虐げられ王女と忠誠の騎士〜運命を結ぶ婚約の物語〜

5

ヴィクターは、与えられた部屋の中で一人、無言で立っていた。窓越しに見える王宮の庭園は美しく整えられているが、彼の目には、その陰に潜む複雑な権力争いの影が見えているようだった。

彼が広間で告げた言葉が、すでに王宮内に波紋を広げているのは明らかだ。
ルミナリエへの求婚――それは彼にとって真剣な行動だったが、貴族たちにとっては驚きと脅威の混じる行動だった。そして、その中心にいる王妃。彼女の表情や言葉の裏に隠された意図が、ヴィクターの心を捉えて離さない。

王妃は、ルミナリエ様をどう扱おうとしているのか。

彼は、広間で王妃の視線を真っ向から受けた瞬間のことを思い返す。彼女の目には冷たい計算が見え隠れしていた。
ルミナリエは、この宮殿の中でどれだけ孤独に耐えてきたのだろうか。自分が守りたいと誓った相手が、こんな冷たい世界に取り残されている。その事実が、彼の胸に熱い怒りを呼び起こす。

ここで退くわけにはいかない。

彼は、深く息を吸い込むと、部屋を出た。廊下には、誰もいない。だが、その静けさが、逆に王宮内の緊張感を浮き彫りにしていた。

ヴィクターは、まず情報を集める必要があると考えた。
王宮の勢力図、貴族たちの動き、そして王妃の計画――すべてを把握しなければ、ルミナリエを守ることはできない。彼は、かつて戦場で培った観察力を頼りに、次の行動を慎重に決めた。

「リオネル伯爵殿。」

背後から聞こえた声に、彼は足を止める。振り返ると、若い男性が立っていた。淡い金髪に整った服装。王宮の侍従の一人だろう。だが、その表情は硬く、何かを伝えたがっているように見えた。

「王妃様が、あなたをお呼びです。」

その言葉に、ヴィクターはわずかに眉をひそめた。
彼女が直接自分を呼びつけるなど、ただの興味本位ではないだろう。だが、逆に言えば、彼女の意図を探る絶好の機会でもある。

「お連れしようと考えておりましたが、少々不躾な申し出を。」
侍従が続ける。「これから、王宮の廊下を渡る際、目立つ行動は控えられたほうがよろしいかと存じます。」

ヴィクターはその意味を即座に理解した。
王妃の部屋に向かう間も、貴族たちの視線が集中するだろう。ここで不適切な行動を見せれば、それを利用される可能性がある。

「忠告に感謝する。」
ヴィクターは短く答えた。侍従の表情がわずかに和らぎ、彼は先導するように歩き始めた。

王妃の部屋に入ると、豪奢な装飾が目を引いた。
黄金に輝く細工、壁一面を覆う織物、そして椅子に優雅に腰掛ける王妃の姿。彼女は扇を開きながら、微笑みを浮かべている。だが、その瞳はまるで刃のように鋭い。

「ようこそ、リオネル伯爵。」
彼女の声は柔らかかったが、その裏に潜む冷たさを感じ取るのは難しくなかった。

「お呼びいただき、光栄です。」
ヴィクターは丁寧に頭を下げた。その動作には一切の隙がない。

「あなたが、広間であれほど大胆な行動に出られるとは思いませんでしたわ。」
彼女はゆっくりと扇を閉じ、言葉を続けた。
「私たちは、あなたのような人物が王宮に必要だと信じておりますのよ。」

彼女の言葉が真意を隠しているのは明らかだった。
彼女が自分を歓迎しているわけではない。この場を試すための駆け引きにすぎないのだろう。

「恐れ多いお言葉です。」
ヴィクターは平静を装いながら、彼女の動きを見逃さない。

「それにしても……王女様に求婚とは。」
彼女の微笑みがわずかに広がる。
「ずいぶんと大胆なことをなさいましたわね。」

「私の行動が、王宮の皆様に驚きを与えたのは理解しております。」
ヴィクターは毅然として答えた。
「ですが、私の意思に偽りはありません。」

「まあ、誠実な方ですこと。」
王妃は扇で口元を隠しながら笑みを浮かべた。

「ですが、誠実さだけでは、王宮を生き抜くには足りませんわよ。」

その言葉が、冷たい刃となってヴィクターに突き刺さる。
だが、彼はその言葉を正面から受け止めた。

「誠実さだけではないと理解しております。」
彼は、目を逸らさずに答えた。
「だからこそ、どのような試練も越えてみせます。」

王妃は、彼の言葉に一瞬目を細めた。
「それを期待しておりますわ。」

その言葉の裏にある罠を感じながらも、ヴィクターの心は揺るがなかった。