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秋の朝は透きとおるほど高く、王都の霞さえ溶かし去っていた。
陽は低く、黄金の斜光が城壁を染め、回廊の石床には冷たい影を伸ばす。
第一王子――ヴァルセリオスは、その影のまっただ中を歩いていた。
靴音だけがやけに響く。
腕に覚えた重い黒礼服は、胸章と肩章をすべて外し、剣帯だけを残したもの。
目指すは枢密院の円卓。
妹は離宮で静養し、弟はその傍を離れない。
だから今日は、自分ひとりで決着をつけねばならない。
扉が開かれた瞬間、視線が殺到した。
重鎮たちの瞳には怒りと恐れ、そして哀れみに似た色さえ宿る。
――彼を担いで暗殺の刃を用意したのは、「第一王子派」を名乗ってきた貴族たちだった。
それが公になった今、ヴァルセリオスは自分が妹の血を招いた象徴となっていた。
「ヴァルセリオス殿下、ご再考を!」
誰かが言った。
けれど、彼は深々と頭を垂れたあと、落ち着いた声で告げた。
「兄として、剣を執る者として――私は、あの夜を取り戻せぬ。
妹を盾に、弟を脅かす王など、在ってはならない。
ゆえに本日をもって王位継承権を放棄し、臣籍に下り、騎士団長として剣のみをもって国に尽くします」
言い終えると、指を震わせずに金の王家の指輪を外した。
机上の御用文書の上に置くと、澄んだ金属音が木霊した。
それは誰の誓いよりも重く、また悲しい音色だった。
胸の奥が焼かれていた。
遊んでやった幼い妹の笑顔。
弟が初めて木剣を掲げて褒めを求めた、誇らしい瞳。
そのすべてを守ってきたつもりだったのに、気づけば自分の影が妹を射抜く刃となっていた。
(どうすればよかった。どうすれば、あの血を止められた――)
やるせない痛みが胸を裂く。
だがその痛みこそ、自分が選んできた戦場より真実だった。
「兄上」
低い声が背に届いた。
振り向くと、扉の影にユリアンが立っていた。
凛とした蒼い軍装が眩い。
肩にかけた外套の紺と金が、まるで王の色に見えた。
ヴァルセリオスは気づく。
子どもの頃、剣をかざして見上げた弟はもういない。
今そこに立つのは、妹の命を守るためなら世界を斬ると決めた“王”だった。
胸に熱いものがこみ上げ、けれど笑った。
彼は微かに片膝を折り、手を胸に当てて礼を寄せる。
「王国の盾は、お前の剣に預ける。
……妹を、頼んだ」
弟は深く頭を垂れた。
沈むように重い沈黙が流れ、王都の塔鐘が遠くで刻を打つ。
枯れ葉が開いた窓から吹き込み、指輪の金をかすかに光らせた。
秋の陽は冷え、彼の背を染め、細い影を床に伸ばす。
――剣は己の誇り、民を守るためのもの。
王座を継ぐより、剣に生きる方が自分には似つかわしい。
そう言い聞かせても胸は痛む。
けれど、妹と弟を愛した証として、この痛みを抱えて生きるしかない。
やるせなさは、秋の空気より澄みきって、彼の肺を凍らせた。
それでも彼は剣を取る。
あの白と紅の夜を繰り返させないために。
窓外では黄金色の木の葉がはらはらと舞い、
光の線と影の線が交差する中、王国の道は静かに二手へと分かれていった。
陽は低く、黄金の斜光が城壁を染め、回廊の石床には冷たい影を伸ばす。
第一王子――ヴァルセリオスは、その影のまっただ中を歩いていた。
靴音だけがやけに響く。
腕に覚えた重い黒礼服は、胸章と肩章をすべて外し、剣帯だけを残したもの。
目指すは枢密院の円卓。
妹は離宮で静養し、弟はその傍を離れない。
だから今日は、自分ひとりで決着をつけねばならない。
扉が開かれた瞬間、視線が殺到した。
重鎮たちの瞳には怒りと恐れ、そして哀れみに似た色さえ宿る。
――彼を担いで暗殺の刃を用意したのは、「第一王子派」を名乗ってきた貴族たちだった。
それが公になった今、ヴァルセリオスは自分が妹の血を招いた象徴となっていた。
「ヴァルセリオス殿下、ご再考を!」
誰かが言った。
けれど、彼は深々と頭を垂れたあと、落ち着いた声で告げた。
「兄として、剣を執る者として――私は、あの夜を取り戻せぬ。
妹を盾に、弟を脅かす王など、在ってはならない。
ゆえに本日をもって王位継承権を放棄し、臣籍に下り、騎士団長として剣のみをもって国に尽くします」
言い終えると、指を震わせずに金の王家の指輪を外した。
机上の御用文書の上に置くと、澄んだ金属音が木霊した。
それは誰の誓いよりも重く、また悲しい音色だった。
胸の奥が焼かれていた。
遊んでやった幼い妹の笑顔。
弟が初めて木剣を掲げて褒めを求めた、誇らしい瞳。
そのすべてを守ってきたつもりだったのに、気づけば自分の影が妹を射抜く刃となっていた。
(どうすればよかった。どうすれば、あの血を止められた――)
やるせない痛みが胸を裂く。
だがその痛みこそ、自分が選んできた戦場より真実だった。
「兄上」
低い声が背に届いた。
振り向くと、扉の影にユリアンが立っていた。
凛とした蒼い軍装が眩い。
肩にかけた外套の紺と金が、まるで王の色に見えた。
ヴァルセリオスは気づく。
子どもの頃、剣をかざして見上げた弟はもういない。
今そこに立つのは、妹の命を守るためなら世界を斬ると決めた“王”だった。
胸に熱いものがこみ上げ、けれど笑った。
彼は微かに片膝を折り、手を胸に当てて礼を寄せる。
「王国の盾は、お前の剣に預ける。
……妹を、頼んだ」
弟は深く頭を垂れた。
沈むように重い沈黙が流れ、王都の塔鐘が遠くで刻を打つ。
枯れ葉が開いた窓から吹き込み、指輪の金をかすかに光らせた。
秋の陽は冷え、彼の背を染め、細い影を床に伸ばす。
――剣は己の誇り、民を守るためのもの。
王座を継ぐより、剣に生きる方が自分には似つかわしい。
そう言い聞かせても胸は痛む。
けれど、妹と弟を愛した証として、この痛みを抱えて生きるしかない。
やるせなさは、秋の空気より澄みきって、彼の肺を凍らせた。
それでも彼は剣を取る。
あの白と紅の夜を繰り返させないために。
窓外では黄金色の木の葉がはらはらと舞い、
光の線と影の線が交差する中、王国の道は静かに二手へと分かれていった。
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