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未来からの告知〜見えない何かのお告げ〜
3話 目の見えないおばちゃん
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その人との出会いは私が小学生になる前くらいだったかその後かあまり覚えていないけど
今となっては人生の先生と言っていいほどの人だった。
私のお父さんが20歳の時に大工の工務店をすることになり、会社を立ち上げてくれたのがその人でその時にその人と旦那様に出会ったと後からお父さんが言っていた。お父さんにとっても大事な存在の人だったと思う。
その人から聞いた話で、戦時中で苦しい生活を経験してきて、旦那様を亡くしてから毎日泣いていたそう。そのせいで目が不自由になってしまったそうだ…。
病気になりながらもその人は私に色々な事を教えてくれた。
ある日、私が小2の時に公園の鉄棒から誤って落ちてしまい右腕を複雑骨折をしてしまった。私のお母さんは直ぐに病院には連れて行ってはくれず、私の異変に気付いたその人が病院に連れて行ってくれてすぐに緊急手術をした。
それから毎日病院へリハビリに付き添ってくれた。辛いリハビリも文句言わずに傍で終わるまで待っていてくれた。お父さんが忙しい時もいつも助けてくれた。お母さんはお見舞いに来るだけだった。
家に帰ってきてからも右腕が完全に良くなるまで面倒を見てくれていた。そのおかげで後遺症もなく良くなって行った。私はそれから命の恩人でもあるその人の言うことを聞こうと思った。
私からしたら血の繋がりがないのに親見になってくれたのが本当に申し訳なく、でも嬉しくもあった。
実は私の名付け親でもあるという話を後から知った。それからは私の親みたいな関係になっていった。
6歳の頃に習い事をしないかとそのおばちゃんから言われた。私はピアノを習いたいと言って近所にあるピアノ教室に通うことになった。
暫く嫌々泣きながら弾いていたピアノがいつの間にか大好きになっていき、発表会に出たり、学校の合唱祭などで弾くようになった。ピアノは20歳まで習っていた。就職する際に辞めてしまったけど、今もたまに弾いたりしている。
おばちゃんがなぜピアノを習わせたかその理由を話してくれた。「あなたが辛い時や悲しいことがあった時に何時でもピアノを弾いてその音で心が和んだり癒せたり出来るようになる為によ」って言っていた。聞いた時はあまり何とも思わなかったけど、大人になるにつれてその言葉の意味や大切さが分かり身に染みた。
「世の中、危険なことが沢山あるからよく耳をアンテナのように広げて周りをよく注意しながら生きていくのよ」なんて口癖のようにいつも聞かされていた。親が言わないようなことをよく話してくれた。怒る時は怒り、褒める時は褒めてくれた。私や姉、弟のことも実の子供のように面倒を見てくれていた。
ご飯も作ってくれたり、おやつも買ったり作ってくれたり本当に色々してくれた。
おばあちゃんが亡くなって寂しかったけど、私にはその人が第2のおばあちゃんみたいな存在になっていった。
常に話を聞いてくれたり、家に居たくない時はおばちゃんの家に泊まったりしたこともあった。
近所付き合いもよく、周りの人にもいつも優しく接して気を配っていた。
苦労してきたからこそ人の苦労や大変さを一番に考え理解してくれていた。突き放したりせず、そっと見守ってくれてきた。
気がすごく強かったけど、あんなに人のために動ける人を見たのは初めてだった。あまり出会えない人だなと思っていた。
おばちゃんが居なかったら、もしかしたら右腕の骨折も後遺症が残ったかもしれない、ピアノも弾けなかったかもしれない、音楽だってそこまで好きじゃなかったかもしれない、人生をもっと安全であまいと思っていたかもしれない、色んなことが分からなかったかもしれない…。そう考えたら人生という刺激を与えてくれた第一人者だったと思う。
今の人生があるのはおばちゃんのおかげがおばあちゃんの次にある。きちんと私を見て良い悪い、楽しいこと辛いことを教えてくれたんだと思う。おばあちゃんやおばちゃんを見てその時私は初めて反面教師という言葉を学んだ。
人生は本当に色々ある。親からよりも他人やさらに目上からの人に厳しさや教訓を学ぶことが多かった。学校から学ぶことよりも社会という大きな壁を必死に乗り越えて生き抜いてきた人たちの言葉や行動には重さや愛や優しさがあった。
私は幸せ者かもしれない。そういう人達が側にいて支えてくれて見守って来てくれたから間違った道に進まないように育ててくれたのだと今だから思うし痛いほど分かる。
だから自分よりも相手のことを考えて行動出来る、強くて優しさを忘れない人になろうと思えた。もしもおばあちゃんやおばちゃんに出会えてなかったら今の私は違っていたかもしれない。
出会えて本当に良かった。自分が病気しても体を張って支えてくれたおばあちゃんやおばちゃんには感謝以上の気持ちしかない。
今の世の中、そんな人いるのか分からない。自分の為じゃなくて人のために生きてる人は本当にいるのか…
おばちゃんは私の名前の意味を教えてくれた。
「たくさんの人に恵を与え、たくさんの人に恵まれる人になるように」と名前を付けてくれた。
そんな人になれる様にこれからも生きていこうと思った。
今となっては人生の先生と言っていいほどの人だった。
私のお父さんが20歳の時に大工の工務店をすることになり、会社を立ち上げてくれたのがその人でその時にその人と旦那様に出会ったと後からお父さんが言っていた。お父さんにとっても大事な存在の人だったと思う。
その人から聞いた話で、戦時中で苦しい生活を経験してきて、旦那様を亡くしてから毎日泣いていたそう。そのせいで目が不自由になってしまったそうだ…。
病気になりながらもその人は私に色々な事を教えてくれた。
ある日、私が小2の時に公園の鉄棒から誤って落ちてしまい右腕を複雑骨折をしてしまった。私のお母さんは直ぐに病院には連れて行ってはくれず、私の異変に気付いたその人が病院に連れて行ってくれてすぐに緊急手術をした。
それから毎日病院へリハビリに付き添ってくれた。辛いリハビリも文句言わずに傍で終わるまで待っていてくれた。お父さんが忙しい時もいつも助けてくれた。お母さんはお見舞いに来るだけだった。
家に帰ってきてからも右腕が完全に良くなるまで面倒を見てくれていた。そのおかげで後遺症もなく良くなって行った。私はそれから命の恩人でもあるその人の言うことを聞こうと思った。
私からしたら血の繋がりがないのに親見になってくれたのが本当に申し訳なく、でも嬉しくもあった。
実は私の名付け親でもあるという話を後から知った。それからは私の親みたいな関係になっていった。
6歳の頃に習い事をしないかとそのおばちゃんから言われた。私はピアノを習いたいと言って近所にあるピアノ教室に通うことになった。
暫く嫌々泣きながら弾いていたピアノがいつの間にか大好きになっていき、発表会に出たり、学校の合唱祭などで弾くようになった。ピアノは20歳まで習っていた。就職する際に辞めてしまったけど、今もたまに弾いたりしている。
おばちゃんがなぜピアノを習わせたかその理由を話してくれた。「あなたが辛い時や悲しいことがあった時に何時でもピアノを弾いてその音で心が和んだり癒せたり出来るようになる為によ」って言っていた。聞いた時はあまり何とも思わなかったけど、大人になるにつれてその言葉の意味や大切さが分かり身に染みた。
「世の中、危険なことが沢山あるからよく耳をアンテナのように広げて周りをよく注意しながら生きていくのよ」なんて口癖のようにいつも聞かされていた。親が言わないようなことをよく話してくれた。怒る時は怒り、褒める時は褒めてくれた。私や姉、弟のことも実の子供のように面倒を見てくれていた。
ご飯も作ってくれたり、おやつも買ったり作ってくれたり本当に色々してくれた。
おばあちゃんが亡くなって寂しかったけど、私にはその人が第2のおばあちゃんみたいな存在になっていった。
常に話を聞いてくれたり、家に居たくない時はおばちゃんの家に泊まったりしたこともあった。
近所付き合いもよく、周りの人にもいつも優しく接して気を配っていた。
苦労してきたからこそ人の苦労や大変さを一番に考え理解してくれていた。突き放したりせず、そっと見守ってくれてきた。
気がすごく強かったけど、あんなに人のために動ける人を見たのは初めてだった。あまり出会えない人だなと思っていた。
おばちゃんが居なかったら、もしかしたら右腕の骨折も後遺症が残ったかもしれない、ピアノも弾けなかったかもしれない、音楽だってそこまで好きじゃなかったかもしれない、人生をもっと安全であまいと思っていたかもしれない、色んなことが分からなかったかもしれない…。そう考えたら人生という刺激を与えてくれた第一人者だったと思う。
今の人生があるのはおばちゃんのおかげがおばあちゃんの次にある。きちんと私を見て良い悪い、楽しいこと辛いことを教えてくれたんだと思う。おばあちゃんやおばちゃんを見てその時私は初めて反面教師という言葉を学んだ。
人生は本当に色々ある。親からよりも他人やさらに目上からの人に厳しさや教訓を学ぶことが多かった。学校から学ぶことよりも社会という大きな壁を必死に乗り越えて生き抜いてきた人たちの言葉や行動には重さや愛や優しさがあった。
私は幸せ者かもしれない。そういう人達が側にいて支えてくれて見守って来てくれたから間違った道に進まないように育ててくれたのだと今だから思うし痛いほど分かる。
だから自分よりも相手のことを考えて行動出来る、強くて優しさを忘れない人になろうと思えた。もしもおばあちゃんやおばちゃんに出会えてなかったら今の私は違っていたかもしれない。
出会えて本当に良かった。自分が病気しても体を張って支えてくれたおばあちゃんやおばちゃんには感謝以上の気持ちしかない。
今の世の中、そんな人いるのか分からない。自分の為じゃなくて人のために生きてる人は本当にいるのか…
おばちゃんは私の名前の意味を教えてくれた。
「たくさんの人に恵を与え、たくさんの人に恵まれる人になるように」と名前を付けてくれた。
そんな人になれる様にこれからも生きていこうと思った。
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