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暗転
しおりを挟む安息日でもないのに、城下はそこそこの人出で賑わっていた。
店舗を構える商会も、露店も多く軒を連ね、場所によってはお腹を刺激する良い匂いが漂っている。
きょろきょろと物珍しく辺りを眺める私は、田舎者丸出しだっただろう。ここまで景観良く整備された大きな地区を訪れるは学生の時以来だからか、何もかもが新鮮に映った。学園傍の地区もそこそこ大きかったが、城下ほどの活気はなかったように思う。
天気も良く、晴れ渡った空は青く澄み、程よく降り注ぐ日差しが心地よい。
エマ様に連れられ、気になったお店を気ままに覗き、ケーキの美味しいカフェで舌鼓を打ち、飲み物を飲みながらぶらぶらと歩き中央広場で花を眺めた。淑女としては失格だったが、私もエマ様も終始笑顔が絶えなかった。いいのだ、今は子爵令嬢でも伯爵令嬢でもなく、ただのユユアとエマなのだから。
そうしてあちこちを歩きながら、昨日の出来事を伝えたり、殿下への想いを吐露したり、聖女に対する苦悩をぽつぽつと告白した。
「正直、殿下には失望しました」
にっこり笑ったエマ様の目は笑っていなかった。むしろ、これから殺人でもおかしそうな眼をしていた。落ち着いて欲しい。
「ちょ、あのヘタレ男、グラマティク公爵令嬢と抱き合っていたって何!? 多分完全な誤解でしょうけど誤解を生むような紛らわしい真似するなっての。大体そんな報告聞いてないですし、猫の手も借りたいほどに忙しい癖に遊んでいる暇ないでしょう!? また魔法か魔法が気になって釣られたかあいつは! それで散々痛い目見てきてまたやらかすのか! それにこれだけ外堀埋めて囲っておきながら肝心なことが何一つ伝わっていないじゃない。秘密主義もいい加減にしなさいよ。大事なお方を前にしてこの失態どうしてくれよう……クロードは一体何をやっているのよ……」
ブツブツと物凄い早口で、令嬢にあるまじき罵りが聞こえたが、すべてを耳に捉えることはできなかった。笑顔を崩さないままなので、余計に威圧感が凄い。
「エマ様、どうどう。私は怒ってないので」
「失礼、少々興奮しました。ユユア様は巻き込まれただけなのに、殿下を責めないのですね。私だったら殴っていますよ」
「物理に訴える手腕がありませんし、きっちり報酬いただいていますからね」
「金の繋がりが逆に強固になりすぎて、悪手と化していますね……」
エマ様が遠い目をしながら呟いていたが、確かに始まりがお金の繋がりだったから、ややこしいことになっている気がする。
私はだん、とテーブルを軽く叩いた。からんとグラスの氷が音を立てて揺れる。
「こんなに振り回されているのに、嫌いになれないんですよ……」
「あらあら、惚れた弱みですわね。ユユア様ったらお可愛らしい」
「もう……これだから顔のいい男は……!」
お行儀が悪いけれども、ぐうと唸ってテーブルに突っ伏す。無性に恥ずかしいし、無性に悔しいし、無性に「殿下のバカー!」って叫びたい気持ちだし、感情が発露できないまま大渋滞を起こしている。実際には、周囲の迷惑になるので叫んだりはしないけれども。
すると、エマ様が手を伸ばしよしよしと頭を撫でてくれた。
「今、ユユア様には、色々なことがいっぺんにたくさん起こってしまって、許容量を超えてしまっている最中なんですね、きっと」
そうなのかもしれない。指先が優しくて、何だか泣けてくる。この短い間に、あまりにもあれこれありすぎた。
私は知ってしまったのだ。それこそ、手放すのが惜しいと思ってしまうくらいに、色鮮やかで楽しい世界を。
「……正直、こんな気持ちを抱えたまま、聖女という役割を続けてもいいものか、わからなくなってしまったんです。グラマティク公爵令嬢もいらっしゃるから、余計にぐるぐるしてて。そもそも、もう私いらなくないかなーとか……」
「私にとっても、殿下にとっても、聖女はユユア様ただ一人なんですから。胸を張ってここにいてください」
「……ありがとうございます」
「そこで、殿下への恋心よりも、仕事を優先するのがユユア様らしいといえばらしいですけどね……」
きっぱりと間髪入れずに、自分という存在がいていいのだと言ってもらえるのは純粋に嬉しい。
けれども、さっきから市民たちの間ではミレディ様の話題でもちきりだ。下手をすると、前の聖女は王宮お抱えの騎士や魔法師しか治さずお高く留まっていた、だなんて噂も流れてくる。耳に痛い。治したくても力量的に多くを治せなかっただけなのだが、まあこれは単なる言い訳だ。
「本人がややこしくしたにしても、もうもどかしいったら……」
エマ様は、深くため息をついた。
彼女には非常に申し訳ないが、言葉通り胸にたまっていた鬱屈を吐き出せて、私は割とすっきりしている。ルクス殿下に芽吹いた想いはともかくとして、きっちり仕事は続けられそうだ。元々本人に打ち明けるつもりもさらさらなかった感情だったから、エマ様という行き場があって迷子にならずに済んだ。
「聞いてくださってありがとうございました。いい気分転換になりました」
「私から気持ちを代弁するのは違うと思うので多くは語りませんが、あの人本当に機微に疎い変人なんですけど、ユユア様には真摯でいると思います。だから、どうか信じてあげてください」
自分の主人を平然とこき下ろすあたり、側近はみんな似るのだろうか。それでも真剣な表情のエマ様は、殿下も私をもを慮ってくれているので、自然と顔が綻んだ。
「……はい。そうですね、私が勝手に殿下の気持ちを決めてしまってはいけませんね」
「それはそれとして、グラマティク公爵令嬢との件は、きっちりはっきり締め上げますのでご安心ください」
「殿下の命があんまり安心できませんね……」
ぱしんと掌に拳を打ち付けるエマ様は、ちょっと血気盛んすぎやしないだろうか。
思ったよりも話し込んでしまった。今も王城に詰めているみんなにお土産でも買って、そろそろ馬車に戻ろうかと店を出た時だった。
「えっ……!?」
不意に、くんっとわずかに背後へと引かれた気がする。何かに引っ掛けたのかと振り向くと、まだ幼い少年が走って行くのが視界に入った。――碧のリボンを手にして。
「待って!! 返して!!」
私は反射的に少年を追い、駆け出していた。
「ユユア様! ダメです!!」
遅れてエマ様の静止の声が届くも、振り切って私は足を動かし続けた。
だってあれは、殿下からもらった大事なリボンなのだ。
だから、以前殿下に一人になるなと言われていたことも、頭からすっぽ抜けてしまった。
少年はすいすいと軽快に人の合間を縫っていく。見失わないようにするのに一苦労だ。スラム街の子だろうか、妙に手慣れている気がする。小さな背中は、薄汚れていた。
「待って! お願い!!」
私の叫びを聞いてくれるはずもなく、やがて少年は通りを外れてひょいと裏路地へと飛び込んだ。夢中で追いかけていたから、人気も少ない暗がりに入り込んでいるだなんて、気づきもしなかった。
「……お前が光魔法を使うって言う聖女か?」
「きゃあ!?」
横から急に手をぐっと掴まれ、慣性に身体ががくんと揺れる。足がもつれて転びそうになったところを、ひょいと腰を攫われた。
周辺は複数人の男に囲まれ、少年の姿は見えなくなっていた。まんまと誘い込まれたのだと気づいたときには、もう遅かった。
「え……? あ……」
「本当にこいつか? 黒髪じゃないぞ?」
「偽装しているって話だったろ。ああ、手首のこれだな。幻惑の魔法がかかっている」
何。何が起きているの。呼吸が荒れて、喉がひくつく。
値踏みされるようにじろじろと無遠慮に眺められ、ぶつりと手首のブレスレットのチェーンが切られる。ぽとりとブレスレットが地に落ちた瞬間、私の髪が黒に戻った。
どうして偽装がバレたのだろうか。迂闊な会話から察するに、看破した誰かがこの男たちに情報を売ったのか。
「おお、マジで黒髪だ。あの女の言っていた通りだな。ハハッ! これなら高く売れるぞ」
男たちはひゅうと口笛を吹き歓声を上げるが、私にとっては死刑宣告にも似たぞっとする言葉だった。
光魔法の使い手は、その能力故に売買され囲われあたかも奴隷のような扱いをされていた過去がある。今は国が表立って禁止しているとはいえ、決して裏での取引がないわけではないのだとしたら。
「は、離して!!」
ひゅっと息を呑み、身を捩るものの、拘束してくる男の力は強く逃れられない。助けを呼びたくても侘しい裏路地はほとんど人気がなく、叫びが届くかも怪しい。
万事休す。全身に震えが走ったのも束の間、凛と私を呼ぶ頼もしい声が響いた。
「ユユア様!」
私を追ってきたエマ様が、目にもとまらぬ勢いで駆けてくる。身を屈め、手にナイフを持ち、一番手前にいた男を颯爽と屠った。続けざま、もう一人にナイフを投げて、急所を抉る。まさしく電光石火の一撃だった。
「深き闇の神ディアレンツェの安らぎを、《睡眠》」
「ぐ……!」
だが、闇魔法をもろにくらい、がくんとエマ様の身体が傾ぐ。――その瞬間、エマ様の掌がひらめき、いつの間にやら手に握られた長い針を自ら太腿に刺した。
「っ……!」
痛みで魔法に対抗したのだろう。いくら何でも荒業過ぎる。
再び体勢を整えると、そのままエマ様は男の一人に突っ込んで、蹴りを放つ。まさかかような方法で闇魔法を解除するとは夢にも思わなかったのか、不意打ちに男が一人倒れた。そのままもう一人に追撃すべく、エマ様が身体を捻ったところで。
「《睡眠》!! 《睡眠》!!」
睡眠魔法を重ねがけされては、さすがのエマ様も耐えられはしなかった。ずざとその場に崩れ落ちてしまう。エマ様一人で敵を倒すには、多勢に無勢、分が悪すぎた。
「……ユユ……様っ……!」
「ったくビビったぜ! おいおい、よく見たらこいつ女じゃねーか。何やってんだよ」
「3人もやられたか……面倒な」
「やめて! やめてください!! その人に手を出さないで!!」
エマ様を足蹴にする男たちに、私は叫んだ。がっちり全身を囚われている私には、叫ぶしかできなかった。地に臥し砂まみれのエマ様は、苦悶の表情のままぴくりとも動かない。
私が迂闊にも彼女の静止を振り切らなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。何もできない自分の無力さに、涙が零れた。泣く資格なんて私にはないのに。
「ち、時間もねぇ。目標は手に入れた。これ以上人が来ても困る。さっさとズラかるぞ」
「エマ様! エマ様ぁ、しっかりしてください!」
「まったく、うるせぇお嬢ちゃんだな……。静かにしてろ。おい、こいつにもいっちょやっちまえ」
「まったく、しょっぱなから切り札切りすぎでしょ。深き闇の神ディアレンツェの安らぎを、《睡眠》!」
強制的な眠気が、頭をもたげる。眠ってはいけない、そう思うのに身体を巡る暗闇への誘惑に抗えないまま。
私の意識は、そこでぶっつりと途絶えた。
応援ありがとうございます!
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