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本編 雄花の章
第七話 甘美な罠
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甘い食べ物が嫌いな女はいない。
そんなことを言うやつもいたが、俊はそれを信じてはいない。甘いものが苦手な男がいるなら、甘いものが苦手な女もいる。そういうところでは大きな性差はないと俊は考えている。
だから無難な煎餅にした。日持ちもするし、何よりよほど手荒に扱わない限り、そうそう形が変わることもないからだ。
戸の向こうで、彼女は待っていた。
「こんばんは」
待っていましたという彼女の感情がよくわかる口調だった。
まだ許されているという安堵と、昨晩、完全に甘え切った羞恥が、俊のなかにある。その気まずさを払拭してくれようと、女はごく自然に振る舞っている。かと思えば、急に彼女は慌てだした。
「どうした?」
「え、あ、あの、今日は何も作ってなくて……どうしよ」
飯の心配だった。俊は失笑してしまった。わんぱく小僧の腹具合を気遣う母親みたいじゃないか。大の大人である俊に対してもこうであるなら、こどもに対してなら尚更になるんだろうな。俊は口元を綻ばせたまま、己たちの赤子を抱いている、見合い相手の姿を想像した。
おそらく、一生彼女に頭が上がらない暮らしをするのだろうという忸怩めいたものと、それを待ち望んでいる浮かれた感情が俊の脳内で同居している。
悔しさと嬉しさってのは一緒に住めるんだな、俺も彼女と一緒に住みてえよ羨ましい。
埒もないことが脳内を過ったあと、俊は部屋の違和感に気が付いた。
促され部屋に入ったが、昨日より静かだ。クーラーの起動音がしていないのだ。用意されている褥の敷布も僅かに皺がある。真白のシーツだから分かった。
「随分前からここに入っていたんだな」
俊の指摘は当たっていたようだ。女は驚いた声とともに身構えた。
気が沈んでいるとき、誰とも会いたくない、何もしたくないと、布団に入って横になることは、避けた方がいいと何かで読んだ。考え事ばかりして眠気がこないうえ、碌でもないことばかりが頭を巡り悪循環に陥るそうだ。
つまり、彼女が今、そういう状態にいるのだ。
「なあ。俺に全部、白状してしまう気はないか?」
我ながら、このある種、手間のかかる見合い相手にこだわっている自覚はある。これが保護欲なのだろうか。職業柄「俺(私)がいないとあいつ(あのひと)はダメになるんだ」と沼に沈んでいく人間をそれなりに見てきたが、自分もそうなるとは思っていなかった。
彼女がいない生活に戻りたくない。
「……あなた、私のことが、好き?」
まさに考えていることを口にされた。
「何を今更。俺がこうして毎晩通っているのは、あなたに惚れているからだぞ」
用意していた言葉ではない。反射で答えてしまっていた。時間差でジワジワと照れが追ってきた。
「それはそうなんだけど」
女の方は嬉しがるわけでも、照れるわけでもなく、考え込んでいる。自分だけが盛り上がっている──取り残されている感じがした。
「あなたも、俺と一緒になりたいからここにいるんだろう?」
俊のなかで不安が生まれ、尋ねてしまった。男性は、特に日本の男は照れで、分かっているだろうと、伴侶に対し深い愛を持ちながらも敢えて言葉にしない傾向にあると言われている。そりゃそうだと俊は思っていたが、なんと、今は自分が明確な言葉を欲しているらしい。
見合いをしてから、自分の行動や感情に驚かされてばかりだ。
女はこくりと肯定した。
「あなたのことが好きです。でも、私、あなたといるとほっとするのが……単に保護者を欲しているだけなのか、よく分からなくて」
俊からすれば、彼女がそれの何に罪悪感を覚えているのか分からなかった。
弱者が保護されたいと願うことはごく自然な考え、というより生物の本能に基づいたことだろう。
「それの何が悪い?」
「見返りがほしいのか、って。それって、なんとなく、あなたに悪い気がする」
俊は思わず嘲笑してしまった。
「昨日、あなたを利用した俺に、遠回しに説教をしたいのか?」
「そんなわけない」
「だろう? だからあなたも俺を頼ってくれ。一緒になったら、こういう日もあると、あなたが言ってくれたじゃないか」
無償の愛という存在の否定もしないが、ヒトという生き物は何かしら見返りを求めて生きている。
同時に、与えられた慈悲に感謝し、その相手に願われたときや、過去の自分と同じ辛さを抱えている者に、同じものを返したいと考えるのもまた人──人間だ。
「今だけでいいから、俺のすることだけを考えて、感じてくれ。今日あったことは、思い出さなくていいように俺がする……昨日、あなたがしてくれたことを、俺にもさせてほしい。
あなたがここでいますぐ眠りたいなら、俺はずっとどうでもいいような、眠くなる話をし続けることもできる」
「そんなことができるの?」
声から、彼女が浮上してきたのが分かる。俊は口元に笑みを浮かべた。己の背に回された手と、緊張のない柔い肢体の感覚は、俊の理性を狂わせようと誘っているのに、彼女が望まないなら、一晩我慢することもできる。
不思議な確信があった。
だが
「おねがい、抱いて」
色欲と切望、その中に、悲哀を孕んだ囁きを耳にしたとき、俊の血が沸いた。彼女の背に置いた、それまで落ち着かせるために添えていた指で、女のごく薄い広背筋を辿った。
彼女の、色付いた声が俊の血を滾らせる。
俊の望みが増えていく。
彼女の安らぎを守りたい。彼女の苦悩を消し去りたい。彼女の欲を満たしたい。
彼女を得たい。
彼女のなかで果て、子を、己たちのこどもを宿してほしい。
愛液を溢れさせ、雄の訪れを待つ彼女の花に、まさに誘われた蜂さながら、俊は彼女の中に分身を挿した。全てを埋める前に相手は達し、早くも俊から子種を得ようとうねっている。背に爪を立てられる、その痛がゆささえも快感として俊の熱を高めた。腰を進め、熱い肢体を腕で抱きしめた。
いい。
しなやかな肉に包まれている感覚を、できるだけ長く保ちたい。俊は無意識で見合いの相手が動かないよう抱き込んでいた。ときおり、彼女の内腔がひくりと動く。二人して、同じ折で愉悦の声を吐いた。
女は俊の腕の中で、己と、己のもたらす行為に身を委ね、切なげな身悶えを繰り返している。
愛おしい。
警察官になったのは、父がそうだったからという理由が大きかった。世襲で仕方なく、という意味ではない。父の背を追うのだと、自身を鼓舞し、今の職にある。
この道を選択したことを、今日ほど誇りに思ったことはない。
見合いの相手の、彼女の生活を守ることができる生業を選べたことを、両親に感謝したい。
女の頬を抱え、口付けを交わした。離れ、自由になった唇で、女は微笑んだ。
「あなたの好きなように、して」
魅力的な提案だったが、俊は目を閉じ、項垂れて耐えた。女の耳元の、微かに残った檸檬の香りを吸い、ゆっくり喉から吐く。
「……今日は、あなたが、してほしいことを、言ってくれ」
彼女は俊のうなじに手を伸ばし、髪の中に手を挿し入れた。
「だから、して……あなたの、好きなように、されたいの」
その懇願は、忖度なのか、彼女の癖なのか。
俊は女の背に腕を回し、抱えて、上体を持ち上げた。柳腰に手を添え、女の中をかき回すように動かす。彼女は俊の首にしがみつき、大きく震えた。
「あっ」
女の奥が締まった。俊も耐えていた愛欲を吐き出した。
互いの声と息が落ち着いたころ、女は脱力していった。支える体力が尽きたのだろう。倒れてしまう前に、俊は彼女の背を抱え、布団へ横にした。すぐに自分も隣に寝転び、彼女を引き寄せる。
女はされるがままに俊に添った。
手を伸ばし、彼女の丸いお尻に手を伸ばした。予想通り、もうあたたかさが消えつつある。彼女が特別そうなのか、それとも、他の女もそうであるのに、俊が気付かなかったのか。見合いの女の体温が心配で、ずっと触れていたくなるほど、己が相手に溺れているのか。
敢えて言わずとも答えなど分かっている。
まだ横になっていたい。時間はある。彼女を抱きしめ眠るのも悪くない。俊が女の脇に手を動かしたとき、彼女はその手の中に、自らの手を入れ、俊の手を軽く握った。
こどものような稚い行動に俊の頬が緩んだ。細い指が俊の指のあいだに絡まってくる。俊は親指で彼女の手のひらを撫でた。
彼女の手には、俊の予想外だったものがあった。
マメだ。左手の小指の付け根に確かにある。剣道を長くしている、もしくはしていた者に存在する。俊が尋ねると女は肯定した。
「意外だ」
「どうして?」
彼女は不思議がっている。
「あなたの性格からして、進んで習ったようには思えなかった」
曰く、彼女は大きな音や、関係のない人間が大声で話しているだけで驚くというのに。誰かを攻撃し防御するという武道が得意とは、俊には到底思えなかった。
「今思えば、私もそう思う。こどもの時は、そういうことって分からないでしょう。私の両親が二人とも剣道の経験者で、特に母に憧れていたのよ。だから習った。で、あなたの考え通り、練習は嫌じゃなかったけど、試合になったら足が竦んで、結局一度も勝てなかった」
「あなたは、ああいう武道での勝負ごとが苦手な方だろう」
「そう」
彼女は、俊の左手にも手を入れた。小指の付け根を探っている。
「あなたにもある」
「ああ。俺は親父に憧れて習ったわけではなくて、ほぼ強制でたたき込まれた。親父が憎々しいほどに強くてな」
彼女は俊の手のひらから滑るように抜け出し、手首と二の腕を撫でていった。慰めのようであって、男の強さを確かめている、強さを現している部分──女と違った部分を見いだして楽しんでいるようでもある。
俊も、女の柔らかさを現す器官のひとつ、彼女のうなじに手を伸ばした。繊細な皮膚と、ふわふわとした髪の感触は、何度触れても飽きず、俊を絶えず誘っている。
「あなたも強そうだわ」
「いつか親父を越えたいんだけどな。未だに勝てる気がしない」
「そんなに、お父様はお強いの?」
「単に俺が未熟なだけってのもあるが……親父は大会で三」
気が緩んでいた。俊の父は全盛期の頃、全国大会で三連覇をやってのけた過去を持つ。危うく分かりやすい個人情報を漏らすところだった。しかも中途半端に話している最中に会話を切った。不自然過ぎる。
このひとは、細かいところに気が付く。
彼女は訝しんで俊を見ている。
「俺のことはいい」
「……そう」
納得していない返事だ。当たり前だ。俊は焦り始めた。向かい合って横臥していたが、俊は椎奈の上に覆い被さった。
本能的に、逃がさないようにしている。俊は己の行動を俯瞰で見、動揺していることを自覚した。
「俺はあなたのことが知りたい。今日はどうしたんだ?」
女の額を優しく撫で、気を逸らそうとした。嗤いたくなった。犯罪者が秘密を見つけられまいと必死で隠そうとする、そのままの行動だ。
「あなたは、面倒くさいことに首をつっこみたがる人なのね」
「煩わしいか?」
「どうかしら。あなたの方が、私のこと、煩わしくない?」
「どうだろうな」
はぐらかしながら、俊は再度、客観的に自分を分析しようとした。
確かに俺は焦っている。職を知られそうになるのが、どうしてここまで焦りを生じさせている?
職業に貴賎はないが、警察官となると、そこまで忌避される職でもないはずだ。……いや、自身がそう思いたいだけかもしれない。
何かが警告している。自分の身元を彼女に知られてはならない。単なる、この地の風習が理由でなく、もっと別の次元で、明かされると取り返しがつかないことになる。
どうして。
おかしいだろう。彼女が身ごもり結婚するとなると、俊の職業を一生隠せるわけがない。最終的には知らせることになるはずだ。
ここで隠せたとして、未来はあるのか……?
そんなことを言うやつもいたが、俊はそれを信じてはいない。甘いものが苦手な男がいるなら、甘いものが苦手な女もいる。そういうところでは大きな性差はないと俊は考えている。
だから無難な煎餅にした。日持ちもするし、何よりよほど手荒に扱わない限り、そうそう形が変わることもないからだ。
戸の向こうで、彼女は待っていた。
「こんばんは」
待っていましたという彼女の感情がよくわかる口調だった。
まだ許されているという安堵と、昨晩、完全に甘え切った羞恥が、俊のなかにある。その気まずさを払拭してくれようと、女はごく自然に振る舞っている。かと思えば、急に彼女は慌てだした。
「どうした?」
「え、あ、あの、今日は何も作ってなくて……どうしよ」
飯の心配だった。俊は失笑してしまった。わんぱく小僧の腹具合を気遣う母親みたいじゃないか。大の大人である俊に対してもこうであるなら、こどもに対してなら尚更になるんだろうな。俊は口元を綻ばせたまま、己たちの赤子を抱いている、見合い相手の姿を想像した。
おそらく、一生彼女に頭が上がらない暮らしをするのだろうという忸怩めいたものと、それを待ち望んでいる浮かれた感情が俊の脳内で同居している。
悔しさと嬉しさってのは一緒に住めるんだな、俺も彼女と一緒に住みてえよ羨ましい。
埒もないことが脳内を過ったあと、俊は部屋の違和感に気が付いた。
促され部屋に入ったが、昨日より静かだ。クーラーの起動音がしていないのだ。用意されている褥の敷布も僅かに皺がある。真白のシーツだから分かった。
「随分前からここに入っていたんだな」
俊の指摘は当たっていたようだ。女は驚いた声とともに身構えた。
気が沈んでいるとき、誰とも会いたくない、何もしたくないと、布団に入って横になることは、避けた方がいいと何かで読んだ。考え事ばかりして眠気がこないうえ、碌でもないことばかりが頭を巡り悪循環に陥るそうだ。
つまり、彼女が今、そういう状態にいるのだ。
「なあ。俺に全部、白状してしまう気はないか?」
我ながら、このある種、手間のかかる見合い相手にこだわっている自覚はある。これが保護欲なのだろうか。職業柄「俺(私)がいないとあいつ(あのひと)はダメになるんだ」と沼に沈んでいく人間をそれなりに見てきたが、自分もそうなるとは思っていなかった。
彼女がいない生活に戻りたくない。
「……あなた、私のことが、好き?」
まさに考えていることを口にされた。
「何を今更。俺がこうして毎晩通っているのは、あなたに惚れているからだぞ」
用意していた言葉ではない。反射で答えてしまっていた。時間差でジワジワと照れが追ってきた。
「それはそうなんだけど」
女の方は嬉しがるわけでも、照れるわけでもなく、考え込んでいる。自分だけが盛り上がっている──取り残されている感じがした。
「あなたも、俺と一緒になりたいからここにいるんだろう?」
俊のなかで不安が生まれ、尋ねてしまった。男性は、特に日本の男は照れで、分かっているだろうと、伴侶に対し深い愛を持ちながらも敢えて言葉にしない傾向にあると言われている。そりゃそうだと俊は思っていたが、なんと、今は自分が明確な言葉を欲しているらしい。
見合いをしてから、自分の行動や感情に驚かされてばかりだ。
女はこくりと肯定した。
「あなたのことが好きです。でも、私、あなたといるとほっとするのが……単に保護者を欲しているだけなのか、よく分からなくて」
俊からすれば、彼女がそれの何に罪悪感を覚えているのか分からなかった。
弱者が保護されたいと願うことはごく自然な考え、というより生物の本能に基づいたことだろう。
「それの何が悪い?」
「見返りがほしいのか、って。それって、なんとなく、あなたに悪い気がする」
俊は思わず嘲笑してしまった。
「昨日、あなたを利用した俺に、遠回しに説教をしたいのか?」
「そんなわけない」
「だろう? だからあなたも俺を頼ってくれ。一緒になったら、こういう日もあると、あなたが言ってくれたじゃないか」
無償の愛という存在の否定もしないが、ヒトという生き物は何かしら見返りを求めて生きている。
同時に、与えられた慈悲に感謝し、その相手に願われたときや、過去の自分と同じ辛さを抱えている者に、同じものを返したいと考えるのもまた人──人間だ。
「今だけでいいから、俺のすることだけを考えて、感じてくれ。今日あったことは、思い出さなくていいように俺がする……昨日、あなたがしてくれたことを、俺にもさせてほしい。
あなたがここでいますぐ眠りたいなら、俺はずっとどうでもいいような、眠くなる話をし続けることもできる」
「そんなことができるの?」
声から、彼女が浮上してきたのが分かる。俊は口元に笑みを浮かべた。己の背に回された手と、緊張のない柔い肢体の感覚は、俊の理性を狂わせようと誘っているのに、彼女が望まないなら、一晩我慢することもできる。
不思議な確信があった。
だが
「おねがい、抱いて」
色欲と切望、その中に、悲哀を孕んだ囁きを耳にしたとき、俊の血が沸いた。彼女の背に置いた、それまで落ち着かせるために添えていた指で、女のごく薄い広背筋を辿った。
彼女の、色付いた声が俊の血を滾らせる。
俊の望みが増えていく。
彼女の安らぎを守りたい。彼女の苦悩を消し去りたい。彼女の欲を満たしたい。
彼女を得たい。
彼女のなかで果て、子を、己たちのこどもを宿してほしい。
愛液を溢れさせ、雄の訪れを待つ彼女の花に、まさに誘われた蜂さながら、俊は彼女の中に分身を挿した。全てを埋める前に相手は達し、早くも俊から子種を得ようとうねっている。背に爪を立てられる、その痛がゆささえも快感として俊の熱を高めた。腰を進め、熱い肢体を腕で抱きしめた。
いい。
しなやかな肉に包まれている感覚を、できるだけ長く保ちたい。俊は無意識で見合いの相手が動かないよう抱き込んでいた。ときおり、彼女の内腔がひくりと動く。二人して、同じ折で愉悦の声を吐いた。
女は俊の腕の中で、己と、己のもたらす行為に身を委ね、切なげな身悶えを繰り返している。
愛おしい。
警察官になったのは、父がそうだったからという理由が大きかった。世襲で仕方なく、という意味ではない。父の背を追うのだと、自身を鼓舞し、今の職にある。
この道を選択したことを、今日ほど誇りに思ったことはない。
見合いの相手の、彼女の生活を守ることができる生業を選べたことを、両親に感謝したい。
女の頬を抱え、口付けを交わした。離れ、自由になった唇で、女は微笑んだ。
「あなたの好きなように、して」
魅力的な提案だったが、俊は目を閉じ、項垂れて耐えた。女の耳元の、微かに残った檸檬の香りを吸い、ゆっくり喉から吐く。
「……今日は、あなたが、してほしいことを、言ってくれ」
彼女は俊のうなじに手を伸ばし、髪の中に手を挿し入れた。
「だから、して……あなたの、好きなように、されたいの」
その懇願は、忖度なのか、彼女の癖なのか。
俊は女の背に腕を回し、抱えて、上体を持ち上げた。柳腰に手を添え、女の中をかき回すように動かす。彼女は俊の首にしがみつき、大きく震えた。
「あっ」
女の奥が締まった。俊も耐えていた愛欲を吐き出した。
互いの声と息が落ち着いたころ、女は脱力していった。支える体力が尽きたのだろう。倒れてしまう前に、俊は彼女の背を抱え、布団へ横にした。すぐに自分も隣に寝転び、彼女を引き寄せる。
女はされるがままに俊に添った。
手を伸ばし、彼女の丸いお尻に手を伸ばした。予想通り、もうあたたかさが消えつつある。彼女が特別そうなのか、それとも、他の女もそうであるのに、俊が気付かなかったのか。見合いの女の体温が心配で、ずっと触れていたくなるほど、己が相手に溺れているのか。
敢えて言わずとも答えなど分かっている。
まだ横になっていたい。時間はある。彼女を抱きしめ眠るのも悪くない。俊が女の脇に手を動かしたとき、彼女はその手の中に、自らの手を入れ、俊の手を軽く握った。
こどものような稚い行動に俊の頬が緩んだ。細い指が俊の指のあいだに絡まってくる。俊は親指で彼女の手のひらを撫でた。
彼女の手には、俊の予想外だったものがあった。
マメだ。左手の小指の付け根に確かにある。剣道を長くしている、もしくはしていた者に存在する。俊が尋ねると女は肯定した。
「意外だ」
「どうして?」
彼女は不思議がっている。
「あなたの性格からして、進んで習ったようには思えなかった」
曰く、彼女は大きな音や、関係のない人間が大声で話しているだけで驚くというのに。誰かを攻撃し防御するという武道が得意とは、俊には到底思えなかった。
「今思えば、私もそう思う。こどもの時は、そういうことって分からないでしょう。私の両親が二人とも剣道の経験者で、特に母に憧れていたのよ。だから習った。で、あなたの考え通り、練習は嫌じゃなかったけど、試合になったら足が竦んで、結局一度も勝てなかった」
「あなたは、ああいう武道での勝負ごとが苦手な方だろう」
「そう」
彼女は、俊の左手にも手を入れた。小指の付け根を探っている。
「あなたにもある」
「ああ。俺は親父に憧れて習ったわけではなくて、ほぼ強制でたたき込まれた。親父が憎々しいほどに強くてな」
彼女は俊の手のひらから滑るように抜け出し、手首と二の腕を撫でていった。慰めのようであって、男の強さを確かめている、強さを現している部分──女と違った部分を見いだして楽しんでいるようでもある。
俊も、女の柔らかさを現す器官のひとつ、彼女のうなじに手を伸ばした。繊細な皮膚と、ふわふわとした髪の感触は、何度触れても飽きず、俊を絶えず誘っている。
「あなたも強そうだわ」
「いつか親父を越えたいんだけどな。未だに勝てる気がしない」
「そんなに、お父様はお強いの?」
「単に俺が未熟なだけってのもあるが……親父は大会で三」
気が緩んでいた。俊の父は全盛期の頃、全国大会で三連覇をやってのけた過去を持つ。危うく分かりやすい個人情報を漏らすところだった。しかも中途半端に話している最中に会話を切った。不自然過ぎる。
このひとは、細かいところに気が付く。
彼女は訝しんで俊を見ている。
「俺のことはいい」
「……そう」
納得していない返事だ。当たり前だ。俊は焦り始めた。向かい合って横臥していたが、俊は椎奈の上に覆い被さった。
本能的に、逃がさないようにしている。俊は己の行動を俯瞰で見、動揺していることを自覚した。
「俺はあなたのことが知りたい。今日はどうしたんだ?」
女の額を優しく撫で、気を逸らそうとした。嗤いたくなった。犯罪者が秘密を見つけられまいと必死で隠そうとする、そのままの行動だ。
「あなたは、面倒くさいことに首をつっこみたがる人なのね」
「煩わしいか?」
「どうかしら。あなたの方が、私のこと、煩わしくない?」
「どうだろうな」
はぐらかしながら、俊は再度、客観的に自分を分析しようとした。
確かに俺は焦っている。職を知られそうになるのが、どうしてここまで焦りを生じさせている?
職業に貴賎はないが、警察官となると、そこまで忌避される職でもないはずだ。……いや、自身がそう思いたいだけかもしれない。
何かが警告している。自分の身元を彼女に知られてはならない。単なる、この地の風習が理由でなく、もっと別の次元で、明かされると取り返しがつかないことになる。
どうして。
おかしいだろう。彼女が身ごもり結婚するとなると、俊の職業を一生隠せるわけがない。最終的には知らせることになるはずだ。
ここで隠せたとして、未来はあるのか……?
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