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第27話 後悔
季節が一つ進んだことに、アルベルトは書斎の窓を開けたときに気づいた。
空気が変わっている。
湿り気が減り、朝の光が少しだけ高い。
机の上には、処理しきれなかった書類が積まれている。
以前なら、こんな状態にはならなかった。
……いや、ならなかったはずだ。
アルベルトは一枚ずつ手に取り、確認しながら印をつけていく。
それでも、やけに時間がかかる。
手が止まる。
昨日差し戻された報告書が、目に入った。
護衛配置の見落とし。
交易路の優先順位の誤り。
魔導士団への指示遅延。
どれも小さなミスだ。
――本来なら。
「……こんなはずでは」
小さく漏れた声に、苛立ちが混じる。
理由は分かっている。
リーシェがいないからだ。
それでも。
分かったところで、どうにもならない。
書類をめくる。
内容を追う。
判断を下す。
できないわけではない。
だが、遅い。妙に引っかかる。
――以前は、もっと速かった。
その差だけが、やけにはっきりしている。
「……分かっている」
呟いて、眉を寄せる。
分かっているのに、手が進まない。
そこへ、扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、家の執事だった。
「本日の会議ですが――」
言葉を選んでいるのが分かる。
「ご当主様のご出席は、見送られることとなりました」
アルベルトは顔を上げた。
「……どういう意味だ」
執事は一瞬だけ目を伏せる。
「ご当主様より、当面は弟様が代理を務めるようにと」
――叔父の名が頭に浮かぶ。
「一時的な判断です。ご負担を考慮しての――」
「違う」
思わず遮る。
だが、その声には確信がなかった。
執事は静かに続ける。
「ここ数日のご判断について、いくつか懸念が出ております」
机の上の書類に視線が落ちる。
先ほどの差し戻し。
積み上がった未処理。
言い返せる材料がない。
「……正式な通達は、後ほど書面で届きます」
それだけ告げて、執事は頭を下げた。
扉が閉まる。
部屋に、静けさが戻る。
アルベルトはしばらく動かなかった。
やがて、机に手をつく。
「……たかが、数日の遅れで」
言いかけて、止まる。
違う。
分かっている。
数日ではない。
――積み重なっている。
リーシェがいなくなってからの、すべてが。
息が浅くなる。
椅子に座り直し、視線を落とす。
婚約解消の手続きは、すでに終わっている。
書類の上でも、関係は切れていた。
そして――
「縁談の件ですが」
思い出す。
先日の言葉。
「一度、白紙に戻すことになりました」
理由は告げられなかった。
だが、今なら分かる。
選ばれていないのは、こちらだ。
条件ではない。
家格でもない。
――当主としての評価だ。
指先が、わずかに震える。
「……分かっている」
もう一度、呟く。
だが、その言葉は先ほどよりも軽い。
分かっているはずなのに、
何も追いつかない。
リーシェのことを考える。
分かろうとして、合わせてくれていた。
その上で、何も言わなかった。
それを信頼だと、思っていた。
「……違う」
小さく否定する。
だが、その先が続かない。
机の上の書類を整える。
わずかなずれも気になって、指で揃え直す。
揃えたところで、意味はない。
窓の外では、人の往来が続いている。
自分が止まっていても、関係なく進んでいく。
アルベルトはゆっくりと立ち上がった。
前に進むしかない。
……そう思うしかない。
本当に進めるのかは、分からないまま。
彼は書斎を後にする。
その背中には、
取り返しのつかない遅れが、静かに積み上がっていた。
空気が変わっている。
湿り気が減り、朝の光が少しだけ高い。
机の上には、処理しきれなかった書類が積まれている。
以前なら、こんな状態にはならなかった。
……いや、ならなかったはずだ。
アルベルトは一枚ずつ手に取り、確認しながら印をつけていく。
それでも、やけに時間がかかる。
手が止まる。
昨日差し戻された報告書が、目に入った。
護衛配置の見落とし。
交易路の優先順位の誤り。
魔導士団への指示遅延。
どれも小さなミスだ。
――本来なら。
「……こんなはずでは」
小さく漏れた声に、苛立ちが混じる。
理由は分かっている。
リーシェがいないからだ。
それでも。
分かったところで、どうにもならない。
書類をめくる。
内容を追う。
判断を下す。
できないわけではない。
だが、遅い。妙に引っかかる。
――以前は、もっと速かった。
その差だけが、やけにはっきりしている。
「……分かっている」
呟いて、眉を寄せる。
分かっているのに、手が進まない。
そこへ、扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、家の執事だった。
「本日の会議ですが――」
言葉を選んでいるのが分かる。
「ご当主様のご出席は、見送られることとなりました」
アルベルトは顔を上げた。
「……どういう意味だ」
執事は一瞬だけ目を伏せる。
「ご当主様より、当面は弟様が代理を務めるようにと」
――叔父の名が頭に浮かぶ。
「一時的な判断です。ご負担を考慮しての――」
「違う」
思わず遮る。
だが、その声には確信がなかった。
執事は静かに続ける。
「ここ数日のご判断について、いくつか懸念が出ております」
机の上の書類に視線が落ちる。
先ほどの差し戻し。
積み上がった未処理。
言い返せる材料がない。
「……正式な通達は、後ほど書面で届きます」
それだけ告げて、執事は頭を下げた。
扉が閉まる。
部屋に、静けさが戻る。
アルベルトはしばらく動かなかった。
やがて、机に手をつく。
「……たかが、数日の遅れで」
言いかけて、止まる。
違う。
分かっている。
数日ではない。
――積み重なっている。
リーシェがいなくなってからの、すべてが。
息が浅くなる。
椅子に座り直し、視線を落とす。
婚約解消の手続きは、すでに終わっている。
書類の上でも、関係は切れていた。
そして――
「縁談の件ですが」
思い出す。
先日の言葉。
「一度、白紙に戻すことになりました」
理由は告げられなかった。
だが、今なら分かる。
選ばれていないのは、こちらだ。
条件ではない。
家格でもない。
――当主としての評価だ。
指先が、わずかに震える。
「……分かっている」
もう一度、呟く。
だが、その言葉は先ほどよりも軽い。
分かっているはずなのに、
何も追いつかない。
リーシェのことを考える。
分かろうとして、合わせてくれていた。
その上で、何も言わなかった。
それを信頼だと、思っていた。
「……違う」
小さく否定する。
だが、その先が続かない。
机の上の書類を整える。
わずかなずれも気になって、指で揃え直す。
揃えたところで、意味はない。
窓の外では、人の往来が続いている。
自分が止まっていても、関係なく進んでいく。
アルベルトはゆっくりと立ち上がった。
前に進むしかない。
……そう思うしかない。
本当に進めるのかは、分からないまま。
彼は書斎を後にする。
その背中には、
取り返しのつかない遅れが、静かに積み上がっていた。
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