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王都を出る馬車の中、私は深々と溜息をついた。
「……逃げた、というのが正しいのだろうな」
窓の外を流れる街並みは、記憶から消したい黒歴史の塊だ。
神託の儀。洗礼式。水鏡に浮かんだ“あの名前”。
《神威福音》
チートスキル。それは事実だ。
でも、使うには詠唱がいる。それも、神を讃える大真面目な詩文を声に出して。
……無理だ。死んだ方がマシだ。
儀式のあと、神官たちは「神の御業」とか騒ぎ立て、
街では新聞の号外が配られ、吟遊詩人は即興で歌をつくり──
気づけば私は、「神の祝福を受けし聖女」扱いになっていた。
「さて、と。ここに同乗する分には文句はないよな?」
当然のように荷物を置きながら、青年が言った。
アーロン・エクレール。
宰相家の三男で、精神干渉系スキル持ち。
冷静沈着なリアリストにして、意外と神経が太い。
「……君、いつからそこに乗るって決めてた?」
「君が王都を出るって聞いた瞬間。もともと俺が辺境伯家に婿入りする予定だっただろ? 予定がちょっと早くなっただけだ。問題ない」
「……神経、太いな」
「褒め言葉として受け取っておく」
この男は、相変わらずこういうところがある。
一歩引くようで、いつの間にか懐に入り込んでくる。
「手紙だけで顔を合わせるのは、久しぶりだな。君の字は律儀だ。線が真っ直ぐすぎて少し怖いくらいだ」
「……褒めてるのか、それ」
「事実だ」
飾り気のない、無機質な声。でも、否定はしない。
彼は、他人の“飾り”ではなく“中身”をちゃんと見るタイプだ。
だからこそ──嫌いになれなかった。
「そういえば、父が騒いでいたな」
「……宰相殿が?」
「ああ。王に向かって言ったらしい。“うちの子が婚約者だ。王家は引っ込んでろ”って」
「……はぁぁぁぁあああああああ……」
盛大にため息をつく。
まさか、王家と宰相家で私を取り合う構図になっているとは思わなかった。
「宰相家にまでそんな主張をされて……ますます逃げ道がない」
「逃げたいのか?」
「逃げたいとも。ひっそり静かに余生を過ごすはずだったのに、なんで神託ひとつでこんな地獄に……」
「君の“静かに”は、一般基準から大きく逸脱してるがな」
「否定できないけど! でも……ほんとに、静かに暮らしたいのよ」
ぽつりとこぼした声は、自分でも驚くほど素直だった。
「戦のない土地で、朝は鳥の声で目覚めて、
温かい食事を作って、誰にも迷惑をかけずに過ごすの。
義務も責任も全部手放して……ただ、のんびりと」
「それが、君の目指すものか」
アーロンの声は静かだった。
否定も、茶化しもなく、ただまっすぐに私の言葉を受け止める声。
「……“FIRE”っていうの。経済的自立と、早期引退。
誰にも縛られずに、自由に生きるための準備をして、あとは静かに暮らす」
「Fire……火?」
「ふふ、響きはちょっと派手よね。でも、本当はとても地味で、穏やかな理想なの」
アーロンは少しだけ目を細め、わずかに口角を上げた。
「……良いな、それ。くだらない野望より、よほど健全だ」
そして、いつもの平坦な口調のまま、ぽつりと付け加えた。
「協力するよ。君が“いなくても回る体制”を作りたいなら、
俺もそこに加わる価値がある」
「……ありがとう、アーロン」
心のどこかが、ふっと軽くなった気がした。
この人はやっぱり、ただのリアリストじゃない。
だから──少しだけ、信じてみようと思った。
「まずは……弟を叩き直す」
可愛いだけじゃ、家は継げない。
あの甘えん坊を鍛え直し、“姉がいなくても回る領地”を作り上げる。
それが──FIREへの、第一歩だ。
(……ああ、それにしても、詠唱ログ消したい)
私は窓の外を見ながら、再び深く、深くため息をついた。
「……逃げた、というのが正しいのだろうな」
窓の外を流れる街並みは、記憶から消したい黒歴史の塊だ。
神託の儀。洗礼式。水鏡に浮かんだ“あの名前”。
《神威福音》
チートスキル。それは事実だ。
でも、使うには詠唱がいる。それも、神を讃える大真面目な詩文を声に出して。
……無理だ。死んだ方がマシだ。
儀式のあと、神官たちは「神の御業」とか騒ぎ立て、
街では新聞の号外が配られ、吟遊詩人は即興で歌をつくり──
気づけば私は、「神の祝福を受けし聖女」扱いになっていた。
「さて、と。ここに同乗する分には文句はないよな?」
当然のように荷物を置きながら、青年が言った。
アーロン・エクレール。
宰相家の三男で、精神干渉系スキル持ち。
冷静沈着なリアリストにして、意外と神経が太い。
「……君、いつからそこに乗るって決めてた?」
「君が王都を出るって聞いた瞬間。もともと俺が辺境伯家に婿入りする予定だっただろ? 予定がちょっと早くなっただけだ。問題ない」
「……神経、太いな」
「褒め言葉として受け取っておく」
この男は、相変わらずこういうところがある。
一歩引くようで、いつの間にか懐に入り込んでくる。
「手紙だけで顔を合わせるのは、久しぶりだな。君の字は律儀だ。線が真っ直ぐすぎて少し怖いくらいだ」
「……褒めてるのか、それ」
「事実だ」
飾り気のない、無機質な声。でも、否定はしない。
彼は、他人の“飾り”ではなく“中身”をちゃんと見るタイプだ。
だからこそ──嫌いになれなかった。
「そういえば、父が騒いでいたな」
「……宰相殿が?」
「ああ。王に向かって言ったらしい。“うちの子が婚約者だ。王家は引っ込んでろ”って」
「……はぁぁぁぁあああああああ……」
盛大にため息をつく。
まさか、王家と宰相家で私を取り合う構図になっているとは思わなかった。
「宰相家にまでそんな主張をされて……ますます逃げ道がない」
「逃げたいのか?」
「逃げたいとも。ひっそり静かに余生を過ごすはずだったのに、なんで神託ひとつでこんな地獄に……」
「君の“静かに”は、一般基準から大きく逸脱してるがな」
「否定できないけど! でも……ほんとに、静かに暮らしたいのよ」
ぽつりとこぼした声は、自分でも驚くほど素直だった。
「戦のない土地で、朝は鳥の声で目覚めて、
温かい食事を作って、誰にも迷惑をかけずに過ごすの。
義務も責任も全部手放して……ただ、のんびりと」
「それが、君の目指すものか」
アーロンの声は静かだった。
否定も、茶化しもなく、ただまっすぐに私の言葉を受け止める声。
「……“FIRE”っていうの。経済的自立と、早期引退。
誰にも縛られずに、自由に生きるための準備をして、あとは静かに暮らす」
「Fire……火?」
「ふふ、響きはちょっと派手よね。でも、本当はとても地味で、穏やかな理想なの」
アーロンは少しだけ目を細め、わずかに口角を上げた。
「……良いな、それ。くだらない野望より、よほど健全だ」
そして、いつもの平坦な口調のまま、ぽつりと付け加えた。
「協力するよ。君が“いなくても回る体制”を作りたいなら、
俺もそこに加わる価値がある」
「……ありがとう、アーロン」
心のどこかが、ふっと軽くなった気がした。
この人はやっぱり、ただのリアリストじゃない。
だから──少しだけ、信じてみようと思った。
「まずは……弟を叩き直す」
可愛いだけじゃ、家は継げない。
あの甘えん坊を鍛え直し、“姉がいなくても回る領地”を作り上げる。
それが──FIREへの、第一歩だ。
(……ああ、それにしても、詠唱ログ消したい)
私は窓の外を見ながら、再び深く、深くため息をついた。
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