3 / 30
3
しおりを挟む
佐藤颯太は、勉強が嫌いだったわけではない。ただ、英語だけは別だった。言葉の意味が分からない。発音も恥ずかしい。授業で指名されて答えられなかった日のことを思い出すと、顔が赤くなる。学校から帰る途中、英語で書かれた看板や外国人が笑い合う姿を見ると、なぜだか自分だけ取り残されている気がして、目をそらしてしまう。
そんな彼が「ほとりのカフェ」を訪れたのは、友人に誘われたからだった。いつもなら家でゲームをして過ごす土曜の午後。今日は何となく、誘いを断る気になれなかった。
扉を開けた瞬間、コーヒーの香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐった。それはどこか落ち着かせる力があるようで、颯太の心の中の小さな緊張をほぐしてくれるようだった。木のぬくもりを感じるテーブルや、窓から差し込む柔らかな日差しが店内を包んでいる。窓の外には小川原湖が広がり、その穏やかな湖面が光を反射して輝いていた。
「いらっしゃい。初めてだね?」
店主の康平が、カウンター越しに声をかける。
「カフェラテでいい?」
その問いかけに、颯太は少し戸惑いながら頷いた。友人たちはメニューを眺めながら楽しそうに話しているが、颯太はその輪に入らず、先に席を探して窓際に腰を下ろした。
「はい、カフェラテ。」
康平が手際よく淹れたカフェラテを持ってきた。湯気の立つカップを受け取ると、その温かさが手のひらに伝わってきた。
颯太はそっと一口飲んでみる。口に広がるほろ苦さと、ほんのりとしたミルクの甘さが絶妙だった。普段はコンビニの甘い飲み物しか飲まない颯太にとって、この味は大人びていて、少し特別な気がした。
「どう?美味しいでしょ。」
康平が笑顔で尋ねると、颯太は小さく頷いた。なんだか恥ずかしくて、視線をカップに落とす。
しばらくして、颯太の隣の席に外国人女性が座った。彼女はノートに何かを書き込みながら、時折窓の外を眺めていた。その様子が気になった颯太は、こっそりと視線を向ける。すると、その女性が突然顔を上げて笑顔を向けてきた。
「ハロー。初めて会うわね。」
ぎこちない日本語で話しかけてくるその女性に、颯太は一瞬固まった。
「あ……こんにちは。」
声を出したものの、自分がちゃんと挨拶できているのか分からず、少し緊張する。
「私はキャサリン。英語の先生。あなた?」
彼女は親しげな笑顔を浮かべながら手を差し出してきた。その自然な仕草に、颯太は戸惑いながらも「佐藤颯太です」と名乗り、手を握った。
キャサリンはしばらく颯太に話しかけ続けた。英語の簡単な挨拶や、自分のことについて話しながら、颯太のこともたくさん質問してきた。
「英語、好きじゃない?」
キャサリンが優しく尋ねると、颯太は少し顔をしかめた。
「苦手です……発音とか、分からないし。」
そう答えると、キャサリンはふふっと笑った。
「私も日本語、難しい。でも、楽しいでしょ?少しずつ。」
彼女はそう言うと、カフェラテを一口飲み、柔らかな笑顔を浮かべた。その表情は、颯太にとって何か特別なものに思えた。
しばらくして、康平が「焼きたてのアップルパイです」と言って、小さな皿を颯太のテーブルに置いた。
「これ、食べてみて。」
颯太はおそるおそる一口かじる。甘く煮たリンゴのジューシーさと、サクサクのパイ生地が口の中で混ざり合い、驚くほど美味しかった。
「うまい……」
思わず呟いた言葉に、康平が「そうでしょ」と笑顔を浮かべる。
キャサリンはそんな彼を見て、「食べるのも、言葉も、どちらも楽しまないとね」と微笑んだ。
カフェを出る頃、颯太は少しだけ気持ちが軽くなっていた。カフェラテやアップルパイの美味しさももちろんだが、キャサリンの言葉がどこか心に響いていた。
次に訪れたとき、颯太は「湖のノート」に短い英語のメッセージを書き込むことにした。彼の書いた文字はこうだった。
「Coffee is good. English is hard. But maybe fun.」
康平はその文字を読み、小さく笑った。誰にとっても、新しい一歩はほんの少しの勇気から始まる。三沢市の湖畔にあるこのカフェが、その最初のきっかけになれたのだろう。
そんな彼が「ほとりのカフェ」を訪れたのは、友人に誘われたからだった。いつもなら家でゲームをして過ごす土曜の午後。今日は何となく、誘いを断る気になれなかった。
扉を開けた瞬間、コーヒーの香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐった。それはどこか落ち着かせる力があるようで、颯太の心の中の小さな緊張をほぐしてくれるようだった。木のぬくもりを感じるテーブルや、窓から差し込む柔らかな日差しが店内を包んでいる。窓の外には小川原湖が広がり、その穏やかな湖面が光を反射して輝いていた。
「いらっしゃい。初めてだね?」
店主の康平が、カウンター越しに声をかける。
「カフェラテでいい?」
その問いかけに、颯太は少し戸惑いながら頷いた。友人たちはメニューを眺めながら楽しそうに話しているが、颯太はその輪に入らず、先に席を探して窓際に腰を下ろした。
「はい、カフェラテ。」
康平が手際よく淹れたカフェラテを持ってきた。湯気の立つカップを受け取ると、その温かさが手のひらに伝わってきた。
颯太はそっと一口飲んでみる。口に広がるほろ苦さと、ほんのりとしたミルクの甘さが絶妙だった。普段はコンビニの甘い飲み物しか飲まない颯太にとって、この味は大人びていて、少し特別な気がした。
「どう?美味しいでしょ。」
康平が笑顔で尋ねると、颯太は小さく頷いた。なんだか恥ずかしくて、視線をカップに落とす。
しばらくして、颯太の隣の席に外国人女性が座った。彼女はノートに何かを書き込みながら、時折窓の外を眺めていた。その様子が気になった颯太は、こっそりと視線を向ける。すると、その女性が突然顔を上げて笑顔を向けてきた。
「ハロー。初めて会うわね。」
ぎこちない日本語で話しかけてくるその女性に、颯太は一瞬固まった。
「あ……こんにちは。」
声を出したものの、自分がちゃんと挨拶できているのか分からず、少し緊張する。
「私はキャサリン。英語の先生。あなた?」
彼女は親しげな笑顔を浮かべながら手を差し出してきた。その自然な仕草に、颯太は戸惑いながらも「佐藤颯太です」と名乗り、手を握った。
キャサリンはしばらく颯太に話しかけ続けた。英語の簡単な挨拶や、自分のことについて話しながら、颯太のこともたくさん質問してきた。
「英語、好きじゃない?」
キャサリンが優しく尋ねると、颯太は少し顔をしかめた。
「苦手です……発音とか、分からないし。」
そう答えると、キャサリンはふふっと笑った。
「私も日本語、難しい。でも、楽しいでしょ?少しずつ。」
彼女はそう言うと、カフェラテを一口飲み、柔らかな笑顔を浮かべた。その表情は、颯太にとって何か特別なものに思えた。
しばらくして、康平が「焼きたてのアップルパイです」と言って、小さな皿を颯太のテーブルに置いた。
「これ、食べてみて。」
颯太はおそるおそる一口かじる。甘く煮たリンゴのジューシーさと、サクサクのパイ生地が口の中で混ざり合い、驚くほど美味しかった。
「うまい……」
思わず呟いた言葉に、康平が「そうでしょ」と笑顔を浮かべる。
キャサリンはそんな彼を見て、「食べるのも、言葉も、どちらも楽しまないとね」と微笑んだ。
カフェを出る頃、颯太は少しだけ気持ちが軽くなっていた。カフェラテやアップルパイの美味しさももちろんだが、キャサリンの言葉がどこか心に響いていた。
次に訪れたとき、颯太は「湖のノート」に短い英語のメッセージを書き込むことにした。彼の書いた文字はこうだった。
「Coffee is good. English is hard. But maybe fun.」
康平はその文字を読み、小さく笑った。誰にとっても、新しい一歩はほんの少しの勇気から始まる。三沢市の湖畔にあるこのカフェが、その最初のきっかけになれたのだろう。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる