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リゼ1
7.自身のために
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護岸の工事は順調に進んでいる。
滞ることなく定期報告を送り、国からは毎月ギルベルトが査察に来る。その際のリゼの所在は様々で、毎回必ず会うというわけではなかった。
以前、査察に来たギルベルトが、護岸を眺めながらわずかに目元を緩ませるのを見かけたことがある。
無機物にかけるにはそぐわない優しい視線が印象的で、その光景は今もリゼの脳裡に残っている。
今月の査察にリゼは同行していない。
その日、リゼは邸の執務室で書類整理をしていた。
兄はどうにも書類仕事を怠りがちで、少し目を離すと散々なことになってしまう。普段は兄の部下が仕分けているが、ここしばらくは何かと忙しく部下も手が回らないようだった。
書類整理とはいっても、リゼに出来ることはそれほど多くはない。報告に関わるものを拾い上げて束ねる程度だ。定期報告は次回が最後になるので、不要な書類をまとめていく。
書類の山と格闘していると、アルフレートが帰ってきた。
やや緊張した声と共に執務室の扉が開く。
「リゼ、ギルベルトさんが話があるそうだよ」
「えっ、ギルベルト様が?」
これまで彼がリゼ個人に用があったことはない。さらに言えば、査察のあとに邸に立ち寄ることすら初めてだ。
「突然申し訳ない。今日は私の上司からの願いを言付かってきました。
リゼ嬢、王宮で働く気はありませんか?」
ギルベルトの急な来訪への驚きに加えて、さらに予想だにしないことを言われて耳を疑った。
混乱するリゼにアルフレートが付け加える。
「ギルベルトさんの上司の方が、以前からうちの定期報告をえらく気に入って下さっていてね。リゼが書いていると知って、このように声をかけて下さったそうだよ」
「私の上司はリゼ嬢の能力を賞賛しています。
相手の立場で物事を考えられるのは、学んで出来ることではありません。それはあなたの素質そのものです。
どうかリゼ嬢の力を国のためにふるってもらえませんか」
「そんな……私など……」
困惑し続けるリゼにアルフレートが言葉を掛ける。
「リゼ、私などと言ってはいけないよ。お前の能力は王宮でも通用すると、これまでずっと助けられてきた私が保証する。
とは言えギルベルトさん、あまりに急なお話です。少し考えさせていただいても?」
「もちろんです。出来れば次の査察日までにはお返事を聞かせてください」
ギルベルトの話はリゼを大いに悩ませた。
兄やギルベルトの上司はリゼを高くかっているが、果たして王宮で自分に何ほどのことが出来るだろうか。
そんな不確実なことよりも、今までどおり領のため、兄のために生きたいとも思う。貴族の務めとして、政略結婚を受け入れる覚悟だってある。
しかし兄はおそらくそのようなことは望まず、無為に時間だけが過ぎていく将来も多いに考えられることだろう。
どれだけ考えても結論は出せなかった。
リゼの部屋にノックの音が響いた。
「リゼ、お邪魔するよ。お前のことだ、迷っているんだろう?」
そう言ってアルフレートが顔を覗かせる。リゼは小さく頷き兄の言葉を待った。
「お前はいつも人のことを一番に考えるけれど、今くらいは自分の思いを最優先に考えてみないか?」
「私の思い…ですか?」
「そう。リゼがずっとうちに居てくれても、王都で自分の道を見つけることも、どちらも私にとっては嬉しく幸せなことなんだ。
だから私たちのことは気にしないで、リゼの気持ちだけを考えてごらん」
兄のことも領のことも脇に置いて自分の思いに向き合った時、リゼの答えは───
朝日が白々とルースライン領の景色を浮かび上がらせ始めた頃、子爵邸の前から一台の馬車と一騎の人馬が出発した。
門の前には子爵夫妻と使用人一同が並び、みなめいめいに手を振っている。
リゼは馬車の窓から身を乗り出して振り返り、家族が見えなくなるまで手を振り続けた。
滞ることなく定期報告を送り、国からは毎月ギルベルトが査察に来る。その際のリゼの所在は様々で、毎回必ず会うというわけではなかった。
以前、査察に来たギルベルトが、護岸を眺めながらわずかに目元を緩ませるのを見かけたことがある。
無機物にかけるにはそぐわない優しい視線が印象的で、その光景は今もリゼの脳裡に残っている。
今月の査察にリゼは同行していない。
その日、リゼは邸の執務室で書類整理をしていた。
兄はどうにも書類仕事を怠りがちで、少し目を離すと散々なことになってしまう。普段は兄の部下が仕分けているが、ここしばらくは何かと忙しく部下も手が回らないようだった。
書類整理とはいっても、リゼに出来ることはそれほど多くはない。報告に関わるものを拾い上げて束ねる程度だ。定期報告は次回が最後になるので、不要な書類をまとめていく。
書類の山と格闘していると、アルフレートが帰ってきた。
やや緊張した声と共に執務室の扉が開く。
「リゼ、ギルベルトさんが話があるそうだよ」
「えっ、ギルベルト様が?」
これまで彼がリゼ個人に用があったことはない。さらに言えば、査察のあとに邸に立ち寄ることすら初めてだ。
「突然申し訳ない。今日は私の上司からの願いを言付かってきました。
リゼ嬢、王宮で働く気はありませんか?」
ギルベルトの急な来訪への驚きに加えて、さらに予想だにしないことを言われて耳を疑った。
混乱するリゼにアルフレートが付け加える。
「ギルベルトさんの上司の方が、以前からうちの定期報告をえらく気に入って下さっていてね。リゼが書いていると知って、このように声をかけて下さったそうだよ」
「私の上司はリゼ嬢の能力を賞賛しています。
相手の立場で物事を考えられるのは、学んで出来ることではありません。それはあなたの素質そのものです。
どうかリゼ嬢の力を国のためにふるってもらえませんか」
「そんな……私など……」
困惑し続けるリゼにアルフレートが言葉を掛ける。
「リゼ、私などと言ってはいけないよ。お前の能力は王宮でも通用すると、これまでずっと助けられてきた私が保証する。
とは言えギルベルトさん、あまりに急なお話です。少し考えさせていただいても?」
「もちろんです。出来れば次の査察日までにはお返事を聞かせてください」
ギルベルトの話はリゼを大いに悩ませた。
兄やギルベルトの上司はリゼを高くかっているが、果たして王宮で自分に何ほどのことが出来るだろうか。
そんな不確実なことよりも、今までどおり領のため、兄のために生きたいとも思う。貴族の務めとして、政略結婚を受け入れる覚悟だってある。
しかし兄はおそらくそのようなことは望まず、無為に時間だけが過ぎていく将来も多いに考えられることだろう。
どれだけ考えても結論は出せなかった。
リゼの部屋にノックの音が響いた。
「リゼ、お邪魔するよ。お前のことだ、迷っているんだろう?」
そう言ってアルフレートが顔を覗かせる。リゼは小さく頷き兄の言葉を待った。
「お前はいつも人のことを一番に考えるけれど、今くらいは自分の思いを最優先に考えてみないか?」
「私の思い…ですか?」
「そう。リゼがずっとうちに居てくれても、王都で自分の道を見つけることも、どちらも私にとっては嬉しく幸せなことなんだ。
だから私たちのことは気にしないで、リゼの気持ちだけを考えてごらん」
兄のことも領のことも脇に置いて自分の思いに向き合った時、リゼの答えは───
朝日が白々とルースライン領の景色を浮かび上がらせ始めた頃、子爵邸の前から一台の馬車と一騎の人馬が出発した。
門の前には子爵夫妻と使用人一同が並び、みなめいめいに手を振っている。
リゼは馬車の窓から身を乗り出して振り返り、家族が見えなくなるまで手を振り続けた。
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