突然の花嫁宣告を受け溺愛されました

やらぎはら響

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汚したらどうしようなんて考えながら応接室に戻ると。

「似合っていますよ尚里」

 この服を用意したであろう男がまばゆいくらいの笑顔で出迎えてくれた。

「あの、この服」
「何も持ってこなかったでしょう。とりあえず必要最低限は用意しました。ワードローブに残りは入れてあります」

 これだけじゃないのかよとは尚里の脳裏をよぎった言葉だ。

「俺の服は?」
「クリーニングに出してあります」

 ほっと一安心だ。
 数少ない洋服の行方に安堵して。

「あの、服とか用意しなくても大丈夫なんだけど」

 家に帰れば、数着しかないが一応洋服はあるのだ。

「気にしないでください、私が用意したいのです。初めてあった時から思いましたが、この季節に対してあなたは薄着過ぎます」
「うぐぅ」

 痛い所を突かれた。
 冬服は高いおかげで春先に買った長袖のシャツを着まわしているので薄着なのは当たり前だ。
 しかし。

「あの、俺こんな服、金が……」
「あなたに金銭を要求なんてしませんよ。私がしたくてしているのですから」

 ハッキリ言われてしまった。

「いやでも」

 なおも言いつのろうとしたけれど。

「それよりお腹が空いたでしょう?朝食を食べましょう」

 空きっ腹をつねに抱えている尚里には、魅力的な提案だ。
 そっと手を取られて流れるように朝食の用意されている部屋へとエスコートされてしまった。
 そこは初めて尚里がこの部屋に来た時にお茶をした部屋だった。
 テーブルセットの上にはクロワッサンやスープ、マッシュポテトの添えられたオムレツなどと、朝からなかなか豪勢だ。
エスコートのままにテーブルにつくと、ルキアージュも尚里の向かいに腰を落とした。

「さあ、どうぞ」
「……いただきます」

 ここまで用意されて断ることは尚里には無理だった。
 おそるおそるナイフとフォークを取りオムレツにそっと切り込みを入れると、とろとろと柔らかい卵が半熟部分をふるふると震わせている。
 じゅるりと口の中に唾液が溢れるのを自覚しながら、そのほかほかふわふわのオムレツを口に運んだ。

「おいひい」
「それはよかったです」

 じーんと味わっていると、ルキアージュがにこりと満足気に笑ってコーヒーカップを持ち上げた。
 それをちらりと見て、うーんと内心首をひねる。
 ルキアージュは自分を心を持たないと言っていたけれど、尚里にとってはよく笑う男だなという印象だ。
 なんだか尚里を見ているときは、いつも唇がウェーブを描いて笑っている。

「お食事中失礼いたします」

 付け合わせの温野菜のブロッコリーにフォークを刺したところで、部屋にいなかったフルメルスタの声と共にノックが響いた。

「入れ」

 ルキアージュの言葉に扉が開く。
 ルキアージュがまだ白いシャツにスラックスというラフないでたちに比べて、入ってきたのは相変わらず黒スーツのフルメルスタだ。

「尚里様、今日のスケジュールを黒崎さんに確認しました」

 様づけ!と内心驚きながらも。

「今日は九時半から仕事だけど……」

 まだ充分に時間があるので油断していたけれど。

「時間変更?」
「いえ、今日は休みだとおっしゃられました」
「え!」

 そんなはずはない。
 思わず声を上げたら、フォークに刺さっていたブロッコリーが皿の上に落ちた。

「イシリスをもてなしてさしあげろとの伝言です」
「い、言いそう」

 ひくりと口端が引きつった。

「わかった。下がれ」

 ルキアージュの言葉に一礼すると、それ以上何も言わずにフルメルスタは部屋を出ていってしまった。
 あとには、呆然とフォークを持ったままの尚里がいる。
 ギギギと首をルキアージュに向ければ、そこにはこてりと小首を傾けるルキアージュ。

「もてなすって何すれば……」

 いいんだと、むしろ持て成されている立場の尚里が呆然と呟けば。

「あなたの事を知りたいです」

 カップをソーサーに置いたルキアージュが甘やかに口を開いた。

「俺の事って言われても……ええー……」
「いつからあのカフェで働いているのですか?」

 困っていると、ルキアージュが質問をしてくる。
 そんなことでいいのかと思いながら。

「高校入ってからずっとだよ。俺の家族、誰とも血がつながってないから居辛くって」

 再びブロッコリーをフォークでトンと刺す。

「えっと、ルキ、アージュさんの家族は?男を花嫁とか反対されるんじゃないの?」

 言いなれない名前に噛んでしまうと。

「ルキでかまいません」

 と言われたので、お言葉に甘えてルキと呼ぶことにした。

「花嫁が男だろうが女だろうが、反対されることはありませんよ」
「えぇ、だって親的には複雑じゃないかと思うんだけど」
「両親はいませんよ。イシリスと呼ばれる子供は産まれたことが確認され次第、神殿引き取りでそこで育ちます」
「え、そうなの?」
「はい。銀髪に青い目の子供はいつどこで生まれるかわかりませんが、産まれればすでに私の記憶があるので、普通の赤ん坊とはやはり少し違いますから」

 苦笑するルキアージュは、そのあと十三で軍に入隊しましたと続けた。

「それは……悪い、なんて言ったらいいか」

 親の愛情というものがまったくないという事だ。
 そんな境遇に、なんと返していいやらと思っているとルキアージュは苦笑を浮かべた。

「かまいません、毎回のことです」

 毎回。
 前世の記憶があるという彼の言葉には、寂しいとかそういった感情はいっさい感じさせなかった。
 それがなんとも言えない気持ちになってしまって、フォークの先にあるブロッコリーを小さく齧る。

「前世ってどんな感じ?」

 今でも半信半疑だけれど、多分本当のことなのだろうと尚里は思う。
 そんな嘘をついてまで尚里を騙す意味もメリットもないはずだ。

「そうですね、映画を見ているようです」
「そうなの?」
「ええ」

 ルキアージュは右手で片肘をついた。
 つまらないですよと口にして。

「知識とマナがあるので、大体同じことの繰り返しです。神殿で育ち、軍に入る」

 尚里はルキアージュの応えに目をぱちくりとさせた。

「違う人生っていうか、違う仕事とかしたいって思わないの?」

 普通は毎回違うことをしようと思うのではないのだろうかと思ったけれど。

「特には。言ったでしょう、私は人形のようなものだったと」
「表情豊かだと思うけど」

 つねににこにこと笑っている男が人形のようなものだと言われても、ハッキリ言って疑ってしまう。
 思わず半眼になってしまうと。

「あなたに会えたから」

 ふいにフォークを持っている手をその大きな手が包み込んだ。
 そしてその手を引き寄せると。

「ふわっ」

 手の甲に口づけられて、思わずブロッコリーの刺さったフォークがガチャンとけたたましい音を立てて、テーブルに落ちた。

「幾年の記憶があろうと、感情の起伏も表情の豊かさもありませんでした」
「……そんなにたくさんの記憶、疲れない?」
「疲れる?」

 意味がわからないという顔をするルキアージュだ。

「ん、なんていうか、頭のなか混乱しないかなって。嫌な事とかもあるだろうし」

 思わぬ言葉だったのか、ルキアージュは目を何度かまばたかせた。

「さっきも言ったとおり、映画みたいなものなので」
「ふうん」

 なら大丈夫なんだと独り言ちると。

「大丈夫ですよ。ありがとうございます」

 甘やかにルキアージュが微笑んだ。

「心配したわけじゃないから」

 その視線に耐えられず、ふいと顔をそむけるとルキアージュがとうとう声をあげてふふ、と笑った。

「違うって」
「はい」

 いまだに笑うルキアージュをじろりと睨むと、男は尚里の手を離して立ち上がった。
 なんだろうと目で追いかけると、尚里の方へと近づいた。
 かと思えば片膝をつき、尚里の右手を取ってその甲に額をつける。

「あなたの言葉は恵みの雨のようだ。乾いた私の心に優しく沁み込む」

 甘やかなテノールにボッと頬が熱くなった。
 そんな口説き文句のような言葉、恥ずかしくて仕方がない。
 あわあわしながらも、平静になろうと尚里の手の甲を額に押し当てるルキアージュに疑問を口にした。

「最初にもしてたけど、それなに」

 会った瞬間にされたそのポーズは何か意味があるのだろうかと問いかければ、ルキアージュは顔を上げてにっこりと微笑んだ。

「我が国の服従と忠誠の証です」
「簡単にしちゃ駄目なやつじゃん!」

 服従って!
 忠誠って!
 どおりでフルメルスタが最初に会った時に止めていたわけだ。
 あわわと赤い頬がサーッともの凄い勢いで青くなっていく尚里だけれど。

「簡単ではないですよ。心からそう思っています」

 立ち上がったルキアージュが、ふわりと尚里の頬に唇を寄せた。
 思わず固まると、今度は鼻にちゅっとキスをされる。
 そして唇にキスをしようとするので、慌てて尚里は両手でみずからの唇を隠した。
 ルキアージュが小さく笑い、前髪超しの額にキスをされる。

「愛してます」

 びくりと尚里の肩がはねた。
 そんなことを言われても、と思う。

「会ったばかりなのに?」

 むうと睨めば、苦笑がひとつ。

「ええ、それでも尚里の、あなたの存在が愛しくてかわいくて仕方ありません」
「……格好いいがいい」

 あまりの情熱的な言葉に何も頭に浮かばず、言えたのはやっとのことでひとつだけだった。

「それは失礼しました」

 とろけるような眼差しで見つめられて、落ち着かない。
そしてはたとキスに抵抗感がなかったことに驚いた。
 さすがに唇は死守したけれど。
 これはよくないと、こほんと咳払いをして尚里は話題を無理矢理変えた。

「マナを使える人が多い国なんだよね」

 わかりやすく話題を変えると、ルキアージュがええと頷き話題にのってくれたからほっとしてしまった。

「フルメルスタは風、それと火のマナを使えます」
「うん、吃驚した」

 昨日見たばかりの炎のマナを思い出し、物騒だったなと一瞬遠い目をしてしまう。

「マナが使える子供は基本的には各地の神殿に引き取られて制御を学びます」
「みんな親と離れるの?」
「ええ、会いたいときに会えますし、十三歳になったら家に帰ります。といっても軍に入隊したり神殿で働く事を選ぶ者が多いですけれど」
「十三でっ?」

 思わず声を上げて驚くと、そのままテーブルの足を蹴ってしまい。

「あっつ!」
「尚里!」

 その衝撃でカップが倒れて、入っていた紅茶が尚里の右太ももに零れた。
 履いていた茶色いズボンが張り付いて、熱さが太ももに広がっていく。
 あまりの熱さに立ち上がろうとしたのと抱き上げられたのは同時だった。

「フルメルスタ!」

 尚里を抱き上げたルキアージュが声を上げると一瞬でフルメルスタが扉を開ける。
 その扉を、尚里を抱き上げたままルキアージュが飛び出した。

「薬をお持ちします!」

 尚里は目を白黒させているあいだに、ルキアージュがフルメルスタの言葉にひとつ頷いて浴室へと運んでいく。
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