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第3話 順調に進むはずの婚姻
婚姻の準備は、滞りなく進んでいる――はずだった。
王宮の一室で、王子は書類に目を通しながら、満足げに頷く。
机の上には、婚姻に関する各種手続きの書類が整然と並べられており、その多くにはすでに確認の印が付されている。
「これで問題はないな」
軽く言い放つと、控えていた側近がわずかに言葉を選ぶように口を開いた。
「いくつか、最終確認が残っておりますが……いずれも形式的なものにございます」
「形式的ならば、なおさら気にする必要はない」
王子は即座に言い切り、書類を閉じる。
その声音には、すでに結論が出ているという確信がにじんでいた。
室内の空気が、わずかに沈む。
「……承知いたしました」
側近はそれ以上何も言わず、頭を下げる。
視線は書類に落とされたままだが、その表情は固い。
一方、王子の隣では、妹が椅子に腰掛けていた。
整えられた姿勢で微笑みを浮かべ、差し出された茶器にそっと手を伸ばす。
「こうして準備が進むと、実感が湧いてまいりますわ」
柔らかな声でそう言い、王子の方へ視線を向ける。
その眼差しには、わずかな期待と、確かな満足が混じっていた。
王子はそれに応じるように口元を緩める。
「当然だ。すべては順調に進んでいる」
言葉に迷いはない。
その裏付けとして、机上の書類を軽く叩く。
「余計な口出しをする者もいなくなった。これでようやく、本来あるべき形に収まったというわけだ」
どこか皮肉を含んだ言い方だった。
その意味を、室内の誰もが理解している。
側近の一人が、わずかに顔を上げる。
何かを言いかけて、結局は口を閉ざす。
沈黙が続く中、別の書記官が控えめに前へ出た。
「恐れながら、殿下。次に予定されております儀式の件ですが――」
「まだ何かあるのか」
遮るように問われ、書記官は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「いえ、手順の確認でございます。例年どおりであれば問題はございませんが、念のため……」
曖昧な言い回しに、王子の眉がわずかに寄る。
「念のため、とは?」
問い詰めるほどの強さはない。
それでも、場の空気はわずかに張り詰める。
書記官は視線を伏せたまま、慎重に言葉を選ぶ。
「形式上、いくつかの確認が必要となりますので……」
説明になっていない説明だった。
それでも、それ以上は踏み込めない。
王子は短く息を吐き、手を振る。
「些事だ。決まりどおりに進めればよい」
その一言で、会話は打ち切られる。
書記官は頭を下げ、後ろへ退いた。
再び静けさが戻る。
妹はその様子を見て、小さく首を傾げる。
「何か問題があるのでしょうか」
無邪気な問いかけに、王子は即座に答える。
「気にする必要はない。手続きに細かい者がいるだけだ」
「そうなのですね」
安心したように微笑み、再び茶器に手を添える。
その仕草は落ち着いているが、どこかぎこちなさも残っている。
王子はそれに気づかない。
あるいは、気に留めていない。
「すぐにすべて整う。あとは式を待つだけだ」
言い切る声には、揺るぎがない。
室内にいる者たちは、誰もそれを否定しない。
ただ、それぞれが言葉を飲み込み、視線を落とす。
書類は整っている。
手続きも進んでいる。
それでも、どこかで足が止まっている。
その理由を、口にする者はまだいなかった。
王宮の一室で、王子は書類に目を通しながら、満足げに頷く。
机の上には、婚姻に関する各種手続きの書類が整然と並べられており、その多くにはすでに確認の印が付されている。
「これで問題はないな」
軽く言い放つと、控えていた側近がわずかに言葉を選ぶように口を開いた。
「いくつか、最終確認が残っておりますが……いずれも形式的なものにございます」
「形式的ならば、なおさら気にする必要はない」
王子は即座に言い切り、書類を閉じる。
その声音には、すでに結論が出ているという確信がにじんでいた。
室内の空気が、わずかに沈む。
「……承知いたしました」
側近はそれ以上何も言わず、頭を下げる。
視線は書類に落とされたままだが、その表情は固い。
一方、王子の隣では、妹が椅子に腰掛けていた。
整えられた姿勢で微笑みを浮かべ、差し出された茶器にそっと手を伸ばす。
「こうして準備が進むと、実感が湧いてまいりますわ」
柔らかな声でそう言い、王子の方へ視線を向ける。
その眼差しには、わずかな期待と、確かな満足が混じっていた。
王子はそれに応じるように口元を緩める。
「当然だ。すべては順調に進んでいる」
言葉に迷いはない。
その裏付けとして、机上の書類を軽く叩く。
「余計な口出しをする者もいなくなった。これでようやく、本来あるべき形に収まったというわけだ」
どこか皮肉を含んだ言い方だった。
その意味を、室内の誰もが理解している。
側近の一人が、わずかに顔を上げる。
何かを言いかけて、結局は口を閉ざす。
沈黙が続く中、別の書記官が控えめに前へ出た。
「恐れながら、殿下。次に予定されております儀式の件ですが――」
「まだ何かあるのか」
遮るように問われ、書記官は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「いえ、手順の確認でございます。例年どおりであれば問題はございませんが、念のため……」
曖昧な言い回しに、王子の眉がわずかに寄る。
「念のため、とは?」
問い詰めるほどの強さはない。
それでも、場の空気はわずかに張り詰める。
書記官は視線を伏せたまま、慎重に言葉を選ぶ。
「形式上、いくつかの確認が必要となりますので……」
説明になっていない説明だった。
それでも、それ以上は踏み込めない。
王子は短く息を吐き、手を振る。
「些事だ。決まりどおりに進めればよい」
その一言で、会話は打ち切られる。
書記官は頭を下げ、後ろへ退いた。
再び静けさが戻る。
妹はその様子を見て、小さく首を傾げる。
「何か問題があるのでしょうか」
無邪気な問いかけに、王子は即座に答える。
「気にする必要はない。手続きに細かい者がいるだけだ」
「そうなのですね」
安心したように微笑み、再び茶器に手を添える。
その仕草は落ち着いているが、どこかぎこちなさも残っている。
王子はそれに気づかない。
あるいは、気に留めていない。
「すぐにすべて整う。あとは式を待つだけだ」
言い切る声には、揺るぎがない。
室内にいる者たちは、誰もそれを否定しない。
ただ、それぞれが言葉を飲み込み、視線を落とす。
書類は整っている。
手続きも進んでいる。
それでも、どこかで足が止まっている。
その理由を、口にする者はまだいなかった。
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