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本編 雄花の章
第八話 自己嫌悪
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俊の目下、見合いの相手は、不安そうに目を泳がせている。怯えさせているのは自分かもしれない。俊は黙って待った。
その甲斐あってか、彼女は、何かを決めたように俊に視線を合わせた。
「わたし……今朝の新聞の一面の事件の、被害者の男の子……に、会っていたかもしれないの」
予想外もはなはだしい、とんでもない告白をされた。俊の脳裏から見合いの場という意識が完全に消えた。
目の前にいるのは目撃者の可能性がある。
「警察には」
自分の声から感情が消えたことに、俊は気付かなかった。
脳裏に現場が再現された。
未成年をあんな目に遭わせる人物を野放しにできない。一刻も早く身柄を抑えなければならない。
「今日、警察署に話にいった。私」
俊の肩の力が抜けた。すでに今日、聴取は受けたようだ。
完全に気を抜いてしまっていた。今日の夕刻にあった、不自然な書類検索の依頼の理由を理解した。なるほど、普通の仕事の定時が過ぎたあたりだ。
「それで、資料室に行けと……」
泊内は見張りだ。俊が資料室から出ないように確認していたのだ。
「は?」
女の疑問符を聞き、俊の頭から血が引いた。
やらかした。
だからお前はまだ半人前なんだよ。詰めが甘すぎる。
そう、泊内に週に一度は言われる。相棒として組んでからすでに四度ほど、説教を受けている。
今、彼がいたら、確実に叱られているに違いない。
「あなた、警察官なのね」
そして俊の見合い相手は聡い女だった。
犬は、目の前を走る動物がいたら追いかけるという本能を持っている。実家の飼い犬、ブンジロウさながら、俊も逃げようとした女の肩をとっさに抱えた。
「相手の身元を探るのは御法度だぞ」
彼女の両のかいなを、痛くない程度に敷き布団に押さえつけ、俊は警告した。
それより、何があった。俺が──見合いの相手が警察官と知ったとたん、彼女は逃げようとした。
おそらく初日に彼女が話した七年前の何かに関係している。
何が発端なんだ。
「何があった」
「なにも」
そっけなく答えたつもりだろうが、体を強ばらせ、動揺の現れた声を聞かされ、引き下がれるわけがない。
「そんな言葉を、俺が納得して受け入れると本当に思ってるのか?」
思っていないだろう。
「お願いです」
「なんだ」
「もう、ここには来ないでください」
空の青さ、日の出、木漏れ日。なるべく、心を落ち着かせるための風景を脳内に描こうとした。
でないと、己が抱えている女に罵倒を浴びせてしまう。
俊は眉間に力が入っている感覚に気付き、意図してそれを抜いた。
父の職を追って継いだのは、困っているひとを助けたいという、俊なりの正義を持っていたからだ。
それを、何があったのか分からない──教えようともしてくれない相手に、職業を理由に切り捨てられ、怒りを覚えない方がおかしい。
「何故」
組伏している女の目に怯えが走ったのを見た。手加減をしなければ、と思ったのも一瞬だけだった。
「言えない。身元がわかるような話は、駄目って、さっき、あなたが言った」
「そうだな。同じことを初日、あなたも言った。にも関わらず俺のことは探った」
「私はあなたを探ったわけじゃない」
「ああ、確かにな。俺が勝手に自滅した」
怒気を鎮めろ。彼女が怯える──分かっているが止められない。
女は俊から顔を背けた。
「帰って」
声の震えを気取られたくないのか、彼女は言葉を切るように命じた。
俺だけではない。彼女も動揺している。
俊はやっと、少しの余裕が持てるようになった。
「教えてくれ。何があった」
「……なにも」
「ほんのさっきまで、俺の腕の中で、俺を信頼して、俺に完全にからだを#委__ゆだ_#ねていたあなたが、俺が警察官だと知ったとたんに拒絶するのは何故だ」
彼女は答えなかった。闇に紛れて隠れようとしているのか。
そんなことできるわけがないのは、彼女も分かっているだろうに。
俊にある選択肢は二つ。この女のことを忘れ見合いを止めるか、否か。
どちらかに決めるにせよ、妥協案を出したい程度には、俊はまだ彼女との縁を切りたくなかった。
「俺が警察を辞めればいいのか?」
俊にとっては最終的な切り札だ。得られるものと諦めるものと、同等の価値を見いだしている。ただし、現段階がそうであって、将来、そのせいで二人のあいだに大きなわだかまりとして残る可能性もある。
ところが、俊がそう言った瞬間、女は瞠目した。俊と正面で顔を合わせ、彼の両腕を握った。
「駄目よ、そんなの!」
面食らった。そこまで否定されると思っていなかった。この期に及んで彼女の動揺を安らげたくなり、手を重ねた。
「駄目よ。……あなたは、辞めては」
「ならどうすればいいんだ。俺はあなたを諦めたくない」
安堵はあったものの、それならどう彼女を説得すればいいのか益々分からない。
「教えてくれ」
女は何も反応しなくなった。
どうすればいいのだ。苛立ちが増し、衝動的に何かに八つ当たりしたい気分になっている。
今この時点で、この件について問答しても泥沼に落ちるだけだ。
俊は、一旦、彼女から離れ、互いが冷静になるまで待つ方がいいと判断した。
俊は着物を全て身に着けたが、女は俊が離れたときにうつ伏せになったまま動いていない。白い裸体を晒したままだ。
憔悴している。
俊にはわけが分からない。切り離した方が嘆き、切り離された方は怒りつつも、相手の哀れさに胸が刺された気になっている。
見かね、俊は彼女の浴衣を肩に掛けた。
「優しくしないで」
うるさそうに手を振っているが、声音から強がっているだけなのが丸わかりだ。
何なんだ。この女は。矛盾の塊だ。理由もなにも話さず、切り捨てておきながら、そのことで自分を責めている。
そう理性が彼女を分析しても、俊の腹のうちでは怒りがまだ渦巻いている。
簡単に楽にしてやるものか。
「明日の天気を知っているか?」
「え?」
彼女はすぐに顔を上げてきた。とっさに駆け引きもできないほど、本当に素直な女なのだ。俊は彼女の顎を手で取った。
「夜は雨になる」
「……それが、なに?」
「俺は明日も来るぞ。ここに。雨が降ろうと雷が落ちようと」
女は肩を怒らせ、俊を上目で睨んだ。
「来ないでって、言っているでしょう」
「いいや。俺は明日もあなたをここで、玄関先で待つ。雨に打たれっぱなしの俺を、あなたは見捨てておけないはずだ。そういう女だ」
「あなたは夏の雨程度で風邪をひくようなひとじゃないでしょう」
だろうな。俊も同じことを思ったが、それを彼女に知らせる必要はない。
「どうかな。一晩中だったら、さすがに自信がない」
女は簡単に俊の挑発に乗った。
無防備ではないかという危惧よりも、俊の矜持が勝った。
「狡いわ」
「狡いのはあなただ。俺はそれに見合った返しをしているだけだ」
彼女は体を引くことで俊の拘束を解き、畳の上に置きっぱなしになっている俊の懐紙入れに目を留めた。そこに彼女が手を伸ばし、掴んだとき、俊は口角を上げた。
「そこには裏門の鍵はないぞ。俺が持ってる」
彼女が探し取り返そうとしているものは、俊の想像通りだったようだ。
「鍵を返して!」
「取り返してみろ。できるならな」
舐めていた。慎重な彼女は、俊の言葉で諦めると思っていた。彼女は俊に向かって飛びかかろうとした。
俊の襟に女の手が届く前、彼女はかくんと布団の上で膝をついた。男に抱かれ、何度も極みに挙げられ、腰が萎えているのだ。そこには思い至らなかったらしい。
さらに言えば、相手が警察官だと知った上で、彼女は俊に挑んできた。
別の人物ならその果敢さを賞賛したかもしれない。
しかし俊は、いま、見合い相手の女の浅慮さにただただ腹が立った。
布団に手をついた彼女の両腕を掴み、引き寄せた。背を向かせ、俊の片腿の上に彼女を座らせ、腕を腰と肩に回す。彼女の腕ごと抱え、完全に女の肢体を拘束した。
「あっ!……は、離して」
彼女の語気から怒りが消えた。戸惑いと焦りの声を聞いても、俊の怒りは収まらなかった。
「驚いた。なるほど、踏み込みの鋭さは剣道で鍛えたものだな……だが無謀にも程がある」
「お願い、離して、あなたの着物が、汚れるから」
嗤ってしまった。
こんなときにさえ、男の着物の心配か。
愚かなことだ。
「そんなこと、男は気にしない」
おもむろに俊は椎奈の口を塞いだ。唇を吸い、彼女が開いた口の中に、舌を挿し込んだ。女の抵抗があったが、俊には何の障害にもならなかった。女のからだは徐々に溶けるように脱力していく。
顔を離し、間近で女の目を覗き込んだ。快感の余韻が存在している。
「……あ……な、なにを」
現に、彼女の声には色欲が滲んでいた。俊のなかで、凶暴なものが溢れ出てくる。それを消すべきという理性は、すでに霧散していた。
逃がすものか。
「俺のために臆病でいてくれと俺は言った。あなた自身を大切にしてほしいからだ。それなのにあなたは、よりにもよってキレ気味の男に挑もうとしたな。自殺行為だ」
「だってあなたは……っあ」
全て言い終える前に、俊は彼女の耳たぶを舐めた。女は腕の中で震えている。怯えでなく、愉悦の沼に落ちながら。
赤く膨れた胸の先を指で押し、耳に舌を挿すと、彼女はからだを軽く捩らせた。抵抗ではない。刺激に対する反応と分かると、俊のなかにさらなる劣情が噴き出てくる。
「ま、待って、こんな……あ……っん」
顔を上げさせ、彼女の口の中をもう一度、犯していった。甘い唾液を貪り、味わいながら、互いの体液が奏でる粘質な音を耳でも楽しんでいる。
なお初々しい反応を示す彼女が愛おしく、同時に憎いと思った。柔い唇に歯を立て、痕を残してやりたい。
一生、消えないほどの傷を。
彼女が鏡を見る度、俺を思い出させたい。
ざりっと、音が鳴った。彼女の足の爪が畳を擦ったのだ。同時に、震える声が聞こえた。
わずかな、肩への抵抗。
「いや……」
俊の欲望の熱が全て引いた。
『強制ではない。向こうから誘われた』
『抵抗がなかった。彼女も同意していた』
『自分の行為に対し彼女は善がっていた』
吐き気がした。
女の意思を無視した、男の都合のいい解釈だ。
取調室で耳にする度、認知を歪ませた男を殴りたいと思っていた。
よもや、同じ思考を抱くことになるとは思ってもいなかった。
「済まなかった」
自分でも聞き取れるのか分からないほど、掠れた声しかでなかった。唾を飲み込んで、俊は立ち上がった。
「今日はこれで帰る。明日も来る」
相手の返事も聞かず、俊は離れを去った。
独身寮までの夜道を歩きながら、俊はずっと己を罵倒していた。
何をしたかったんだ。
自ら最後の糸を引きちぎっただけじゃないか。
俺は、ああいった、弱いくせに非情な世に果敢に挑み、そのなかでさえ優しさを示すような人間を守りたく、警察官としての誇りを汚すまいと決心したのではなかったか?
その甲斐あってか、彼女は、何かを決めたように俊に視線を合わせた。
「わたし……今朝の新聞の一面の事件の、被害者の男の子……に、会っていたかもしれないの」
予想外もはなはだしい、とんでもない告白をされた。俊の脳裏から見合いの場という意識が完全に消えた。
目の前にいるのは目撃者の可能性がある。
「警察には」
自分の声から感情が消えたことに、俊は気付かなかった。
脳裏に現場が再現された。
未成年をあんな目に遭わせる人物を野放しにできない。一刻も早く身柄を抑えなければならない。
「今日、警察署に話にいった。私」
俊の肩の力が抜けた。すでに今日、聴取は受けたようだ。
完全に気を抜いてしまっていた。今日の夕刻にあった、不自然な書類検索の依頼の理由を理解した。なるほど、普通の仕事の定時が過ぎたあたりだ。
「それで、資料室に行けと……」
泊内は見張りだ。俊が資料室から出ないように確認していたのだ。
「は?」
女の疑問符を聞き、俊の頭から血が引いた。
やらかした。
だからお前はまだ半人前なんだよ。詰めが甘すぎる。
そう、泊内に週に一度は言われる。相棒として組んでからすでに四度ほど、説教を受けている。
今、彼がいたら、確実に叱られているに違いない。
「あなた、警察官なのね」
そして俊の見合い相手は聡い女だった。
犬は、目の前を走る動物がいたら追いかけるという本能を持っている。実家の飼い犬、ブンジロウさながら、俊も逃げようとした女の肩をとっさに抱えた。
「相手の身元を探るのは御法度だぞ」
彼女の両のかいなを、痛くない程度に敷き布団に押さえつけ、俊は警告した。
それより、何があった。俺が──見合いの相手が警察官と知ったとたん、彼女は逃げようとした。
おそらく初日に彼女が話した七年前の何かに関係している。
何が発端なんだ。
「何があった」
「なにも」
そっけなく答えたつもりだろうが、体を強ばらせ、動揺の現れた声を聞かされ、引き下がれるわけがない。
「そんな言葉を、俺が納得して受け入れると本当に思ってるのか?」
思っていないだろう。
「お願いです」
「なんだ」
「もう、ここには来ないでください」
空の青さ、日の出、木漏れ日。なるべく、心を落ち着かせるための風景を脳内に描こうとした。
でないと、己が抱えている女に罵倒を浴びせてしまう。
俊は眉間に力が入っている感覚に気付き、意図してそれを抜いた。
父の職を追って継いだのは、困っているひとを助けたいという、俊なりの正義を持っていたからだ。
それを、何があったのか分からない──教えようともしてくれない相手に、職業を理由に切り捨てられ、怒りを覚えない方がおかしい。
「何故」
組伏している女の目に怯えが走ったのを見た。手加減をしなければ、と思ったのも一瞬だけだった。
「言えない。身元がわかるような話は、駄目って、さっき、あなたが言った」
「そうだな。同じことを初日、あなたも言った。にも関わらず俺のことは探った」
「私はあなたを探ったわけじゃない」
「ああ、確かにな。俺が勝手に自滅した」
怒気を鎮めろ。彼女が怯える──分かっているが止められない。
女は俊から顔を背けた。
「帰って」
声の震えを気取られたくないのか、彼女は言葉を切るように命じた。
俺だけではない。彼女も動揺している。
俊はやっと、少しの余裕が持てるようになった。
「教えてくれ。何があった」
「……なにも」
「ほんのさっきまで、俺の腕の中で、俺を信頼して、俺に完全にからだを#委__ゆだ_#ねていたあなたが、俺が警察官だと知ったとたんに拒絶するのは何故だ」
彼女は答えなかった。闇に紛れて隠れようとしているのか。
そんなことできるわけがないのは、彼女も分かっているだろうに。
俊にある選択肢は二つ。この女のことを忘れ見合いを止めるか、否か。
どちらかに決めるにせよ、妥協案を出したい程度には、俊はまだ彼女との縁を切りたくなかった。
「俺が警察を辞めればいいのか?」
俊にとっては最終的な切り札だ。得られるものと諦めるものと、同等の価値を見いだしている。ただし、現段階がそうであって、将来、そのせいで二人のあいだに大きなわだかまりとして残る可能性もある。
ところが、俊がそう言った瞬間、女は瞠目した。俊と正面で顔を合わせ、彼の両腕を握った。
「駄目よ、そんなの!」
面食らった。そこまで否定されると思っていなかった。この期に及んで彼女の動揺を安らげたくなり、手を重ねた。
「駄目よ。……あなたは、辞めては」
「ならどうすればいいんだ。俺はあなたを諦めたくない」
安堵はあったものの、それならどう彼女を説得すればいいのか益々分からない。
「教えてくれ」
女は何も反応しなくなった。
どうすればいいのだ。苛立ちが増し、衝動的に何かに八つ当たりしたい気分になっている。
今この時点で、この件について問答しても泥沼に落ちるだけだ。
俊は、一旦、彼女から離れ、互いが冷静になるまで待つ方がいいと判断した。
俊は着物を全て身に着けたが、女は俊が離れたときにうつ伏せになったまま動いていない。白い裸体を晒したままだ。
憔悴している。
俊にはわけが分からない。切り離した方が嘆き、切り離された方は怒りつつも、相手の哀れさに胸が刺された気になっている。
見かね、俊は彼女の浴衣を肩に掛けた。
「優しくしないで」
うるさそうに手を振っているが、声音から強がっているだけなのが丸わかりだ。
何なんだ。この女は。矛盾の塊だ。理由もなにも話さず、切り捨てておきながら、そのことで自分を責めている。
そう理性が彼女を分析しても、俊の腹のうちでは怒りがまだ渦巻いている。
簡単に楽にしてやるものか。
「明日の天気を知っているか?」
「え?」
彼女はすぐに顔を上げてきた。とっさに駆け引きもできないほど、本当に素直な女なのだ。俊は彼女の顎を手で取った。
「夜は雨になる」
「……それが、なに?」
「俺は明日も来るぞ。ここに。雨が降ろうと雷が落ちようと」
女は肩を怒らせ、俊を上目で睨んだ。
「来ないでって、言っているでしょう」
「いいや。俺は明日もあなたをここで、玄関先で待つ。雨に打たれっぱなしの俺を、あなたは見捨てておけないはずだ。そういう女だ」
「あなたは夏の雨程度で風邪をひくようなひとじゃないでしょう」
だろうな。俊も同じことを思ったが、それを彼女に知らせる必要はない。
「どうかな。一晩中だったら、さすがに自信がない」
女は簡単に俊の挑発に乗った。
無防備ではないかという危惧よりも、俊の矜持が勝った。
「狡いわ」
「狡いのはあなただ。俺はそれに見合った返しをしているだけだ」
彼女は体を引くことで俊の拘束を解き、畳の上に置きっぱなしになっている俊の懐紙入れに目を留めた。そこに彼女が手を伸ばし、掴んだとき、俊は口角を上げた。
「そこには裏門の鍵はないぞ。俺が持ってる」
彼女が探し取り返そうとしているものは、俊の想像通りだったようだ。
「鍵を返して!」
「取り返してみろ。できるならな」
舐めていた。慎重な彼女は、俊の言葉で諦めると思っていた。彼女は俊に向かって飛びかかろうとした。
俊の襟に女の手が届く前、彼女はかくんと布団の上で膝をついた。男に抱かれ、何度も極みに挙げられ、腰が萎えているのだ。そこには思い至らなかったらしい。
さらに言えば、相手が警察官だと知った上で、彼女は俊に挑んできた。
別の人物ならその果敢さを賞賛したかもしれない。
しかし俊は、いま、見合い相手の女の浅慮さにただただ腹が立った。
布団に手をついた彼女の両腕を掴み、引き寄せた。背を向かせ、俊の片腿の上に彼女を座らせ、腕を腰と肩に回す。彼女の腕ごと抱え、完全に女の肢体を拘束した。
「あっ!……は、離して」
彼女の語気から怒りが消えた。戸惑いと焦りの声を聞いても、俊の怒りは収まらなかった。
「驚いた。なるほど、踏み込みの鋭さは剣道で鍛えたものだな……だが無謀にも程がある」
「お願い、離して、あなたの着物が、汚れるから」
嗤ってしまった。
こんなときにさえ、男の着物の心配か。
愚かなことだ。
「そんなこと、男は気にしない」
おもむろに俊は椎奈の口を塞いだ。唇を吸い、彼女が開いた口の中に、舌を挿し込んだ。女の抵抗があったが、俊には何の障害にもならなかった。女のからだは徐々に溶けるように脱力していく。
顔を離し、間近で女の目を覗き込んだ。快感の余韻が存在している。
「……あ……な、なにを」
現に、彼女の声には色欲が滲んでいた。俊のなかで、凶暴なものが溢れ出てくる。それを消すべきという理性は、すでに霧散していた。
逃がすものか。
「俺のために臆病でいてくれと俺は言った。あなた自身を大切にしてほしいからだ。それなのにあなたは、よりにもよってキレ気味の男に挑もうとしたな。自殺行為だ」
「だってあなたは……っあ」
全て言い終える前に、俊は彼女の耳たぶを舐めた。女は腕の中で震えている。怯えでなく、愉悦の沼に落ちながら。
赤く膨れた胸の先を指で押し、耳に舌を挿すと、彼女はからだを軽く捩らせた。抵抗ではない。刺激に対する反応と分かると、俊のなかにさらなる劣情が噴き出てくる。
「ま、待って、こんな……あ……っん」
顔を上げさせ、彼女の口の中をもう一度、犯していった。甘い唾液を貪り、味わいながら、互いの体液が奏でる粘質な音を耳でも楽しんでいる。
なお初々しい反応を示す彼女が愛おしく、同時に憎いと思った。柔い唇に歯を立て、痕を残してやりたい。
一生、消えないほどの傷を。
彼女が鏡を見る度、俺を思い出させたい。
ざりっと、音が鳴った。彼女の足の爪が畳を擦ったのだ。同時に、震える声が聞こえた。
わずかな、肩への抵抗。
「いや……」
俊の欲望の熱が全て引いた。
『強制ではない。向こうから誘われた』
『抵抗がなかった。彼女も同意していた』
『自分の行為に対し彼女は善がっていた』
吐き気がした。
女の意思を無視した、男の都合のいい解釈だ。
取調室で耳にする度、認知を歪ませた男を殴りたいと思っていた。
よもや、同じ思考を抱くことになるとは思ってもいなかった。
「済まなかった」
自分でも聞き取れるのか分からないほど、掠れた声しかでなかった。唾を飲み込んで、俊は立ち上がった。
「今日はこれで帰る。明日も来る」
相手の返事も聞かず、俊は離れを去った。
独身寮までの夜道を歩きながら、俊はずっと己を罵倒していた。
何をしたかったんだ。
自ら最後の糸を引きちぎっただけじゃないか。
俺は、ああいった、弱いくせに非情な世に果敢に挑み、そのなかでさえ優しさを示すような人間を守りたく、警察官としての誇りを汚すまいと決心したのではなかったか?
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