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ムリョクなぼくと会議と大人
子ども会議と光岡家
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光岡の家はすぐにわかった。
公園の3つ先の家。チャイムを鳴らし、インターフォンに出ると、「うわっ、早すぎ」という声が聞こえた。しばらく待つと、玄関の戸が開いた。
「ねえ、朝、女子の家に来る時は、ちゃんと時間守ってよ。色々支度があるんだから。デリカシーなさすぎ」
と、光岡はぶうぶう文句を言っている。
そんなに怒んなくてもいいじゃんと思いつつ、「ごめんね」と、とりあえず謝る。光岡の後にお父さんとお母さんがいた。いいなあ。普通の家だ。
「おはようございます。朝早くから、申し訳ありません」と言うと、いやな顔もせず、すぐに家にまねき入れてくれた。
「Sクラスのこと、教えてくれるなんて。忙しいのにありがとう」と感謝までされた。
いい人たちだ。本当は光岡のためじゃなく、佐伯のためですとは、口が裂けても言えない。すると、またチャイムが鳴った。佐伯だった。
◇ ◇
女の子の部屋に生まれて初めて入ったけど、想像と違った。ピンクや赤といった女の子っぽい色がない。フリルやリボンも見当たらない。木目調の家具にグリーンのカーテン。ぼくの部屋とそう変わりない。
「ピンクとかそういう色じゃないんだね」と言うと、「女子全員がそういうフリフリのものが好きだとは限らない。偏見だよ」と怒られた。
すぐにお母さんが、お茶とシュークリームを持ってきてくれた。いたれりつくせりだ。カモフラージュのため、勉強道具を取り出していると、光岡が小さな声で佐伯に言った。
「あのあと、大丈夫だった?」
「昨日も言ったけど、夜勤だったからいなかった。朝、帰ってくるなと思って、早めに家を出てきて、公園で時間をつぶしてた。そしたら、渋谷を見かけたから来た」
とぼそっと言った。暴力を受けていなくて、よかった。佐伯は少し寝られたのかな。
「あのさ、あの後、色々考えて、塾の先生に相談に乗ってもらったんだけど、一番大切なのは、自分がどうしたいかだって」
と、ぼくは言った。
そう言ったのは、佐伯が、これからのことをどう思っているのかを聞きたかったからだ。そうしないと、これからの動き方がわからない。佐伯の気持ちを聞きたかった。
「え~、他の人に言ったの? 絶対秘密にしたほうがいいと思うけどなあ」
光岡は不満そうだ。ぼくたちだけの秘密にしたかったからかもしれない。
けれど、大人に何も言わずに、この問題を解決することなんて、きっと不可能だ。佐伯のお父さんが権力を持っているなら余計に。先生の「違う権力を使う」という言葉を思い出した。悔しいけど、子どもには権力がない。ヒリキだ。だからこそ、信用できる人に気持ちを伝えながら、一緒にたたかうしかない。
「この場合、大人のシステムを知らないとたたかえないと思うんだ。だから、信用できる大人を味方につけたいと思っている。これは遊びじゃない。佐伯の命と人生がかかっているんだから」
そう伝えた。まじのたたかいをする。その覚悟が必要だということをわかってほしい。
真剣な顔をしていると、光岡は謝ってくれた。その上で佐伯がどうしたいか、もう一度聞いてみた。
「もう殴られたくない。もし親父と一緒にいたら、きっといつか同じことをしそうな気がして…。怖い」
どなり声は聞こえたけど、直接、暴力をふるわれたところを見てはいない。教室では、いつも黙って座っているだけだが、佐伯にはどこか暴力のにおいがある。女子に「うるさい」と言った時の目は忘れられない。
佐伯は、言葉をふりしぼるように言った。
「できれば、できればなんだけど、お袋がなぜおれを置いていったのか…知りたい。一緒に住みたいとか住みたくないとか、まだわからないんだけど…」
佐伯はお母さんが自分を置いていった理由を知りたいんだ。そして、会いたいんだ。
「ねえ、お母さんの住んでいるところは知ってるの? そこに行って、直接お母さんと話してみればいいんじゃないかな」
同じことを思ってた。お母さんに保護してもらうことはできないのかな。
「どこに住んでいるのかは、知らない」
と、佐伯は首を振った。声が震えていた。
「ヒントだけでもない?」
佐伯は少し考え込んでいたが、はっと思いついたようだ。
「小さい時、おじいちゃんちに行ったことがあるような気がする。山梨だったような…」
その先も覚えてろよと心のすみで思ったけど、責めてもしょうがない。先生がいくつか教えてくれたことの一つを実行しよう。
「あのさ、家に健康保険証とかある?」
佐伯は、「たぶん、引き出しの中にあるんじゃないかな」とだけ答えた。
「市役所に行って、身分証明書とか見せて、戸籍謄本というものをとってくれば、お母さんの名前とか住所を確認できるかも。そうしたら、その住所のところまで行ってさ、お母さんがどう思っているか聞いてこようよ」
山梨までなら行けないことはないはず。住所さえわかれば、ネットでも調べられる。迷ったら、スマホもあるし、人に聞けばいい。
佐伯は、ぎゅっと腕を抱きしめた。
「さすが。で、その先どうするの?」
「まずお母さんに会う。手続きを踏めば、一緒に暮らすこともできるって。先生がそう言ってた。もし難しいようなら、その先をまた考え直せばいいって」
「そっか、面倒くさいなあ。もっと簡単に解決する方法ないのかな、ね」
と、佐伯の顔を見ながら、やけに明るく言った。
「役所は、平日しか開いていない。明日、授業参観の振替休日だから、市役所に行って、戸籍謄本をとってきて、もし住所がわかったら、その場所に行こう。そしてお母さんに会って来ればいいんじゃないかな」
佐伯は、複雑そうな顔をしている。会いたいって言ったくせに…。わかる気もした。唯一のよりどころである母親に拒否されたら、辛いに違いない。ぼくだって…。それはない。頭の中から、アレのことを追い出した。
佐伯は「怖い…」とだけつぶやいた。そっか知りたいけど、お母さんに会うのは、佐伯は怖いのかもしれない。その気持ちは何となくわかる、けどさ。
「佐伯、このままお父さんと一緒にいるのがいやで、置いていかれた理由を知りたいなら、一度会わないと。これから先、どうすればいいかわからないよ。一緒に行くから、がんばろうよ」
と、佐伯にもう一度、説得してみる。
どっちにしろ、何か行動しなくちゃ。佐伯がやばいような気がする。
佐伯はしばらく黙っていたけど、口を開いた。
「わかった。怖いけど…。行ってみる」
佐伯がそう言うと、光岡は嬉しそうに笑った。
「じゃあ時間とか決めて行こう!」
光岡はノリノリだ。
ふと不安が頭をよぎった。行くとすると、電車か。電車賃って山梨までいくらだろう。お金…。お金のことを考えてなかった。足りるかな。やっぱり行動を起こすためにはお金が必要だ。お金って大事だ。
言ったはいいけど、お金のことをまったく考えていなかった。どうしよう…。でも、行くと言った手前、否定もできない。どうすればいいんだろう…。
◇ ◇
「この例文にそって考えれば、このどっちかの答えになる。それで、この前の文の接続語が『しかし』だから…」
「あっ、そっか。答えは2か。教え方、超うまいね」
光岡は、国語がどうも苦手らしい。どうりで作文を1時間で書けなかったわけだ。光岡が強く主張したのは、「人の気持ちなんて、文章の中でわかるわけない」ということだった。国語の文章題は、文章を一つひとつ分けて考えれば、答えは出るはずなのに。
あの後、明日のスケジュールを決めたので、勉強をすることにした。佐伯はすぐに飽きて、光岡が持ってきたお兄さんのマンガを寝転びながら読み始めた。くそっ、ぼくだって読みたい。
「お昼、用意しているから、食べてね」
と、光岡のお母さんが声をかけてくれた。
いいお母さんだな。アレとは大違いだ。
「日曜の団らんの時間にお邪魔じゃないですか」と言うと、「大丈夫よ。ミートソースを作りすぎたから、よかったらなんだけど」と言ってくれた。
佐伯が、ぼくをじっと見ている。ああ食べたいんだなとすぐにわかった。
光岡の部屋で、チーズがこれでもかと入った激うまミートソースを食べた。トロトロのチーズと甘みと酸味があるトマトの味は胃袋に染みた。うまっ。佐伯は図々しくもおかわりをした。光岡のお母さんも何だか嬉しそう。
その後、佐伯はマンガの続きを読みたくなったらしく、光岡にお兄さんの部屋に連れて行ってもらっていた。佐伯だけそのまま帰ってこなかった。
「あいつ、何してんだ」
娯楽に縁がないぼくらにとって、この光岡の家は天国だ。
佐伯はゲームでもしているに違いない。それなのに…、ぼくはまた勉強だ。ちょっといらいらする。
なんで、勉強してるんだ? 遊べばいいじゃん。
「一緒に遊んでるんじゃないかな。面倒見はいいんだ、お兄ちゃんは」
光岡によると、学業優秀だったらしいのだが、今は遊びまくっているらしい。
「大学の付属中学行ったら、勉強なんか全然しなくなっちゃった。今、高校生なんだけど、遊んでばっか。ああはなりたくないんだよね。小さい時、お父さんの仕事の都合で、アメリカに行ってたの。かなり忘れちゃったけど、英語が好きなんだ。だから、もっと勉強して、海外にばんばん行ったりする仕事につきたい」のだそうだ。
光岡が梅園女子に行きたい理由もよくわかった。ぼくと違って、
将来の生活設計がきちんとできている。ちょっとうらやましかった。しかし、そこまで将来について考えているのに、なぜ作文が書けなかったのだろうか。謎だ。
「それにさ、公立に行くとすると、江村橋中学じゃない。あそこ区内で一番校則厳しいし、制服ダサいし、いやなんだよね」
そんな理由かい!
「渋谷が、色々教えてくれたら、梅園行けそうな気がする。よろ」
いつの間にか、くんが外れてる。ぼくも光岡さんから、光岡に呼び方を変えよう。
ま、しょうがない。勉強の手伝いくらいはしてやるか。
◇ ◇
宿題を光岡とたんたんとこなしていると、いきなり音楽が聞こえてきた。ノリのいいダンス音楽、かな。音楽はくわしくないけど、リズムが早い、踊れる感じがする曲が隣の部屋からガンガン流れてきた。
「お兄ちゃん、いい加減にしてほしい」
いらいらしている光岡を一度はなだめた。BGMだと思えば、そんなに気にならないはず。そのうち床がバタバタときしみ始めた。
「もう我慢できない! 佐伯も何してるわけ? ちょっと文句言ってくる!」
光岡が怒った顔をして、すっくと立ち上がり、部屋を出て行った。
かと思うと、すぐに部屋に戻ってきた。
そして、手まねきをして、こっちへ来いというジェスチャーをしている。怒っている顔ではない。にこにこしている。一体何だ? 態度が違いすぎないか。
部屋を出た。光岡は、向かいの音楽が鳴る部屋の扉を少し開けた。
板ばりの部屋に、佐伯と光岡のお兄さんの二人が、ダンスをしていた。手足を交差しながら、足を前後左右に軽やかステップを踏む。一瞬、酔っぱらっているのかなって思ったけど、何かのステップらしい。音楽とシンクロしているのだけはわかる。
「お前、うまいな。2ステップもう覚えたのか。じゃあ、次な」という声が聞こえた。
部屋の中に、光岡の兄さんがいた。少し背が低いけど、髪は茶髪で、スタイリングもばっちり。おしゃれ男子って感じだ。佐伯と一緒に踊るダンスのステップの一つひとつが、流れるように決まっている。佐伯も、お兄さんの真似がなかなかうまい。
ドアを開けたぼくたちを見たお兄さんは、「おう」とだけ言った。そして、光岡に向かって「佐伯くん、めちゃくちゃ才能あるね。もう基本のステップを二つも覚えたし」と、付け加えた。佐伯はこっちを全く見ていない。まっすぐにお兄さんの動きを見つめながら、必死に動きをつかもうとしている。こんなに真剣な顔をしている佐伯は初めてだ。
「すごいね」
と、光岡が言った。
ぼくはうなずいた。
ダンサーになりたいという作文は本物だったんだ。噓じゃない。佐伯の顔を見れば、よくわかる。
佐伯は、今、虐待を受けて、ヘタっているけど、そんなに弱い人間じゃないじゃないんだな。無口で何を考えているかわかりにくい。けれど、コミュニケーションを拒否しているわけではないんだ。じゃなかったら、光岡のお兄さんにダンスを教えてもらえるわけがない。そもそもぼくや光岡と仲間になってないはずだ。ただ不器用なんだ。そんな佐伯が真剣な顔をして、自分の好きなことに必死にやってる。それだけで、心がなんだかじんとした。
しばらくの間、光岡と二人、黙って佐伯がダンスする姿を見つめていた。
◇ ◇
夕方、光岡の家から帰る時、お兄さんも出てきた。けっこう重そうな紙袋を無造作に佐伯に渡しながら、言った。
「峻、身なり整えろよ。ダンスは見られるんだから、洋服も大事。自分のスタイルを見せつけるんだ。小さくて着られなくなった服があったから、やる。また来いよ。ダンス教えてやるから。うまくなったら、グループに入れてやるよ」
と、言った。
いつのまにか佐伯くんから峻呼びになっている。佐伯は、恥ずかしそうに受け取った。そういえば、服、2~3着くらいしか見たことがない。そこまで気をつかってくれてる。優しい。佐伯は、はちきれそうな笑顔を見せた。レアだ。
「お兄ちゃん、佐伯のこと、よっぽど気に入ったんだね」と光岡も笑った。
そして、ぼくは小田切先生に電話を入れた。
公園の3つ先の家。チャイムを鳴らし、インターフォンに出ると、「うわっ、早すぎ」という声が聞こえた。しばらく待つと、玄関の戸が開いた。
「ねえ、朝、女子の家に来る時は、ちゃんと時間守ってよ。色々支度があるんだから。デリカシーなさすぎ」
と、光岡はぶうぶう文句を言っている。
そんなに怒んなくてもいいじゃんと思いつつ、「ごめんね」と、とりあえず謝る。光岡の後にお父さんとお母さんがいた。いいなあ。普通の家だ。
「おはようございます。朝早くから、申し訳ありません」と言うと、いやな顔もせず、すぐに家にまねき入れてくれた。
「Sクラスのこと、教えてくれるなんて。忙しいのにありがとう」と感謝までされた。
いい人たちだ。本当は光岡のためじゃなく、佐伯のためですとは、口が裂けても言えない。すると、またチャイムが鳴った。佐伯だった。
◇ ◇
女の子の部屋に生まれて初めて入ったけど、想像と違った。ピンクや赤といった女の子っぽい色がない。フリルやリボンも見当たらない。木目調の家具にグリーンのカーテン。ぼくの部屋とそう変わりない。
「ピンクとかそういう色じゃないんだね」と言うと、「女子全員がそういうフリフリのものが好きだとは限らない。偏見だよ」と怒られた。
すぐにお母さんが、お茶とシュークリームを持ってきてくれた。いたれりつくせりだ。カモフラージュのため、勉強道具を取り出していると、光岡が小さな声で佐伯に言った。
「あのあと、大丈夫だった?」
「昨日も言ったけど、夜勤だったからいなかった。朝、帰ってくるなと思って、早めに家を出てきて、公園で時間をつぶしてた。そしたら、渋谷を見かけたから来た」
とぼそっと言った。暴力を受けていなくて、よかった。佐伯は少し寝られたのかな。
「あのさ、あの後、色々考えて、塾の先生に相談に乗ってもらったんだけど、一番大切なのは、自分がどうしたいかだって」
と、ぼくは言った。
そう言ったのは、佐伯が、これからのことをどう思っているのかを聞きたかったからだ。そうしないと、これからの動き方がわからない。佐伯の気持ちを聞きたかった。
「え~、他の人に言ったの? 絶対秘密にしたほうがいいと思うけどなあ」
光岡は不満そうだ。ぼくたちだけの秘密にしたかったからかもしれない。
けれど、大人に何も言わずに、この問題を解決することなんて、きっと不可能だ。佐伯のお父さんが権力を持っているなら余計に。先生の「違う権力を使う」という言葉を思い出した。悔しいけど、子どもには権力がない。ヒリキだ。だからこそ、信用できる人に気持ちを伝えながら、一緒にたたかうしかない。
「この場合、大人のシステムを知らないとたたかえないと思うんだ。だから、信用できる大人を味方につけたいと思っている。これは遊びじゃない。佐伯の命と人生がかかっているんだから」
そう伝えた。まじのたたかいをする。その覚悟が必要だということをわかってほしい。
真剣な顔をしていると、光岡は謝ってくれた。その上で佐伯がどうしたいか、もう一度聞いてみた。
「もう殴られたくない。もし親父と一緒にいたら、きっといつか同じことをしそうな気がして…。怖い」
どなり声は聞こえたけど、直接、暴力をふるわれたところを見てはいない。教室では、いつも黙って座っているだけだが、佐伯にはどこか暴力のにおいがある。女子に「うるさい」と言った時の目は忘れられない。
佐伯は、言葉をふりしぼるように言った。
「できれば、できればなんだけど、お袋がなぜおれを置いていったのか…知りたい。一緒に住みたいとか住みたくないとか、まだわからないんだけど…」
佐伯はお母さんが自分を置いていった理由を知りたいんだ。そして、会いたいんだ。
「ねえ、お母さんの住んでいるところは知ってるの? そこに行って、直接お母さんと話してみればいいんじゃないかな」
同じことを思ってた。お母さんに保護してもらうことはできないのかな。
「どこに住んでいるのかは、知らない」
と、佐伯は首を振った。声が震えていた。
「ヒントだけでもない?」
佐伯は少し考え込んでいたが、はっと思いついたようだ。
「小さい時、おじいちゃんちに行ったことがあるような気がする。山梨だったような…」
その先も覚えてろよと心のすみで思ったけど、責めてもしょうがない。先生がいくつか教えてくれたことの一つを実行しよう。
「あのさ、家に健康保険証とかある?」
佐伯は、「たぶん、引き出しの中にあるんじゃないかな」とだけ答えた。
「市役所に行って、身分証明書とか見せて、戸籍謄本というものをとってくれば、お母さんの名前とか住所を確認できるかも。そうしたら、その住所のところまで行ってさ、お母さんがどう思っているか聞いてこようよ」
山梨までなら行けないことはないはず。住所さえわかれば、ネットでも調べられる。迷ったら、スマホもあるし、人に聞けばいい。
佐伯は、ぎゅっと腕を抱きしめた。
「さすが。で、その先どうするの?」
「まずお母さんに会う。手続きを踏めば、一緒に暮らすこともできるって。先生がそう言ってた。もし難しいようなら、その先をまた考え直せばいいって」
「そっか、面倒くさいなあ。もっと簡単に解決する方法ないのかな、ね」
と、佐伯の顔を見ながら、やけに明るく言った。
「役所は、平日しか開いていない。明日、授業参観の振替休日だから、市役所に行って、戸籍謄本をとってきて、もし住所がわかったら、その場所に行こう。そしてお母さんに会って来ればいいんじゃないかな」
佐伯は、複雑そうな顔をしている。会いたいって言ったくせに…。わかる気もした。唯一のよりどころである母親に拒否されたら、辛いに違いない。ぼくだって…。それはない。頭の中から、アレのことを追い出した。
佐伯は「怖い…」とだけつぶやいた。そっか知りたいけど、お母さんに会うのは、佐伯は怖いのかもしれない。その気持ちは何となくわかる、けどさ。
「佐伯、このままお父さんと一緒にいるのがいやで、置いていかれた理由を知りたいなら、一度会わないと。これから先、どうすればいいかわからないよ。一緒に行くから、がんばろうよ」
と、佐伯にもう一度、説得してみる。
どっちにしろ、何か行動しなくちゃ。佐伯がやばいような気がする。
佐伯はしばらく黙っていたけど、口を開いた。
「わかった。怖いけど…。行ってみる」
佐伯がそう言うと、光岡は嬉しそうに笑った。
「じゃあ時間とか決めて行こう!」
光岡はノリノリだ。
ふと不安が頭をよぎった。行くとすると、電車か。電車賃って山梨までいくらだろう。お金…。お金のことを考えてなかった。足りるかな。やっぱり行動を起こすためにはお金が必要だ。お金って大事だ。
言ったはいいけど、お金のことをまったく考えていなかった。どうしよう…。でも、行くと言った手前、否定もできない。どうすればいいんだろう…。
◇ ◇
「この例文にそって考えれば、このどっちかの答えになる。それで、この前の文の接続語が『しかし』だから…」
「あっ、そっか。答えは2か。教え方、超うまいね」
光岡は、国語がどうも苦手らしい。どうりで作文を1時間で書けなかったわけだ。光岡が強く主張したのは、「人の気持ちなんて、文章の中でわかるわけない」ということだった。国語の文章題は、文章を一つひとつ分けて考えれば、答えは出るはずなのに。
あの後、明日のスケジュールを決めたので、勉強をすることにした。佐伯はすぐに飽きて、光岡が持ってきたお兄さんのマンガを寝転びながら読み始めた。くそっ、ぼくだって読みたい。
「お昼、用意しているから、食べてね」
と、光岡のお母さんが声をかけてくれた。
いいお母さんだな。アレとは大違いだ。
「日曜の団らんの時間にお邪魔じゃないですか」と言うと、「大丈夫よ。ミートソースを作りすぎたから、よかったらなんだけど」と言ってくれた。
佐伯が、ぼくをじっと見ている。ああ食べたいんだなとすぐにわかった。
光岡の部屋で、チーズがこれでもかと入った激うまミートソースを食べた。トロトロのチーズと甘みと酸味があるトマトの味は胃袋に染みた。うまっ。佐伯は図々しくもおかわりをした。光岡のお母さんも何だか嬉しそう。
その後、佐伯はマンガの続きを読みたくなったらしく、光岡にお兄さんの部屋に連れて行ってもらっていた。佐伯だけそのまま帰ってこなかった。
「あいつ、何してんだ」
娯楽に縁がないぼくらにとって、この光岡の家は天国だ。
佐伯はゲームでもしているに違いない。それなのに…、ぼくはまた勉強だ。ちょっといらいらする。
なんで、勉強してるんだ? 遊べばいいじゃん。
「一緒に遊んでるんじゃないかな。面倒見はいいんだ、お兄ちゃんは」
光岡によると、学業優秀だったらしいのだが、今は遊びまくっているらしい。
「大学の付属中学行ったら、勉強なんか全然しなくなっちゃった。今、高校生なんだけど、遊んでばっか。ああはなりたくないんだよね。小さい時、お父さんの仕事の都合で、アメリカに行ってたの。かなり忘れちゃったけど、英語が好きなんだ。だから、もっと勉強して、海外にばんばん行ったりする仕事につきたい」のだそうだ。
光岡が梅園女子に行きたい理由もよくわかった。ぼくと違って、
将来の生活設計がきちんとできている。ちょっとうらやましかった。しかし、そこまで将来について考えているのに、なぜ作文が書けなかったのだろうか。謎だ。
「それにさ、公立に行くとすると、江村橋中学じゃない。あそこ区内で一番校則厳しいし、制服ダサいし、いやなんだよね」
そんな理由かい!
「渋谷が、色々教えてくれたら、梅園行けそうな気がする。よろ」
いつの間にか、くんが外れてる。ぼくも光岡さんから、光岡に呼び方を変えよう。
ま、しょうがない。勉強の手伝いくらいはしてやるか。
◇ ◇
宿題を光岡とたんたんとこなしていると、いきなり音楽が聞こえてきた。ノリのいいダンス音楽、かな。音楽はくわしくないけど、リズムが早い、踊れる感じがする曲が隣の部屋からガンガン流れてきた。
「お兄ちゃん、いい加減にしてほしい」
いらいらしている光岡を一度はなだめた。BGMだと思えば、そんなに気にならないはず。そのうち床がバタバタときしみ始めた。
「もう我慢できない! 佐伯も何してるわけ? ちょっと文句言ってくる!」
光岡が怒った顔をして、すっくと立ち上がり、部屋を出て行った。
かと思うと、すぐに部屋に戻ってきた。
そして、手まねきをして、こっちへ来いというジェスチャーをしている。怒っている顔ではない。にこにこしている。一体何だ? 態度が違いすぎないか。
部屋を出た。光岡は、向かいの音楽が鳴る部屋の扉を少し開けた。
板ばりの部屋に、佐伯と光岡のお兄さんの二人が、ダンスをしていた。手足を交差しながら、足を前後左右に軽やかステップを踏む。一瞬、酔っぱらっているのかなって思ったけど、何かのステップらしい。音楽とシンクロしているのだけはわかる。
「お前、うまいな。2ステップもう覚えたのか。じゃあ、次な」という声が聞こえた。
部屋の中に、光岡の兄さんがいた。少し背が低いけど、髪は茶髪で、スタイリングもばっちり。おしゃれ男子って感じだ。佐伯と一緒に踊るダンスのステップの一つひとつが、流れるように決まっている。佐伯も、お兄さんの真似がなかなかうまい。
ドアを開けたぼくたちを見たお兄さんは、「おう」とだけ言った。そして、光岡に向かって「佐伯くん、めちゃくちゃ才能あるね。もう基本のステップを二つも覚えたし」と、付け加えた。佐伯はこっちを全く見ていない。まっすぐにお兄さんの動きを見つめながら、必死に動きをつかもうとしている。こんなに真剣な顔をしている佐伯は初めてだ。
「すごいね」
と、光岡が言った。
ぼくはうなずいた。
ダンサーになりたいという作文は本物だったんだ。噓じゃない。佐伯の顔を見れば、よくわかる。
佐伯は、今、虐待を受けて、ヘタっているけど、そんなに弱い人間じゃないじゃないんだな。無口で何を考えているかわかりにくい。けれど、コミュニケーションを拒否しているわけではないんだ。じゃなかったら、光岡のお兄さんにダンスを教えてもらえるわけがない。そもそもぼくや光岡と仲間になってないはずだ。ただ不器用なんだ。そんな佐伯が真剣な顔をして、自分の好きなことに必死にやってる。それだけで、心がなんだかじんとした。
しばらくの間、光岡と二人、黙って佐伯がダンスする姿を見つめていた。
◇ ◇
夕方、光岡の家から帰る時、お兄さんも出てきた。けっこう重そうな紙袋を無造作に佐伯に渡しながら、言った。
「峻、身なり整えろよ。ダンスは見られるんだから、洋服も大事。自分のスタイルを見せつけるんだ。小さくて着られなくなった服があったから、やる。また来いよ。ダンス教えてやるから。うまくなったら、グループに入れてやるよ」
と、言った。
いつのまにか佐伯くんから峻呼びになっている。佐伯は、恥ずかしそうに受け取った。そういえば、服、2~3着くらいしか見たことがない。そこまで気をつかってくれてる。優しい。佐伯は、はちきれそうな笑顔を見せた。レアだ。
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※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。(2024.12.2追記)
※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+、Nolaノベル、ツギクルに投稿しています。
※【応募版】を2025年11月4日からNolaノベルに投稿しています。現在修正中です。元の小説は各話の文字数がバラバラだったので、【応募版】は各話3500~4500文字程になるよう調節しました。67話(番外編を含む)→23話(番外編を含まない)になりました。
合言葉はサンタクロース~小さな街の小さな奇跡
辻堂安古市
絵本
一人の少女が募金箱に入れた小さな善意が、次々と人から人へと繋がっていきます。
仕事仲間、家族、孤独な老人、そして子供たち。手渡された優しさは街中に広がり、いつしか一つの合言葉が生まれました。
雪の降る寒い街で、人々の心に温かな奇跡が降り積もっていく、優しさの連鎖の物語です。
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