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第二章 副官の補佐官
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王宮の奥にある宰相執務室は、政の中枢にふさわしい威容を誇っていた。
壁一面に書架が並び、各国から集められた文献や条約文が収められている。
机の上には羊皮紙の山と幾枚もの地図。
燭台に照らされた部屋は静寂に包まれ、紙とインクの重たい香りが漂っていた。
セラフィーナは深呼吸をして一礼した。
その視線の先で、宰相ヴォルフガングが厳しく彼女を見据えている。
銀糸の髪に刻まれた皺、眼光は衰えを知らず、圧倒的な威圧感を放っていた。
「セラフィーナ・エルンスト」
低い声が響く。
「今日より、クリストファーと共に外交実務に携わってもらう。
隣国より届いた条約改定案、表面上は友好を謳っているが、裏には我が国を不利に陥れる条項が潜んでいる。
それを見抜き、対処するのがお前たちの務めだ」
隣に立つクリストファーが、いつもの柔らかな笑みで軽く頷いた。
「承知いたしました」
セラフィーナも胸を高鳴らせながら答える。
「はっ。必ずや果たしてみせます」
執務室を出て補佐部署に戻ると、机上に分厚い条約文が広げられた。
羊皮紙には華やかな修辞が並び、友好と信義を飾り立てる文言が延々と続いている。
だが、ページをめくるたびにセラフィーナの眉間は自然と寄った。
「……この第七条の文言、利率の上限を撤廃する意図があります」
彼女は声を潜めて指差した。
「“自由な商いの尊重”と書かれていますが、要は我が国の商人に不利益を押しつける狙いです」
クリストファーは隣で書面を覗き込み、にこやかに頷いた。
「その通り。しかも第十二条、こちらの“風習の尊重”という表現も同じ。
一見、互いの伝統を大切にするかのように聞こえるが、実際には我々の通商路に制限を課す条項です」
彼の声は柔らかいが、言葉は鋭く的確だった。
二人は文を一つずつ精査し、裏に潜む罠を次々と炙り出していった。
やがて一つの修正案が形になり、それを持って再び宰相の執務室に戻った。
ヴォルフガングは黙って目を通し、やがて深く頷いた。
「よい。交渉の場でこの修正案を提示する」
数日後、王宮の謁見の間は、外交の使節を迎えるために整えられていた。
赤い絨毯が王座へと伸び、両脇には重臣と文官が列を成す。
セラフィーナは末席に立ち、緊張のあまり指先が冷えていた。
やがて隣国の使節団が入場した。
華美な衣装を纏い、友好を装った笑顔を浮かべている。
だがその目は油断なく、獲物を見据える捕食者のようだった。
条約案が読み上げられ、次に宰相が立ち上がる。
深い声が修正案を告げると、使節の顔色がわずかに揺らいだ。
「……これは、我が国の立場を損なうものでは?」
「いいえ。我が国はただ、公平を求めるのみ」
ヴォルフガングの言葉は重く、揺るぎなかった。
使節団は互いに視線を交わし、やがて沈黙の後に頷いた。
「……異議はありません」
その声を聞いた瞬間、セラフィーナの胸に熱が込み上げた。
自分の気づきが、この結果を導いたのだ。
陰口を浴び、笑われた日々は消えない。
だが、ここで彼女は確かに役に立てた。
退出後、謁見の間を出た廊下で、クリストファーが彼女に歩み寄った。
彼はいつもの外交官スマイルを浮かべていたが、その青い瞳に一瞬だけ別の色が宿っていた。
「見事でした、セラフィーナ嬢。あなたの読みがなければ、国は大きな負担を背負うところでした」
柔らかな声。
けれどそこに含まれたわずかな温もりは、仮面を超えていた。
セラフィーナは答えられず、ただ一礼した。
胸に残ったのは、初めて見る彼の“素顔”のかけらだった。
壁一面に書架が並び、各国から集められた文献や条約文が収められている。
机の上には羊皮紙の山と幾枚もの地図。
燭台に照らされた部屋は静寂に包まれ、紙とインクの重たい香りが漂っていた。
セラフィーナは深呼吸をして一礼した。
その視線の先で、宰相ヴォルフガングが厳しく彼女を見据えている。
銀糸の髪に刻まれた皺、眼光は衰えを知らず、圧倒的な威圧感を放っていた。
「セラフィーナ・エルンスト」
低い声が響く。
「今日より、クリストファーと共に外交実務に携わってもらう。
隣国より届いた条約改定案、表面上は友好を謳っているが、裏には我が国を不利に陥れる条項が潜んでいる。
それを見抜き、対処するのがお前たちの務めだ」
隣に立つクリストファーが、いつもの柔らかな笑みで軽く頷いた。
「承知いたしました」
セラフィーナも胸を高鳴らせながら答える。
「はっ。必ずや果たしてみせます」
執務室を出て補佐部署に戻ると、机上に分厚い条約文が広げられた。
羊皮紙には華やかな修辞が並び、友好と信義を飾り立てる文言が延々と続いている。
だが、ページをめくるたびにセラフィーナの眉間は自然と寄った。
「……この第七条の文言、利率の上限を撤廃する意図があります」
彼女は声を潜めて指差した。
「“自由な商いの尊重”と書かれていますが、要は我が国の商人に不利益を押しつける狙いです」
クリストファーは隣で書面を覗き込み、にこやかに頷いた。
「その通り。しかも第十二条、こちらの“風習の尊重”という表現も同じ。
一見、互いの伝統を大切にするかのように聞こえるが、実際には我々の通商路に制限を課す条項です」
彼の声は柔らかいが、言葉は鋭く的確だった。
二人は文を一つずつ精査し、裏に潜む罠を次々と炙り出していった。
やがて一つの修正案が形になり、それを持って再び宰相の執務室に戻った。
ヴォルフガングは黙って目を通し、やがて深く頷いた。
「よい。交渉の場でこの修正案を提示する」
数日後、王宮の謁見の間は、外交の使節を迎えるために整えられていた。
赤い絨毯が王座へと伸び、両脇には重臣と文官が列を成す。
セラフィーナは末席に立ち、緊張のあまり指先が冷えていた。
やがて隣国の使節団が入場した。
華美な衣装を纏い、友好を装った笑顔を浮かべている。
だがその目は油断なく、獲物を見据える捕食者のようだった。
条約案が読み上げられ、次に宰相が立ち上がる。
深い声が修正案を告げると、使節の顔色がわずかに揺らいだ。
「……これは、我が国の立場を損なうものでは?」
「いいえ。我が国はただ、公平を求めるのみ」
ヴォルフガングの言葉は重く、揺るぎなかった。
使節団は互いに視線を交わし、やがて沈黙の後に頷いた。
「……異議はありません」
その声を聞いた瞬間、セラフィーナの胸に熱が込み上げた。
自分の気づきが、この結果を導いたのだ。
陰口を浴び、笑われた日々は消えない。
だが、ここで彼女は確かに役に立てた。
退出後、謁見の間を出た廊下で、クリストファーが彼女に歩み寄った。
彼はいつもの外交官スマイルを浮かべていたが、その青い瞳に一瞬だけ別の色が宿っていた。
「見事でした、セラフィーナ嬢。あなたの読みがなければ、国は大きな負担を背負うところでした」
柔らかな声。
けれどそこに含まれたわずかな温もりは、仮面を超えていた。
セラフィーナは答えられず、ただ一礼した。
胸に残ったのは、初めて見る彼の“素顔”のかけらだった。
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