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第六章──信(たより)の愛し人、裏切りを超えて
72話
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蒼真の傷は秋架の手厚い看病により、日に日に良くなっていく。しかし、里の衆は日を重ねるごとに嫌悪の目を向けてくる。楽しく談笑している側を通るとみな黙り睨みつけるような目をし、「いくぞ」と目を合図し足早に立ち去っていく。溝は埋まることがなかった。
ただ秋架だけは違った。
「蒼真殿、もはやお身の具合はよろしゅうござりまするか? なお傷口に障りはせぬか……無理はなりませぬぞ」
「いや……身を動かさずば、鈍るばかりにて」
「左様にござりまするか……されど無理は禁物にて候」
柔らかい笑みが孤独な蒼真の心を包んでいた。いかなる時も秋架だけは蒼真のことを「信じる」と疑わなかった。
やがて、山深い静寂に包まれていた高杜にも、まるで何かに呑み込まれるように不穏な気配が忍び寄る。里の背後を流れる尾根道に、見慣れぬ足跡。重いものを担いだように深く沈み込んだ跡。夜な夜な山犬のような声が響き、里の衆たちは眉をひそめた。
ある者は足音を聞いたとう。しかし、それは奇妙な音だったという。この険しい尾根道を一寸ほどの高さの下駄、煌びやかな衣装で優雅に歩きそれはまるで遊女を思わせ、そしてその後ろには白い面をかぶり黒髪をなびかせた女が音も立てずに歩いていたという。まるで幽世の世界に迷い込み、恐れの中に吸い込まれるような美しさがあったと言う。酒でも呑んで酔いが回り夢でも見たんだろうと笑い飛ばされた。高杜が位置するのは、東州と西嶺──二国の国境にあたる険しい山間部。高下駄で歩くなど到底無理な話しだからである。
しかし、高杜はこれまでは戦火も及ばず、どちらの国にも属さぬ中立の里として静かに息づいてきたが、戦の潮目が変わった今、その存在は徐々に物資のや食料の運搬などの要地としての価値を帯び始めていた。
「何者かが西嶺に、この里の地形や人の動きを漏らしておるやもしれぬ」
そんな噂が、風に乗って里中に広がっていく。その噂は疑心暗鬼となり濁った風になり、穏やかだった高杜にうねりを与えた。
それと刻を同じくして、里の裏手にある食料の備蓄庫が荒らされていた。夜明けと共に駆けつけた若者たちは、散乱した麻袋と、わずかに残った火薬の匂いに眉をひそめた。
「これは……われらが隙を窺ひ、誰ぞ人なき刻を見計らひて動きしもの……まさしく、内に道を熟知せし者の仕業にて候」
動揺した里の衆は、よそ者への警戒を強めていく。いつしか疑いの目は、自然と蒼真へと集まっていった。
「外より来たあの男、怪しきことこの上なし」
「名乗りもせぬ身なれば、西嶺の密偵かもしれぬぞ」
「秋架さまが庇い立てなされるも、また怪しき話にて」
「この間も、ひとり忍びて何やら探っておったと聞き及ぶ」
炊事場でも畑でも、蒼真が通り過ぎればひそひそと声が走る。口に出して責める者はいない。だが、彼が置かれた空気は明らかに冷え切っていた。
しかし、そんな中、秋架だけは静かに、しかし凛とした眼差しで言った。
「この御方は、そのようなことなさるお人にあらず……われは信じ申す。わが眼、偽りを見抜けぬほど鈍うはござらぬ」
その言葉に数人は顔を伏せたが、それでも疑念は払えなかった。
ただ秋架だけは違った。
「蒼真殿、もはやお身の具合はよろしゅうござりまするか? なお傷口に障りはせぬか……無理はなりませぬぞ」
「いや……身を動かさずば、鈍るばかりにて」
「左様にござりまするか……されど無理は禁物にて候」
柔らかい笑みが孤独な蒼真の心を包んでいた。いかなる時も秋架だけは蒼真のことを「信じる」と疑わなかった。
やがて、山深い静寂に包まれていた高杜にも、まるで何かに呑み込まれるように不穏な気配が忍び寄る。里の背後を流れる尾根道に、見慣れぬ足跡。重いものを担いだように深く沈み込んだ跡。夜な夜な山犬のような声が響き、里の衆たちは眉をひそめた。
ある者は足音を聞いたとう。しかし、それは奇妙な音だったという。この険しい尾根道を一寸ほどの高さの下駄、煌びやかな衣装で優雅に歩きそれはまるで遊女を思わせ、そしてその後ろには白い面をかぶり黒髪をなびかせた女が音も立てずに歩いていたという。まるで幽世の世界に迷い込み、恐れの中に吸い込まれるような美しさがあったと言う。酒でも呑んで酔いが回り夢でも見たんだろうと笑い飛ばされた。高杜が位置するのは、東州と西嶺──二国の国境にあたる険しい山間部。高下駄で歩くなど到底無理な話しだからである。
しかし、高杜はこれまでは戦火も及ばず、どちらの国にも属さぬ中立の里として静かに息づいてきたが、戦の潮目が変わった今、その存在は徐々に物資のや食料の運搬などの要地としての価値を帯び始めていた。
「何者かが西嶺に、この里の地形や人の動きを漏らしておるやもしれぬ」
そんな噂が、風に乗って里中に広がっていく。その噂は疑心暗鬼となり濁った風になり、穏やかだった高杜にうねりを与えた。
それと刻を同じくして、里の裏手にある食料の備蓄庫が荒らされていた。夜明けと共に駆けつけた若者たちは、散乱した麻袋と、わずかに残った火薬の匂いに眉をひそめた。
「これは……われらが隙を窺ひ、誰ぞ人なき刻を見計らひて動きしもの……まさしく、内に道を熟知せし者の仕業にて候」
動揺した里の衆は、よそ者への警戒を強めていく。いつしか疑いの目は、自然と蒼真へと集まっていった。
「外より来たあの男、怪しきことこの上なし」
「名乗りもせぬ身なれば、西嶺の密偵かもしれぬぞ」
「秋架さまが庇い立てなされるも、また怪しき話にて」
「この間も、ひとり忍びて何やら探っておったと聞き及ぶ」
炊事場でも畑でも、蒼真が通り過ぎればひそひそと声が走る。口に出して責める者はいない。だが、彼が置かれた空気は明らかに冷え切っていた。
しかし、そんな中、秋架だけは静かに、しかし凛とした眼差しで言った。
「この御方は、そのようなことなさるお人にあらず……われは信じ申す。わが眼、偽りを見抜けぬほど鈍うはござらぬ」
その言葉に数人は顔を伏せたが、それでも疑念は払えなかった。
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