ヒリキなぼくと

きなり

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たたかうぼくらと虐待と親

終わった…はずなのに

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「ひびき、今日、何していたの! なぜ横浜のショッピングモールにいたの! 東大の研究に協力しているんじゃなかったわけ?」 

 家に帰ってきた瞬間、たたみかけるようにアレが話し始めた。最初、なぜ場所がわかるか謎だったけど、よくよく考えてみれば、GPS。切ることをすっかり忘れていた。

 こっちは疲れているのに、文句かよ。アレは、ぼくを疑い、探偵みたいなことをしてたんだ。心配なんかしてないくせに。

「もういいじゃん。今日は勘弁」
と、いらいらしていたけど、なるべく冷静に言った。アレに謝れば、丸くおさまることはわかっている。でも、できなかった。

「何を言っているわけ? 説明しなさい! 一体どうしたの! そんな子じゃなかったじゃない」
 最初から、そんないい子はいないんですけど、我慢していただけなんですけど。ヒリキで、すべてあきらめ、何も言わない渋谷ひびきは、うその自分なのだから。

「うるさいな。受験して、自慢できる学校に入るだけで我慢して。ぼくになんか興味なんかないくせに」

 アレは、真っ赤な顔をしてにらみつけた。

「こんなにがんばってるのに、なぜそんなことを言うわけ! ひどい!」
 何ががんばっているだ、うそつき。いつも自分が被害者なんだ。被害者は、ぼくだ。先生も教育虐待でネグレクトだって教えてくれた。もう黙ってるのは、やめだ。

「あんた、がんばってないよ。塾のみんなは、手作り弁当を持ってくるけど、一度も作ってくれたことなんてない。ぼくの好きな食べ物、知ってる? ぼくの好きなこと、知ってる? ぼくの友だち、知ってる? 知らないでしょ。聞いたこともないじゃん」

 何を知ってるのさ。知ろうとも思ったことがないくせに。ぼくの努力に図々しく乗っかっているだけのくせに。子どもの気持ちなんて、考えたこともないくせに。アレは、目を白黒させ、言葉が出てこないようだった。

「もういやなんだ。自慢するのもやめて。自分の好きなことをすればいいよ。ぼくはぼくでやる。もうほうっておいて」 

 捨てゼリフを言って、リビングの扉を閉めた。ガスンという音が、家じゅうに鳴りひびいた。
 やっと言えた。言いたいことを言った。もう親子じゃなくてもいい。関係は壊れていたんだから。ずっといやなことをいやと言えなかった。今回のことでそういう自分が嫌いだったことに気がついた。自分が自分でいるために、言いたいことを言う。そう決めたら、少し胸のつかえがとれたような気がした。

 部屋のベッドに寝ころぶと自然と涙が出て、とまらなかった。空っぽの自分に涙という水がそそがれたような気がした。単純だけど、それが生きている証明なんだと思った。そして、これ以上何も考えられず、静かに目をつむった。

     ◇   ◇

 そのまま寝落ちしてしまった。朝、起きると、雨戸が開いていて、リビングに明るい朝の光が差しこんでいた。アレは珍しく真っ赤な目をして、起きていた。いつも作りもしない、サラダや卵焼きがテーブルに並んでいた。そっか、機嫌をとっているつもりなんだ。

「反抗期なのね。少し頭を冷やしたら」
と、相変わらずの上から目線。アレは「おはよう」のあいさつもなく、それだけ言った。やっぱり反省する気なんてないんだ。何も変わってない。昨日のことをなかったことにするんだ。ぼくは黙って、いつものようにパンだけ食べて、家を出た。 

 アレとの関係はめちゃくちゃだけど、なんだか気分だけは落ち着いていた。

 言いたいことが言えたせいなんだろうか。佐伯と会って、先生と話して、プラモを作って、光岡と会って、山梨と横浜に行った。それだけ。でも何か変わった。いつもの道を歩きながら、そんなことを考えていた。

 学校に着くと、光岡がやって来て、塾の課題をどんとぼくの前に置いた。

「終わってない! 週末のプリントと休んでいた月曜分が残ってる。どうしよう」
と光岡がさわぐので、二人で休み時間に片づけようということになった。

 ぼくはとうに終わらせている。しょうがない。

 光岡のプリント地獄はえぐかった。半分は残っていた。日曜、何してたんだよ。二人でやったから、塾の授業までには、間に合う予定だ。

 前の席に佐伯はいない。今は我慢。佐伯がお母さんと暮らせて、虐待から逃れられることが一番大切だ。きっとうまくいく。先生がいるんだから。

     ◇   ◇

 そうして、2日ほどたった。アレとの関係はそのままだ。アレが一方的に言う。ぼくは何も言わない。自分の言いたいことを言おうと思ったけど、それはきちんと聞いてくれる人がいて初めて成り立つということがわかった。アレは、反抗期と決めつけ、自分の話なんて聞いてくれない。いわゆる冷戦状態ってやつだ。

 塾で先生に会った。佐伯のことを聞くと、児童相談所に行き、そのまま一時預かりという処置になったそうだ。今は先生のところにいるけど、すぐに一時保護施設に行くらしい。

 小学校に上がる前、相談所にお母さんが相談していたこともわかった。その時点で保護されていれば、こんな目にあわなかったのに。

 そして、お母さんは、NPOの人の紹介で虐待専門のクリニックで治療することをなった。時間はかかるけど、少しずつ良い方向に進んでいると思いこんでいた。

 時間はかかるかもしれないけど、先生がついているし、佐伯は大丈夫。そう思った。

     ◇   ◇

 なんとなく示し合せたわけじゃないけど、光岡と一緒に塾から帰るようになった。駅からはお母さんが車で迎えに来てくれている。

「…謝らなきゃいけないことあるんだ」

 光岡が、電車の中で、急に言った。

「公園で、渋谷と佐伯の話、聞くつもりなかったんだけど、けっこう聞いちゃったんだ。本当にごめん!」
と、頭を下げている。

 蚊に刺されていた足。そっか、あの佐伯の告白を聞いていたんだ。

 光岡は一生懸命サポートしてくれた。山梨にも、家族に反対されていたのに、一緒に来てくれた。まあ、そんなに役に立ったって感じじゃないけど、感謝はしている。

 あの時、気がついていたら、ぼくは光岡を許していただろうか。

…たぶん、許してない。そうしたら、きっと佐伯とぼくは、違っていたかもしれない。やっぱり色々なものが重なって、ぼくたちはここにいる。

「あの時、すごいなって思ったんだ。だから、手伝いたいって」

「誰かに言った?」

 光岡は、首を横にふった。

「言うわけないよ。言えるわけない」

 そうだよな。光岡は、熱いけど、軽くはない。サービスエリアで光岡が言った言葉を思い出していた。

「気にしてない。反対にありがとな」

 光岡は、ホッとしたような顔をした。

     ◇   ◇

「えっ、なんでここにいるの?」

 自転車置き場の柱の陰からのそっと佐伯が出てきた。

 光岡は家から車で迎えに来ていた。光岡と別れ、塾帰りの薄暗い江村橋駅自転車置き場で、すっとんきょうな声を上げてしまった。

 佐伯がいる。えっ、えっ。いないはずの人間がいるっていうのは、思った以上に驚く。驚いたっていうか。なんでここに? 幽霊? 生霊?

「本物?」

 そう聞くと、「本物だよ。偽物ってあるのか」と佐伯が聞くので、つい「生霊かと思った」と言ったら、佐伯に鼻で笑われた。くそっ。

「お願いがあって」

 お願い? 怖すぎるんだけど…。

「明日、一時保護施設に行くんだけど、どうしても家に取りに行きたいものがあってさ。一人だと心細くて。ついてきてくんない?」

 だって、えっ。先生は? そっか。今日、普通に塾に来ていた。会って、授業受けたし。先生は佐伯のことだけを見ているわけじゃない。先生にも、学校や仕事がある。

「ちょっと…」と言葉をにごした。

「ねえ、先生は?」と聞くと、「たぶん止められるから言ってない」と返された。

 そりゃそうだろ。あんな暴力的なお父さんに会わせられるわけがない。

「何を取りに行きたいのさ」
と、聞いた。今の佐伯に、自分の身体より大事なものなんてあるのだろうか。

「へ、へその緒と写真」

 へその緒? あの何かひょろひょろっとしたきのこの軸みたいなもののことか。確かお腹の中でお母さんと赤ちゃんをつなぐもの。うちにもあって、リビングの引き出しに入れっぱなしなはず。あんなものが大切なんだ。けど、佐伯にとっては、別れたお母さんとつながっていた証なのかもしれない。

「お袋に大事にしなさいって言われてて、秘密の場所に隠してたんだけど。あれだけは持っていきたい」

「お父さん、大丈夫なの?」

「かなり怒ってるらしい。児童相談所が連絡したら、どなりちらしてたって。今日は夜勤なはず。今のうちなら取ってこれるかなって。一人じゃ怖いから、ついてきてくれない?」

 大丈夫か? 佐伯、お前、危機意識ってあるか? 鉢合わせなんかしたら…。

「ヤバいだろ」

 少し間があった。佐伯は、いつも大事なことを言う時、黙る。

「絶対に必要なんだ」

 佐伯ってヘタレなのに、決めたら頑固ってなんだよね。ぼくみたいな柔軟性を身につけてくれ。ため息が出る。

「あきらめようよ。止めたほうがいい」

 断念させるほうに持っていきたい。じゃないと、ぼくの身も危ない。

「あれだけは…。あれだけは必要なんだ。だって、買えるものじゃないから」

 まあ、そうかもしれない。ぼくにとってみれば、どうってことないものだ。アレとの絆なんて、欲しくもない。けれど、佐伯にとって、心のよりどころなのだろう。覚悟がいるなあ。佐伯といると、何かしらトラブルの嵐に巻きこまれる。かなり不安だ。何かあったらどうしよう。けれど、一人にはできない。迷う。

 でも、佐伯の真剣な目を見ると…、断れないよ。

「わかった。でも、すばやく行動だよ。どのくらい時間がかかるの?」

 佐伯が嬉しそうに、「10分くらい」と、言った。

 しょうがない。付き合ってやるよ。ぼくって優しい。

「ちょっと待って」
 
 今さっき駅で別れた光岡に連絡を入れた。

「あのさ…」

 10分後連絡がなかったら、警察と先生に連絡してもらうよう頼む。電話口で光岡に「まじ?」と開口一番に言われた。ぼくだってそう思う。けど、しょうがない。少しの辛抱だ。つきそいだけだけど…。

「行こう。レッツらゴーだ」
 佐伯の家に向かった。

     ◇   ◇

「渋谷…」

 歩き始めたとたん、佐伯が何か言いたそうにしている。

「あり…がとう。迷惑…かけた。もし渋谷がいなかったら、おれ、どうなっていたか…。お袋にも会えたし。小田切先生に助けてもらえるようになったし…」

 おおげさな。お互いさまだ。

「別に迷惑じゃないよ。大変だけどさ、つきあって、色々自分のことやまわりのことがわかったし、よかったなって」

 心からそう思ってる。

 梅雨明けの風は、湿気を含んでいるせいか、もわっとしている。人

 気の少ない住宅街の道を佐伯と二人でぽつぽつと歩いていく。自転車も乗って帰るのと違い、重く感じた。これから行く場所を考えれば、よけいにそう思えるのかもしれない。

 ほの明るい月の光が、ぼくたち二人の影をうつしだしていた。

 佐伯とこうやってしみじみ話すことって、ほとんどなかった。今まで忙しすぎたのだ。

「これから、大丈夫なのかな」

 佐伯は、心配そうにぽつりと言った。

「大丈夫だと、簡単には言えない…。だけど、ぼくだけじゃなく、先生も光岡もいるし、なんとかなるんじゃない。これ以上は悪くならないとは思う。あのさ、ありがとな。『挑戦することは悪くない』って言ってくれて。あれでプラモやることにしたんだから」

「そっか、プラモか。おれも、またダンスがしたいな」

「やればいいじゃん。光岡のお兄さんに教えてもらえば? この間、一緒に踊ってたし」

 背中を押されたぼくは、同じように佐伯の背中を押す。佐伯のダンスは、キレっていうのがあった。ポーズをとるとなんかさまになる。顔がいいだけじゃない。運動神経がいいだけじゃない。ぱっと目をひくんだ。佐伯、お前には才能あるよ。

「ん、けどさ、悪いよ」

「先生が、前に『プラモ仲間が増えて楽しい』って言ってたんだ。自分の好きなものを他人が好きなのって、嬉しいらしいよ」

 そう、光岡に勉強を教えて、思った。時間のムダだって考えていたけど、自分の知識を人に教えることは面白いし、楽しい。教えることで、わかることも多い。

「…施設に行くから、たぶんできないん、じゃないかな…」

「隔離されるわけじゃないんだから、聞いてみれば? 先生にも相談のってもらってさ」

 佐伯は何も言わない。恵まれていなくても、やりたいことはできるはず。方法は探せばきっと見つかるはずだ。道は探せば、どこかに通じてる。

「お母さんは?」

「あれからも中西さんに先生が連絡をとってくれてる、子どもを育てることができるかどうかは、今はビミョーだって」

 そっか、病気だからな。それも心の病気だ。時間がかかるのかな。治ったら、一緒に暮らせるようになるのかなあ。子育てって大変なのかな。あんなひどい状況で、佐伯は自分のことは自分でやってたし、大丈夫じゃないか。佐伯がいたほうがきっとお母さんも元気になるはずなのに。

「そこは、様子を見ながらって言われた」

 だから、お母さんとの絆がほしいのか。やっぱりへその緒と写真はゲットせにゃならんね。

「頼るんじゃなく、もっと大人になって、お袋に頼られるようにならなきゃ、きっと一緒に暮らせないって…思った」

 そっか。ぼくも大人になりたい。理由はアレから逃れたいからだ。でも、佐伯は違う。すごい。一人で大人になるっていうだけじゃなく、親に頼られる大人になりたいなんて、簡単には言えない。

 頼られるってパワーをもらえるんだな。他人のためだけじゃなく、自分のためになるんだ。

 ふと、光岡がぼくに「勉強を教えて」と頼んできたことを思い出した。あのくすぐったいような、誇らしいような、あの気持ち…。だから、人に教えることが面白いのかも。頼られるから。

「佐伯ってすごいな」

 それだけ言った。佐伯は、それ以上何も言わなかった。

 それから、二人は黙って、あのひび割れた社宅を目指して歩いた。

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