かくりよの花嫁は溺愛される

やらぎはら響

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ふ、と意識の浮上する感覚に促されるまま、理斗は瞼を上げた。
視界がぼんやりとかげるのをゆっくりと何度かまばたいたあと、思わず息を飲む。
 目の前に、白皙の美貌があったからだ。
 閉じている目元はみっしりと生え揃っている長い銀色の睫毛が影を落としていて、そうしていると本当に作り物のようだと間近にある遠伊の顔をぼんやり見やる。
 精巧な美術品をゼロ距離で眺めるとこんな感じだろうか。
 まだ覚醒しきらない頭でぼうっと眺めていると、ひらりと蝶々のように睫毛が動いて金色の瞳が姿を現した。

「おはよう」

 寝起きの少しかすれた低い声に何故彼の顔が目の前にあるのだろうと思ったところで、自分の瞼が腫れぼったい感覚に気付く。
 それでようやく昨夜、自分が泣いていたことと遠伊が布団に入ってきたことを思い出した。
 夢うつつだったけれど、背中をあやすように叩かれた記憶がある。
 それだけでなく、自分の手が遠伊の浴衣の胸元をしっかり握りしめていることに気付いてしまい。

「うわあ!」

 慌てて手を離し、胸を押し返してあたふたと体を離した。
 寝起きのぼんやりしていた顔に、一気に朱が走る。
 まるで冷水を浴びたように一瞬で頭がハッキリと覚醒した。

「ごめん!お、俺ってば」

 この年で泣いて添い寝されるなんて恥ずかしい。
 しかし遠伊は不思議そうにしている。
 寝起きなのにまったくだらしなさがない。
 むしろ寝乱れた髪が隙を作っていて雰囲気が柔らかかった。

「何が?」
「いや……泣いたあげく、一緒に寝るなんて……」
「私が勝手にしたことだ」

 さらりと長い前髪を梳かれた。
 指先まで優美なラインで作られていて、目を奪われそうになってしまう。

「朝食にしよう」

 ゆっくりと起き上がった遠伊に、理斗ものろのろと上体を起こした。
 気持ちずりずりと足を動かして、遠伊から距離をとろうとする。
 少し掠れた声とくしゃりとした銀糸の髪が酷く色っぽく見えて、理斗はさりげなく遠伊を視界から外した。
 なんだかいけないものを見ている気分になってしまう。
 昨日の一部の隙もないスーツ姿との違いに、平常心が揺さぶられて落ち着かない。
 遠伊が立ち上がったところで、失礼しますと襖の向こうから声がかかった。

「ああ」

 遠伊が短く答えると、すらりと襖が引かれて使用人の女が頭を下げている。

「朝食にしよう。身支度をしておいで」

 遠伊の差し出した手に反射的に右手を乗せると、立ち上がるように促された。
 確かに身支度はしなければと、流されるままにこくりと頷き立ち上がる。

「理斗様はこちらへ」

 女に恭しく声を掛けられる。

「さ、様って」

 そんな大層な身分ではない。
 どう反応したらいいのかと理斗はうろたえて立ち尽くすけれど、遠伊は当たり前のような顔をしていた。

「君は私の花嫁だから」

 サラリと口にして背をそっと押される。

(だから花嫁じゃないって)

 昨日から頑なに口にするその単語に、もやりと胸に渦が巻く。
 けれどここでそれを見せても何も進まないと内心ため息を吐いて、理斗はそのまま女に従って別室で着替えた。
 新しい服が用意されていると言われたことに恐れおののいて、丁寧に辞退したあと自分の服を渡してもらった。
 この邸のレベルからして理斗では到底支払う事が不可能な高級品を渡されそうという危機感が動いたのだ。
 多分予想は外れていないと思う。
 そのまま昨日食事をしたらしい場所に案内された。
 きょろりと廊下を見回すけれど、やはり広い。
 邸を一人で歩けば、すぐに迷子になりそうだった。
 襖を開けて中に入るとすでに遠伊がいたけれど、理斗の姿を見て心なしか残念そうに見えた。
 もしかしたら新しい服を着なかったからだろうかと思うけれど、そんな怖い事は出来ない。
 気づかなかったふりをして座卓に近づこうとして理斗は足を止めた。
 座卓の下にポッカリと穴が開いている。
 四角い穴は掘りごたつ仕様になっていた。
 昨日とは別の部屋だったのだろうか。
 じっとその部分を見ていると、遠伊がそれに気づいてなんてことないように説明を口にした。

「理斗は正座に慣れていないようだから、変えた」
「は……変えた?」

 聞き捨てならない内容が聞こえてきて呆然と聞き返すと、遠伊がこくりと頷いて卒倒しそうになった。
 変えたということは、この部屋は昨日の和室ということだろうか。
 畳を掘りごたつ仕様に変えれるのか、とか一晩で、とかそんな単語が頭をぐるぐる回る。
 固まってしまった理斗に、しかし遠伊は不思議そうに小首を傾げただけだった。
 理斗が正座に慣れていないからと変更するなんてお金持ちって怖いと思いながら、精神衛生上あまり深く考えるのはやめた。
 変えてしまったものは仕方がない。

「朝食にしよう。座って」

 いつまでも立っているわけにもいかないので、ギクシャクと理斗はふかふかの厚い座布団に腰を落とした。
 昨日も座ったけれど、座布団ってこんな厚みのあるものもあるのだなと感心する。
 掘りの部分に足を入れると椅子に座っているのと変わらないので、確かに昨日より楽ではあった。
 しかしこれにお礼を言ったら次に何をしてくるかわからないので、迂闊にありがとうなんて言えない。
大人しく黙っていよう。
理斗が落ち着くと、心得たように使用人が朝食を運んできた。
 純和食の品数多めな内容は、朝食なのにとても豪華だ。
 ひとつの皿に載っている料理の量は少ないけれど、とても完食できる気がしない。
 でも昨夜に続き温かい料理が食べられるのは嬉しかった。
 冷えきった食べ物は少し心が寂しくなる。
 いただきますと手を合わせ、みそ汁を一口飲んでほうと息を吐く。
 すると、遠伊が何故か手を動かすことなくじっとこちらを見ていた。
 もしかして昨日みそ汁を飲んで泣いたからだろうかと居心地が悪くなり、誤魔化すように卵焼きに箸を向ける。

「今日は」
「学校だから登校しないとだけど」

 昨夜の強引さを思い出し、先手必勝とばかりに遠伊の言葉をさえぎった。
 このままだと帰してくれなさそうという危機感がある。
 言われた遠伊はわずかに眉を寄せたので、やはり帰すのに不満があるのかとびくついてしまう。
 けれど。

「わかった」

 静かに頷いたので、帰してくれるのだとほっと息を吐いた。
 案外あっさりしているなと意外に感じる。
 あれだけ強引に連れてきたのに。

「学校に送っていく」
「いや、制服が家にあるから」

 帰宅しなければならないし、家まで送迎などされて叔父家族に見られたら何を言われるかわからないので、絶対に遠慮したい。

「じゃあ、家まで送る」
「いやいいよ」
「送る」

 断っても食らいつかれた。
 声量も言い方も静かなのに確固たる決意を感じる。
 じっと見つめる金の瞳はまったく譲る気配がない。
 視線を左右に揺らしてから、理斗は小さく息を吐いた。

「……じゃあ、お願い」
「うん」

 根負けして頷けば無表情なのに満足そうなのが不思議だ。
 そんなに理斗を送っていきたいというのか。
 意味がわからない。
 遠伊はそのまま静かに食事を始めたので、理斗も箸を動かしだした。

(ほんっとう頑固だな、この人。見た目凄く綺麗なのに)

 清廉な雰囲気なのに、石より固いイメージがついてしまった。
 結局食事を終わってから高級車で家まで運ばれることになったのだけれど、隣に座った男は見ての通りにペラペラと喋るタイプではないので、基本的に無言だ。
 それでもポツリポツリと交わす会話に、理斗はすっかり遠伊に警戒しなくなっていた。
 危機感が足りないのではと自分でも思うけれど、彼が最大限に理斗に丁寧に接しようとしているのがわかるからだ。
 多少強引な部分はあるけれど。

「あ、ここで止めてください。角曲がったらすぐなんで」

 運転手に声をかけると、フロントミラー超しに目線が寄こされる。
 遠伊が「そのように」と声を出すと、角の手前で車は停車した。

「ええと、じゃあ、ありがとう」

 なんと言ったらいいかわからず、当たり障りのない言葉になってしまった。
 すると爪の形まで綺麗に作られている白い指が、サラリと理斗の長く傷んだ前髪を梳いた。

「うん」

 パサついた髪を手入れの行き届いた指先に触れられているのが恥ずかしくて、理斗は慌てて運転手が車を降りて後部座席のドアを開ける前に自力で降車してしまった。
 そのまま後ろを振り返らずに走り出し角を曲がる。
 叔父宅の門扉の前まで来てチラリと振り返るけれど、特に引き留められることも追いかけてくることもなかったので、何だか肩透かしをくらった気分だった。

(あれだけ強引に事を進めてたのに、あっけないんだな……)

 そこまで思って、まるで自分が残念と思っているみたいじゃないかと首を勢いよく振って深呼吸した。
 さっきまでは非日常だ。
 この先はいつもの日常。
 辛くて悲しいだけの理斗の現実。

「よし」

 すうと息を吸って気合を入れると錆びついている門扉に手をかけた。
 玄関もそっと開けると、扉を開く音に気づいてなのか廊下の奥からすぐに叔父家族が出てきた。

「どこに行っていた!食事も作らずに!」

 顔を見るなり叔父に怒鳴られて、まあこうなるよなと内心ため息だ。
 全員不機嫌そうに顔を歪めている。
 朝の忙しい時間だろうに、全員揃っているのはよほど機嫌が悪いのか。
 もしかして昨夜からこんな顔をしていたのだろうかと考えて、それだったらよくそのテンションを維持できるなと、肩を寄せながら思った。
 もしかしたら理斗が帰るのを、今か今かと待ち構えていたのかもしれない。
 すると、叔父の後に出てきた光がギッと理斗を睨みつけた。
 予想はしていたけれど、機嫌は最低らしい。
 あんな別れ方をしたのだから当然だし、覚悟はしていた。
 また殴られるのだろうなと、気が沈む。

「こいつは昨日、俺を馬鹿にしたんだ。理斗の分際で!」
「あんたさあ、夕食も朝食もないなんて餓死させる気?」

 光に続いて輝子がネイルをしている指で髪をいじりながら文句を言うけれど、その程度で餓死をするなら理斗などとっくに死んでいる。
 叔母も料理は出来るはずだけれど、すっかり奴隷扱いしている理斗を使うことにしか意識がいかないのかもしれない。
 輝子を可哀想にとなだめる叔母は、鬱陶しい羽虫を見るような目で理斗を見ている。

(……大丈夫、平気。いつものことだ)

 叔父家族の反応に、理斗は耐えるように拳を握りしめた。
遠伊に優しくされて気が少しだけ緩んでいたのかもしれない。
 普段よりずっとその視線や怒鳴り声が心に重くのしかかる。
 墨が落とされてどんどん広がっていくように、心の中が黒くなっていく。
 ぬかるみに落ちたように、喉が詰まって呼吸が浅くなった。

「こっちに来い!」

 叔父が憤慨しながら理斗の腕に手を伸ばしたときだ。
 背後の玄関扉がなんの前触れもなくバンと開いて、理斗の体が後ろに引っ張られた。

「え、何で……」

 突然のことに目を丸くしてそちらを見ると、白皙の美貌を無表情に遠伊が立っていた。
 玄関に入ってきたその手は理斗の肩をしっかりと抱いていて、先ほど引っ張られた原因だと気づく。

「あ、あなたは!」
「きゃあ!狐塚屋家の遠伊様じゃない!」

 叔父の動揺した声と輝子の喜色満面の声が同時に上がった。
 けれど理斗はそれどころではない。

「何でここに」

 何故いきなり現れたのか、帰ったのではないのかと、理斗も叔父家族と同様にうろたえた。
 目を白黒させる理斗に一瞬目線を向けると、叔父家族には一切興味を示さず遠伊は踵を返した。
 理斗の肩を抱いたまま。

「ちょ、ちょっと」

 強引に家から連れ出されたかと思うと、遠伊はさっさと門扉を通り抜けて横付けされていた先ほどの車に理斗を押し込める。
 そのあいだ、後ろから追いすがるような声が聞こえたけれど丸無視だ。
 何度も遠伊のことを呼んでいたのに。
 遠伊も乗り込むと車のドアが閉められて、止める間もなく発進してしまった。
 何が起こったのか一拍遅れで理解した理斗は、もうため息しか出ない。

「はあ……あんたなあ」

 もはや雑な口調になるのは仕方ない。

「もしかしてと確認したら、あの状況だったから」

 淡々と答える姿は悪びれない。

「あれじゃ家に戻れない、学校行けないよ」
「なら、今日は私の傍にいて」

 遠伊の言葉に思わずジトリとした眼差しを向けてしまうと、白皙の美貌に見つめ返された。
 さては最初から離す気がなかったなと予想がついたけれど、遠伊は涼しい顔を崩さない。
 じっと理斗を見つめながら、形のいい唇がゆっくりと動いた。

「行く当ては?」
「……図書館に」
「行かせたくない」

 ハッキリ言われてしまい、うっと詰まった。
 遠伊の真っ直ぐな眼差しは、無表情ながらどこか甘さを含んでいて落ち着かない。
 笑っているわけでもないし、気のせいではと思うけれど、そう切り捨てるには眼差しに熱を感じるのだ。
 どう反応するべきかと手持ち無沙汰に理斗は着古したシャツの裾を、指先で弄った。

「君と一緒にいたい」

 口調は平坦なのに、じわりとあぶられるような懇願が耳に届いてしまい落ち着かない。
 そわそわと身動きするあいだ、それ以上は黙ったまま見つめられて結局折れたのは理斗の方だった。

「じゃあ……補導されても困るから」
「うん」

 方便だ。
 中学生ではないのだから昼間に補導される確率なんて低い。
 それでも遠伊が小さく口角を上げたから、観念することにしてそのまま大きなビルへと向かった。
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