ヒリキなぼくと

きなり

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仲間なぼくと居場所と佐伯母

感動の対面…のはずだけど

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 目が覚めると、車窓から見る風景は、黄色へ、そして藍色へと変化していった。キングスクエアの立体駐車場に着くころには、もう日が暮れていた。

 車が止まると、先生は、電話をしまくっていた。光岡とぼくの家にも電話をかけている。その後も、何本かメールをしていた。 

 そして、先生は「さあ、行こうか」と車から出た。

 夕方のデパ地下はたたかいだ。パワフルな空気にあふれている。パンのこうばしい香り、肉の焼けたにおいなど食べ物のにおいがあちこちに充満している。そして、かけ声。あちこちで「安いよ」とか「これから30%オフです」という声がする。買い物客がどっと流れる。食欲ってすごいな。生きてるって感じがする。そういうぼくも、パンケーキを食べたのに、なんだかお腹がすいてきた。

 デパ地下は、思ったより広い。佐伯母はすぐに見つかるって思ってたけど、そんなに簡単じゃなかった。

 佐伯は、またフラフラしている。こっぱずかしいけど、手をにぎって一緒に歩いた。一人だとまっすぐに歩けないそうにもない感じだったから。佐伯の手は汗ばんでいて、緊張しているのがわかった。大丈夫。ぎゅっと手をにぎりかえした。

「お母さんの顔は佐伯くんしかわからないから、大変だけど、がんばって」
と、先生が言った。

 もう佐伯は、がんばりすぎるほど、がんばってる。探すのだって、きっと大変だ。あとどのくらいふんばれるのかな。狭い通路を四人で歩きながら、きょろきょろしていると、佐伯の足が止まった。

「あそこ」

 サラダ売り場に、佐伯のお母さんがいた。

     ◇   ◇

 出会えた。もうどこまで行くんだと思ったけど、やっとだ。佐伯の手は、さっきより汗でびしゃびしゃになっている。緊張してるのだろう。佐伯は、一歩前に出た。

「ちょっと待とう。今、仕事中だから」

 先生が引き止めた。ちょうど正面の位置に、売り場が見えるイートインのカフェがあったので、そこに居座ることにした。生ジュースを飲みながら、じっと佐伯のお母さんをみんなで見つめていた。

 佐伯のお母さんは、あのくそじじい夫婦から生まれたとは思えないほど、きゃしゃで目が大きい。ちょっと疲れている感じ。佐伯がイケメンなのはお母さん似だな。きれいな人だ。

 お客さんが好みのサラダとグラム数を言うと、はかりにかけ、値段のシールを張り、売る。隣のでんとしたおばさんはてきぱきとしているけど、それに比べるとよく言えばおっとり、悪く言えばもたもたしている。それでも一生懸命。にこにこしながら接客しているせいか、お客さんもいやな顔はしていない。

 ふと佐伯を見ると、じっとお母さんを見ている、会うのが怖いと言っていたけど、今はそんな感じがしない。すごく穏やかな顔で、お母さんを見ていた。
 
 いいな。親をあんなふうに見ていられて。佐伯は、ぼくのことをうらやましがっていたけど、母親をあんな顔で見つめられる佐伯のほうがよっぽどうらやましい。親が好きっていい。安心できる肉親がいるのは幸せだ。今のぼくにはないもの。まあ、佐伯とぼく、両方ないものねだりなんだけどさ。

 しばらくすると、店のサラダが売り切れた。他の売り場では、まだ商品が売れ残っていたから、このサラダ屋さんは人気があるのだろう。片づけにはいっていた。

「さあ、行こうか」
と、先生は言った。

     ◇   ◇

「すみません。雨宮さんですか」
と、先生が声をかけると、雨宮さんは、ぼくらを見た。

 そして、隣にいる佐伯に目を向けたとたん、目を見開き、固まった。
「峻…」
とだけ言った。そして、急にその場に座りこんだ。

 えっ。自分の想像していた対面シーンとかけ離れていたせいか、ひょうしぬけした。こうさ、「会いたかったよ」とか言って、がしっと抱きしめあうとか、そんなことを想像していた。けれど、そんなことは全然起きなくて、なんかビミョーな雰囲気だ。

「もう終わっ…」
と、同僚のおばさんが来た。えっと言いながら、佐伯とお母さんを交互に見ていた。

「美穂ちゃん、ちょっと大丈夫?」
と言いながら、佐伯のお母さんをかかえた。そして、佐伯の顔を見るなり、すぐに「あなた、美穂ちゃんの息子さん?」と戸惑う様子もなく、声をかけてきた。

     ◇   ◇

 ちょうど片付けも終わったらしく、おばさん(中西さんと言うらしい)は、てきぱきと指示し、雨宮さんとぼくたちを総菜売り場の奥のベンチに連れて行ってくれた。雨宮さんは青い顔をして、下を向いたきりだ。佐伯と同じリアクション…。親子だ。

「お袋…」

 佐伯は、どうお母さんに声をかけたほうがいいのか迷っているようだった。

「すみませんでした。お仕事中、混乱させるようなことになってしまって。どうしても、佐伯くんに会ってほしくて」

「ほら、美穂ちゃん、会いたいってずっと言っていたじゃない。息子さんがいるんだから、何か言ったら」
と、中西さんが声をかけた。

「まだまだなんだ。ごめんね、峻くん、だっけ」

「あの佐伯くんのお母さんは…」

 先生が聞くと、中西さんが説明してくれた。

 中西さんは、佐伯のお母さんと同級生らしい。十歳は違うだろって思ったけど、雨宮さんが若いのか、中西さんが老けているのか。たぶん両方の相乗効果だろう。中西さん、ごめんなさい。何も言わなくて、よかった。

 佐伯のお母さんは、お父さんの暴力でふらふらしているところを、保護されたそうだ。うつ病だったらしい。そのまま入院して、話が進み、離婚した。

本当は、佐伯を連れて行きたかったけど、病気が病気だったのと、安定した収入がないということで。親権はお父さんへ。お父さんを病的に怖がってしまったお母さんは、佐伯に会いたい。けれど、怖いという悪循環におちいっていたという。そんな中、勇気を出して、家に行った。けれど、引っ越していた…。

「峻、ごめんね。あの家に置いていって。ごめんなさい」

 そう言うと、また佐伯母は下を向いた。

 怖いのだろうか。佐伯は何も言わず、お母さんの手をにぎっている。

 そこには、「会うのが怖い」と言っていた佐伯ではなかった。堂々としていた。

 なんだかわかったような気がした。佐伯の居場所は、ここだ。お母さんのそばなんだ。ずっとこの居場所を探して続けていたんだ。よかった。本当によかった。でも…。

 反対に佐伯のお母さんは、佐伯に会って、身体が小刻みにふるえていた。彼を置いて出て行ったことを後悔しているのだろうか。「ごめんなさい」しか言わない。すっとどこかにいなくなりそうな雰囲気をかもしだしていた。

 この人も虐待されていたんだ。佐伯のお父さんに、そして、くそじじいに。どなられ、暴力をふるわれ、病院に入るくらいに。佐伯が手をにぎった時も、一瞬びくっとふるえて、手を引っこめようとしていた。そのくらい、何かを怖がっている。

 さっき遠くで見た時は、そんな感じはしなかったけど、素に戻ったの、かな。

「お袋、ごめん。こっちこそ、ごめん」

 佐伯も同じことを言っている。

 両方「ごめん」って言ってるけどさ、「ごめん」と本当に言わなきゃいけないのは、佐伯のお父さんじゃないかな。なんで何も悪くない二人が謝っているんだろう。なんでこんなにおびえているんだろう。

「佐伯くんもお母さんも両方悪くありません。加害者は、佐伯くんのお父さんやおじいさんだと思います。だから、謝る必要なんてないんですよ。今は会えてよかったって言うだけでいいじゃないですか」

 先生も、ぼくと同じことを思ってるんだ。

 どうして、暴力は、何もできないと思わせる魔力があるんだろう。「ごめんなさい」としか言わせなくなるんだろう。暴力が本当に憎い。ヒリキなのが悔しかった。

 佐伯母は、あまり話せず、うんうんとうなずくばかりだ。そのぶん、中西さんが今の話してくれた。

 退院した時、SOSを出したのが、短大時代の親友、中西さんだったそうだ。佐伯母は、今、中西さんの家で一緒に暮らしているそうだ。中西さん、おばさんっぽいって、老けてるって言ってごめん。めちゃくちゃいい人。この人がいなかったら、佐伯母はどうなっていたことか。

「峻くんに、お母さんと一緒に住んでって言いたいけど、今はまだ難しいの、ごめんね」
と、言っていた。

 中西さんによれば、お母さんのうつ病はあまりよくないらしい。通っていたクリニックも薬が合わなくて、だんだん行かなくなってしまったそうだ。それでも、働かねばと、がんばっているらしい。

「お袋、大丈夫か」
と、佐伯が言うと、お母さんは子どものように、いやいやと首を横にふった。

「俺さ、お袋に助けてもらおうと思って、ここに来たんだ」

 佐伯は、お母さんの手をぎゅっと握った。ぼくもわかった。それは無理だ。だって、佐伯母のほうも助けを必要としてる。

「でも、間違ってた」
 お母さんの表情が、一瞬くもった。

 佐伯、そんなことを言ったら、お母さん、どんな気持ちがすると思うんだ。それはヤバいよ。そんなことを言ったら…。

「ずっと親父の暴力から、お袋が救ってくれるって思ってた。だけどさ、おれよりもお袋のほうがひどいんだね。知らなかった。ごめん」

 佐伯が謝る必要なんてないのに…。佐伯だって、虐待されて、今だってひどい状態なんだから。

「病気はよくなってないんだね」
 
 佐伯母は、こくんとうなずいた。

 泣きそうな顔でお母さんを見ていた佐伯は、少し感じが変わっていた。

「どうすればいいのか、よくわかんないけど、なんとか、みんなと考えてみる」

 考えてみるって、そんな簡単じゃないけど、佐伯は、ぼくたちのことを信用して、頼ってくれているんだとわかった。

「佐伯くん、こういう症状に対応した病院ってあるんだ。手伝うから、ね」

 小田切先生が、佐伯の肩に手を置いた。佐伯は、先生に向かって、力強くうなずいた。そして、何か決心したような顔になった。

「いつか一緒にまた暮らそう。今は難しいかもしれないけど、おれがお金を稼いで、一緒に暮らして、お袋を支えられるようにがんばるから」

 驚いた。佐伯がそんなことを言うなんて…。

 佐伯は、先に大人になった? 山梨で居場所がないと泣きそうな顔で言っていた佐伯はもういなかった。
 うらやましかった。支えたい人がいるって強い。佐伯はお母さんを見つめた。そして、ぎゅっと抱きしめた。

 佐伯は支えられることより、支えることを選んだんだ。そんなふうに感じた。自分を大切にしてくれる人を守ると決心していた。かっこいい。心からそう思った。

「峻、ありが…と…う。わかっ…た。やってみる。病院、行…くから」

 ふりしぼるような声を出した。お母さんも何か決心したようだった。

 佐伯の居場所はここなんだ。戻りたい場所はお母さんのところなんだ。

 いいな。素直に思った。自分には、支えたい家族なんて誰もいない。心からうらやましかった。ぼくには何もない。さっきまで、佐伯にも何もなかったのに…。ぼくはアレを助けたいなんて、絶対に思わない。自分は、何か欠けているのかもしれない。ついそう思ってしまった。

     ◇   ◇

「佐伯くん、うちに泊まっていけばいい」

 8時をもうとうに過ぎていた。家に帰ろうと、みんなで車に乗ると、先生が口を開いた。

「これからの話をしよう。児童虐待を専門にしているNPO法人に知人がいるんだ。とても親切な人なんだ。色々なケアの方法や人を知ってる。その人と三人で明日、児童相談所に行かないか? 学校には言っておくから、大丈夫」

 佐伯は、「はい」と小さく返事をした。めちゃくちゃ心強い。「権力には、違う権力を」という言葉を思い出す。

「佐伯くんが虐待されている声と、身体にあるアザの写真を持っています。先生に送るので、それを使ってください。きっと有利にはたらくと思うから」と、光岡が言った。

 一つひとつの積み重ねで佐伯が自由になっていくような気がした。からまった糸が少しずつほどけていく。きっと佐伯は大丈夫だ。

 でも、ぼくは? 自由になれないのかな。空っぽだ。嬉しそうな佐伯の顔を見ていると、ホッとすると同時に、どうしても「なぜ自分は…」という気持ちになってしまう。

「ありがとう。メールで送ってくれる?」

 先生がそう言うと、光岡は嬉しそうにうなずいた。どうして、光岡みたいに単純に喜べないんだろう。喜びたいのに。

 ぼくは、複雑な気持ちを佐伯にいだきながら、車はそれぞれの家へと進んでいった。



 あの瞬間、ぼくと光岡の役割はひと段落ついたと思った。佐伯はもう大丈夫だと。先生にまかせればいい。そう思った。

 けれど、間違っていたと、その時は考えもしなかった
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