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本編 雄花の章
第九話 驟雨到来
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翌朝は二日酔いのような気分で目覚めた。酒は一滴も飲んでいないというのにこのザマとは。こんなことならやけ酒を飲んでいればよかったのだ。
そんな自嘲できる余裕も、署に着いたときには消えてなくなった。
少年を殺害した容疑者が捕らえられた。慌ただしく時間が過ぎていく。
見合い中として免除されている故、勤務時間内で俊は残業を免除されたものの、忙しさのあまり、見合いを続けられそうな、彼女を説得できそうな言葉が何も見いだせなかった。
夕刻、今日は厚い雲に覆われ、いつもより空が暗かった。
窓に雫が落ちる音がした。大粒の雨だ。
パラパラと奏でたあと、大きな合唱となって俊に迫ってきた。
もちろん傘が必要な降水量だと分かっていた。
分かっていて、持参しなかった。さらに、嫌味のように軒下からわざと遠くで待っている。
予告通り、離れの戸は閉まっていた。中に人の気配もない。だが確信はあった。彼女は来る。明日以降、見合いを続けてくれるかどうかは俊の手腕にかかってくるだろうが、今日は来る。
「しかしまあ……」
寒さに同情して貰えれば御の字だと思っていたが、雨に濡れていても寒さを感じなかった。さすが夏だ。
バシャバシャと足音が聞こえてきた。彼女だ。見合いの相手だ。
俊は体をそちらに向け目を見開いた。
今まで、彼女も屋外にいたのか?
浴衣を纏っているが、全身ずぶ濡れになっている。俊の傍まで駆けてやってきた。
どうして、そんな格好になっているんだ。俊は努めて彼女の目元に視線を合わせた。
「よう。やっぱり来たな。あなたは」
「馬鹿じゃないの、あなた」
その通りだ。雨の中、同情を買うつもりで傘を持参しなかったが、この展開は考えていなかった。
「だろう。可哀想だと思うだろ。中に入れてくれ」
入ってせめて、上に何か羽織ってくれ。
何故だ。どうして、裸同然……いや全裸よりきわどい格好で俺の前に立っている? 俺を動揺させたいのなら、完璧な作戦すぎる。
俊の困惑の原因が分かっていない──そもそも俊が困惑していることさえ気付いていないだろう。彼女は顎をしゃくった。
「……帰って」
相手の虚勢を張った小生意気な態度で、俊は我に返ることができた。
「なあ……昨日、俺は完全に頭にきてたから、一旦時間を置きたくて帰った。今日はあなたから、俺を拒絶する理由を聞くまで絶対にここを動かない。……バレてしまったから言うけどな。警官の諦めの悪さをなめるなよ」
「あなた、捜査一課なの?」
「知りたいだろ? 俺を入れてくれ」
空も応援してくれているようで、雨音がさらに大きくなった。
「どうして、そこまでして知りたいのよ。私のこと」
「惚れているからに決まってるだろ。俺は、初日にあなたが俺の身長を測ろうとしていたと教えてもらったときから、あなたを妻にすると決めていた。だからあなたを悩ませるものがなにか知りたい。逆の立場だったら、あなたも知りたがるはずだ」
「あんなことで?」
あんなことだと?
「ああ。あんなことで、だ」
すでに、俊の感情は荒ぶっている。冷静でないうえ、心理学者で精神科医でもあるまいし、どうにか解決したいという考えは無謀だ。
目の前の、自分を卑下し殻に閉じこもっている相手を、どうにか引きずり出したいのに、円満な落とし所が俊には分からない。
どうしたらいいんだ。
「あなたも俺が気に入っていたはずだ。職業に貴賎はない。それでも俺は、俺自身でなく俺の職であなたに切り離されようとしている。そこまで嫌なら、はじめからあなたは両親に言っておくべきだった。あなたはそれを怠り、俺たちは四日も会っていた。あなたの怠慢だ。こっちだって親父とお袋に説明する義務がある。あなたは責任を取って事情を説明してくれ」
責任感の強い相手だ。相手の非について言及すると、反応があるはずだ。
雨雲のせいで、先日よりさらに視界が悪い。相手の挙動から何か糸口が掴めないかと、俊は目を凝らしていた。
相手の女は両腕に手のひらを置いた。乳房が寄せられ、俊はそちらに気を取られそうになったが、珍しく性欲より心配が勝った。
寒いのだ。当たり前だ。相手は浴衣一枚、しかもずぶ濡れで、なお雨に打たれているのだ。俊は手を伸ばした。やめてほしいという意思表示はされたが、彼女が足を引く前に俊の手が彼女の背に届き、強引に引き寄せた。
手のひらに、彼女の体温が伝わってくる。
「肩が冷たくなってる」
ふっと、女の力が抜けたような感覚がした。すぐに胸に手を当てられ、押された。
「……離して」
「せめて軒下に」
「離して、鍵を開けるから……ここの鍵は閉めてしまったの。取ってくるから、待って」
俊が彼女の二の腕を離さずにいたせいか、俊の手の甲に女は手を添えた。冷たい指だ。離すのが忍びないが、今は彼女の言い分の方が正しい。
俊がしぶしぶ手を離すと、女はさっと踵を返した。
このまま帰ってこないことを心配していない。義理堅い人物であるのは、たった五日とは言え、すでに分かっている。
彼女の体が冷えていることが心配だった。
あの女に惚れ込んでしまっている。
果たして、互いに合意できるまで、冷静でいられるのか、俊には自信がなくなってきた。
女はすぐに戻ってきて、タオルだけでなく俊用の着替えも持ってきてくれた。てきぱきと俊に指示をし、こちらの世話を焼こうとしてくる。
どう考えても、先に処置をしなければならないのは彼女の方なのに。
とりあえずは言う通りに着物を脱ぎ、彼女に渡していった。全裸になってシャワーブースで、シャワーの水がお湯になるのを待ちながら、女の一挙一動を見ている。
離れの中には入れてくれたが、問題が解決したわけではない。
何かを見落とすと、彼女が離れていってしまう、そういった焦りが俊のなかにある。
乾燥機が起動し、彼女は俊の着物を干し終えた。すぐに俊は女の隣に立ち、抗議される前に彼女の帯を解いた。強引に腕を引いて、二人でシャワーブースに入って、俊はおもむろに彼女にシャワーのお湯をかけた。
「うわ」
女が驚いているあいだに、俊は彼女の背側に周り、背から女を抱きしめた。
冷たい体に俊の方が慄いた。
「おい、冷え切ってるじゃないか」
女は無言だったが、寒さに緊張していた体が、だんだん緩んでいくのが分かる。寒い日に、温泉に浸かったときのように。
寒いのならそう言えばいいのに。
彼女の脇から腹へ、俊は手を這わせた。どこもかしこも冷たい。腹を下したりするんじゃないかという危惧まで考慮してしまう。
女は、また俊の手の甲に手を重ねてきた。拒否ではない。
そのまま、動かないでほしいといいたげだ。しかも俊に体を預けるように脱力している。
俊の頭の中は疑問でいっぱいだ。
こんなに、俊という個人を信頼してくれているのに。からだを委ね甘える仕草をするのに。
警察官の何が気に食わないのか。
腕の中の女が身じろいだ。湯に触れ、俊が抱きしめていたことで、いつのまにか相手の体はあたたかくなっていた。
ほっとしたが、それが原因なのか、彼女の体温以外のものに俊は気を取られはじめた。
柔らかくあたたかな女の素肌だ。今日は檸檬の香りはしない。香りの有無が重要なのではなく、それを確認できるまでごく間近にいることを意識した。
俊は瞑目した。
「昨日、済まなかった」
「なにが?」
女の返事に嫌味がない。本当に、何に対して俊が謝罪をしているのか分かっていないのだ。
「あなたの合意を得ずに抱こうとした。帰る間際に」
女は自嘲したようだ。
「私も、来るななんて言っておきながら、あなたの口付けを受け入れたし……そのまま抱かれたいと……も、思って……」
危機管理がなってない。誰だか知らないが、この女性を紹介してきた、同業者(おそらく)に説教してやりたい。
色欲に陥落している自分にも。
「ごめんなさい。もういい。離して……」
腕を緩めた。罠だと気付いているのか試した。案の定、分かっていないようで、女は距離を取らず、ただ振り返ってきた。
衝動で口付けをした。後に俊は自身のこらえ性のなさに幻滅した。
最初こそ体を強ばらせたが、相手は俊を受け入れはじめた。
俊の肩に手を回し、抱きついてくる。口付けに没頭しそうだ。このまま彼女の腿を引き上げ、開いた先を突き上げたい。
抱え直し、腿に手をのばしかけた。口付けしたままでは手が届かない。女を解放したとき、彼女は小さく喘ぎ、首を左右に振った。
「……もう」
「悪い」
駄目だ。今度こそ、合意を得る前に彼女を抱いてしまう。いや、合意はしているかもしれない。
それに便乗してはならない。
その前に、説得をしなければ。
彼女の髪を乾かしたあと、俊は用意された浴衣を纏った。俊が落ち着くのを待っていたようで、着替え顔を向けると、女も俊の正面に立った。
「話してくれるか?」
女は俊の手を取って、彼を床まで導いた。
いつも用意されている座布団に正座すると、相手も俊の対面に座した。
話すのを待つべきか、俊が考えたのと同時くらいに、女は抑揚のない口調で語り始めた。
「七年前、父が亡くなったの。殉職だった」
予想だにしない理由だった。彼女が父を亡くしていることも、なくなった理由も。
俊は、泊内の話を思い出した。泊内が捜査一課に配属されたとき、初の相棒だった相手のことを、時々話してくれる。聞き込みや取り調べのとき、相手のどういった行動に目を配っていればいいかなど、警察官という仕事のうえで必要な技術を。泊内はその先輩から多くのことを学んだという。
当時の泊内の相棒は、現副署長である菊野勝明の弟だった人物だ。
些細なことも見逃さない人だったという。
七年前、ガソリンスタンドに突入しようとした犯人をパトカーで止め、亡くなった巡査部長──殉職により二階級特進をしたあの。
「あなたの父上は、菊野勝善警部……なのか。あの事件の」
「ええ」
腑に落ちた。相手の女が、妙に勘がいいことに。
警察官の妻になりたくない理由にも。
そんな自嘲できる余裕も、署に着いたときには消えてなくなった。
少年を殺害した容疑者が捕らえられた。慌ただしく時間が過ぎていく。
見合い中として免除されている故、勤務時間内で俊は残業を免除されたものの、忙しさのあまり、見合いを続けられそうな、彼女を説得できそうな言葉が何も見いだせなかった。
夕刻、今日は厚い雲に覆われ、いつもより空が暗かった。
窓に雫が落ちる音がした。大粒の雨だ。
パラパラと奏でたあと、大きな合唱となって俊に迫ってきた。
もちろん傘が必要な降水量だと分かっていた。
分かっていて、持参しなかった。さらに、嫌味のように軒下からわざと遠くで待っている。
予告通り、離れの戸は閉まっていた。中に人の気配もない。だが確信はあった。彼女は来る。明日以降、見合いを続けてくれるかどうかは俊の手腕にかかってくるだろうが、今日は来る。
「しかしまあ……」
寒さに同情して貰えれば御の字だと思っていたが、雨に濡れていても寒さを感じなかった。さすが夏だ。
バシャバシャと足音が聞こえてきた。彼女だ。見合いの相手だ。
俊は体をそちらに向け目を見開いた。
今まで、彼女も屋外にいたのか?
浴衣を纏っているが、全身ずぶ濡れになっている。俊の傍まで駆けてやってきた。
どうして、そんな格好になっているんだ。俊は努めて彼女の目元に視線を合わせた。
「よう。やっぱり来たな。あなたは」
「馬鹿じゃないの、あなた」
その通りだ。雨の中、同情を買うつもりで傘を持参しなかったが、この展開は考えていなかった。
「だろう。可哀想だと思うだろ。中に入れてくれ」
入ってせめて、上に何か羽織ってくれ。
何故だ。どうして、裸同然……いや全裸よりきわどい格好で俺の前に立っている? 俺を動揺させたいのなら、完璧な作戦すぎる。
俊の困惑の原因が分かっていない──そもそも俊が困惑していることさえ気付いていないだろう。彼女は顎をしゃくった。
「……帰って」
相手の虚勢を張った小生意気な態度で、俊は我に返ることができた。
「なあ……昨日、俺は完全に頭にきてたから、一旦時間を置きたくて帰った。今日はあなたから、俺を拒絶する理由を聞くまで絶対にここを動かない。……バレてしまったから言うけどな。警官の諦めの悪さをなめるなよ」
「あなた、捜査一課なの?」
「知りたいだろ? 俺を入れてくれ」
空も応援してくれているようで、雨音がさらに大きくなった。
「どうして、そこまでして知りたいのよ。私のこと」
「惚れているからに決まってるだろ。俺は、初日にあなたが俺の身長を測ろうとしていたと教えてもらったときから、あなたを妻にすると決めていた。だからあなたを悩ませるものがなにか知りたい。逆の立場だったら、あなたも知りたがるはずだ」
「あんなことで?」
あんなことだと?
「ああ。あんなことで、だ」
すでに、俊の感情は荒ぶっている。冷静でないうえ、心理学者で精神科医でもあるまいし、どうにか解決したいという考えは無謀だ。
目の前の、自分を卑下し殻に閉じこもっている相手を、どうにか引きずり出したいのに、円満な落とし所が俊には分からない。
どうしたらいいんだ。
「あなたも俺が気に入っていたはずだ。職業に貴賎はない。それでも俺は、俺自身でなく俺の職であなたに切り離されようとしている。そこまで嫌なら、はじめからあなたは両親に言っておくべきだった。あなたはそれを怠り、俺たちは四日も会っていた。あなたの怠慢だ。こっちだって親父とお袋に説明する義務がある。あなたは責任を取って事情を説明してくれ」
責任感の強い相手だ。相手の非について言及すると、反応があるはずだ。
雨雲のせいで、先日よりさらに視界が悪い。相手の挙動から何か糸口が掴めないかと、俊は目を凝らしていた。
相手の女は両腕に手のひらを置いた。乳房が寄せられ、俊はそちらに気を取られそうになったが、珍しく性欲より心配が勝った。
寒いのだ。当たり前だ。相手は浴衣一枚、しかもずぶ濡れで、なお雨に打たれているのだ。俊は手を伸ばした。やめてほしいという意思表示はされたが、彼女が足を引く前に俊の手が彼女の背に届き、強引に引き寄せた。
手のひらに、彼女の体温が伝わってくる。
「肩が冷たくなってる」
ふっと、女の力が抜けたような感覚がした。すぐに胸に手を当てられ、押された。
「……離して」
「せめて軒下に」
「離して、鍵を開けるから……ここの鍵は閉めてしまったの。取ってくるから、待って」
俊が彼女の二の腕を離さずにいたせいか、俊の手の甲に女は手を添えた。冷たい指だ。離すのが忍びないが、今は彼女の言い分の方が正しい。
俊がしぶしぶ手を離すと、女はさっと踵を返した。
このまま帰ってこないことを心配していない。義理堅い人物であるのは、たった五日とは言え、すでに分かっている。
彼女の体が冷えていることが心配だった。
あの女に惚れ込んでしまっている。
果たして、互いに合意できるまで、冷静でいられるのか、俊には自信がなくなってきた。
女はすぐに戻ってきて、タオルだけでなく俊用の着替えも持ってきてくれた。てきぱきと俊に指示をし、こちらの世話を焼こうとしてくる。
どう考えても、先に処置をしなければならないのは彼女の方なのに。
とりあえずは言う通りに着物を脱ぎ、彼女に渡していった。全裸になってシャワーブースで、シャワーの水がお湯になるのを待ちながら、女の一挙一動を見ている。
離れの中には入れてくれたが、問題が解決したわけではない。
何かを見落とすと、彼女が離れていってしまう、そういった焦りが俊のなかにある。
乾燥機が起動し、彼女は俊の着物を干し終えた。すぐに俊は女の隣に立ち、抗議される前に彼女の帯を解いた。強引に腕を引いて、二人でシャワーブースに入って、俊はおもむろに彼女にシャワーのお湯をかけた。
「うわ」
女が驚いているあいだに、俊は彼女の背側に周り、背から女を抱きしめた。
冷たい体に俊の方が慄いた。
「おい、冷え切ってるじゃないか」
女は無言だったが、寒さに緊張していた体が、だんだん緩んでいくのが分かる。寒い日に、温泉に浸かったときのように。
寒いのならそう言えばいいのに。
彼女の脇から腹へ、俊は手を這わせた。どこもかしこも冷たい。腹を下したりするんじゃないかという危惧まで考慮してしまう。
女は、また俊の手の甲に手を重ねてきた。拒否ではない。
そのまま、動かないでほしいといいたげだ。しかも俊に体を預けるように脱力している。
俊の頭の中は疑問でいっぱいだ。
こんなに、俊という個人を信頼してくれているのに。からだを委ね甘える仕草をするのに。
警察官の何が気に食わないのか。
腕の中の女が身じろいだ。湯に触れ、俊が抱きしめていたことで、いつのまにか相手の体はあたたかくなっていた。
ほっとしたが、それが原因なのか、彼女の体温以外のものに俊は気を取られはじめた。
柔らかくあたたかな女の素肌だ。今日は檸檬の香りはしない。香りの有無が重要なのではなく、それを確認できるまでごく間近にいることを意識した。
俊は瞑目した。
「昨日、済まなかった」
「なにが?」
女の返事に嫌味がない。本当に、何に対して俊が謝罪をしているのか分かっていないのだ。
「あなたの合意を得ずに抱こうとした。帰る間際に」
女は自嘲したようだ。
「私も、来るななんて言っておきながら、あなたの口付けを受け入れたし……そのまま抱かれたいと……も、思って……」
危機管理がなってない。誰だか知らないが、この女性を紹介してきた、同業者(おそらく)に説教してやりたい。
色欲に陥落している自分にも。
「ごめんなさい。もういい。離して……」
腕を緩めた。罠だと気付いているのか試した。案の定、分かっていないようで、女は距離を取らず、ただ振り返ってきた。
衝動で口付けをした。後に俊は自身のこらえ性のなさに幻滅した。
最初こそ体を強ばらせたが、相手は俊を受け入れはじめた。
俊の肩に手を回し、抱きついてくる。口付けに没頭しそうだ。このまま彼女の腿を引き上げ、開いた先を突き上げたい。
抱え直し、腿に手をのばしかけた。口付けしたままでは手が届かない。女を解放したとき、彼女は小さく喘ぎ、首を左右に振った。
「……もう」
「悪い」
駄目だ。今度こそ、合意を得る前に彼女を抱いてしまう。いや、合意はしているかもしれない。
それに便乗してはならない。
その前に、説得をしなければ。
彼女の髪を乾かしたあと、俊は用意された浴衣を纏った。俊が落ち着くのを待っていたようで、着替え顔を向けると、女も俊の正面に立った。
「話してくれるか?」
女は俊の手を取って、彼を床まで導いた。
いつも用意されている座布団に正座すると、相手も俊の対面に座した。
話すのを待つべきか、俊が考えたのと同時くらいに、女は抑揚のない口調で語り始めた。
「七年前、父が亡くなったの。殉職だった」
予想だにしない理由だった。彼女が父を亡くしていることも、なくなった理由も。
俊は、泊内の話を思い出した。泊内が捜査一課に配属されたとき、初の相棒だった相手のことを、時々話してくれる。聞き込みや取り調べのとき、相手のどういった行動に目を配っていればいいかなど、警察官という仕事のうえで必要な技術を。泊内はその先輩から多くのことを学んだという。
当時の泊内の相棒は、現副署長である菊野勝明の弟だった人物だ。
些細なことも見逃さない人だったという。
七年前、ガソリンスタンドに突入しようとした犯人をパトカーで止め、亡くなった巡査部長──殉職により二階級特進をしたあの。
「あなたの父上は、菊野勝善警部……なのか。あの事件の」
「ええ」
腑に落ちた。相手の女が、妙に勘がいいことに。
警察官の妻になりたくない理由にも。
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