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第六章──信(たより)の愛し人、裏切りを超えて
71話
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「……名は、何と申されるや?」
彼は一瞬、目を伏せ、間を空けた。そして、苦しげに口を開いた。
「……朝比奈蒼真と申す」
澄んだ瞳で秋架は蒼真と名乗る虚ろな目を見据えた。嘘が混じっていることは、秋架に言葉の間で、瞬時に伝わった。
「左様にて候か……さては蒼真殿、しばし安らかにお休みあれ」
秋架は責めこそせず、逆に見覚えのある顔に似ていることに躊躇いを覚えていた。ふと枕元を見ると大切に所持していたという小袋に目がいった。袋は泥まみれになり所々破れている。隙間から見覚えのある家紋が見えた。
「この絹綾の小袋……あれは、かの時、胸元に飾られし鷹司家の御守……」
それを見た瞬間、秋架の胸に封じられていた記憶が、突如として甦った。
──あの戦の日。
遠く、炎と塵煙の向こうに、ひときわ目を引く若武者がいた。鷹司家に仕えていた秋架。文綱さまの背後に控え、全体を見渡していた者。剣を抜くことなく、人を動かす力を持っていた瞳。命令ではなく、信で人を導くその声に惹かれていた。そして胸元に飾られた絹綾の小袋。
「まさか……」
秋架の胸に走ったのは、驚きではなく、確信に近い直感だった。だが、秋架は悟る。
──もしや、彼が今それを語らぬは、深き訳あらん……問ふは、その矜持を損なうのみ……今はただ、静かに見守るべし──
秋架は、ただ静かに彼の目を見て、耳元で囁きこう告げた。
「真を語らずとも、そなたが何やら事情を抱えおわすは、瞳を見ればわかりまする……されば、何も申さずともよい……われはそなたを信ずる」
その言葉に、蒼真は一瞬、息を呑んだ。
──何ゆえぞ……この瞳の強きは……──
どこかほっとしたように力が抜け、微かに笑みを浮かべた。
彼は、戦で仲間を失い、主君である鷹司文綱の命を受けて逃げ延びた。だがそれが忠義だったのか、逃亡だったのか──その答えを、彼自身まだ見いだせていなかった。
信じた主は、どうなったか、わからない。そして、もう声をかけてはくれない。仲間たちも、遠い地で土に還っている。いや還ったという、そんな生易しいものではなかった。
そんな中複雑な想いの中、正直に名乗らぬ男をただ『信じる』と言ってくれた一人の娘。その優しさに、蒼真は救われたような気がした。そして心の底に、ひとつの思いが灯る揺らめきがあった。
──あらためて、生き直してみとう存ずる……もし、過ぎし記憶を忘るること能わば──
秋架は蒼真に笑みを浮かべていた。
「あれ……何ゆえ……」
違和感を感じた。秋架は自分の左手の甲に微かな温もりを感じていた。
彼は一瞬、目を伏せ、間を空けた。そして、苦しげに口を開いた。
「……朝比奈蒼真と申す」
澄んだ瞳で秋架は蒼真と名乗る虚ろな目を見据えた。嘘が混じっていることは、秋架に言葉の間で、瞬時に伝わった。
「左様にて候か……さては蒼真殿、しばし安らかにお休みあれ」
秋架は責めこそせず、逆に見覚えのある顔に似ていることに躊躇いを覚えていた。ふと枕元を見ると大切に所持していたという小袋に目がいった。袋は泥まみれになり所々破れている。隙間から見覚えのある家紋が見えた。
「この絹綾の小袋……あれは、かの時、胸元に飾られし鷹司家の御守……」
それを見た瞬間、秋架の胸に封じられていた記憶が、突如として甦った。
──あの戦の日。
遠く、炎と塵煙の向こうに、ひときわ目を引く若武者がいた。鷹司家に仕えていた秋架。文綱さまの背後に控え、全体を見渡していた者。剣を抜くことなく、人を動かす力を持っていた瞳。命令ではなく、信で人を導くその声に惹かれていた。そして胸元に飾られた絹綾の小袋。
「まさか……」
秋架の胸に走ったのは、驚きではなく、確信に近い直感だった。だが、秋架は悟る。
──もしや、彼が今それを語らぬは、深き訳あらん……問ふは、その矜持を損なうのみ……今はただ、静かに見守るべし──
秋架は、ただ静かに彼の目を見て、耳元で囁きこう告げた。
「真を語らずとも、そなたが何やら事情を抱えおわすは、瞳を見ればわかりまする……されば、何も申さずともよい……われはそなたを信ずる」
その言葉に、蒼真は一瞬、息を呑んだ。
──何ゆえぞ……この瞳の強きは……──
どこかほっとしたように力が抜け、微かに笑みを浮かべた。
彼は、戦で仲間を失い、主君である鷹司文綱の命を受けて逃げ延びた。だがそれが忠義だったのか、逃亡だったのか──その答えを、彼自身まだ見いだせていなかった。
信じた主は、どうなったか、わからない。そして、もう声をかけてはくれない。仲間たちも、遠い地で土に還っている。いや還ったという、そんな生易しいものではなかった。
そんな中複雑な想いの中、正直に名乗らぬ男をただ『信じる』と言ってくれた一人の娘。その優しさに、蒼真は救われたような気がした。そして心の底に、ひとつの思いが灯る揺らめきがあった。
──あらためて、生き直してみとう存ずる……もし、過ぎし記憶を忘るること能わば──
秋架は蒼真に笑みを浮かべていた。
「あれ……何ゆえ……」
違和感を感じた。秋架は自分の左手の甲に微かな温もりを感じていた。
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