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一章 入学旅行一日目

1-17a  涙のわけ

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 霧は、泣いていた。
 言葉もなく、静かに、ぽろぽろと、涙が頬を滑り落ちてゆく。
 自分が泣いていることに気付いた霧は、慌てて目をぬぐいながら、言った。

「ゴミが、ゴミが目にぃっ! 痛いぃっ!」

 我ながらベタな言い訳だ――霧がそう思って焦っていると、リューエストが自分の『辞典』を取り出して言った。

「おのれ、キリの目に入ったゴミめ!! お兄ちゃんが成敗せいばいしてくれる!」

 まさか目に入ったゴミを取り除くためだけに、辞典魔法を使う気か?!――そう思った霧は、ますます焦って言った。

「もう大丈夫! ゴミ、どっかいった! ごめんねみんな、お騒がせしました。さあ、続きをしよう! 課題4の担当、早く決めちゃお! あたし本当にどれでもいいから、残ったやつをもらうことにする。みんな、一斉に表現したいものの上に指を出そうよ。そんで、希望が重なったらくじ引き。OK?」

 皆うなずき、担当はその後、速やかに決まった。
 アデルは水晶の原石、アルビレオは弦楽器、トリフォンは椅子、リューエストは帽子、リリエンヌはぬいぐるみ。そして最後に残った黒い立方体を、霧が担当することになった。
 課題4の準備が滞りなく終わったため、一行は昼食の席を立って次の行動に移ることにする。ただいまの時間は13時過ぎ。課題4は「サブコート1」で14時から、時間厳守だ。

 みんなと競技場に戻る道すがら、霧は何一つ忘れまいと、珍しい異世界の市場を目に焼き付けながら歩いていた。
 人の流れは途切れることなく、競技場へと続く広い道は行き交う人波で混雑している。買い物を楽しむ人、競技場に向かう人、競技場から出てきた人、食べ歩きする人、子供を連れた家族連れ、手をつないでいるカップル、屋台の売り子、様々な人々が彩るこの場の雑踏が、霧にはとても心地よく感じられた。

(ああ……いいなぁ……。みんな、楽しそうで、幸せそうだ。……何だろう、あそこに売られているあのお菓子。食べてみたいなぁ。それにあっちのグッズ売り場、変わったもの売ってる。あれが何なのか、想像もつかないや。……あ、あの一角にたくさん人が群がってる。ゲームの一種かな。いいなぁ、楽しそうだなぁ)

 この光景の一部に自分がいて、皆と同じ幸福感を共有しているのだ――そう思った霧は、どうしようもないほど精神が高揚こうようして、叫び出したいほどの喜びに胸が締め付けられた。それと同時に、言いようのない不安が胸の奥からせり上がってくる。

 ――幸福感はいつでも、滅多に食べられないご馳走のようだ。

 霧は、そう思った。
 味わっている間は嬉しくて楽しくてたまらないのに、その最中ですら、それが必ず終わるというと寂しさとむなしさを抱えてしまう。

 またもや情緒不安定な波が襲い掛かってくる気配を察し、霧は慌てて物思いを中断させた。
 どうにも、気持ちをコントロールすることが難しい。霧はさきほどみんなと食事していた際に泣いてしまったことを思い出して、顔を赤らめた。

(人前で泣くとか、ないわー……。恥ずかしかったぁ……。リューエストがあたしのことを半年前に目覚めたばかりだから「赤ちゃんみたいなもの」って言ってたけど、本当に赤ん坊に帰ったみたいだ。感情にまかせて泣くとか、大人のやることじゃ、ないよなぁ……。もうほんと、目に入ったゴミだなんてベタな展開でごまかせてよかった。リューエストのおかげだな)

 霧は羞恥しゅうちに震える一方で、「夢なんだから好きにふるまえばいいのに」とも思った。誰の反応も気にせず、自由にすればいいのに、と。
 けれど、現状があまりにもリアル過ぎて、霧にはどうしてもそうすることができなかった。
 目の前にいるアデルやリューエスト、そして偶然ツアーメイトとなったみんなの、誰の迷惑にもなりたくなかったし、嫌われたくなかった。そして霧は、自分が原因でみんなを暗い気持ちにさせたくなかった。

(みんな、優しいから……。ついじんわりきちゃったんだよね……)

 生まれただけで宝――アデルのその言葉が、まだ耳の奥に響いている。
 こんなに優しい言葉があるだろうか。
 存在の、全肯定。
 純粋で尊い、祝福の言葉。
 霧が親に投げつけられた言葉とは、正反対の。

 霧はまた涙腺るいせんがゆるみそうになってきて、慌てて気を引き締めた。
 そこへ、アデルの声が飛んでくる。

「ねぇ、聞いてるの、キリ?!」

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