ヤケ酒を飲む気力さえもわかず、ベッドへ伏せったままむせび泣く。
もういい、もうたくさんだ、彩矢ちゃんは。
好きにすればいい。
だけどもう俺には二度と関わらないでくれ!
週が明け、彩矢ちゃんから何度かLINEに連絡があった。
“ お話があるので仕事が終わってから、会えませんか ” と。
既読スルーをして仕事に没頭する。
俺はかなりふて腐れていたし、なによりも彩矢ちゃんからの最後通告を恐れていた。
それとも、また気持ちが離れていく俺を、引き戻そうとでもしているのだろうか。
そんなシーソーゲームのような恋愛など、もうたくさんだ。
松田先生と仲良く暮らせばいい。もう俺を巻き込むな。
沙織の父親がとうとう亡くなったとのことだ。
昨日、橋本から連絡が来た。沙織はかなり不安定なので、葬儀が終わるまでついていてあげたいと言う。
特に面倒な検査の予約もないので、有給を取ってもいいと言った。
橋本がいてくれなかったら、俺がついてあげなくてはいけなかったんだ。
そう考えたら、少しくらい忙しい思いをしても、有給くらいは取らせてあげたい。
だけど今は、沙織のそばにいられる橋本が少し羨ましい気もした。
沙織、あんなに俺を頼ってくれたのに。
もう、完全にお払い箱なんだな。
俺はどうしようもないほど勝手なことを言ってる。
わかってる。あんなに冷たく沙織を捨てておいて、今さら何をいってるんだ。
自業自得だろ。
沙織は俺に捨てられて、もっといい男をつかんだんだ。
よかったな、沙織。
幸せになれよ。
仕事を終え、職員通用口を出ると飲料自販機の前に彩矢ちゃんが立っていた。
目をそらして通りすぎた俺を、彩矢ちゃんが追いかけてきた。
「佐野さん、待って、怒らないで。あんなこと言ったのは本心じゃないの。沙織さんと仲よくアイスなんか食べてるのが我慢できなくて、つい……。ごめんなさい、もう許して」
俺が怒っているのはそんなことじゃない。
他に隠していることがあるだろう。
松田先生とどんな話しをしているんだ。あのマンションで今また一緒に暮らしているのか?
ドロドロとしたマグマのような怒りが湧いてきたけれど、冷静を装った。
「そんなことは俺だって怒ってないよ。もっと他に言うべきことがあるだろう。だけどもういい。俺、聞きたくもないし、もう放っておいてくれないか」
冷たく言いはなち、彩矢ちゃんに背を向け、駐車場へ向かう。
車に乗り込み、まだ自販機の前で呆然とした様子で立っていた彩矢ちゃんの横を通過した。
彩矢ちゃんのことを諦めきれているわけではない。
本当は話を聞いてみたかった。彩矢ちゃんのどんな嘘っぽい言い訳だって信じたかった。
だけど、再三にわたってこんな酷い苦しみを平気で与える彩矢ちゃんが許せなかった。
松田先生とは今どんな関係なんだ!
俺が一番聞きたいのはそのことだ。
本当は一番聞きたくない答えが、彩矢ちゃんの口から飛び出すのを怖れて避けているのかもしれない。
二人は、離婚したばかりの夫婦にしては、あまりに仲むつまじく見えたから。
七月も半ばを迎え、北海道の夏でも汗ばむくらい暑いと感じる日が増えて来た。
初七日をすませた沙織がやっと職場復帰を果たし、お昼休みにレントゲン室へやって来た。
「あ、佐野さん、お久しぶり~ 元気だった?」
橋本も同じ部屋にいるのに、沙織は俺にだけ挨拶をした。
自分だけが部外者のような気分になり、居心地の悪さを感じる。
橋本に香典を立て替えてもらって、葬儀に出席はしなかったので、一応お悔やみの言葉を伝える。
「この度はご愁傷様。お父さん、残念だったな。大変だったろう。体はもう大丈夫か?」
「うん、……あの状態だと生きてるほうが父には辛いから、諦めはついてたの。私はもう大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。色々ありがとう」
父親の話になって少し寂しげな様子をみせたけれど、俺と一緒の頃よりはずっと元気に見えた。
げっそりしていた頬も少しふくらみを帯びて、肌ツヤがよかった。
なんとなく艶めいてさえ見えたのは、橋本の影響なのだろう。
以前なら橋本のほうが沙織を気遣って、あれやこれやと話しかけていたものだったけれど、今は無視したように車の雑誌をめくっている。
そんな気遣いのなさに尚一層、二人の親密さを感じた。
「ちょっと、売店に行ってくる」
椅子から立ちあがり、操作室を出た。
自販機で缶コーヒーを買い、どこで休もうか迷った末、カンファレンスの部屋をのぞいてみると誰もいなかった。
ホッとして窓際のイスに腰を下ろし、外の風景を眺めた。
病院の駐車場と交通量の多い一般道が見えるだけの、なんの変哲もない見慣れた風景。
彩矢ちゃんはどうしているだろう。
同じ病院で働いていても、病棟の看護師と顔を合わせることなど滅多にない。
あの日以来、彩矢ちゃんからのLINEは途絶えた。
俺から連絡をしなければ、このまま自然消滅ということになるのか。
すでに松田先生と暮らし始めて、俺とのことなど終わったことになっているのだろうか。
勝手にむくれて意地をはっていたけれど、すでに過去のことにされているのだとしたら、それはもう悲劇というよりも喜劇だ。
問いつめてみようか?
松田先生とのことを……。
そんなことを考えて迷っているうちに、昼休みが終わったのでレントゲン室へ戻った。
操作室のドアを開けようとしたら沙織のはじけるような笑い声がしたので思わずドアノブから手を離した。
どうしたらいいものかと迷っていると、ガチャリとドアが勢いよく開き、驚いた沙織と目が合った。
「わーっ、びっくりした!」
「あ、ご、ごめん。いま開けようとしたら、急に開いて」
立ち聞きでもしていたように思われただろうか。
沙織は少し顔を赤らめて、足早に去って行った。
バツの悪い顔で操作室に入ると、橋本もなんとなくそわそわして落ち着かない様子だった。
「佐野さん、すみません。なんか追い出してしまったみたいで、、」
橋本は焦ったように弁解して、顔を赤らめていた。二人でなにをしていたのか知らないけれど、お熱いことだ。
「気にするなよ。沙織はここが一番居心地がいいところだし、俺も邪魔はしたくないからな。カンファの部屋にいたんだ。誰もいないからゆっくり休めていいよ。今度からそこで休んでる」
「別に僕たちはいてくれても平気なんですけど、佐野さんのほうが居心地悪いですかね?」
「そうだな。今は一人の方が気楽だな。気にしないで沙織を幸せにしてやってくれ」
「ありがとうございます。佐野さんのほうはどうなんですか? 松田さんと年内には再婚されるんですか?」
「……いや、まだ具体的なことはなにも決まってないんだ」
暗く見えないように笑って誤魔化した。
再婚なんて今じゃ到底無理な話だ。
今度こそ、今度こそ彩矢ちゃんと一緒になれると信じていたのに……。
あの日、自販機の前で俺を待っていた彩矢ちゃんは、なにを伝えたかったのだろう。
やっと少しぐらいは話を聞いてあげられるほどに、昂ぶっていた感情は落ち着きを取り戻していた。
今日の帰り、会えるかどうかLINEで聞いてみる。
「聞きたいことがあるので、仕事が終わったあと会いたい」
この間の仕返しなのか、既読スルーされたまま返信はなかった。
そうなると益々逢いたい気持ちが高まって、仕事帰りの彩矢ちゃんを待ちぶせした。
いつもの飲料自販機の前で待っていたら、五分ほどして彩矢ちゃんが出てきた。俺が立っていることに気づいたようだったけれど、冷たく無視して通り過ぎた。
「待てよっ、別れの挨拶もないのか? 俺たちはもうこれでおしまいか!?」
立ち去る彩矢ちゃんにそう問いかけた。
「おしまいにしてしまったのは佐野さんでしょ。私のせいにしないで!」
彩矢ちゃんは振り返ると、怒りに燃えるような目で俺を見つめた。
「どういう意味だよ? 松田先生と会っていたくせに。またよりを戻したのか? 一体なんど裏切れば気がすむ? 俺を弄ぶのはそんなに楽しいか!?」
問いただしているうちに、みじめさと哀しみが込みあげ、無性に腹が立ってきた。
「なにを誤解しているの? 私は佐野さんを選んだのよ! そのせいで悠李と雪花を取られてしまうかも知れないんだから。そんなことになったのはみんな、みんな、佐野さんのせいだわ!!」
彩矢ちゃんはワナワナと震える唇で、やっとそれだけ言うと、“ わっ ” と泣きだして駆けていった。
どういうことだ?
佐野さんを選んだ?
そのせいで悠李と雪花ちゃんを取られる?
それがみんな俺のせい……。
まさか、まさか、嘘だろう?
どうして松田先生がいるんだ?
また、よりを戻したとでもいうのか?
彩矢ちゃんからLINEの返信がこないのは、そういうことなのか……。
今までにもひどい仕打ちはされてきたけれど、今度ばかりはすぐには信じられなかった。
離婚までしたというのに、まだ未練があるのか。
松田先生が肩車をしていた雪花ちゃんを降ろして、レジャーシートに座っている彩矢ちゃんの隣に腰をおろした。
後ろからでは二人の表情までうかがい知ることはできないが、険悪な仲だとしたら隣にだって座ったりはしないだろう。
どこから見ても仲のよい普通の親子に見える。とても一ヶ月前に離婚したばかりの夫婦とは思えなかった。
義理の両親とも普通に会話を楽しんでいるように見える松田先生に、激しい嫉妬の感情がわき起こった。
そして、バニラアイスなんかをこじつけに、俺を見捨てようとしている彩矢ちゃんには、それ以上の憎しみを感じた。
悠李の走る姿を楽しむような心境にはとてもなれない。どこにいるのかを探す気力さえもうどこにも残ってはいなかった。
ひどいショックでめまいを起こしそうな気分になりながら、賑やかな音楽が鳴り響くグラウンドを後にした。
ひとり寂しくアパートへ帰り、ベッドへ倒れこむ。
こんなことなら沙織と別れたりするのではなかった。
また彩矢ちゃんに振りまわされ、どん底に突き落とされるなんて夢にも思わなかった。
俺が沙織とうまく別れられなかったのがいけなかったのか?
だけど、そんな一週間や十日で見放すような、そんな気持ちしか俺には持っていなかったのか。
早すぎるだろ。いくらなんでも早すぎだろう!
……沙織だって、
なんだよ、あいつ。
女なんて、みんな同じだな。
遼ちゃんがいないと生きていけないみたいなことを言ってたくせに、さっさと橋本に鞍がえして……。
心変わりしてしまった女を、未練がましく呪ってばかりいる自分が情けなく、やりきれない。
だけど、この苦しみからどうやって立ち直れって言うんだ。
彩矢ちゃん、彩矢ちゃん、ひどすぎるだろ。
……あんまりだ。
ヤケ酒を飲む気力さえもわかず、ベッドへ伏せったままむせび泣く。
もういい、もうたくさんだ、彩矢ちゃんは。
好きにすればいい。
だけどもう俺には二度と関わらないでくれ!
週が明け、彩矢ちゃんから何度かLINEに連絡があった。
“ お話があるので仕事が終わってから、会えませんか ” と。
既読スルーをして仕事に没頭する。
俺はかなりふて腐れていたし、なによりも彩矢ちゃんからの最後通告を恐れていた。
それとも、また気持ちが離れていく俺を、引き戻そうとでもしているのだろうか。
そんなシーソーゲームのような恋愛など、もうたくさんだ。
松田先生と仲良く暮らせばいい。もう俺を巻き込むな。
沙織の父親がとうとう亡くなったとのことだ。
昨日、橋本から連絡が来た。沙織はかなり不安定なので、葬儀が終わるまでついていてあげたいと言う。
特に面倒な検査の予約もないので、有給を取ってもいいと言った。
橋本がいてくれなかったら、俺がついてあげなくてはいけなかったんだ。
そう考えたら、少しくらい忙しい思いをしても、有給くらいは取らせてあげたい。
だけど今は、沙織のそばにいられる橋本が少し羨ましい気もした。
沙織、あんなに俺を頼ってくれたのに。
もう、完全にお払い箱なんだな。
俺はどうしようもないほど勝手なことを言ってる。
わかってる。あんなに冷たく沙織を捨てておいて、今さら何をいってるんだ。
自業自得だろ。
沙織は俺に捨てられて、もっといい男をつかんだんだ。
よかったな、沙織。
幸せになれよ。
仕事を終え、職員通用口を出ると飲料自販機の前に彩矢ちゃんが立っていた。
目をそらして通りすぎた俺を、彩矢ちゃんが追いかけてきた。
「佐野さん、待って、怒らないで。あんなこと言ったのは本心じゃないの。沙織さんと仲よくアイスなんか食べてるのが我慢できなくて、つい……。ごめんなさい、もう許して」
俺が怒っているのはそんなことじゃない。
他に隠していることがあるだろう。
松田先生とどんな話しをしているんだ。あのマンションで今また一緒に暮らしているのか?
ドロドロとしたマグマのような怒りが湧いてきたけれど、冷静を装った。
「そんなことは俺だって怒ってないよ。もっと他に言うべきことがあるだろう。だけどもういい。俺、聞きたくもないし、もう放っておいてくれないか」
冷たく言いはなち、彩矢ちゃんに背を向け、駐車場へ向かう。
車に乗り込み、まだ自販機の前で呆然とした様子で立っていた彩矢ちゃんの横を通過した。
彩矢ちゃんのことを諦めきれているわけではない。
本当は話を聞いてみたかった。彩矢ちゃんのどんな嘘っぽい言い訳だって信じたかった。
だけど、再三にわたってこんな酷い苦しみを平気で与える彩矢ちゃんが許せなかった。
松田先生とは今どんな関係なんだ!
俺が一番聞きたいのはそのことだ。
本当は一番聞きたくない答えが、彩矢ちゃんの口から飛び出すのを怖れて避けているのかもしれない。
二人は、離婚したばかりの夫婦にしては、あまりに仲むつまじく見えたから。
七月も半ばを迎え、北海道の夏でも汗ばむくらい暑いと感じる日が増えて来た。
初七日をすませた沙織がやっと職場復帰を果たし、お昼休みにレントゲン室へやって来た。
「あ、佐野さん、お久しぶり~ 元気だった?」
橋本も同じ部屋にいるのに、沙織は俺にだけ挨拶をした。
自分だけが部外者のような気分になり、居心地の悪さを感じる。
橋本に香典を立て替えてもらって、葬儀に出席はしなかったので、一応お悔やみの言葉を伝える。
「この度はご愁傷様。お父さん、残念だったな。大変だったろう。体はもう大丈夫か?」
「うん、……あの状態だと生きてるほうが父には辛いから、諦めはついてたの。私はもう大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。色々ありがとう」
父親の話になって少し寂しげな様子をみせたけれど、俺と一緒の頃よりはずっと元気に見えた。
げっそりしていた頬も少しふくらみを帯びて、肌ツヤがよかった。
なんとなく艶めいてさえ見えたのは、橋本の影響なのだろう。
以前なら橋本のほうが沙織を気遣って、あれやこれやと話しかけていたものだったけれど、今は無視したように車の雑誌をめくっている。
そんな気遣いのなさに尚一層、二人の親密さを感じた。
「ちょっと、売店に行ってくる」
椅子から立ちあがり、操作室を出た。
自販機で缶コーヒーを買い、どこで休もうか迷った末、カンファレンスの部屋をのぞいてみると誰もいなかった。
ホッとして窓際のイスに腰を下ろし、外の風景を眺めた。
病院の駐車場と交通量の多い一般道が見えるだけの、なんの変哲もない見慣れた風景。
彩矢ちゃんはどうしているだろう。
同じ病院で働いていても、病棟の看護師と顔を合わせることなど滅多にない。
あの日以来、彩矢ちゃんからのLINEは途絶えた。
俺から連絡をしなければ、このまま自然消滅ということになるのか。
すでに松田先生と暮らし始めて、俺とのことなど終わったことになっているのだろうか。
勝手にむくれて意地をはっていたけれど、すでに過去のことにされているのだとしたら、それはもう悲劇というよりも喜劇だ。
問いつめてみようか?
松田先生とのことを……。
そんなことを考えて迷っているうちに、昼休みが終わったのでレントゲン室へ戻った。
操作室のドアを開けようとしたら沙織のはじけるような笑い声がしたので思わずドアノブから手を離した。
どうしたらいいものかと迷っていると、ガチャリとドアが勢いよく開き、驚いた沙織と目が合った。
「わーっ、びっくりした!」
「あ、ご、ごめん。いま開けようとしたら、急に開いて」
立ち聞きでもしていたように思われただろうか。
沙織は少し顔を赤らめて、足早に去って行った。
バツの悪い顔で操作室に入ると、橋本もなんとなくそわそわして落ち着かない様子だった。
「佐野さん、すみません。なんか追い出してしまったみたいで、、」
橋本は焦ったように弁解して、顔を赤らめていた。二人でなにをしていたのか知らないけれど、お熱いことだ。
「気にするなよ。沙織はここが一番居心地がいいところだし、俺も邪魔はしたくないからな。カンファの部屋にいたんだ。誰もいないからゆっくり休めていいよ。今度からそこで休んでる」
「別に僕たちはいてくれても平気なんですけど、佐野さんのほうが居心地悪いですかね?」
「そうだな。今は一人の方が気楽だな。気にしないで沙織を幸せにしてやってくれ」
「ありがとうございます。佐野さんのほうはどうなんですか? 松田さんと年内には再婚されるんですか?」
「……いや、まだ具体的なことはなにも決まってないんだ」
暗く見えないように笑って誤魔化した。
再婚なんて今じゃ到底無理な話だ。
今度こそ、今度こそ彩矢ちゃんと一緒になれると信じていたのに……。
あの日、自販機の前で俺を待っていた彩矢ちゃんは、なにを伝えたかったのだろう。
やっと少しぐらいは話を聞いてあげられるほどに、昂ぶっていた感情は落ち着きを取り戻していた。
今日の帰り、会えるかどうかLINEで聞いてみる。
「聞きたいことがあるので、仕事が終わったあと会いたい」
この間の仕返しなのか、既読スルーされたまま返信はなかった。
そうなると益々逢いたい気持ちが高まって、仕事帰りの彩矢ちゃんを待ちぶせした。
いつもの飲料自販機の前で待っていたら、五分ほどして彩矢ちゃんが出てきた。俺が立っていることに気づいたようだったけれど、冷たく無視して通り過ぎた。
「待てよっ、別れの挨拶もないのか? 俺たちはもうこれでおしまいか!?」
立ち去る彩矢ちゃんにそう問いかけた。
「おしまいにしてしまったのは佐野さんでしょ。私のせいにしないで!」
彩矢ちゃんは振り返ると、怒りに燃えるような目で俺を見つめた。
「どういう意味だよ? 松田先生と会っていたくせに。またよりを戻したのか? 一体なんど裏切れば気がすむ? 俺を弄ぶのはそんなに楽しいか!?」
問いただしているうちに、みじめさと哀しみが込みあげ、無性に腹が立ってきた。
「なにを誤解しているの? 私は佐野さんを選んだのよ! そのせいで悠李と雪花を取られてしまうかも知れないんだから。そんなことになったのはみんな、みんな、佐野さんのせいだわ!!」
彩矢ちゃんはワナワナと震える唇で、やっとそれだけ言うと、“ わっ ” と泣きだして駆けていった。
どういうことだ?
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そのせいで悠李と雪花ちゃんを取られる?
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